『ジェーン・ドウの解剖』を解剖。死体そのものが怖い、新感覚ホラー映画の魅力とは?
気鋭の作家が集うアメリカのホラー映画界
『SAW』シリーズや『インシディアス』シリーズなどでホラー・マスターと呼ばれたジェームズ・ワン。『ザ・ゲスト』や『ブレア・ウィッチ』などで天才的な演出を見せたアダム・ウィンガードなどが、現在ハリウッド大作監督として第一線に立っているように、ホラー、スリラージャンルは、一流の映画監督へのキャリアを積むルートとして確立された感がある。 彼らが脚光を浴びるまでに強い作家性を発揮できたのには、新味が要求される低予算ホラーにおける、実験的な「遊び場」としての環境があったのだ。
かつてない試みのホラー映画
「ネクロテラー」と名付けられた、「スプラッター」、「ネクロフィリア(屍体愛好)」。 そこにさらに、「オカルトホラー」などの要素も加わっていく本作『ジェーン・ドウの解剖』も、起き上がって襲ってくるわけではなく、横たわってただ解剖されていく死体が恐怖の対象になるという、おそらくまだ試されていない新しい発想を活かしたコンセプチュアルな作品だ。
死体が脅威となるという発想
本作の監督アンドレ・ウーブレダルは、ノルウェーのフェイクドキュメンタリー映画ながら、娯楽性の高い表現で世界的にスマッシュヒットした『トロール・ハンター』を過去に撮っている。 そこで発揮された発想力を武器に、彼は群雄割拠のアメリカのホラー映画に参入してきた(製作は英米共同)。ホラージャンルは、何よりもまさにアイディアがものをいう場所なのである。
美しすぎる死体を演じるオルウェン・ケリー
解剖が進むにしたがって怪異が起きるという謎を持った、身元不明の世にもまれな美しすぎる死体「ジェーン・ドウ」を演じるのは、ファッション誌「VOGUE」や各種CMなどで活躍した人気モデルのオルウェン・ケリーだ。 動かないように息を止めるという古典的な死体役が、ほぼ主演のように画面に映り続けているというのが面白い。ジェーン・ドウの身体が切り裂かれ、肉体的な内面が露わになることによって、重大な事実が明らかになってゆくというのが、本作のストーリーだ。
観客を妖しい世界へといざなう、死体の美とこわさ
人気モデルが演じる死体が、生きている人間よりも美しいというのは当たり前ともいえるが、検死時に正面からクローズアップされる彼女の灰色に濁った青い瞳の色は、死体だからこその妖しい美しさを獲得し、また、肉体を切り刻まれながらも全く抵抗できないというシチュエーションから、観客の嗜虐性を刺激していく。 本作は、「ジェーン・ドウ」というかつてない死体の美を入り口に、見る者を変態的な感覚へ誘っているのだ。生物と無生物の間に生じるフェティッシュという意味では日本の作家・江戸川乱歩だったり、また近年の二次元キャラクター愛好やフィギュアへの愛好という、オタク的な感覚にも通じているように思える。
死体と闘う検死官たち
シェイクスピア劇の舞台をはじめ、映画界でも演技力を見せつけるベテラン、ブライアン・コックスと、『ロード・オブ・ドッグタウン』や『スピード・レーサー』のエミール・ハーシュが演じるのは、親子のコンビで解剖をする検死官である。彼らは遺体安置所(モルグ)という密室の中で、怪異を起こす美しい死体と、メスを手に静かな戦いを繰り広げるのである。 エミール・ハーシュといえば、2015年に泥酔して映画会社の重役にヘッドロックをかけるなどの暴行を加えたことで、逮捕・起訴されている。その後アルコール依存症の治療を行って、本作の出演に至るという。そのあたり、ホラーである本作にある意味で不気味さを加えているかもしれない。
ヴィンテージを志向するセンスが、新しいトレンドに
派手なVFXに頼り過ぎないということもそうだが、くすんだ画面の色調や美術、衣装など、本作を支配しているのは、70年代のB級映画を見ているような懐かしい雰囲気である。ホラージャンルに限らず、近年のアメリカ映画のトレンドになっているのがこの種のヴィンテージ志向である。
B級ホラー映画へのリスペクト
トビー・フーパー監督やジョン・カーペンター監督というホラー映画作家を愛する黒沢清監督が、サンダンス・インスティテュートの奨学生として渡米研修したときのこと。同じクラスの学生たちや一部の教師たちは、それらの作家を軽視し、名前すら知らない者も多かったという。 それまでに多方から「取るに足らない映画」とされてきたB級ホラーだが、そのような教養的な素地を足場にして独自性を獲得した黒沢清監督によるホラー映画のアート性や娯楽表現が、世界で先端的な感覚として高く評価されたのは周知のとおりだ。 しかし、いまやホラーの最前線にいる優れた監督たちは、すでにその意識に追いついている。彼らはmp3プレイヤーに、古今東西の楽曲データを詰め込んでプレイリストを作るように、ジャンルや予算規模、描かれるテーマなどによって作品を差別せず、既存の要素を取捨選択することで高いクォリティーを維持し、ある統一された美しさというのを作品にもたらし始めている。 本作のアンドレ・ウーブレダル監督も、その一人なのだ。
劇中で流れる印象的な楽曲は?
本作では死体にメスをあてて胸をY字状に切り裂こうとすると、オーディオから突然、明るい女性コーラスの古いポップソングが流れ始める。この、"Open Up Your Heart"(胸を開いて)という曲は、もともと50年代に、「日曜学校のカウボーイ」と名乗った敬虔なクリスチャンのシンガーによるヒット曲である。 「悪魔が部屋にやってくる。でも笑顔で悪魔に対抗し、太陽を輝かせよう」という内容の宗教的なテーマを持った歌詞が、日の光が差さない、笑顔もない、暗い遺体安置所で解剖が行われるときに響き渡るのである。 このあたりの皮肉とユーモアが漂う演出センス、やはり本作の作り手はただものではないと思わせてくれる。
執筆者:小野寺系
映画評論家。多角的な視点から映画作品の本質を読み取り、解りやすく伝えることを目指して、WEB、雑誌などで批評、評論を執筆中。