2021年7月24日更新

衝撃の実話!『ハドソン川の奇跡』ではなぜ155人の命を救えたのか?ネタバレあらすじとあわせて解説

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『ハドソン川の奇跡』にまつわる実話を解説!映画のあらすじとの違いは?

2009年に起こったUSエアウェイズ1549便の不時着水事故をもとに製作された『ハドソン川の奇跡』。本作はトム・ハンクスが主演を務め、クリント・イーストウッドがメガホンをとった映画です。 とっさの判断と巧みな操縦技術で乗員乗客全員の命を救った英雄が、疑惑の人となり事故調査委員会やメディアに糾弾されていく様子、そして最後に明かされる真実が胸に迫る本作。 そんな『ハドソン川の奇跡』で描かれた事故は、実際にはどんなものだったのか解説していきましょう。あわせて映画のあらすじもネタバレありで紹介します。

映画『ハドソン川の奇跡』

※記事で使用されている画像は実際の事故のものではなく、映画『ハドソン川の奇跡』の場面写真です。

2009年に発生した「USエアウェイズ1549便不時着水事故」の概要

2009年1月15日、ニューヨーク州ラガーディア空港からノースカロライナ州シャーロット空港へ約2時間のフライトを行う予定のUSエアウェイズ1549便が飛び立ちました。 離陸から95秒後、1549便は高度約900mで両方のエンジンに大型の鳥数羽を吸い込み、推力を失ってしまいます。 エンジン停止から墜落までのリミットは3~4分。速度と高度をできるだけ維持しながら、管制官のアドバイスに従い、出発地のラガーディア空港に戻るか、進行方向にあるテターボロ空港への着陸を検討しますが、機長はどちらも無理だと判断。 彼は充分な広さと長さのあるハドソン川への不時着水の決断しました。そして見事着水を成功させ、乗員乗客155名全員の命を救ったのです。

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観光ヘリコプターが目視チェックを協力

1度は出発地のラガーディア空港か、進行方向にあるテターボロ空港への着陸を目指した1549便でしたが、高度と速度が足りず、サリー機長らはハドソン川への不時着水を決意します。 高度が低くなるとレーダーから消えてしまうため、航空管制官は周囲の航空機に1549便の目視でのチェックを要請しました。 これに応えたのは2機の観光ヘリコプター。そのパイロットたちは1549便の姿を確認し、管制官に報告していました。ヘリコプターに乗っていた観光客は、まさか飛行機事故に遭遇しているとは思わなかったそう。 彼らの協力で管制官は1549便の状況を知ることができ、奇跡の着水成功へとつながったのです。

着水するハドソン川の状況がベストだった

ニューヨークの冬は非常に寒さが厳しいことで知られていますが、事故当時は比較的暖かく、川も凍っていなかったため着水が可能でした。 またハドソン川は川幅が1kmと広く、橋と橋の間隔が長いのも特徴です。もちろん機長の操縦技術の高さがあってのことですが、これによって空港の滑走路に着陸するのと同じように着水することができたのです。 さらに着水地点に船がいなかったことも、幸運だったといえるでしょう。

−6℃の川面に着水!命を救うべく救助隊が向かう

サリー機長たちは着水に成功しましたが、その後は沈みかけている飛行機から迅速に脱出する必要がありました。多くの乗客が翼の上や、着水時には救助ボートにもなる脱出シュートの上に身を寄せ合うことになります。 このときの気温は−6℃、体感温度は−20℃とまさに極寒で、早く救助しなければ凍死してしまいます。 しかし1549便が着水した地点は、水上タクシーや観光船、水上バスの発着場、そしてニューヨーク市消防局やアメリカ沿岸警備隊の船が停泊する港にも近かったことが、迅速な救助を可能にしました。 たまたま付近を航行中だった通勤フェリーが、着水から4分20秒後に現場に到着し救助を開始。それにつづいて水上タクシーと沿岸警備隊と消防局が救助にあたりました。 1549便は着水から約1時間後に水没しましたが、それまでに全員が救助されたのです。

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機長は最後まで機内の確認にあたる

無事に着水したものの、その衝撃で損傷した後部から水が入り込んできた1549便。乗員の冷静かつ迅速な対応で、乗客は次々と機内から脱出していきます。 そんななか、サリー機長は取り残された乗客がいないか、浸水が始まっていた機体後方を2度にわたって確認しに行きました。そして全員が無事に脱出したのを確認してから、自身も脱出したのです。 切羽詰まった状況のなかでも誠実に職務を果たし、人命を最優先する彼の姿は、映画でも再現されています。

密集地での着陸で死者0はまさに奇跡!

人口密集地への墜落事故は、乗員乗客だけでなく地上にも被害が及ぶため大惨事になってしまいます。 ニューヨークの地上への被害を出さないために、サリー機長はハドソン川へ不時着水しましたが、このような事故で死者が出なかったのは、まさに奇跡としか言いようがありません。 たとえば、2015年に台湾で起こったトランスアジア航空235便墜落事故では、離陸直後にエンジンが停止し、台北市南港区と新北市汐止区の境にある基隆河に墜落。乗員乗客58名のうち、43名が死亡しました。 また高速道路を走行中だったタクシー1台が事故機の左翼と接触して大破し、乗っていた2名も軽傷を負ったとのことです。 機長をはじめとするクルーの適切な判断と、さまざまな幸運が重なって「ハドソン川の奇跡」は起きたといえるのではないでしょうか。

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事故のシミュレーションが行われる

なんと事故調査委員会が行なったフライトシミュレーションでは、エンジン停止後すぐに空港に引き返していれば、緊急着陸は可能だったと判明。 しかしのちにこのシミュレーション結果は、現実的ではないとされました。管制官とのやり取りを行う時間や、事故の原因・状況を把握して決断を下すまでの時間が考慮されていなかったためです。 そこで、それらを含めた遅延時間を入れて再度シミュレーションしたところ、どの空港に向かったとしても着陸は不可能だったことがわかります。 これによって、やはりサリー機長の判断は正しかったことが証明されました。

機長は瞬く間にアメリカ全土で英雄に

事故のニュースはまたたく間にアメリカ全土に広がり、彼は英雄視されるようになります。ジョージ・W・ブッシュ前大統領から直接連絡があったり、事故の5日後に行われたバラク・オバマ大統領の就任式にも招待されたりと、誰もがその功績をたたえました。 地元でも歓迎式典が開かれるなど、まさにヒーローになったサリー機長。「訓練通りのことをしただけ」と謙虚に答える姿も、人々に好感を与えたようです。

およそ9ヶ月後に機長は復帰

事故からおよそ9ヶ月後の2009年10月1日、サレンバーガー機長は、事故が起こった1549便と同じラガーディア空港発、シャーロット空港行きの路線で復帰しました。 このフライトでは、事故当時と同じくスカイルズが副操縦士を務め、1549便の乗客も4人搭乗。機長が機内アナウンスで自己紹介をすると、客室内で拍手と歓声が沸き起こったといいます。 翌2010年3月、サレンバーガー機長は現役パイロットとしての乗務を終えました。

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その後も定期的に懇親会が開かれる

2011年にカロライナス航空博物館へ事故機の移送がはじまり、元機長や元常務員、元乗客などを招待したパーティが博物館で開かれました。 翌年には元乗客に対して博物館で展示されている機内の様子が公開され、彼らは自分たちが座っていた座席を確認することができたそうです。 実は乗客たちは、事故のあと毎年懇親会を開いているとか。トラウマとなる事故と向き合うことの難しさについて話し合ったり、経験を分かち合ったりするための大切な会になっているとのことです。 事故から10年がたった2019年には、サレンバーガー元機長も加わり、米テレビ局ABCの番組「Good Morning America」で当時の状況や心境を語りました。

【ネタバレ】映画『ハドソン川の奇跡』のあらすじ 実話との違いは?

ここからは実際の事故をもとに、クリント・イーストウッド監督が実写化した映画のあらすじを解説していきましょう。 2009年1月15日、ラガーディア空港発シャーロット空港行きのUSエアウェイズ1549便は、離陸からしばらく後、バードストライクによって両エンジンが停止してしまいます。 機長のサレンバーガー(通称:サリー)と副操縦士のスカイルズは、推力を失った機体でラガーディア空港に引き返そうと試みますが、高度が足りずそれは不可能だと判断。ほかの空港への着陸も絶望的だったため、やむを得ずハドソン川に不時着水することを決断します。 サリーの巧みな操縦で着水の衝撃で機体が分解することもなく、クルーの迅速な誘導、そして素早く駆けつけた救助により、乗員乗客155名全員の命が守られました。このニュースは「ハドソン川の奇跡」と呼ばれ、サリーはまたたく間に英雄となります。 しかし後日、国家安全運輸委員会の事故調査の結果、1549便はラガーディアやほかの空港にも着陸可能だったと報告がありました。英雄から一転、サリーは無謀な判断で乗客の命を危険にさらした疑惑の人物となってしまいます。

メディアからも糾弾されるようになったサリーは、あのときの判断は本当に正しかったのかと悩むようになります。副操縦士のスカイルズは、「乗客の命を救ったのに、なぜ責められるのか」と憤慨していました。 事故調査委員会の厳しい取り調べを受けた2人は、彼らの調査内容が、自分たちの記憶と違うと感じはじめます。お互いの主張は平行線をたどり、議論は公聴会で行われることになりました。そこでサリーは、同僚に事故のシミュレーションに参加してもらうよう頼みます。 公聴会で発表されたシミュレーションの結果は、1549便はラガーディア空港にも、テターボロ空港にも着陸可能だったというもの。 しかしこのシミュレーションでは、バードストライクの直後に空港へ引き返すという判断をしており、状況を把握したり対策を検討したりする時間は含まれていませんでした。 そこで事故当時のボイスレコーダーの音声をもとに、エンジン停止から35秒の時間を置いて再度シミュレーションを実施。するとこれに参加したパイロット全員が、空港到着前に飛行機を墜落させる結果となりました。 こうしてサリーたちへの疑惑は晴らされたのです。

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実話との違いは?

映画では、サリー機長の判断は乗客の命を危険にさらす間違ったものだったと、事故調査委員会やメディアから激しく糾弾されることになります。しかし実際には、そのようなことはなかったようです。 調査委員会が機長に行った取り調べは型通りのものだけで、彼の事故発生下での判断が疑われることはありませんでした。

クリント・イーストウッドが監督を務める

本作のメガホンを取ったのは、『許されざる者』『ミリオンダラー・ベイビー』で2度のアカデミー賞監督賞に輝くクリント・イーストウッド。 前作『アメリカン・スナイパー』は実在する伝説の狙撃手の苦悩を描き、第87回アカデミー賞に6部門ノミネート、イーストウッド監督史上最大のヒットを記録。 俳優としては「みんな若い役者向けに書かれているから」と積極的に出演作を探さないことを明かしており、事実上引退を宣言しているものの、映像作家としてはまだまだ精力的に活動をつづけています。

圧倒的なこだわりを見せた映像

『ハドソン川の奇跡』は多くの人の記憶に残る事故、しかも発生からそれほど年数が経っておらず、ニュース映像も多くあるという状態で、イーストウッドは映像に徹底的にこだわったようです。 リアリティを追求するために、彼はまず事故機とおなじエアバスA-320-214を購入しました。飛行機を購入とは驚きを隠せませんが、彼曰く「型落ちの飛行機なので、とても安かった」とか。それをミネソタ州のフォールズ湖の上に設置し、さまざまな角度から撮影を行ったそうです。 本作はイーストウッドの作品では初めてほぼ全編IMAXカメラで撮影され、彼はその映像の鮮明さをとても気に入った様子。 また実際の事故で救助にあたった救助船を使い、クルーも本人役で出演するなど、事故を再現すべく細部にまでこだわっています。

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映画『ハドソン川の奇跡』に出演したキャスト

チェスリー・“サリー”・サレンバーガー役/トム・ハンクス

チェスリー・“サリー”・サレンバーガー機長を演じたのは、1994年の『フォレスト・ガンプ/一期一会』などで知られるアカデミー賞俳優、トム・ハンクス。 彼は本作のほかにも、『ユー・ガット・メール』(1998年)や『ターミナル』(2004年)、「ダ・ヴィンチ・コード」シリーズなど、数々の映画で主演を務めています。 2001年にはスティーブン・スピルバーグとともに、HBOドラマ『バンド・オブ・ブラザース』の製作総指揮を手掛けたことでも話題になりました。

ジェフ・スカイルズ役/アーロン・エッカート

副操縦士のジェフ・スカイルズを演じたのは『ダークナイト』(2008年)のハービー・デント/トゥー・フェイス役などで知られるアーロン・エッカートです。 2000年公開の『エリン・ブロコビッチ』でジュリア・ロバーツ演じる主人公の恋人役を演じ注目を集めた彼は、2006年の『サンキュー・スモーキング』でゴールデングローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネート。 その後も『幸せのレシピ』(2007年)や『ミッドウェイ』(2019年)など、幅広いジャンルの作品に出演しています。

ローリー・サレンバーガー役/ローラ・リニー

サリーの妻ローリーを演じるのは『トゥルーマン・ショー』(1998年)などへの出演で知られるローラ・リニー。『ラブ・アクチュアリー』(2003年)では、恋愛に没頭できない奥手な女性サラを好演しました。 1997年のクリント・イーストウッド主演・監督作『目撃』では、彼の娘役で出演しています。

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『ハドソン川の奇跡』の裏には感動必至の実話が存在した!

史実をもとに、葛藤する英雄の姿を描いた映画『ハドソン川の奇跡』は、未曾有の大惨事となってもおかしくなかった飛行機事故の真実を語っています。 トム・ハンクスやアーロン・エッカートの繊細な演技が光る本作で、歴史的な事故からの救出劇を目撃してみてください!