2017年7月6日更新

チャップリン賞って知ってる??歴代受賞者のまとめ

チャップリン

皆さんは、チャップリン賞をご存知ですか?チャップリン賞はアカデミー賞への登竜門ともされる、その年の最も優れた業界人に贈られるアメリカの賞です。チャップリン賞はどのように始まったのか、また歴代受賞者にはどのような人がいるのかみていきましょう。

チャップリン賞って何?

国内または世界の映画の支援、そして認知度や理解の向上を目的としたアメリカの非営利団体、”フィルム・ソサエティ・オブ・リンカーン・センター”により、その年の最も優れた才能をもつ業界人に贈られる賞を、”チャップリン賞”といいます。

1972年に国外追放された後、称賛を得てアメリカへ戻ってきたチャーリー・チャップリンが最初の受賞者となったことに因んで、”チャップリン賞”と呼ばれるようになりました。授賞式が行われる年に1度の祭典は、フィルム・ソサエティの活動を支える最も重要な募金集めのイベントでもあります。

これから、チャップリン賞がどのようにして生まれたのか、誕生の経緯をもう少し詳しく説明していきましょう。

チャーリー・チャップリンの代表作

だぶだぶのズボンとドタ靴、パーマ頭にちょび髭がトレードマークの「小さな放浪者」役で世界中から愛されるチャーリー・チャップリンは、『チャップリンの勇敢』(1917)から『モダン・タイムス』(日本公開1972年/全米1938年)に至るまで、数々のヒット映画を世に送り出してきました。

ヒトラーの独裁政治を批判した『独裁者』(日本公開1960年/全米1940年)などで知られるように、自由と平和主義の強いメッセージ性をもつ作風が、冷戦時のアメリカで危険視され、1952年、チャーリーは国外追放となってしまします。

チャップリン賞までの道のり

1972年、映画評論家ブレンダン・ジルが、チャーリーの妻ウーナが「アメリカへ戻ってきたがっている」という噂を聞きつけたことをフィルム・ソサエティの重役会議にて話します。また、映画祭典での賞の授与を報酬にして、チャップリンをアメリカでの授賞式に招待することを提案したのが始まりでした。

チャーリーとフィルム・ソサエティは仲介役を介し、亡命先であるスイスなどヨーロッパで何度も話し合いを重ね、チャーリーは遂に授賞式への参加を承諾します。

チャップリン賞誕生

1972年、チャーリーと妻ウーナはジョン・F・ケネディ国際空港へ到着。たくさんの観衆の歓声に包まれて迎えられ、後日控えているロサンゼルスでのアカデミー賞の授賞式までの間の4日間、二人はニューヨークで過ごしました。

そして1972年4月2日、ニューヨークのリンカーン・センターで、妻と二人でステージに上がったチャーリーは、暖かい割れるような拍手喝さいを受けます。俳優、そして映画製作者としての長年の功績と偉業を称えられ、以後”チャップリン賞”と呼ばれる賞を受賞しました。

チャーリーは涙を拭いながら、ただ只管「ありがとう」と繰り返しました。

こうして始まった映画界のレジェンドを称えるチャップリン賞は、2017年5月で第44回目を迎えます。これまで数々の著名人に授与されてきましたが、歴代受賞者のなかから何人かをご紹介しましょう。

チャップリン賞歴代受賞者たち

1.ロバート・デニーロ

フィルム・ソサエティ主催である第54回ニューヨーク映画祭のクロージングナイトで、2017年の第44回チャップリン賞受賞者が、ロバート・デニーロに決定したことが発表されました。2017年5月8日に授賞式が行われます。

フィルム・ソサエティの常務取締役レスリー・クレインバーグは、以下のようにコメントしています。

「デ・ニーロは与えれた役柄の全体をつかみ、数十年というキャリアの中で得た、素晴らしい技と質をもって表現できる伝説的な役者です。『ゴッドファーザー PART II』(1975年)や『ミーン・ストリート』(1980年)、『レイジング・ブル』(1981年)、『レナードの朝』(1991年)、それから最近の作品でいえば『世界にひとつのプレイブック』(2013年)を観てください。彼の役幅の広さと、役作りへの多大なる努力がわかるはずです!」

『ゴッドファーザー PART II』(1975年)でアカデミー最優秀助演男優賞を受賞しブレイクをはたしたロバート・デニーロは、現在に至るまで数々の著名な映画に出演しています。

最近ではAFI映画祭で、『ザ・コメディアン』(日本公開日未定)がプレミアム上映され、来年のオスカー受賞が期待されています。

また、デ・ニーロは、映画製作会社「トライベッカ」の経営者でもあり、アメリカ同時多発テロの復興支援を目的としたトライベッカ映画祭を毎年主催しており、社会活動にも力を入れています。

2.モーガン・フリーマン

第43回チャップリン賞は、モーガン・フリーマンが2016年4月26日に受賞しています。

フィルム・ソサエティの取締役会長アン・テネンバウムは次のようにコメントしています。

「モーガン・フリーマンは、この時代で最も才能を持った役者の1人であり、彼の作品は映画界の眺望を一変させました。モーガンは役者として、そして慈善家として世界中で愛されており、私たちは、チャンプリン賞の歴代受賞者に彼の名を連ねることができ、大変嬉しく思っています。」

モーガンは劇団員を経てテレビへ、そして映画界と活躍の場を広げていきます。

『NYストリート・スマート』(米公開1987年)や『ドライビング Miss デイジー』(1990年)、『ショーシャンクの空に』(1995年)でアカデミー賞にノミネート、『ミリオンダラー・ベイビー』(2005年)ではアカデミー助演男優賞を受賞しました。

モーガンは、『宇宙戦争』(2005年)やドキュメンタリー映画『皇帝ペンギン』(2005年)など、ナレーターとしても高く評価されています。

また、大気汚染の排出の少ない燃料の使用を推し進める会社「アース・バイオフューエル」の理事会員を務めていたり、南アフリカのアーティストやアフリカの女性教育を支える非営利団体に支援を行うなど、慈善家としての一面もあります。

3.トム・ハンクス

第36回チャップリン賞は2009年、トム・ハンクスへ贈られました。

コメディ映画を中心に活躍していたトム・ハンクスですが、エイズとゲイに関する映画『フィラデルフィア』(1194年)、足の矯正器を付けた知能指数の低い少年の生涯を描いた『フォレスト・ガンプ/一期一会』(1995年)で2年連続オスカーを受賞し、その後は数々の話題作や大作の主演を務めています。

  ハリウッドナンバーワンの優しい男性として知られるトム・ハンクスですが、チャップリン賞の授賞式では、こんな場面もありました。

トムの親しい友人として受賞式に参加したジュリア・ロバーツが、お酒に酔い、公の場では使うことのないFワードを連発するという前代未聞のスピーチを行いました。トムは冗談交じりにジュリアを次のように表現し、会場に笑いを誘っています。

「ジュリア・ロバーツは、今まで誰も聞いたことがないような下品で汚い言葉が飛び出すお口をもっているようだ」

4.オードリー・ヘップバーン

オードリー・ヘップバーンは、1991年の第18回チャップリン賞の受賞者です。

『ローマの休日』(1954年)でオスカーを獲得し大ブレイクをはたしたヘップバーンは、『パリの恋人』(1957年)、『ティファニーで朝食を』(1961年)、『マイ・フェア・レディ』(1964年)など、主に1950年~1970年代に大活躍した女優です。

晩年は、ハリウッドとは距離を置き、ユニセフ親善大使として世界各地を巡ります。チャップリン賞は、ちょうどその頃の受賞でした。

オードリーは、授賞式後にスイスで行われたインタビューでチャップリン賞受賞について、次のように話しています。

「もし彼ら(フィルム・ソサエティ)が、私の一連の作品があの夜(授賞式)に値すると思うのであれば、それは私にとってこの上なく晴らしいことであり、同時に恐ろしさすら感じます。あのような経験をしたことはありません。ありがとうございました。」

そして受賞からわずか約1年半後の1993年1月24日、がんのため63歳でこの世を去ります。