【橋口亮輔監督に聞く】『ぐるりのこと。』制作秘話―トラン・アン・ユンも絶賛したリリー・フランキーのアドリブとは?
名匠・橋口亮輔監督が2008年に手がけた『ぐるりのこと。』が、4Kリマスター版として2026年7月24日より公開に。リリー・フランキーと木村多江が夫婦役で映画初主演を務め、倍賞美津子、柄本明、寺島進らが共演。法廷画家として働くカナオと、出版社に勤める翔子が、子どもの死をきっかけに大きな喪失を抱えながら、1990年代の社会を背景に約10年の歳月を歩んでいく物語です。 本作は、橋口監督自身がうつを経験した時期の実感——「絶望させるのも人なら、希望を持たせるのも人」——から出発した作品。個人と社会のコントラストを、法廷画家という設定と1組の夫婦を通して静かに描き出します。 ciatr編集部では、橋口亮輔監督にインタビューを実施。制作の経緯から、リリー・フランキーと木村多江の“奇跡のキャスティング”、描かれなかった“10年”を埋めたリハーサル、名シーンを生んだアドリブとトラン・アン・ユン監督の逸話、そして“痛み”を描くことまで、たっぷりと伺いました。 ※インタビュー取材の模様を撮影した動画コンテンツをYouTubeのciatr/1Screenチャンネルで公開中!
映画『ぐるりのこと。』作品概要
| 公開 | 2026年7月24日(金) ※4Kリマスター版(2008年作品) |
|---|---|
| 監督・脚本 | 橋口亮輔 |
| 出演 | リリー・フランキー , 木村多江 , 倍賞美津子 , 柄本明 , 寺島進 ほか |
| 公式サイト | 公式サイトはこちら |
法廷画家のカナオと、出版社に勤める翔子。子どもの死という大きな喪失を経験した夫婦が、揺れ動く1990年代の社会のなかで、それでも寄り添い、少しずつ再生していくまでの約10年を見つめた人間ドラマ。 橋口監督自身のうつの経験を出発点に、“個人”と“社会”のコントラストを静かにすくい取った、公開時から高い評価を受けた名作です。
映画『ぐるりのこと。』あらすじ

法廷画家として働くカナオ(リリー・フランキー)と、出版社に勤める妻・翔子(木村多江)。マイペースなカナオと、しっかり者の翔子は、どこかちぐはぐながらも寄り添い合う夫婦だった。しかし、待望の子どもを失ったことをきっかけに、翔子の心は少しずつ深い闇へと沈んでいく。 世間ではさまざまな事件や出来事が起こり、カナオは法廷画家として、その“ぐるり”を見つめ続ける。1990年代の日本社会を背景に、傷つきながらも共に生きようとする夫婦の約10年の歩みを、静かにすくい取った名作。
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【制作の経緯】うつからの回復期に見えた、“個人”と“社会”のコントラスト

Q. 映画『ぐるりのこと。』の企画が立ち上がった経緯についてお聞かせください。 橋口監督 『ハッシュ!』の後に、私がうつになったんです。1年間仕事を休んでいて、「このまま自分はどうなってしまうんだろう」という暗闇の中にいました。ひたすら自分の身体をいじめるようにトレーニングをする、そんな日々で。 1年経ってようやく抜けたとき、それまで世の中のことを見ていなかったのですが、周りが騒然となっていたんです。戦争があったり、ホリエモンとフジテレビがどうこう、福知山線の事故があったり、アフガニスタンがどうの、と。世の中がこんなに大騒ぎしている時期でした。 自分が悪いわけでもないのに、波に飲み込まれるようにうつになってしまって、そこから必死に抜け出そうとしている“個人”と、その個人とはまったく関係なく大騒ぎしている“世の中”。そのコントラストが、自分の中で鮮明にあったんですよね。これを何とか形にできないだろうか、と。 そこで思いついたのが、一つは法廷画家でした。今もニュース番組で大きな事件の裁判になると法廷の絵が出てきますが、あれを描いている方がいると、情報番組か何かで見て。個人と社会、マクロとミクロを対比させながら描いていく、と考えたんです。
当時、誰も触れていなかった90年代——バブルが崩壊して以降の“失われた10年”を、誰も描いていなかった。世の中で起こるさまざまな事件が個人にフィードバックされ、個人がそれを受け取り、また個人から世の中へ何かが生み出されていく。互いに影響を与え合っていく日本社会そのものを、1組の夫婦を通して大きく描けないだろうか、と考えつきました。 ずいぶん考えましたし、取材も重ねました。法廷画家の方に話を伺い、東京地裁も大阪地裁も取材に行き、いろんな画家さんにお話を聞き、事件を調べたりしながら、ようやく形になりました。
【リリー・フランキーのキャスティング】“カナオはここにいる”——『東京タワー』が確信させた運命の主演

Q. カナオ役・リリー・フランキーさんのキャスティング背景をお聞かせください。 橋口監督 主演女優については、キャスティング担当が最初から木村さんの名前を挙げていて、僕ももちろん存じ上げていました。ただ、最初はピンと来ていなくて。そうこうしているうちに、実はリリーさんのほうが先に決まったんです。 というのは、リリーさんとは親交があって、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』が大ベストセラーになったときに献本していただいていたんです。でも僕は脚本を書いている最中で、影響を受けたくなかったので読んでいなかった。 ようやく『ぐるりのこと。』の脚本を書き終えたので、「そういえば献本してくれていたな」と思って読んでみたら——ここに主人公がいるじゃないか、と。『東京タワー』の主人公、つまりリリー・フランキーその人が、僕が書いたカナオの人物像そのものだったんです。「カナオはここにいる」と思いました。それが12月のことです。 とはいえ、「演技経験がほぼないリリー・フランキーに演じてもらって、もし芝居ができなかったら」とも思いました。芝居ができなかったら自分の人生も終わりだ、と。それでも「ここにカナオがいるんだから」という直感だけで、年が明けてマネージャーさんに脚本をお渡しして、「お願いできませんか」と。もうリリーさんと心中するつもりでした。 ところが、寝ても覚めても返事をくれない。12月に脚本を渡して、年をまたいで1月、2月……5月になっても返事をよこさないんです。「もう少しで準備の時間的に厳しいですよ」と伝えて。そうしたら5月のある日、僕のところにピンポンと訪ねてきて。 黒光りする高そうなスイカを持って、「やらせてください」と頭を下げに来たんですよ。そのとき「橋口さん、僕に緒形拳をやれとは言わないでくださいよ」と余計な一言を添えて(笑い)。「誰もそんなこと言わないよ」と返して、お願いすることになりました。
【木村多江のキャスティング】「この役は、私です」二つ返事で決まった翔子

Q. 翔子役・木村多江さんのキャスティング背景をお聞かせください。 橋口監督 その後、木村多江さんにお願いをしました。木村さんは「この翔子という役は、私です」とおっしゃって。僕も「これは僕なんです。僕はうつになった経験をもとに、このキャラクターを描いたんです」と。すると「そういう役だからこそ、私はぜひやりたいです」と。もう二つ返事でした。 木村さんはそのときドラマに出演されていたので、そのドラマが終わるのを待って、翌年から撮影開始という運びになりました。
【描かれない“10年”のリハーサル】夫婦の空白を埋めるため、朝8時から夜8時まで

Q. 本作のリハーサルでは、夫婦の出会いから本編直前までの「描かれない10年」をおふたりに演じてもらったと伺いました。 橋口監督 リハーサルの時間は1週間くらいしかなかったのですが、朝の8時から夜の8時まで、ほとんどノンストップに近い形でやりました。日替わりでいろんなゲストが入れ替わり立ち替わり来てくれて。安藤玉恵さんが来てくれたり、寺島進が来てくれたり、温水洋一さんが来てくださったり。「ちょっと参加してください」とお願いして。 ふたりが結婚するのが30歳という設定なので、学生時代の出会いから結婚に至るまでの“描かれない期間”を、即興でずっと演じ、台本にある大切な場面もやる、というのを繰り返し毎日やったんです。 そこで僕がやりたかったのは、「どうやったら人は希望を持てるか」ということでした。僕がうつになったとき、人を絶望させるのも人なら、人に希望を持たせるのも人なんだ、というのが僕の実感だったんです。それをこの『ぐるりのこと。』という映画を通してやりたい、とふたりにもお話しました。 「じゃあどうすれば人は希望を持てるのか」を分かりやすく見せて、音楽を流して感動させる、という定型もあると思います。でも、そうじゃなくて。僕も含めた3人で「これだ」というものを作りたかった。 「答えを持っていなくてごめんなさい。でも、そうなんです」と正直に話して。そのリハーサルにふたりが付き合ってくれた——これが第一の感謝です。 木村さんもキャリアのある女優さんなのに、そこで裸になって——心を裸にして、という意味ですが——ただのひとりの女性としてそこにいてくれた。リリーさんも自然体で。3人で「ああでもない、こうでもない」とやれた、あの時間があったからこそ撮れた映画だと思います。 特に木村さんは、自分の身体をこの映画に投げ出すように参加してくれました。本当に感謝していますし、戦友のように思っています。
【リリー・フランキーのアドリブ】「あの瞬間、ふたりは本物の夫婦になった」トラン・アン・ユン監督が絶賛した名シーン
Q. 約10分の長回しで生まれた、リリー・フランキーさんのアドリブについてお聞かせください。 橋口監督 ずいぶん経ってからのことですが、フランスのトラン・アン・ユン監督——ヴェネチアでグランプリを取られた監督で、僕が『渚のシンドバッド』でロッテルダム国際映画祭のグランプリをいただいたときの審査員でした。 それ以来の親交があるのですが——その監督が僕の映画も観てくださっていて、「『ぐるりのこと。』もパリで観たよ」と。日本に来られたときに、その話になったんです。 約10分の長回しで、翔子が泣いて、カナオが慰める場面があります。あそこで微かに希望が見えてくる。実は、あのシーンで唯一のアドリブがありました。泣いている木村さんの、鼻水だらけの鼻を、リリーさんがふっと舐める。それから「唾がついたから、こうすると唾が臭いよ」なんて言う——あそこはアドリブなんです。 素人がいいところを見せようとしてアドリブをやると、そこでペースが崩れて台無しになってしまう。だから撮影中にリリーさんが(鼻を)舐めたと見えた瞬間は、内心ヒヤッとしました。木村さんは全身全霊でやっているので、2回は撮れない。1日で決めなきゃいけないんです。「アドリブかました…」と思って見ていました。でも、その後ちゃんとうまくまとまった。 そのことをトラン・アン・ユン監督に話したら、監督は興奮してテーブルを叩いて、「その瞬間に——あの瞬間に、あのふたりは本物の夫婦になったんだ」とフランス語でおっしゃった。僕も、その通りだと思いましたね。 あれだけのリハーサルの時間をかけて、撮影現場では「やることはやったから」と、ことさら“演じよう”と力む状態ではないところでやっていた。あの時間があったからこそ、リリーさんが思わず舐めてしまう——カッコつけたわけではなく、本当に思わず出てしまったあの瞬間が、一つの場面に結実したのかなと思います。
【“痛み”を描くということ】“LIFE IS PAIN”——人生は痛い、というところから

Q. 冒頭の足つぼマッサージや、後半で夫婦が足を蹴り合う場面など、橋口監督作に通底する“痛み”を描くというテーマを意識された演出だったのでしょうか? 橋口監督 冒頭は意識しました。翔子が「イタタタタ」と足裏(足つぼ)をやられて歩く、あの場面ですね。英語字幕を作る方に「どうしましょう」と相談されたので、「これは“LIFE IS PAIN”——“人生は痛い”という意味なんです」と説明したと思います。人生は痛い、というところから、この映画が始まっていく、というふうにしたかった。 身体の痛みや、身体の欠損。『恋人たち』でも描いていますが、足がないとか、骨折して引きずっているとか、肉体の欠損はすぐに分かります。でも、心は見えないですよね。心の欠損だったり、あるいは人間性そのものに欠陥や欠損があって、まったく人の痛みを理解できない人間がいたり、心の中の歪みがまるで理解できなかったり。 分かる“体の痛み”と、見えない“心の痛み”。心の中は見えないよね、ということを、割と分かりやすい形で、どこかにモチーフとして入れる——というのは、僕がずっとやっていることなのかもしれません。
▼取材・文:増田慎吾
