2018年8月7日更新

どん底・逆境から見事にカムバックした10人の映画人たち【頑張れジェームズ・ガン】

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ジェームズ・ガン
©WENN.com

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志半ばでキャリアを絶たれたものの、見事にカムバックした映画人たち

ガーディアンズオブギャラクシー
©MARVEL STUDIOS

ディズニー・マーベルの「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズをヒットに導いた立役者、ジェームズ・ガン監督が、2018年7月末に突如親会社のディズニーから解雇されました。ガン監督が過去に発した差別的なツイートが解雇理由のようですが、彼の人柄を知る映画関係者たちからは、擁護や復帰の嘆願が相次いでいます(詳細は後述)。 実は過去にも、様々な理由でキャリアを絶たれてしまった俳優やスタッフがいました。彼らはどん底状態になりながらも、自身の更生や周囲の助けなどにより、見事カムバックをはたしています。

ジョン・トラボルタ

1970年代後半に、『サタデーナイト・フィーバー』や『グリース』などの青春ダンス映画でブレイクした俳優ジョン・トラボルタ。しかし、80年代に入ると徐々に人気に陰りが生じ、目立った出演作が減少。特に、『グリース』のオリビア・ニュートン=ジョンとの再共演で注目された83年の『セカンド・チャンス』の失敗が、大きく響きました。 そんな状況を救ったのがクエンティン・タランティーノ監督。トラボルタのファンだった彼は、1994年の監督第二作『パルプ・フィクション』にトラボルタを殺し屋役に起用。作品自体も予測不能のフィルム・ノワールとして高く評価されましたが、軽妙な会話を繰り出し、ダンスシーンも披露したトラボルタの演技も話題となり、再び人気スターの座に返り咲きました。 以降は悪役やコミカルな役など、演技の幅を積極的に広げて活躍。トラボルタが実在したマフィアを演じた2018年の主演作『ゴッティ』では、実生活の妻ケリー・プレストンと夫婦役で共演しています。

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メル・ギブソン

メル・ギブソン
FayesVision/WENN.com

「マッドマックス」、「リーサル・ウェポン」という2つのシリーズで俳優としての地位を確立。監督としても『ブレイブハート』でアカデミー賞を獲得するなど、輝かしい実績を誇っていたメル・ギブソン。 しかし2006年7月に飲酒運転で警察に逮捕された際、「世界の戦争は全部ユダヤ人が起こしやがった」といった人種差別発言や、女性警官へのセクハラ発言が発覚。立て続けに、交際相手のロシア人歌手へのドメスティック・バイオレンスも明るみとなり、一気に業界の嫌われ者となってしまいました。 特にユダヤ人差別が尾を引いたことで、目立った場での活躍が激減しましたが、友人のジョディ・フォスターの助けにより徐々に再起。『マチェーテ・キルズ』、『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』でのほとんど地で行くような悪役演技が注目され、監督業でも2016年の『ハクソー・リッジ』がアカデミー賞にノミネートされる評価を得たことで、再び第一線への復帰をはたしました。

ロバート・ダウニー・Jr

ロバート・ダウニー・jr
Peter West/ACE Pictures/Newscom/Zeta Image

5歳から子役として活動をはじめ、1987年の『レス・ザン・ゼロ』で若手注目株となったロバート・ダウニー・Jr。チャーリー・チャップリンを演じた92年の『チャーリー』でアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、順調なキャリアを歩んでいました。 しかし、子役の頃からドラッグ依存症だったことで何度も警察のお世話に。ついには人気ドラマ『アリー my Love』出演中にコカイン所持で逮捕されたのを機に、リハビリ施設入りとなります。 2003年に本格復帰後は、妻でプロデューサーのスーザン・ダウニー製作の『キスキス、バンバン』や、デヴィッド・フィンチャー監督の『ゾディアック』で好演。そして08年の『アイアンマン』の主人公トニー・スターク/アイアンマン役で大ブレイク、完全復活となりました。 ちなみに、ダウニー・Jrの更生の手助けをしたのは、彼の旧友にしてお騒がせ俳優のメル・ギブソン。ダウニー・Jrは彼の監督能力を高く買っており、「『アイアンマン』の単独映画にはもう出演する気はないけど、もしメルが監督するのなら喜んで出るよ」と語っています。

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ドリュー・バリモア

ドリュー・バリモア
AEDT/WENN.com

祖父の代から俳優として活躍していたバリモア一族出身のドリューは、子役として出演した1982年の『E.T.』で人気となります。しかし、その頃から私生活で問題を抱えており、家庭内不和などから10代でドラッグや飲酒に手を染めることに。出演作も、次第に脇役や低予算映画中心となってしまいます。 キャリアが好転し出したのは、1996年のホラー『スクリーム』とミュージカル『世界中がアイ・ラヴ・ユー』あたりから。ドリューの、前者での恐怖に怯える絶叫演技と後者での軽妙演技が注目されます。そして、98年のコメディ『ウェディング・シンガー』でのヒロイン役が評判を呼び、ロマンティック・コメディの女王と呼ばれるまでになりました。 フィルムメーカーとしても、初プロデュース作『25年目のキス』や「チャーリーズ・エンジェル」シリーズをヒットさせ、『ローラーガールズ・ダイアリー』では監督業に進出。2010年代からは、テレビドラマシリーズを中心に製作しています。

デニス・ホッパー

デニス・ホッパー(Zeta)
©︎Photo By John Barrett/PHOTOlink.net/Newscom/Zeta Image

1950年代に俳優デビューするも、若い頃から問題児扱いされていたデニス・ホッパー。インディペンデント資本の映画を中心に活躍していましたが、監督・脚本・主演を務めた69年の『イージー・ライダー』が、アメリカン・ニューシネマの代表作として高い評価を受けます。しかし、その後もドラッグ問題や映画会社とのトラブルが絶えませんでした。 長らく日陰の存在だったホッパーでしたが、86年のデヴィッド・リンチ監督作『ブルーベルベット』でのサディスティックな男役と、同年の『勝利への旅立ち』でのアカデミー賞助演男優賞ノミネートで再び第一線に。89年の監督作『ハートに火をつけて』での製作トラブルなどもありましたが、2010年に亡くなるまで俳優・監督業を続けました。

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ミッキー・ローク

ミッキー・ローク (z)
©️WENN.com

1980年代に『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』、『ナインハーフ』、『エンゼル・ハート』といった作品でのセクシーな役どころを立て続けに演じ、セックスシンボルとして人気を博したミッキー・ローク。91年には趣味のボクシングが興じてプロライセンスを取得、ボクサーとして数試合闘っています。 一方で、その頃から高飛車な態度が表面化して周囲の反感を買い、おまけにボクシングでのケガで顔が変形したことで、次第にメインどころの役から外れることに。私生活でもトラブルを抱え、2000年代半ばまでどん底状態となります。 その状態を救ったのが、長年ロークのファンだったダーレン・アロノフスキー監督。2008年、彼は次作『レスラー』の主演に、製作会社の反対を押し切ってロークを起用。ローク扮する元人気プロレスラーと、ローク自身の実人生が重なる演技が評判を呼びました。これにより、ロークはゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞、アカデミー賞でも主演男優賞にノミネートされ、一線に返り咲きました。

ホアキン・フェニックス

ホアキン・フェニックス (ゼータ)
©Adriana M. Barraza/WENN.com

23歳の若さで夭折したリバー・フェニックスの弟ホアキン。『グラディエーター』と『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』で二度のアカデミー賞ノミネート歴を誇るなど、亡き兄同様に、若くして確かな演技力を持つ俳優として知られていました。 ところが2008年10月に突如、俳優業を引退してラップミュージシャンに転向すると発言。翌年にはヒゲ面で初コンサートを開催した一方で、奇行を連発して周囲を騒がせます。 しかし、実はそうした一連の行動はフェイクで、すべてモキュメンタリー映画『容疑者、ホアキン・フェニックス』撮影のためだったと公表。この騒動でトラブルメーカーのレッテルを張られ、信用を一気に無くすことに……。 ホアキンは「迷惑をかけてしまった」と謝罪し、俳優業復帰を明言。復帰作となった2011年の『ザ・マスター』で三度目のアカデミー賞ノミネートをはたし、改めてその実力を知らしめました。

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ベン・アフレック

ベン・アフレック
Adriana M. Barraza/WENN.com

子役としてデビューしたベン・アフレックは、友人のマット・デイモンと共同で脚本と出演をした『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』でアカデミー脚本賞を受賞。個人としてもマイケル・ベイ監督の『アルマゲドン』、『パール・ハーバー』という超ヒット作に恵まれます。 しかし、そのベイ監督作への連続主演でまともに俳優としての評価がされず、その後の主演作も軒並み不発。さらには歌手兼女優のジェニファー・ロペスとの交際がゴシップ誌を賑わせ、加えて彼女との共演作『ジーリ』の酷評が、アフレックの評価をさらに貶めることとなります。 ロペスと破局後、アフレックは原点に戻るべくインディペンデント資本の映画で、製作のノウハウを学び直します。そして低予算ながら2007年に『ゴーン・ベイビー・ゴーン』を初監督。続く第二作『ザ・タウン』も高い評価を受け、ついに次作『アルゴ』でアカデミー作品賞を受賞し、フィルムメーカーとしての地位を確立しました。 『アルゴ』でのアカデミー賞授賞式で、アフレックは「(『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』で)15年前にこの場に立った頃は子どもだった。多くの素晴らしい人たちのおかげで、再びここに立てたことに感謝したい」とスピーチ。感動を呼びました。

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シルべスター・スタローン

シルヴェスター・スタローン (ゼータ)
©Z16/ACE Pictures/Newscom/Zeta Image

「ロッキー」、「ランボー」という二大ヒットシリーズを持つシルべスター・スタローン。そんな彼も1990年代、アーノルド・シュワルツェネッガーやブルース・ウィリスといった新たなアクションスターの台頭で、キャリアが低迷していた時期がありました。 特にシュワルツェネッガーが、『ツインズ』や『キンダガートン・コップ』などのコメディで成功したのを意識してか、スタローンも『オスカー』、『刑事ジョー ママにお手上げ』でコメディに挑戦するも見事に惨敗。2000年代以降も目立つヒット作がない状態が続きます。 しかし、2000年代後半に発表した『ロッキー・ザ・ファイナル』と『ランボー 最後の戦場』という、自身の出世作の続編がヒット。その後、「ロッキー」シリーズのスピンオフ『クリード/チャンプを継ぐ男』でゴールデングローブ賞助演男優賞受賞、アカデミー助演男優賞ノミネートという実績を上げ、完全復活となりました。 また、ジャン=クロード・ヴァン・ダムやウェズリー・スナイプスといった低迷するアクションスターたちを「エクスペンダブルズ」シリーズに出演させ、彼らのキャリア復活の手助けをするなど、アクション映画界の頼れる親分となっています。

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ダルトン・トランボ(脚本家)

1940年代のハリウッド黄金期に、売れっ子脚本家として活躍していたダルトン・トランボ。彼は、第二次世界大戦後のアメリカを席巻した共産主義者の弾圧、通称”赤狩り”により共産主義者であるとの嫌疑をかけられ、あっという間に仕事を失ってしまいます。 しかしトランボは、偽名で脚本を書く不遇な生活をしながらも、『ローマの休日』、『スパルタカス』といった名作を執筆。トランボを支援する友人たちの力添えなどもあり、後年、改めて彼の名誉が回復されました。 『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』では、そんな彼の波乱万丈の半生が描かれています。反骨精神で逆境を乗り越えていくトランボの再起の道のりを、ぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。

ジェームズ・ガン監督の才能を枯らすな!続々集う復帰嘆願の声

そして、冒頭で触れたジェームズ・ガン監督は、一連のツイート内容を謝罪。さらに「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズの出演者一同が、ガン監督の再雇用を嘆願する声明を発表すれば、ガンの師匠にあたるロイド・カウフマン監督や親しい知人たちも、SNSなどで擁護しています。 それでもディズニーとしては、問題となったガン監督のツイートは看過できるものではないとし、次回作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー vol.3』は別の監督を起用するとみられています。 ただ、たとえガン監督の「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズ復帰が叶わないとしても、彼を映画界から完全追放してしまうのはあまりにも惜しいもの。この記事を執筆している2018年8月6日時点でも、多くのファンから復帰を願う声が相次いでいます。 ジェームズ・ガン監督が、ここで挙げた映画人たちのような復活をはたしてくれることを、切に願います。