2018年4月17日更新

イランと世界の現在を映す『セールスマン』の魅力を徹底解説【アカデミー賞受賞】

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セールスマン

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Me Too の波を先駆けたエンターテイメント『セールスマン』

2017年に日本公開された『セールスマン』。イランを舞台に、暴力に襲われた夫婦が運命を狂わされていく様を描いた心理サスペンスです。 ファルハディ監督は『別離』に続き、本作で前人未到の二度目のアカデミー外国語映画賞を受賞。米政権によるイランなど7か国からの入国制限令に抗議し、監督と主演女優が授賞式をボイコットする中での快挙でした。 「イスラム原理主義」に基づき、欧米や日本と異なる社会状況にあるイラン。そこで生きる夫婦の葛藤を描き、ジェンダーや人種差別などに多感な現代に「プロパガンダ」でなく一級の「エンターテイメント」作品として届けられた本作の魅力に迫ります。 結末に触れていますので、未見の方はご注意を。

翻弄され壊れゆく夫婦から目が離せない『セールスマン』あらすじ

住んでいたアパートが隣の建物の工事のせいで崩れかけ、引っ越しを余儀なくされた夫婦・エマッドとラナ。国語教師のエマッドはラナと共に小さな劇団に参加する俳優でもあり、舞台『セールスマンの死』の上演に向け稽古に勤しむ中、劇団仲間に紹介されたアパートに移り住みます。 舞台初日の夜、夫より先に帰宅したラナが浴室で侵入者に襲われる事件が起きます。アパートの住人たちは「あの女の客ではないか」と憶測。「あの女」とはアパートの前の住人のことで「ふしだらな商売」を営んでいたというのです。 襲われたショックでふさぎ込むラナ。事件が表沙汰になるのを恐れ警察へ行くことも拒みます。一方、エマッドは自ら犯人を探し始め、次第に行き場のない苛立ちを募らせていきます。夫婦関係はどんどん険悪に。 ついにエマッドは犯人に辿り着きます。妻を襲い、夫婦関係を破壊した張本人を前に、復讐に燃える彼が取った行動とは――。

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イランを代表する映画監督アスガー・ファルハディ

日本で初めて正式公開されたファルハディ映画は2009年の『彼女が消えた浜辺』。3組の家族と独身の男女のバカンス中、その独身女性が姿を消す事件が起き、背後に渦巻く男女の心理が露わになっていくサスペンスです。忽然と消えた謎の美女・エリを演じたのは『セールスマン』でラナ役のアリドゥスティ。エマッド役のシャハブ・ホセイニも出演していました。 エリは物語中盤で姿を消しますが『セールスマン』でもアパートの前の住人が全編を通して登場しません。こうした「不在の存在」が物語全体を覆うのは、ファルハディ映画の特徴の一つです。監督は、観客は多くを描かれると想像しなくなってしまう、敢えて見せない方が存在感を増すのだと語っています。

夫婦は何故アーサー・ミラー『セールスマンの死』を演じるのか

夫婦が演じる『セールスマンの死』は1949年に初演された、米劇作家アーサー・ミラーによる戯曲です。衣料雑貨を卸し妻子を養ったセールスマンの物語。社会の急激な変化についていけず、仕事もクビになった彼は、一発逆転を賭けて保険金狙いの自殺を遂げます。 ファルハディは、近代化に適応できない人間の崩壊を描くアメリカのこの戯曲は、現代のイランの状況を捉えていると説明しています。 エマッドとラナが住んでいた冒頭で崩れかけるアパートは、変化に揺さぶられる戯曲の舞台。そしてラナを襲った犯人は服を売って暮らす、老いた「セールスマン」でした。エマッドとラナは『セールスマンの死』を演じながら、自分たちの生活までその物語に侵食され、追体験するのです。

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性暴力を描く物語の、痛烈で皮肉な結末【ネタバレ注意】

ラナがレイプされたのかどうか映画では明示されず、その言葉も出てきません。イスラム法支配下ではレイプ被害者が責められ、加害者が咎められないことも多いそうで、ラナは告発を恐れます。 性犯罪被害者が声を上げられない現状は、日本でも他人事ではありません。ファルハディはイランの実態を描きつつ、世界の観客が身につまされる要素を選んだのかもしれません。 ただ、本作は性暴力の残忍性を啓発するだけではありません。 犯人の老セールスマンはエマッドの目の前で、脳卒中らしき症状で倒れます。そこでラナとエマッドは、自分たちに性暴力という呪いをかけた彼を必死に救おうとするのです。

2人の「救命」は必ずしも美しいものとして描かれるわけではありません。エマッドが追い詰めたせいで老人を殺したことになるのを恐れたのか、犯人が死んだら夫婦の関係も終わりだと考えていたからかもしれません。 犯人は一度は息を吹き返します。が、怒りを抑えきれないエマッドは結局、犯人を殴り殺してしまいます。 性犯罪への復讐劇の過程に「救命」が挟まれることで、物語はよりスリリングで感情的なものとなり、その後の「殺害」が更に救いのないものとして観る側に突き付けられます。社会的な問題を描いた映画は宿命として啓発的・欺瞞的になりやすい傾向にありますが、本作はそこに風穴を開けたと言えるのではないでしょうか。

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アカデミー賞をボイコット。『セールスマン』はドメスティックでグローバルな傑作

『ラ・ラ・ランド』が話題を呼んだ第89回アカデミー賞で、授賞式を欠席した監督は、映画はカメラを通し国籍や宗教の固定概念を壊せること、そして今これまで以上に必要とされる「共感」を生み出せるのだと訴えました。 イランの国事情を描きつつ、世界と性暴力の闇を存分に孕んだ本作。世界を考えるヒントに、そして何より現代の娯楽作品として、画面の隅々に目を光らせてみてください。