2019年3月18日更新

『映画 ビリギャル』の知られざる実話と本人のその後【泣ける良作の誕生秘話】

ビリギャル 映画

人気書籍の実写化として話題を集めた『映画 ビリギャル』。実話をもとに描かれた本作ですが、本当は“ビリギャル”じゃなかった?泣ける良作の誕生秘話と、モデルとなった小林さやかのその後に迫ります。

『映画 ビリギャル』はどこまで実話なのか?泣ける良作の誕生秘話を紹介

現役の塾講師が綴った、一発逆転物語『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』、通称「ビリギャル」を実写化した『映画 ビリギャル』。 原作は投稿サイト「STORYS.JP」で話題を呼び、若い世代から支持され口コミで広まった結果、2013年にKADOKAWAより書籍化されることに。そして2015年、『いま、会いにゆきます』などの土井裕泰がメガホンを取り、有村架純の主演で映画化されました。 タイトルのインパクトから多くのメディアで取り上げられ、非常に有名になりましたね。 この記事では、「ビリギャル」の誕生秘話と、モデルとなった小林さやかの気になるその後を紹介します!

『映画 ビリギャル』のあらすじ

中高大一貫校の中学校に入学した主人公・工藤さやか。しかし入学してしばらくすると、勉強よりもオシャレを楽しむ女子グループと行動を共にするようになります。 高校に進学してからも非行化は止まらず、学校では成績の悪いクラスの一員になるだけでなく、タバコ所持が原因で自宅謹慎まで受けてしまいます。 しかし、高校2年の夏に転機が訪れます。母親から勧められた塾への入校を決めたことから、自分のことを誉め、真剣に向き合ってくれる塾講師や同級生と出会うのです。 そして工藤さやかは慶應義塾大学への進学を決意し、放り投げていた教科書を再び広げるのでした。

工藤さやかを演じるキャストは清純派女優「有村架純」

映画『ビリギャル』の主人公で素行不良の女子高生・工藤さやか。映画では、女優の有村架純が主演に抜擢され、大きな成長をみせていくビリギャルを演じました。 有村架純は、1993年2月13日生まれ、兵庫県出身。2009年にオーディションでの合格をきっかけに芸能界入りしました。2013年に、高視聴率を獲得したNHK連続ドラマ小説『あまちゃん』へ出演したことで知名度が上昇。その後も、多くの作品で活躍する若手女優として人気を集めています。 これまで清純派若手女優という印象が強かった彼女が、本作で“ギャル”役を演じたのは、女優としても大きな一歩となったのではないでしょうか?

有村架純が金髪にこだわった理由は?

有村架純は、この映画のためにインパクトのある全頭金髪にして主人公を演じました。 モデルとなった小林さやかも学生時代には髪を明るく染めていたんだとか。当時、友達と一緒に撮ったプリクラも公開されています。有村はそんな小林に近づくためイメージチェンジをはかり、不良な毎日を過ごすビリギャルという印象を強めました。 また、書籍の表紙を飾ったモデル石川恋も、作品のために金髪にしたそうです。

『映画 ビリギャル』は実話をもとに描かれた

原作の「ビリギャル」は、「坪田塾」の坪田信高によるノンフィクション作品。モデルとなった女性、小林さやかの高校時代のエピソードが描かれました。 さやかは名古屋で椙山女学園、金城学院と並び「SSK」と称される名門校・愛知淑徳中学校に入学するも、家庭の不和などが原因で非行に走ります。本人曰く、一番荒れたのは中学3年生のとき。タバコ、男女交際といった素行不良で無期停学を繰り返したとNIKKEI STYLEのインタビューで語っています。 厳しいお嬢様学校だったため、毎日のように生活指導の先生に呼び出されるばかりか、当時の校長から"人間のクズ"と呼ばれたことも。そして高校2年生の夏、さやかは母親に連れられて行った塾で坪田との出会いを果たし、難関大学合格を叶えます。 坪田はモデルのさやか自身に、「慶応に受かったら本になる!映画になる!」と言っていたそうで、後の"ビリギャル"が誕生しました。 そんなさやかが、NIKKEI STYLEや週刊現代へのインタビューで語った「ビリギャル」の本当の物語を紹介します。

驚異的な変化をみせた偏差値について

愛知淑徳中学校は偏差値60前後で、そう聞くととても"おちこぼれ"とは思えません。しかし入学後、遊びに多くの時間を費やしたビリギャルの偏差値は、個別指導学習会に入塾した時点で30以下にまで下がっていました。坪田は著書の中で、「端的に言うと学年ビリ」と評して、"小学校4年生レベルの学力"という判定を下します。 高校1年生の時の定期テストでは、367人中367位。以降も基本的に下から10番以内の成績が続き、東西南北もわからない、「聖徳太子」を「せいとくたこ」と読むなどなど、数々の珍エピソードを生むビリギャルですが……。 「頭のいい、面白い人に出会える大学に行きたい」との思いから、"慶応ボーイ"の響きがカッコいいという理由で、偏差値70前後とされる慶應義塾大学合格を決意。 同大学の文学部を第一志望にするも、周囲には全く本気にされず、本人も慶応を目指せばそれなりの大学に行ける、というのが本音だったのだとか。家と塾、友達と遊ぶためカラオケボックスを往復する日々を過ごす内に、少しずつ進歩が見え始めました。 慶応の入学試験は「英語」が必須科目なのですが、高校3年生の9月に行われた全国模試では、実際に英語の偏差値が70まで上昇したとのこと。

本人の得意分野を生かした勉強方法と受験対策

実在のビリギャルこと小林さやかは遊びの誘惑を絶つため、穴の空いたジャージにリュックを背負い、遊び場に行こうとは思えない服装で塾に通ったと言います。 夏期講習が終わる頃には、塾へ通う頻度が週3から週4日になりました。勉強時間が増えると同時に、本人の得意分野もより明確に。坪田は小論文に重要な読解力や論理的思考力、それを形にする文章力を高く評価し、「さやかちゃんが受かるとしたら、この学部」と、慶応文学部の問題とビリギャルの相性の良さを分析しました。 実は文学部の受験科目は外国語と小論文、歴史科目ですが、配点が大きいのは前2つで、合格した総合政策学部は英語(あるいは数学)と小論文のみ。慶応の英語は長文読解問題がメインなので、小論文のセンスも活かされ、文学部の過去問は9割取れていたそうです。 早い段階でセンター試験を捨て、受験科目が少ない入学試験に的を絞ったこと、必須の英語と得意な小論文の能力を伸ばしたことが最大の勝因でした。 母親も娘をサポートし、自ら学校に出向き「受験に関係のない授業での居眠りは許してほしい」と、直談判したこともあったとか。ビリギャルは遊べないストレスを上手く発散させ、「慶應に行きたい」という執念で最後まで勉強を続けました。

『映画 ビリギャル』を生み出した坪田塾とは?

ビリギャルの生みの親、坪田信貴は坪田塾という塾を経営しています。塾は、中高生や既卒生を対象とし、心理学を用いた学習指導を行っています。 慶応義塾大学現役合格は、母親の"ああちゃん"のサポートはもちろん、坪田の存在が最も大きかったと言っても過言ではありません。坪田は母親以外で初めてビリギャルを褒めた大人で、一緒に笑ってくれる彼の指導によって、"学ぶ面白さ"を知っていったのです。 坪田塾も"生徒とは受験を通じて仲間となり、受験だけでなく一生を応援すること"を目的としており、子供に失ってしまった自身を取り戻させ、短期間で偏差値を上げているこの授業方針は多くの人々から信頼を寄せられています。 「ビリギャル」を知った全国の保護者や子供たちから、この塾に通いたいと依頼が多く寄せられ、2016年12月に東京にも開校が決定しました。 2019年3月現在、名古屋に3校、東京2校、大阪2校(1校は同年4月開塾)存在します。 ちなみに、モデルのさやかの実妹・小林まゆも同じく坪田信貴の元で学び、早慶上智の一角・上智大学心理学科に合格を果たしました。

「東進ハイスクール」の林修先生が映画に言及

ビリギャルの起こした奇跡、それを共に成し遂げた一人の塾講師に世間は感動し、「東進ハイスクール」の現役講師・林修も意見を求められました。 林の冠番組『林先生が驚く初耳学』の2016年6月5日放送にて、ハライチの澤部佑がこの物語を取り上げると「あの話について僕はコメントしたくない」「僕はハッキリ言ってまったく感動していません」と、「ビリギャル」を一蹴! と言うのも、林が受け持った生徒で「ビリギャル」に近い例はあったそうです。(先述のように)慶応SFC(湘南藤沢キャンパス)の受験科目は英語と小論文だけで、「徹底的に対策をすれば生徒数人のうちひとりは合格可能」というのが、林の見解でした。 6科目を必須とする東大は難しいとしつつ、小学生高学年でしっかり勉強をしていれば、中学や高校を遊んでしまった人でも1年で挽回出来るとこの時に話していました。 さやかは小学生の時点で、中高一貫の進学校に合格するレベルに達していましたし、決して遅くない高校2年生の夏から受験勉強を開始。坪田と出会い、得意分野を見極めて対策をしていった結果、慶応SFCに合格したので、見方によっては「意外性の少ない」奇跡だったのかもしれません。

気になるビリギャル本人・小林さやかのその後

小林さやかは進学した慶應大学総合政策学部のほか明治大学、関西学院大学にも合格!同級生で、一般入試で慶應に合格したのは彼女だけでした。 学生生活はと言うと、ゼミにも入らず卒論もなく、ギリギリの単位で何とか留年せず4年で卒業できたという感じだったとのこと。その代わりに、ミスコンを運営する広告学研究会での活動、下北沢の人気居酒屋のアルバイトなど様々なコミュニティでたくさんと人たちに出会い、多くの経験と充実した時間を得たそうです。 アルバイトを通して人と関わるサービス業を仕事にしたいと考え、その思いを実現するべく、卒業後は大手ブライダル企業に就職。持ち前のコミュニケーション力を活かし、ウェディングプランナーとしての営業成績は、常にトップクラスだったとのこと。 その後、より小規模のブライダル会社に転職し、自身も2014年に結婚。フリーランスとして独立すると同時に「ビリギャル」が出版され、取材や公演依頼も来るように……。 家庭の不和も解決し、2015年には母との共著で『ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話』を出版しています。実は入籍日の3月14日は両親の結婚記念日で、さらには自身のキャリアとしてウェディングプランナーを選んだのも、両親の存在が大きかったんだとか。

ビリギャルが学校にカムバック!?

2017年には約90本の公演をこなし、全国の学校を回る中で「今の画一的な教育を変えたい」と、教育について学ぶ意欲が生まれます。 大学院への進学を検討するも、Facebook上で北海道の私立札幌新陽高校校長・荒井優の『校長日誌』を目にし、転機が訪れました。同年10月に母と共に同校で公演を行い、"校長の右目"の肩書きでインターンに行くことが決定。 生徒と同じ目線で過ごしながら、教師たちと教育に関する議論を交わしたと言います。生徒からは「さやちゃん」「さや姉」などと慕われ、現代の若者が軽視しがちな"性"の問題にも体当たりで取り組み、女子生徒から個別相談を受けていたようです。 学校嫌いだったビリギャルは現在、インターンで出来た繋がりを通し、学校の垣根を超えて高校生がイベントをつくる「みんなが学校」プロジェクトを準備中! 学校を"誰も排除されないコミュニティづくりを学ぶ場"にすべく、奮闘を続けています。 また2019年2月24日付の自身のブログで、2018年3月末に「桜満開のなか、手を繋いで、離婚届を出しました」と発表し、話題を呼びました。

奇跡には理由がある!中高生に希望を与えた『映画 ビリギャル』

「ビリギャル」は厳密に言うと、『進学校でほぼ学年ビリだったギャルが1年で英語の偏差値を40上げて慶応大学SFCに現役合格した話』でした。 真相を聞いて「全然ビリじゃない!」と感じる人もいると思いますが、坪田との出会いや慶応の入試と相性が良かったことこそ、この物語の本当の奇跡でしょう。母親すらさやかをないがしろにしていたら、塾講師が坪田でなければ……ビリギャルはここまで頑張ることなく、大学受験そのものを諦めていた可能性もあります。 重要なのは"慶応に合格した"事実ではなく、学校嫌いだったビリギャルが、"学校のために"活動する現在に至るまでの「人間的な成長」かもしれません。 成長記録でもある「ビリギャル」は、受験に悩み苦しむ中高生に希望を与える作品です!