タップできる目次
- 悪魔に取り憑かれた映画『The Man Who Killed Don Quixote(原題)』がついに完成!
- 1998年:映画史上最大の開発地獄がはじまった!
- 2000年:撮影開始が「呪われた映画」の幕開けだった
- その後:権利問題や法律が絡む泥沼の時期
- 2003年〜2005年:脚本権利の譲渡で絶望的となった再始動
- 2006年〜2008年:再始動し蘇ったドン・キホーテ
- 2009年:大スターになってしまったジョニー・デップ
- 2010年〜2012年:相次ぐトラブルや降板で二の足を踏み続ける
- 2014年:「諦める」という言葉を知らないテリー・ギリアム!
- 2015年:もはや頓挫するために企画している状態に
- 2016〜2017年:本当に待ちに待った撮影開始そして完成!!
- 完成版のキャストを紹介!
- 『The Man Who Killed Don Quixote』のあらすじを紹介!
- しかし完成後も付きまとうトラブル!まさに「呪い」!
- 『ロスト・イン・ラ・マンチャ』で予習しよう!
悪魔に取り憑かれた映画『The Man Who Killed Don Quixote(原題)』がついに完成!
— Océan Films (@OceanFilmsFR) April 19, 2018
映画ファンの中でも「いわくつき物件」として非常に有名な呪われた映画『The Man Who Killed Don Quixote』(ドン・キホーテを殺した男)が、2018年になってようやく完成したとのニュースが飛び込んできました。 長きに渡り制作にチャレンジするも、数々のトラブルに見舞われてことごとく頓挫してきたこの映画の完成は、もはや「企画して破綻する」こと自体がライフワークとなりつつあった『未来世紀ブラジル』(1985)や『12モンキーズ』(1995)で知られる名匠テリー・ギリアムの悲願でした。 今回はそんな幻の企画『The Man Who Killed Don Quixote』の完成を祝して、その歴史と概要を振り返ってみたいと思います。
1998年:映画史上最大の開発地獄がはじまった!
2018年現在から遡ること20年。1998年に映画『The Man Who Killed Don Quixote』のプリプロダクションは始まりました。 テリー・ギリアムの作品において共通して主張されているテーマ(「個人」対「社会」という構図や「正気」というものの概念への問い)を体現したキャラクターであるドン・キホーテという人物を描く本作は、彼のキャリアの中でも集大成と呼ぶべき熱量で製作体制が作り上げられていきました。 主役であるドン・キホーテにフランスの名優ジャン・ロシュフォールを迎え、サンチョ・パンサと入れ替わる青年・トビー役にジョニー・デップ、ヒロインにはヴァネッサ・パラディを起用するなど著名なスターたちが名を連ね、順調に製作が進められているかに見えました。
2000年:撮影開始が「呪われた映画」の幕開けだった
キャスト陣の衣装合わせや美術セット、ロケ地なども決定し、満を持して撮影開始となった2000年。撮影場所は近所にNATOの軍用地があり、飛行機が頻繁に飛び交うために録音が使い物にならないなど、かなり条件の悪い地でした。 しかし、本当の地獄の幕開けはここからだったのです。突然の豪雨による洪水に見舞われ、懇切丁寧に作り込まれたセットが崩壊。撮影機材も使い物にならないほどのダメージを負い、撮影隊はいきなり窮地に立たされてしまいます。 それに追い打ちをかけるように土壇場で主演のジャン・ロシュフォールが椎間板ヘルニアにかかり、乗馬ができなくなったため降板。撮影と並行して代役を探すことに。しかし、監督であるテリー・ギリアムの中でドン・キホーテはジャン・ロシュフォール以外考えられず、再キャスティングは難航します。 万全の準備を施したにも関わらず、制作用の保険取得に問題が発生するなど金銭的なトラブルが重なり、ついに撮影は一時中断。その後二度と再開することはありませんでした。
その後:権利問題や法律が絡む泥沼の時期
映画の企画が頓挫するというのはどういうことか、みなさんはご存知でしょうか? 映画というものは出資者から資金を借り、準備・撮影を行います。撮影終了後は編集作業に入り、それが終わればようやく劇場公開。そこで初めて収益が発生します。映画館での興行収入を元に、出資者へとお金を返金し、残ったものが利益となるのです。 この映画の場合、撮影途中で企画が破綻。当然、出資者への返金を行う方法がありません。しかし、請求された額はなんと1,500万ドル(日本円で約16億5,000万円)。 映画監督テリー・ギリアムの夢は、「映画は完成せず、莫大な借金だけが残る」という地獄のような展開で、一時幕を閉じるのでした。
2003年〜2005年:脚本権利の譲渡で絶望的となった再始動
2000年の企画頓挫に伴って、本作の脚本はその権利を保険会社へ移すこととなり、書き上げたテリー・ギリアム本人が自由に触れるものではなくなってしまいました。その結果、製作の再始動は非常に困難を極める状況に陥ります。 しかし2003年以降、噂ではありますがテリー・ギリアムがこの企画の再始動に向けて行動を開始したとのニュースが度々流れるように。 2005年の第58回カンヌ国際映画祭で、ついに公式な場での再始動の発表が行われ、法的な手続きを含めた企画が再び動き出すのでした。
2006年〜2008年:再始動し蘇ったドン・キホーテ
2006年には長らくの交渉の末、権利問題にもようやく終止符が打たれました。テリー・ギリアムはいよいよ具体性を帯びて再制作へと乗り出していくことになります。 約2年間の入念な準備期間を経て、2008年に待ちに待った再制作版のプリプロダクションが開始されました。オリジナル版の撮影中断から8年の時が経っていることから、全編再撮影という新たなる挑戦に踏み出すなど、その意気込みは前回以上のものでした。 ジャン・ロシュフォールに代わりロバート・デュヴァルが新たなドン・キホーテとして抜擢されましたが、監督の強い希望でトビー役にはジョニー・デップの再登板が決定(ロシュフォールはその後、2017年に本作の完成を見ずに亡くなっています)。 この決断がのちに制作の足を止める大きな要因となることを、この時は誰ひとり知る由もありませんでした。
2009年:大スターになってしまったジョニー・デップ
オリジナル版と再制作版の間には、実に8年ものブランクがあり、映画を囲む状況にも大きな変化が起こっていました。 テリー・ギリアムが法律問題で揉めていた2003年に公開された『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』が世界的な大ヒットを記録。これをきっかけに主演であるジョニー・デップは、爆発的な人気を獲得し、常にスケジュールがパンパンの超売れっ子へと成長していました。 そんなジョニー・デップには、『The Man Who Killed Don Quixote』の再制作に空ける時間が全く無く、映画は再び停滞状態へと突入。またも柔軟に代役が立てらず、企画が宙に浮きそうになっていました。
2010年〜2012年:相次ぐトラブルや降板で二の足を踏み続ける
2009年に脚本の権利を取り戻した喜びもつかの間。ジョニー・デップが正式に降板を発表し、またも企画は流れるかと思われました。 しかし翌2010年には、新たなトビー役としてユアン・マクレガーの起用が決定し、再撮影に向けて本格的に動き出しました。 「あちらが立てば、こちらが立たず」とはよく言ったもので、キャスト問題が片付いた途端に、金銭面での問題が発生。当初予定していた金額が用意できず、予算組みもままならない状況となってしまったことから、再撮影もストップとなりました。 その結果、2011年にユアン・マクレガーも降板を発表。罪悪感からか、2012年にジョニー・デップがプロデューサーとしての参加を表明して以降、実に2年もの間、表舞台でこの映画の名前を聞くことすらなくなってしまいました。
2014年:「諦める」という言葉を知らないテリー・ギリアム!
長く沈黙してきた『The Man Who Killed Don Quixote』ですが、事態は突然大きく動き出します。 口火を切ったのは2014年、突如としてテリー・ギリアムのFacebookページに投稿された巨人が描かれたコンセプトアート。「ドン・キホーテの夢は再び始まった。(中略)あの老いぼれのクソッタレを、今年中に馬に乗せられるだろうか?」という言葉とともに、世界中のファンの元へ嬉しいニュースとして拡散されました。 その後、前回で失敗した資金面はすでにクリアし、ロバート・デュヴァルに代わり今回はジョン・ハートがドン・キホーテ役に決定したことが公式に発表されました。
2015年:もはや頓挫するために企画している状態に
2015年になり、最初の企画頓挫から15年という膨大な時が流れ、ようやく製作にこじつけた本作。 アマゾン・スタジオでの製作が決まっていたことから、劇場公開の1〜2ヶ月後にはAmazonでストリーミング配信するという新たなる挑戦に乗り出すことも発表されており、ついに公開ベースの話も浮上した本作。この挑戦にはテリー・ギリアム自身「とてもそそられている」と語るなど、非常に楽しみにしている様子が伺われました。 しかし(本記事で何度「しかし」と言ったことでしょう…)、撮影直前にドン・キホーテ役のジョン・ハートが膵臓癌と診断され、撮影は中止。またも主演の病気によって企画は頓挫するのでした(残念ながらジョン・ハートは2017年に本作の完成を見ずに亡くなってしまいました)。
2016〜2017年:本当に待ちに待った撮影開始そして完成!!
もはや死んでは生き返るリビング・デッドの様相で、頓挫を頓挫と思わぬテリー・ギリアムの胆力のおかげで、2016年には再び製作に向けた企画が動き出していました。 モンティ・パイソン時代の仲間であるマイケル・ペイリンを新たなドン・キホーテに起用し、トビー役にはアダム・ドライバー、ヒロインにはオルガ・キュリレンコを迎えた新チームが結成されました。 その後マイケル・ペイリンが降板し、ドン・キホーテ役はジョナサン・プライスが演じることとなったものの、2017年には念願の撮影を開始し、同年6月に無事終了したことが発表されました。 最初の撮影開始から実に17年の時を経て迎えた、待ちに待ったクランクアップとなりました。
完成版のキャストを紹介!
ジョナサン・プライス/ドン・キホーテ
ジャン・ロシュフォールに始まったドン・キホーテ候補たちの最後尾に並ぶこととなったのは、『未来世紀ブラジル』や『バロン』(1988)などテリー・ギリアム初期作で活躍したジョナサン・プライスです。 「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズのエリザベスの父・スワン提督やテレビシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』でのハイ・スパロウとしても知られています。
アダム・ドライバー/トビー・グリソーニ
ジョニー・デップやユアン・マクレガーを経てトビー・グリソーニの役を掴んだのは、みなさんご存知カイロ・レンのアダム・ドライバーです。 近年ではジム・ジャームッシュ監督『パターソン』(2016)やマーティン・スコセッシ監督『沈黙/サイレンス』(2016)に出演するなど、巨匠と呼ばれる映画作家たちにも愛される存在となっています。
オルガ・キュリレンコ
この長きに渡る問題作のヒロイン役に抜擢されたのは、『オブリビオン』(2013)や『その諜報員 アレックス』(2015)のオルガ・キュリレンコ。 『007 慰めの報酬』(2008)でボンドガールに抜擢された女優としても非常に有名です。
『The Man Who Killed Don Quixote』のあらすじを紹介!
『The Man Who Killed Don Quixote』の物語は、最初に企画されたオリジナル版から大幅な変更が行われており、舞台は時代に合わせて現代に設定されました。 CM監督として活躍するトビー(アダム・ドライバー)は、学生時代に「ドン・キホーテ物語」を題材とした映画を撮影した過去を持っています。ある日、その学生映画のロケ地だったスペインのとある小さな村を再び訪れたトビーは、かつての自分の作品が村に悲惨な影響を及ぼしていたことを知るのでした。 「ドン・キホーテ」の映画が「悲惨な影響」を及ぼすという、この映画自体の経緯を彷彿とさせる筋書きで、どのような映画に仕上がっているのか非常に楽しみな一作です。
しかし完成後も付きまとうトラブル!まさに「呪い」!
完成の喜びもつかの間。撮影チームがポルトガルでの撮影中に、「ユネスコ世界文化遺産登録されているトマールのキリスト教修道院に対して損害を与えた」として訴えられてしまいました。 裁判の結果、これは誤解であり「ある程度の損傷」はあったものの、修道院側が主張するような悲惨な損害は別の映画撮影で与えられたものだと証明されました。 しかし、第71回カンヌ国際映画祭を目前に控える中、突如として以前の再撮影チームに参加していたポルトガルのプロデューサー、パウロ・ブランコにも訴えを起こされてしまいます。その主張は「映画の権利は自分が持っている」というもので、テリー・ギリアムはこれを強く否定。 この争いは法廷へ持ち込まれ、判決の言い渡しが2018年5月カンヌ映画祭より後の6月になってしまったことから、決定していたプレミア上映はご破算に。 その後、パリの法廷で「上映の許可」が降りたことで、滑り込みでクロージング上映が決定しました。
『ロスト・イン・ラ・マンチャ』で予習しよう!
映画の父とも言われる伝説的な巨匠オーソン・ウェルズもかつて「ドン・キホーテ」映画を企画していました。しかしこちらも製作途中で彼が亡くなってしまったため、現在も未完のままとなっており、これが"ドン・キホーテの呪い"の始まりだとも言われています。 そんな映画史上最も実現困難な企画として歴史に名を残した『The Man Who Killed Don Quixote』を、見事完成に導いたテリー・ギリアムの忍耐力と映画に対する愛情に、今はただ拍手を送りたいと気持ちでいっぱいです。 この様子だと公開までにもうひと悶着ありそうな気がしないでもないですが、公開日決定のニュースが届くまでの間は、この映画の製作と失敗を追ったドキュメンタリー『ロスト・イン・ラマンチャ』(2002)を見て、彼の苦悩に思いを馳せてみましょう。