あの「クソ映画」が深過ぎてもはや沼だった件【ゴールデンラズベリー賞受賞作】
映画『絵文字の国のジーン』は本当に「クソ映画」なのか?
『絵文字の国のジーン』。 2018年2月17日に日本でも公開されたこの映画は、毎年「最低」の映画を決める「第38回ゴールデンラズベリー賞」に輝いた1作。しかも、最低作品賞・最低監督賞・最低脚本賞・最低スクリーンコンボ賞の4部門に輝いた、まさに世界的「クソ映画」として知られる作品です。 どうせ映画を見るなら面白い作品がいいですし、筆者も避け続けていたこの作品。ですが、ネット上には「そんなに悪くない」「子供向け映画としてはあり?」などの擁護派の声も。そこで、今回はこの作品が本当に悪い映画なのかどうか、実際に鑑賞して確かめてみる事にしました。
『絵文字の国のジーン』のあらすじは?
『絵文字の国のジーン』の主な舞台となるのは、ある男の子のスマートフォンの中にある絵文字の国「テキストポリス」。そこでは様々な絵文字が特定の役割を持って暮らしています。 そんな中、主人公の絵文字・ジーンが割り当てられたのは不機嫌な「ふーん」という顔。 しかし、人一倍元気なジーンは表情豊かで、周囲に心配されていました。 そんなある日、ジーンはついに初仕事に挑むのですが、そこでつい決められた「ふーん」以外の顔をしてしまい、町から追われる身になってしまうのです。こうして冒険に出る事になったジーンですが、その運命はどうなってしまうのでしょうか?
監督は病んでるのではないか?
そんな本作。実際に鑑賞してみました。 子供向けの冒険ストーリーという事で、なんだかんだ楽しみにしていた筆者ですが、映画がスタートして早々に、妙な違和感を覚えました。 それは、「もしかして本作の監督は病んでるのではないか?」という違和感でした。
ヴィランは最早「ジョーカー」!ここに作り手の闇を見る
まず、メインの「ヴィラン(悪役)」となるのは、常にスマイラーというキャラクター。これが、絵文字世界で最初に作られた「笑顔」を体現したキャラクターで、終始笑顔。笑顔のまま、他の絵文字(キャラクター)を消滅させたり、かなり狂気を感じさせます。 これに良く似たキャラクター性を持つのが、ご存知「バットマン」シリーズのジョーカー。ジョーカーが何を考えているかわからないという差異はあるものの、スマイラーとジョーカーはかなりよく似ています。 彼女が悪役として存在感を放っているだけに、本作は子供向け映画にしては、随所にダークさを感じさせる要素があります。これは、作り手の心にある闇を反映しているのかもしれません。
そもそも世界観が怖い
スマイリーはもとより、そもそもこの世界観がちょっと怖いんです。 絵文字たちは、決められた特定の表情以外をすると落ちこぼれ扱いされてしまいます。主人公のジーンは、このせいで落ちこぼれなんですが、この感覚、すごく現代的ではないでしょうか? 人と違うことをすると責められたり、周囲の空気を読む力が何より求められたり……。 そういう風潮が物語の根底にあるので、「この監督、なんか嫌なことがあったのかなぁ……」と、終始別の意味でハラハラしてしまいます。
つまりはレリゴー!
おそらく本作のテーマは、ラストの展開も踏まえて考えると、「ありのままのあなたでいい」という『アナと雪の女王』にも通じるテーマを持っているんだと思います。つまりは「レリゴー」です。 周囲に馴染めない主人公が冒険を通して成長し、やがて周囲が主人公の個性を受け入れて社会全体が変化していくのは、非常にドラマチックで、王道的展開ですよね。
深さと面白さは別問題なのかもしれない……
これとよく似た軌道を辿る物語は非常に多いと思うんです。 近年のヒット作だけでも、『シュガー・ラッシュ』『くもりときどきミートボール』『LEGO ムービー』などなど。枚挙にいとまがありません。 『絵文字の国のジーン』はこれらと似たようなストーリーラインに加えて、現代社会への風刺など深さもあります。 しかし、「面白いか」と聞かれればそれはまた別問題。先述の作品たちのような比較対象があったという点を差し引いても、イマイチ盛り上がりにかけるストーリー展開や、今ひとつキレのないギャグなど、乗り切れない点も多々あり、筆者的には「面白いとは言えない」と言わざるを得ない内容でした。 T・J・ミラーやパトリック・スチュワートといった豪華出演者も登場していた本作ではありますが、物語の深さと面白さは別問題だということを再確認する結果となりました。