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映画『タイタニック』の驚くべき14の事実

2017年7月6日更新

大ヒット映画『タイタニック』のモチーフとなった1912年のタイタニック号沈没事件。不沈と言われた夢の豪華客船は、氷山に激突し沈没。乗客・乗員の3分の1が犠牲となりました。映画のモデルとなったエピソードも含め、沈没事故の裏にあった14の事実をご紹介します。

悲運のタイタニック号

26組のハネムーンカップルとその他3,327人を乗せてイギリス・サウザンプトンからアメリカ合衆国・ニューヨークを目指した豪華客船タイタニック号は、氷山に激突し1912年4月15日午前2時20分に沈没しました。

当初68艘用意されていた救命ボートは、船のデッキが乱雑に見えてしまうとの理由で20艘しか搭載されず、結果としてこの無責任な決断により多くの犠牲者が出てしまいました。

この事故はその後多くの映画を生み出しましたが、今まであまり知られてこなかった14の事実をご紹介します。

1.勇敢な音楽家の遺族への賠償は、なんと衣装代だけだった

タイタニック号では、8人のバンドメンバーが活躍していました。

事故が起こった際、音楽家達は救命ボートには乗らず、他の乗客乗員を励まし落ち着かせようと、真っ暗闇の中楽器を手に取り明るい音楽を奏で続けました。船が完全に沈没する最後の瞬間まで、その演奏を止めなかったと言います。

事故後、ホワイト・スター・ライン社は遺族に音楽家達の衣装代のみを賠償しました。こんな馬鹿げた金額の支払いに対し、遺族は皆激怒し、ホワイト・スター・ライン社に猛抗議の手紙を送ったそうです。

2.数多くの乗客が救命ボートに乗ることを断っていた

ある聖職者は、自分が救命ボートに乗る事を拒み、沈みゆく船上で絶望している乗客の為に祈り、赦免と心の安らぎを与えていました。

30人のエンジニア達もまた同様でした。彼らは船の後部に残り、他の乗客が安全に救命ボートへ移れるよう、出来る限りの電力供給に最後まで尽力していました。

3.死と科学を超越した1人のパン職人がいた

タイタニック号のパン焼き主任だったチャールズ・ジョン・ジョフィンは、沈みゆく船で乗客に食料を配り、多くの女性や子供を救命ボートに乗せて自分はボートに乗る事を拒みました。

驚くべきは、海に投げ出されたほとんどの人々が氷点下2度の水中で15分から45分しか生き延びられなかったにも関わらず、ジョフィンが6時間後に無事生還したことでした。

ジョフィンの生還は、彼が事故の前に酒を飲んでいて、内臓を温めていたからと言われています。

4.5人の郵便配達員が亡くなっていた

タイタニック号には、イギリスからアメリカへの郵便物を預かる5人の配達員が乗船していました。

郵便物を無事に送り届けるという使命を全うしようとしていた彼らは、海へと沈んでいく自分達の最後の瞬間、生き残った人々に希望を託すかのように郵便カバンを船のデッキに投げ飛ばしました。

5.スミス船長はナビゲーションテストを失敗していた

タイタニック号の船長であったエドワード・ジョン・スミスは、この航海を最後に引退しようと考えていました。スミス船長の船にしか乗らないと言う人々がいたほど、彼は経験豊かで高い名声を誇っていました。

しかし、このスミス船長の慢心が、6つの氷山の警告を無視しフルスピードで航海を進める結果に繋がったのではという意見もありました。更にスミス船長は直前のナビゲーションテストも失敗していました。

いずれにしても、スミス船長は出来る限り多くの乗客を救い、自分自身は船と共に沈んでいった事に変わりはありませんが。

6.現代であっても、あなたが買えるのは三等客室のチケットだけかもしれない

タイタニック号の一等客室は、現在(2015年)の通貨で約77,000ポンドでした。平均的な二等客室は約1,000ポンド、三等客室は約300ポンドから600ポンドで、その差はとても大きいものでした。

ホワイト・スター・ライン社は、各等級の乗客をそれぞれのエリアに分けて滞在させ、リッチな乗客と貧しい乗客が船内で出会わない様にしていました。

船が沈んでいった時、階級を分けるゲートで分断されていた三等客室の乗客は水が流れ込んで来るまで事態を知ることも無く、その結果この階から多くの犠牲者が出ました。

7.ナチスもタイタニックに関する映画を製作していた

タイタニック号を題材にした映画はこれまで数多く作られてきました。

1944年にナチスドイツでもプロパガンダメディアとしてタイタニック沈没映画が製作されていました。この映画では、ナチスドイツの第一オフィサーが英雄として描かれ、イギリス人の強欲さが船の破滅をもたらしたというストーリーになっていました。

数あるタイタニック映画の中で最も有名で成功を収めたのは、もちろんジェームズ・キャメロン監督が1997年に発表した映画ですが、こちらは11ものアカデミー賞を獲得し、長年人々の涙を誘ってきました。

キャメロン監督は、タイタニック号が沈没するのにかかった時間を実際と同じ2時間40分にしました。

8.タイタニック号の悲運は予想出来た?

生還者の一人エリザベス・シューツは、事故の夜、強い氷の匂いが気になって眠れませんでした。それは、以前訪れた大きな氷洞の匂いを思い出させるものだったからです。エリザベスは、人々が常に自分の五感、少なくとも嗅覚を信じることで、危険を予想出来るということを示しました。

9.タイタニック号には独自の新聞があった

タイタニック号では、希望者に毎日新聞が提供されていました。そこには、船上のディナーメニュー、世界の最新ニュースやゴシップ、株価などの情報がありました。

この新聞は、現在でも4半期に一度発刊され、イギリスのタイタニック協会メンバーに無料で送られています。

10.実際に沈みゆく船で、何をすべきか全く分かっていなかった乗務員達

絶対に沈まない船と謳われていたタイタニック号には、全乗員の半数分しか救命ボートが用意されていませんでした。また、乗務員達は救命ボートの総数や一艘あたり何人を乗せられるのか知らず、65人乗れるボートに24人しか乗せていないこともありました。その為に数多くの人々が命を落とし、特に三等客室の乗客は救出されるチャンスがほとんど無かったのです。

11.救出を仕切った女性がいた

モリー・ブラウンは、沈没事故の際、周りの男性達よりもうまくその場の指揮をとり、多くの人々の救命ボートへの乗り込みを助けました。また、ボートの乗組員に 指示し、他の生存者を探す為にボートを戻らせるなど、その勇敢な行動で一躍有名になりました。