『国宝』大垣俊介(花井半弥)の死因は足の壊死?歌舞伎界に戻った理由や最後の舞台の意味を考察【横浜流星】

大ヒットを記録している『国宝』で、主人公・喜久雄(吉沢亮)の良きライバルであり、上方歌舞伎界の御曹司として登場する俊ぼんこと俊介(横浜流星)。波乱万丈な人生を送った彼は、どんな人物なのでしょうか。 この記事では俊介について、死因や帰ってきた理由、原作との違いについて紹介します。
『国宝』大垣俊介(花井半弥)は花井半二郎の息子

大垣俊介は上方歌舞伎の名門の当主で看板役者である花井半二郎(渡辺謙)の息子で、生まれながらに歌舞伎役者としての将来を約束された人物です。 親を亡くし半二郎に引き取られた喜久雄とは対象的に、御曹司である俊介は、少年期には喜久雄とともに稽古に励んでいましたが、「花井半弥」を襲名し若手人気役者となった頃には、二日酔いのまま舞台に立つなど、驕りが目立っていました。 そんななか、事故で舞台に立つことができなくなった父・半二郎は、自分の代役に息子の俊介でなく喜久雄を指名します。当初は喜久雄を応援していましたが、彼の圧倒的な才能を目の当たりにし、春江(高畑充希)とともに歌舞伎界から遠ざかります。 父の葬儀にも顔を出さなかった俊介は、ある日突然帰ってきます。実は彼は糖尿病に冒されており、脚が壊死し始めていました。そして喜久雄に、「舞台に立てるうちに、『曽根崎心中』のお初を演じたい」と言います。
俊介の死因は?足の壊死が原因で舞台に立てなくなった?

俊介は糖尿病に冒されていましたが、それが直接の死因かは映画でも原作小説でも描かれていません。死因だけでなく、彼が亡くなった時期も不明です。 左脚を失った俊介は、義足を付けて「曽根崎心中」の舞台に立っています。歌舞伎の女形は舞台上で脚を露出することはほとんどないので、片脚が義足の状態でもお初役を演じきって切ってみせました。しかし壊死は右脚にも及び、そちらも切断せざるを得なくなってしまいます。 前述の通り脚を露出することは少ないといっても、特に舞などでは足腰の動きが重要になってくるため、両脚を切断した俊介が、舞台に立てなくなったのはほぼ間違いないでしょう。
舞台でフォーカスされる足のシーン
糖尿病が原因で壊死した左脚を切断した俊介。彼は義足を付けて、かつて父が自分でなく喜久雄を代役に指名した「曽根崎心中」のお初を演じることになります。 お初の恋人である徳兵衛を演じた喜久雄は、舞台上で俊介の右足に顔を寄せ、彼の右足も壊死し始めていることに気がつきました。喜久雄は衝撃を受け、少なくとも俊介の役者生命は長くないことを察します。 その後、花道をうまく歩くことができず転んでしまった俊介を喜久雄が支え、なんとか2人は花道からはけます。ここは本来はお初が徳兵衛の手を引いて歩くシーンでしたが、2人はとっさに支え合いながら舞台をあとにしたのでした。
花井半弥として歌舞伎界に戻ってきたのはなぜ?

父の代役として喜久雄が「曽根崎心中」のお初を演じるのを見た俊介は、彼の芸に圧倒され、「逃げるんとちゃう」と言いながら、喜久雄の幼なじみである春江とともに姿を消しました。その後、父の葬儀にさえ顔を出さなかった俊介でしたが、その2年後に妻となった春江と息子を連れて戻ってきます。 その後の喜久雄ほどは詳しく描かれていませんが、俊介も歌舞伎の世界を出て全国をドサ回りしていたようで、そのなかで「本物の役者になれた」と思えたため、戻ってきたのでしょう。 また、春江との間に生まれた子どもが男の子だったことも、俊介に歌舞伎の世界に戻ることを決心させた要因の1つでしょう。俊介の息子・一豊もまた、歌舞伎の血を受け継ぐものだからです。
描かれなかった空白の時間で過ごした春江との時間

喜久雄とともに長崎から大阪へやってきて、同じように背中に刺青を入れた春江ですが、彼女が選んだのは俊介でした。喜久雄の芸への執念を前に、自分の欲しいものは手に入らないと絶望したのは、春江も俊介も同じだったからです。 俊介と春江は、全国の宴会場などを回りながら生活していたようです。その間に夫婦となり、男の子を授かります。俊介一家の生活は決して裕福ではなかったでしょうが、それなりにしあわせな家庭を築いていたと思われます。 病に冒され、役者として舞台に立てる時間は短くなっていると悟った俊介は、春江そして一豊とともに丹波屋に戻ってきたのでした。
喜久雄を歌舞伎界に引き戻したのは俊介だった?

白虎が亡くなったあと、後ろ盾を失くし、喜久雄は良い役をもらえなくなってきました。さらに極道の血筋であることや愛人と隠し子の存在を週刊誌に書き立てられた彼は、「丹波屋の名に泥を塗った」と歌舞伎界から身を引くことに。 その後、全国をドサ回りしていた喜久雄を呼び戻したのは俊介でした。そして自身が糖尿病で先が長くないことを打ち明け、一緒に舞台に立とうと言います。花井半弥(俊介)と花井半二郎(喜久雄)で「半半コンビ」でやっていこうと誘いました。 また喜久雄が歌舞伎の世界に復帰できたのには、万菊(田中泯)の口添えもありました。
春江の力は影響していたのか
喜久雄の復帰に春江の力が影響していたのかはわかりませんが、俊介の復帰には、息子を産んだ春江の存在は欠かせなかったでしょう。俊介の息子・一豊の存在は、丹波屋の存続を左右するものだからです。いまだに歌舞伎の世界では、跡取りを産むことは嫁の価値を大きく変えるのではないでしょうか。 春江が俊介に喜久雄の復帰を進言したとは思えませんが、2人とも喜久雄の芸への執念や才能は認めていたので、誰よりも彼の復帰を望んでいたでしょう。 かつては喜久雄と心を通わせていた春江ですが、その後は俊介/花井半弥の妻として、彼を支えています。
最後の舞台「曽根崎心中」は小説では別の演目だった?
映画のクライマックスで、俊介と喜久雄は「曽根崎心中」で共演します。しかし原作では、彼らの最後の共演舞台は「隅田川」という演目でした。 歌舞伎の「隅田川」は、息子をさらわれた母親が隅田川のほとりで息子の死を知り、悲しみに暮れる物語です。原作での俊介は、一豊より前に生まれた第一子を亡くしており、両脚も失った状態で舞台に立ちます。多くの大切なものを失った俊介の苦悩と、芸に生きることへの執念が感じられる演目です。
小説と映画で俊介の描かれ方は違う?
映画と原作での俊介の描写の大きな違いは、先述の通り喜久雄と最後に共演した演目と、彼の病状です。 映画での俊介は片脚を切断・義足をつけて「曽根崎心中」を演じました。一方、原作では両脚とも切断したあと、「隅田川」を演じています。 また原作では第一子を亡くしていたり、歌舞伎の世界から離れている間にもつらいことや苦しいことを経験し、役者としても成長していました。映画では喜久雄に焦点を当てているので、俊介についてそこまで詳しいことは描かれていませんでしたが、やはり喜久雄と俊介は表裏一体で切っても切れない存在なのです。
大垣俊介は歌舞伎界の花井半弥として最後まで生きた男性

上方歌舞伎の名門の御曹司として生まれながら、喜久雄の才能と芸への執念に気圧され、一時は歌舞伎の世界を離れてしまう俊介。しかしその後、息子を連れて戻ってきました。 喜久雄と切磋琢磨してきた俊介は、病に冒されながらも「花井半弥」として芸の道に生きた歌舞伎役者でした。