2018年7月3日更新

実は黒澤明並みにスゴい!?軽妙喜劇の鬼才・川島雄三を徹底紹介!【サヨナラだけが人生だ】

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川島雄三

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独特のセンスあふれる軽妙喜劇で映画界に確かな足跡を残した川島雄三

大衆・風俗ものの軽妙喜劇を中心に、毒や皮肉を含みながらも愛情あふれる人間模様を独特のセンスで捉えた川島雄三。 1918年2月4日生まれの青森県出身で、明治大学卒業後に松竹大船撮影所で小津安二郎や木下惠介らの助監督を務め、キャリアを積みました。1944年に『還って来た男』で監督デビューを果たしています。 その後は、松竹から日活・東京映画・大映を渡り歩く中で51本の監督作を手掛けましたが、若い頃から筋萎縮性側索硬化症を患ったあげく、肺性心により1963年6月11日、45歳の若さで他界しています。 プライベートでは酒や女、生活スタイルにまつわるさまざま逸話を残す無頼派のような日常を送っていたこともよく知られています。

川島雄三の助監督を務めていたのが今村昌平や浦山桐郎ら

今村昌平と浦山桐郎は、川島雄三のもとで助監督などを務めて経験を積んだ、言わば弟子のような存在でした。事実上の一番弟子と言われていた今村の作風をさしてしばしば使われる「重喜劇」の元祖は、まさしく川島雄三だったのです。 他にも作家の織田作之助とは親交が深く、デビュー作も織田の原作によるものです。カメラが趣味で、映画関係者や役者とミノックス・カメラの愛好会「ミノムシクラブ」を主宰するなど、幅広い交友関係も有名でした。 ここでは、代表作ともいえる12作品を選りすぐって年代順に紹介することで、川島雄三のキャリアと魅力に迫りたいと思います。

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1. 日本映画史上初のキスシーンが登場!【1946年】

ドタバタ喜劇が量産された日本映画草創期の流れを組む、川島雄三初期の作品です。有名唱歌や「リンゴの唄」の作詞で有名なサトウ・ハチローの原作であり、戦前から昭和30年代にかけて全国各地で催された短編喜劇映画の上映会「ニコニコ大会」用に製作された22分の短編です。 そんな本作は、日本映画史上初となるキスシーンが登場する映画としても知られています。同年公開の長編映画『はたちの青春』のキスシーンも有名ですが、実は本作の公開の方が4ヶ月も先でした。 キスシーンを演じたのは森川信と幾野道子です。幾野道子は『はたちの青春』で同シーンを演じた女優でもあり、森川信はその後「男はつらいよ」シリーズにおける「おにいちゃん」こと車竜造役など名喜劇役者として活躍しました。

2. 浅草を舞台にした、ほのぼの系下町人情喜劇【1952年】

浅草にある長屋を舞台に、一人の青年医師と下町の住民たちの交流をほのぼのとしたタッチで描いた人情喜劇です。数多くの作品が映画化・ドラマ化された人気大衆作家・富田常雄の小説が原作です。 大好物がとんかつであったことから「とんかつ大将」の名で愛される善良で優しい青年医師の荒木勇作。一緒に長屋で暮らすヴァイオリン演歌師の親友、勇作に想いを寄せる飲み屋の女主人、お金持ちの女医ら個性的な人々との関わりを軸に、立ち退き問題など当時の社会背景を絡めて描きます。 小津安二郎作品の常連俳優としても有名な佐野周二が主人公を演じ、津島恵子や角梨枝子らが共演しました。まだ皮肉やけれん味は少なく、あくまでもしみじみとした心温まる人間模様が見どころです。

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3. 郊外にある社宅で繰り広げられる軽快ホームコメディ【1953年】

昭和20年代、東京郊外の社宅に暮らす中流階級の人々の日常を綴ったホームコメディです。ほぼ同時に封切られた小津安二郎の『東京物語』とは全く異なり、川島雄三らしい軽妙さが際立つ楽しい作品です。 あひるのように口うるさい主婦たちがいることから「あひるが丘」とも呼ばれる社宅が舞台です。伊東家の隣に住む大阪から転勤組の西川家が電気洗濯機を買ったことからひと悶着、さらにニューヨーク赴任話や西川夫人の弟をめぐる恋愛沙汰も絡んでドタバタ騒動が巻き起こります。 伊東夫妻を三橋達也と月丘夢路、西川夫妻を大坂志郎と水原真知子が演じたほか、川島雄三の秘蔵っ子となった芦川いづみが本作で映画デビューを果たしています。

4. 川島雄三の日活移籍第1弾となった風刺喜劇【1955年】

松竹で約10年の間に23本の作品を残したあと、1954年に日活に移籍し放った第1弾です。フランスの戯曲がモチーフとなっているだけあって独特の風刺とエスプリ、そして川島雄三らしい洒脱がハイセンスな大人の社会派コメディです。 戦後のベビーブームによる人口増を憂慮した厚生大臣の新木錠三郎が「受胎調節相談所設置法案」を講じます。ところが、足元で自身の妻や身内に次々と妊娠が発覚していき……。 厚生大臣を山村聰、その妻を轟夕起子が演じたほか、山田五十鈴、東野英治郎、フランキー堺ら豪華キャストが脇を飾っています。政治の無策に対し、市井の人々のたくましさが浮かび上がることで、明るくも痛烈な皮肉が効いています。

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5. 溝口健二の『赤線地帯』と並び称される赤線映画の傑作【1956年】

明治以降、吉原と並ぶ遊郭として賑わった洲崎(現在の東京都江東区東陽)の赤線地帯を舞台に、そこに集うさまざまな人間模様を哀切な眼差しで描いた傑作です。原作は芝木好子の同名小説であり、新珠三千代、三橋達也、轟夕起子らが主要キャストを演じました。 追われるように洲崎に流れ着いた一組の男女。元娼妓でたくましい蔦枝は、遊郭街の入り口にある飲み屋「千草」で雇ってもらい、一方、甲斐性のない義治も蕎麦屋で働き始めるのですが……。 本作の2年後、1958年に「売春防止法」が施行されて洲崎パラダイスは閉鎖されます。映画は実際に洲崎で撮影されており、川島雄三の目で捉えた消えゆく町の最後の姿も必見です。

6. 日本映画史に燦然と輝く名作にして川島雄三の最高傑作!【1957年】

古典落語の『居残り佐平次』や『品川心中』など複数の物語を織り交ぜ、江戸時代末期の品川宿で繰り広げられる騒動をコミカルかつシニカルに描いた傑作喜劇です。川島雄三の洒脱極まるセンスが冴えわたり、日本映画史上屈指の名作として知られています。 品川宿にある遊郭「相模屋」で無銭飲食をした佐平次は、翌日から店の雑用一切を引き受けることになります。高杉晋作ら幕末の志士、気の強い女郎らの間を取り持ち、見事な働きぶりで人気者となっていくのですが……。 フランキー堺が粋でキレのいい主人公を見事に演じ切り、キネマ旬報男優賞に輝きました。他にも石原裕次郎や小林旭、左幸子ら人気スターがちょい役に至るまで豪華に脇を飾っています。 2012年には、日活100周年を記念した本作のデジタルリマスター版が日本のみならず世界中で公開され、再び大きな話題になりました。

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7.山崎豊子原作による文芸映画【1958年】

山崎豊子のベストセラー小説を舞台化した菊田一夫の戯曲が川島雄三の手で脚色され、映画化された文芸作品です。老舗問屋に生きる主人公の父子を森繁久彌が1人2役で演じたほか、山田五十鈴、乙羽信子らが共演しています。 大阪船場に暖簾を掲げる老舗昆布問屋「浪花屋」で奉公人として働く吾平は、やがてその働きぶりとド根性を認められて暖簾分けを受けます。商売のための結婚、戦争と戦後の混乱を乗り越え、たくまくしくもしたたかに店を守っていく姿を描きます。 日活時代の『わが町』など、川島雄三作品の中に幾つかある一代記もののうちの一作です。また今日に至るまで数々の作品が映画化・ドラマ化されている山崎豊子原作ものを川島が手掛けている点にも注目です。

8. 『幕末太陽傳』の流れを組んだ群像喜劇【1959年】

文豪・井伏鱒二の同名小説が原作であり、一軒のアパートを舞台にした住人達の哀歓とドタバタ騒動を軽やかに描いた傑作喜劇です。楽天的でエネルギー溢れる主人公を『幕末太陽傳』と同じくフランキー堺が演じ、テーマ的にも同じ流れを汲む作品として愛されています。 大阪にある風変りなアパートの2階に住み、4か国語を操る与田五郎。代作など文筆を中心にしたよろず稼業の中で、替え玉受験を依頼してきた学生や陶芸家の女性ら、個性的過ぎる面々が絡む騒動に巻き込まれていきます。 劇中、桂小金治がつぶやく「花に嵐の例えもあるさ。サヨナラだけが人生だ」は、川島雄三自身が座右の銘として愛していた一節であり、青森県むつ市の徳玄寺にある川島の墓碑にもそれが刻まれています。

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9.若尾文子と組んだ、大映における初監督作【1961年】

富田常雄の小説『小えん日記』を原作に、大映での初監督作品となったお色気コメディです。本能のままに生きる天真爛漫な芸者の小えんが、売春の置屋や銀座のバーなどで出会ったさまざまな男たちとの関係を通じ、次第に自分らしく成長していく姿を描きます。 大映の若き看板女優と期待されていた若尾文子をヒロインに抜擢し、続く『雁の寺』『しとやかな獣』のコンビ3部作により名実ともに大女優へと飛躍する契機となりました。 川島雄三が本作の製作にあたり、「若尾文子を女にしてみせる」と宣言したという逸話は有名です。その通り、30数種類の衣装をまとうなどコケティシュな魅力を存分に発揮した若尾文子は、本作でブルーリボン女優賞を受賞しました。

10.斬新な映像で見せる水上勉の直木賞受賞作【1962年】

第45回直木賞を受賞した水上勉の同名小説を原作に、禅寺を舞台に繰り広げられる愛憎劇を斬新にして官能的な映像で綴りました。大映において若尾文子とコンビを組んだ第2作目ですが、その内容ゆえ公開にあたっては仏教界から反発があがりました。 雁の襖絵と厳しい戒律で知られる禅寺に、亡くなった襖絵師・南嶽の遺言で預けられた妾の里子。住職の慈海は里子の淫らな肉体に惹かれて愛欲に溺れる一方、それをのぞき見する少年僧が歪んだ嫉妬にかられ、ある行動に出ます。 名キャメラマン・村井博の大胆にして鮮やかなカメラワークを見事に活かし、人物の内面に分け入っていく川島雄三の手腕が光る傑作。人を喰ったようなラストには唖然です。

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11.若尾文子と組んだ最後の作品はブラックな社会派喜劇【1962年】

新藤兼人の原作と脚本を、川島雄三が大映側に提案して自ら監督を手掛けた社会派喜劇です。団地のある一室を主な舞台に、金銭のために腹黒く動く一家と彼らを取り巻く人々のしたたかな掛け合いをブラックなユーモア満載で描きます。 公団住宅に住む元海軍中佐の一家は、芸能プロで働く息子と愛人稼業の娘を使ってお金を巻き上げる悪行暮らし。一方で、息子と男女の仲にあった芸能プロの経理係・幸枝も一家を上回る腹黒さでしたたかに立ち回り、事業の開業資金を得ようと画策します。 妖しげな魅力で男たちを手玉にとる幸枝を若尾文子がミステリアスに演じたほか、船越英二、山岡久乃、ミヤコ蝶々ら達者な演技派たちが個性的なキャラクターに扮しています。川島雄三作品の特徴のひとつでもある饒舌なセリフの応酬も見どころです。

12.川島雄三の原点に戻ったかのような軽快人情喜劇!【1963年】

『喜劇 とんかつ一代』

川島雄三の事実上の遺作は、急死した5日後に公開された『イチかバチか』ですが、その2ヶ月前に生前最後の作品として公開されていたのが本作です。下町のとんかつ屋を舞台にした、川島雄三の原点に立ちかえったかのような軽快人情喜劇が展開します。 修業先だったフランス料理店のコック長・伝次の妹と駆け落ち同然で飛び出し、上野本牧町にとんかつ屋「とん久」を開いた久作。伝次とは和解するものの、伝次の息子やその婚約者らさまざまな人々が絡むしがらみに巻き込まれ、一肌脱ぐことに……。 久作とその妻を森繁久彌と淡島千景、伝次を加東大介、さらにフランキー堺や木暮実千代ら豪華キャストによる個性的な面々のぶつかり合いは、さすが川島雄三の独壇場です。

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待機していた川島雄三監督予定作品

1963年時点で、あと3作の監督予定作品が待機していましたが、急逝によりどれも未完に終わりました。そのうちの1作『寛政太陽傳』は、主人公の写楽を『幕末太陽傳』のフランキー堺が演じる予定でした。 フランキー堺は、川島雄三の遺志を継ぐかのように同企画を長年温めた末、後年1995年に篠田正浩監督によって『写楽』として映画化しています。川島雄三ならどんな作品になっていたか、想像するしかできないのは残念です。