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人間なんて大嫌いだ!映画の悲しきモンスター5選

2018年2月8日更新

人間VSモンスター!そんな映画が多い中、人間の身勝手な行動に振り回される悲しきモンスターたちを紹介したいと思います。人間が嫌いになるほど酷い仕打ちを受けるモンスターたちに同情するか、それとも未知の怪物を忌み恐れ蔑むか?!

人間の業を映し出した悲しき怪物たち

いわゆるモンスター映画というジャンルが確立されたのは1931年の『魔人ドラキュラ』から。その同年に製作された『フランケンシュタイン』では、今や「怪物」の代名詞ともいえる「名もないモンスター」が生み出されました。 今回取り上げるのは、人間の身勝手な行動によって生み出され、人間の強欲な世界に無理やり連れ出された悲しき怪物たち。彼らの純真な行動や純粋な心に触れると、我々人間の業や醜悪さが浮かびあがってくることも。

1. 愛しい人をその腕に抱くこともできない!両手がハサミのまま生まれた人造人間エドワード・シザーハンズ

1991年に公開されたティム・バートン監督のファンタジー映画『シザーハンズ』には、両手がハサミの人造人間が登場します。その名もエドワード・シザーハンズ。ジョニー・デップが人造人間を好演した、バートン監督初期の美しいおとぎ話です。 町外れの屋敷に一人で住む発明家が創造した人造人間エドワード。最後の部品である両手をいよいよ付けようとした時、発明家は突然発作を起こし、エドワードを残して亡くなってしまいます。 ある日一人残されたエドワードのもとに、セールスウーマンのペグが訪れます。孤独なエドワードを自分の家に連れ帰り、優しく接するペグ。特技のハサミ技で町に溶け込み始めたエドワードは、ペグの娘キムに恋心を募らせるようになります。 しかしエドワードはキムの恋人ジムに騙されて盗みを働かせられたり、手がハサミのために不本意に人を傷つけてしまい、町の人々に「危険な化け物」として責められ追われるようになります。エドワードの純粋さを利用したり、利益がある時はチヤホヤしながら危険を感じると途端に責め始める人間の身勝手さ! その一方で、愛するキムを抱きしめるとハサミで傷付けてしまうという悲しいジレンマを持つエドワード。こんな形の悲恋があるのかと、胸を締め付けられます。

2. 恋した美女を奪われ人間の見世物にされた哀れな猛獣キングコング

1933年に製作された猛獣パニック映画『キング・コング』に登場する、悲しきモンスターの代表格キングコング。 映画監督のカール・デナムは主演女優アン・ダロウを連れて、撮影のため南の孤島「髑髏島」へ向かいます。そこは恐竜と原住民と巨大な猿キングコングが共存している島。原住民がアンをコングの生贄として連れ出したことから撮影隊は捜索に出ますが、監督デナムと船員ジャックを残し全滅してしまいます。 爆弾を使ってコングを捉え、見世物興行のためニューヨークへ連れ帰ったデナム。しかし記者たちの容赦ないフラッシュ撮影によって興奮したコングは、鎖を引きちぎり脱走!エンパイア・ステート・ビルにアンを掴んだまま登って行きます。

デナムのような興味本位と金目当てで動く人間の傲慢な行動が、結果ニューヨークの街を混乱に陥れます。一方コングはただの猛々しい巨猿ではなく、アンに異様な執着を見せ、純恋い焦がれ守る純粋な存在。 そんなコングが一方的に攻撃される様には人間の身勝手さも垣間見え、恐ろしさとは裏腹にコングの姿に哀れさも感じられます。これらの要素こそが、時代を超えて多くの人から愛され続けてきた悲しきモンスターたる所以なのかもしれません。

3. あまりの醜悪さに生みの親から見捨てられた悲しき名もなき怪物

人造人間の怪物を初めて登場させたメアリー・シェリーのゴシック小説「フランケンシュタイン」を原作としたホラー映画『フランケンシュタイン』。1931年に『魔人ドラキュラ』のヒット受けてユニバーサル映画のホラー第2弾として製作されました。 自ら命を創り出すことに執念を燃やしていた若き科学者ヘンリー・フランケンシュタインは、墓場の死体や研究室の脳を盗み出し、ついに人造人間を創造します。しかしその姿はあまりにも醜悪。その怪物は生みの親ヘンリーに名前を付けられることもなく、危険とされ劇薬で処分されることになります。 「人間創造の神になりたい」という欲望に負け、罪を犯してまで人造人間を創り出したフランケンシュタインですが、周囲の反対で怪物を殺すはめになり、挙句に怪物のことは忘れて婚約者と結婚して幸せになろうとします。なんと自分勝手な行動でしょうか! 偶然出会った少女マリアとほんの少し微笑ましい時を過ごしますが、それもつかの間。生まれたての怪物は赤ちゃんと同じで、善悪など何もわからず、その無知と怪力でマリアを殺めてしまいます。怪物はヘンリーを風者小屋へ連れ去り、怪物を危険視した村の人々によって追い詰められます。 原作では怪物は「the monster」あるいは「it」としか呼ばれず、映画でも同様に名もなく「それ」と言われモノ扱いされます。勝手に生み出し処分するというあまりにも身勝手な人間たちの行動と怪物の無垢純悪さは、生命倫理の是非を改めて突きつけています。

4. 兵器開発実験のために故郷から連れ去られた悲しき半魚人

2018年3月1日公開の『シェイプ・オブ・ウォーター』では、アマゾンから実験のため連れて来られた半魚人が登場しています。この作品はギレルモ・デル・トロ監督が実現を切望していた大人のファンタジー映画で、1954年の『大アマゾンの半魚人』に登場する半魚人とヒロインの恋物語を夢想していたことから創作されたそうです。 1962年の冷戦下のアメリカ。政府の極秘研究所で清掃の仕事をしているイライザは、幼いころのトラウマから声を奪われ孤独に生きてきました。ある時、研究所に運び込まれた「不思議な生きもの」を偶然見てしまったイライザは、その日から「彼」に心奪われて密かに会いに行くようになります。

美しく神秘的な姿をした彼と語り合うには言葉は必要なく、音楽に合わせて踊り、手話で会話するイライザ。ただ見つめ合うだけで心を通わせる様子も初々しく、種族を超えた恋の魅力を改めて感じます。 ところがそのうちに、半魚人が兵器開発のための実験に使われることになります。国家はいつの時代も多くの犠牲を払って、戦争の道具を作り出そうとします。そんな国家権力に真っ向から立ち向かうイライザとその周りの協力者たちは、黒人やゲイなどイライザ同様「声を奪われた」マイノリティの人々でした。 デル・トロ監督渾身の本作は2017年ベネチア国際映画祭で金獅子賞、第75回ゴールデングローブ賞でも監督賞を受賞しています。第90回アカデミー賞にも最多13部門ノミネートされ、非常に評価の高い作品として認められています。

5. いじめられっ子が突然変異!恐ろしい外見とは真逆の心優しき毒々モンスター

『悪魔の毒々モンスター』はアメリカで1984年に製作され、日本では1987年に公開されたモンスター映画です。B級映画を専門に製作しているトロマ・エンターテインメントによって生み出された「毒々モンスター」は、その後もシリーズ化するほどカルト的人気を博したキャラクターとなりました。 メルヴィンは気が弱くおつむも弱いスポーツジムの清掃員。メルヴィンを気に入らない町の不良グループに騙されて弄ばれた挙句、有害廃棄物のドラム缶に頭から突っ込んでしまいます。しかしそれが彼を突然変異のミュータント「毒々モンスター」へ変貌させてしまうのです! ムキムキな体になった毒々モンスターは、悪の匂いを嗅ぎつけるとモップを持って町のクズたちを次々と「掃除」してしまいます。町の善良な人々が毒々モンスターをヒーローと称え始める中、強盗犯から助け出した盲目の美女サラと恋に落ちますが……。 『シェイプ・オブ・ウォーター』とよく似たテーマで、「人は見た目ではない」ことと「恋は盲目」であることを教えてくれる作品です。実際サラはモンスターの実際の姿は見えず、その優しさとたくましさに惹かれています。 しかし本作はあくまでもB級!パロディのような善悪二極化で押し切り、町の悪の代表・市長は「町が清潔になってしまうことを恐れて」毒々モンスターを始末しようとするわけです。なんという矛盾と不条理。美醜の対極も著しいですが、それが逆に毒々モンスターの内面の美しさを際立たせているのかもしれません。

悲しきモンスターたちから学ぶものとは?

これまで登場してきたモンスターたちは、いずれも人間の欲望を映し出した、いわば鏡のような存在です。そんな怪物たちから我々人間が学ぶことがあるとすれば、それは外面で内面を判断しないことではないでしょうか。 異文化や異種族との衝突は今に始まったことではありません。現在の現実世界でも表面だけを見て危険だと判断し、「我々と異なっているから排除すべき」というセリフをどこかで聞いたことはありませんか? 未知のものに触れもせず恐怖し、差別したり蔑んだりすることは、知らず知らずにまた新たなモンスターを作り出しているのかもしれません。