2018年6月17日更新

特撮の神様、円谷英二を徹底紹介!ゴジラ&ウルトラマンの生みの親はみんな知ってる「アレ」も作っていた!

世界に名のしれた特撮の神様、円谷英二。円谷は『ゴジラ』を世に送り出し、数々の映画で通常では撮影不可能なシーンを生み出し続けました。今回は円谷英二の基本情報から、意外な側面までまとめました。

21世紀になっても慕われる天才・円谷英二に迫る。

あの『ゴジラ』を生んだ、円谷英二。特撮に明るくない者にもその名を知られた"特撮の神様"です。 2015年にはGoogleトップページのロゴに起用されるなど、その影響力は生誕100年を超えた21世紀になっても変わりません。彼の生み出した映像もまた人々を惹きつけてやまず、『ゴジラ』シリーズのデジタルリマスタープロジェクトがニュースで取り上げられるほどです。 特に『ゴジラ』が世界的にヒットした後は『エド・サリヴァン・ショー』(アメリカを代表する人気トーク番組)への出演や、国防省に納品予定だった映像機材の購入権を譲ってもらうなどの伝説を生みました。今回は円谷英二に迫ってみたいと思います。

公職追放にも負けず、晩年にはテレビにも積極的に関わる

円谷は1901年に生まれました。映画業界ではまずはカメラマンとして頭角を表しますが、先鋭的な手法が災いし周囲のスタッフからの評価は低かったといいます。 1937年に株式会社東方が設立されると、同社に設けられた特殊技術課の課長となりました。1940年からは『海軍爆撃隊』『ハワイ・マレー沖海戦』等の国威発揚映画の特撮に携わり、戦争シーンの演出のための特撮技術を次々と開発していきます。 戦後は国威発揚映画の制作を理由にGHQから公職追放を受け、東宝を一時退職します。1950年に復帰すると、同社の映画の特撮を一手に担うようになりました。 1963年には円谷特技プロダクションを設立。自らメガホンを取ることはほぼありませんでしたが、同社社長としてテレビ業界への進出を果たします。 その後も映画の特撮を手がけ、1969年には翌年開催される大阪万博用の映像も手がけます。1970年に68歳で亡くなるまで、常に現役を貫き通しました。

「世界の円谷」を生んだ歴史的傑作『ゴジラ』

円谷英二の代表作といえば、いの一番に名が挙げられるのが『ゴジラ』です。『ゴジラ』は1954年に公開され大ヒットしました。 本作は水爆実験により怪獣となってしまった悲劇の生物・ゴジラの、人類に対する復讐とも取れる大暴れと、それにより発生する被害やパニックが描かれています。戦争の記憶もまだ新しい時代において、それらの映像は現実的な迫力を多分に含んでいました。 円谷は本作できぐるみを用いた怪獣特撮を発明します。この方法は、それまで世界的に用いられていた人形アニメに比べ遥かに短い期間での怪獣映画制作を可能としました。 本作は海外でも『怪獣王ゴジラ』のタイトルで公開され歴史的売上を記録、円谷は世界的に認知され、海外からのオファーやリスペクトを数多受けることになります。その影響力は「世界の円谷」と言われる程に高まりました。

その完成度の高さは後の作品に流用されるほど『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』

怪獣映画で知られる円谷ですが、実はその真骨頂は戦争、特に空戦の描写にあります。飛行機少年だった円谷は操縦免許を持つ飛行機のスペシャリストで、その知識と実際の飛行経験を活かした映像作りは本物と見紛うばかりの迫力です。 そんな彼の真骨頂が存分に発揮されたのが、『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』。1960年に東宝オールスターキャストで公開された作品で、特撮戦争映画としても総面積1万平方メートルの特撮用プールを新設するなど注力された作品です。 その完成度は非常に高く、当時の観客を魅了するだけでは終わりませんでした。1976年のハリウッド映画『ミッドウェイ』や、1981年の東宝映画『連合艦隊』に本作の映像が流用されたのです。 映画会社内や系列会社での映像流用はよくありますが、他の映画会社から映像を買い付けて流用するのは珍しく、映画人からも高い評価を得ていたのが分かります。また、公開から21年経って流用されたことは、時代を越えても通用する出来である証拠と言えるでしょう。

円谷プロの代表作『ウルトラマン』では1度だけテレビ特撮を手がけたことも

円谷プロの代表作『ウルトラマン』(1966年・TBS)。M78星雲からやってきた宇宙人「ウルトラマン」が活躍する本作は最高視聴率42.8%を記録し、日本を代表するヒーローともなりました。 先述の通り円谷は作品の撮り直しなどを命じるなど監修はしっかりしていたものの、テレビ作品の特撮は基本的に演出していません。しかし、本作にて一度だけ特撮を演出することとなりました。 円谷が担当したのは第19話「悪魔はふたたび」。バニラとアボラスという二大怪獣が国立競技場で激突し、生き残ったアボラスとウルトラマンが死闘を繰り広げるスケールの大きな話です。 国立競技場のごく一部のみミニチュアで再現し、作られていない部分は合成や構図で見えないように演出された本話の映像は映画さながらの迫力に仕上がっています。円谷にとって唯一のテレビ向け特撮作品となった本作ですが、円谷が登板した理由は意外なものでした。 1966年7月に放送開始された本作は制作の遅れが激しく、特撮スタッフのスケジュールが破綻しかけたため、円谷が東宝のスタッフを連れて応援に入りました。特撮の神様はピンチヒッターとして現場に入ったのです。

特撮だけではない! 誰もが使ったことのある"あれ"は円谷の発明だった!

円谷の意外な一面として、発明家ということがあげられ。特撮のために私費を投じて合成機材等を作成・発明したり、きぐるみによる怪獣特撮を考案したりといった映画界に寄与する発明の他、映画以外でも役に立つ実用品をいくつも発明したのです。 特に公職追放中に開発した「5分間スピード自動写真ボックス」は、現代でも証明写真機として各地に設置されている偉大な発明となりました。また、映画界に入る前にもインターホンの代わりとなる玩具電話等を発明し、当時としては多額となる500円を超える特許料を得ています。

円谷の魅力は研究熱心さと新しもの好きにあり!今も新鮮な映像をご堪能あれ

円谷特撮の魅力は、円谷の研究熱心さと新しいもの好きに支えられています。モンスター映画の金字塔『キングコング』が公開された際にはフィルムを買い付けて検証し、他にも新しい技法を試すため自ら機材を作成していました。 彼の最盛期は日本映画の最盛期とも重なっており、これらの研究や新しいものがしっかり取り入れられた魅力的な映像が多数残っています。特撮好きでなくとも迫力のある映像や違和感のない特撮シーンなど、一見の価値がある作品ばかりです。 特に東宝のドル箱だった戦記物は、戦争という現実的な出来事を特撮で丁寧に描いているため「特撮モノはちょっと……」と思う方でも作品を楽しみつつ特撮も楽しめるものが揃っています。機会があれば、ぜひお手にとってみてください!