2019年4月2日更新

映画『タイタニック』の驚くべき10の真実【日本人生存者が存在した】

©Paramount Pictures

大ヒット映画『タイタニック』のモチーフとなった1912年のタイタニック号沈没事件。不沈と言われた夢の豪華客船は、氷山に激突し沈没。乗客・乗員の3分の1が犠牲となりました。映画のモデルとなったエピソードも含め、沈没事故の裏にあった10の事実をご紹介します。

実話を描いた映画『タイタニック』の真実とは

26組のハネムーンカップルとその他3327人を乗せて、イギリス・サウザンプトンからアメリカ合衆国・ニューヨークを目指した豪華客船タイタニック号。船は氷山に激突し1912年4月15日午前2時20分に沈没しました。 当初68艘用意されていた救命ボートは、船のデッキが乱雑に見えてしまうとの理由で20艘しか搭載されず、結果としてこの無責任な決断により多くの犠牲者が出てしまいました。 この事故をもとに作られた映画が、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが出演した1997年公開の『タイタニック』。本記事ではそんな映画の展開に触れながら、実際はどうだったのか、トリビアを紹介していきたいと思います。

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1.生存者の現実、生きて帰ったにもかかわらず……。

タイタニック号の生存者は諸説ありますが、時事通信社の記事(2006年5月7日配信)によると711人いるとのこと。一方、沈没によって犠牲となったのは1517人。その内、合計50人の子供達が命を落としました。その中でも一番若かったのは、ほんの19ヶ月の赤ちゃんでした。 救命ボートで一命を取り留めた女性や子供達も、凍えるような寒さで希望を失い、海の中に投げ出された人々の叫び声にただひたすら耐えなければなりませんでした。 しかし、そんな中で奇跡的に助かった人間もいます。それは、ある一人のパン職人。タイタニック号のパン焼き主任だったチャールズ・ジョン・ジョフィンは、沈みゆく船で乗客に食料を配り、多くの女性や子供を救命ボートに乗せて自分はボートに乗る事を拒みました。 驚くべきは、海に投げ出されたほとんどの人々が氷点下2度の水中で15分から45分しか生き延びられなかったにも関わらず、ジョフィンが6時間後に無事生還したことでした。ジョフィンの生還は、彼が事故の前に酒を飲んでいて、内臓を温めていたからと言われています。 しかしながら、タイタニック号から生還した多くのものが当時心に大きなダメージを負い、中には発狂してその後自ら命を絶った人もいるのです。

2.たった1人の日本人乗客・細野正文は生き残っていた

当時、タイタニック号には唯一の日本人として鉄道院副参事を務めていた細野正文が乗船していました。そして、彼がいたのは最も死亡率の多かったと言われる二等船室の男性乗客。しかし、細野は10号ボートに乗って、無事生還することができたのです。 実はこのボート、すでに45人ほどの女子供が乗った状態で出発していました。そこにはあと3人ほど乗れる余裕があったため、ボートが何らかの故障で止まった隙に、近くにいた船員がそれに飛び乗りました。それをきっかけに、細野も飛び降りてボートに乗ることができたのです。 しかし、のちに彼は13号ボートで人を押しのけて乗ってきた人物だと言われ、しばらく批判されます。ほどなくして先述の通り彼の乗ったボートが10号であることや、細野と他の中国人を間違えたことが明らかになり、名誉回復に至りました。

3.歴史的な女性活動家が乗り合わせて、救出指示をしていた?

タイタニック号には、救出を仕切った女性がいました。彼女の名前はマーガレット・ブラウン、通称「不沈のモリー・ブラウン」です。彼女はミズーリ州生まれで、女性の権利獲得に情熱を燃やしていた人物でした。その証にブラウンの一家はデンバー女性クラブの創立メンバーとして、成人教育や慈善活動を通して、女性にも平等な機会が与えられるようはたらきかけていました。 彼女は孫が病気になったのを聞いて、急遽ヨーロッパ旅行からアメリカに帰るためにタイタニック号に乗船。沈没事故の際、周りの男性達よりもうまくその場の指揮をとり、多くの人々の救命ボートへの乗り込みを助けました。また、ボートの乗組員に指示し、他の生存者を探す為にボートを戻らせるなど、その勇敢な行動で一躍有名になりました。

4.『タイタニック』には実在した老夫婦が描かれていた

『タイタニック』の主人公といえるカップル、ジャックとローズはフィクションの人物です。しかし、映画の中のとあるカップルが実在したんです!それは、ベッドの上で抱きしめあって、手を強く握り合った老夫婦。部屋が浸水し始めた時、最期を祈るかのように過ごした彼らです。彼らの名前は、イジドーとアイダ。 彼らはもともとファーストクラスの乗客であり、優先的に救命ボートに乗せてもらえるはずでした。しかし、イジドーが女・子どもが全員無事に脱出するまで脱出することを拒否したのです。アイダはすでにボートに乗っていましたが、そんな夫のことを聞いてボートをおり、彼の元へ向かいました。そして二人で抱き合って暖を取っていたところ、大波にさらわれてしまったのです。 目撃者の情報によると「最後まで抱き合っていた」という二人。まさに、映画のような結末を迎えているのです。 ちなみに、ジャックとローズを思わせるカップルも乗客していました。ヘンリーとケイトです。ヘンリーは、妻子持ちの裕福な男でしたが、自分の店で雇った10代のケイトと恋に落ち、妻子を捨てタイタニック号で駆け落ちしようとしていました。沈没事故でヘンリーは命を落としましたが、ケイトは生き延び、9ヶ月後にヘンリーとの 間にできた子供を産みました。 船上でヘンリーがケイトにプレゼントしたサファイアのネックレスは、二人の娘に受け継がれています。

5.ジャックが死ななければならなかった理由

映画『タイタニック』で最も悲しいシーン、それはジャックがローズを救うために犠牲になるシーンでした。しかし、ローズが助かるために乗っていたドアには、彼も乗れるほどのスペースがあったという見方が多いです。助かる余地があったのに、何故ジャックは死ななければいけなかったのでしょう。 その理由について、監督のジェームズ・キャメロンは米紙Vanity Fairにてこう語っています。 「これは死と別れについての映画であり、ジャックは死ななければならなかったんだ。」 確かに、この物語は生き残ったローズが語る、ジャックとの美しい思い出です。その悲劇があったからこそ、エンディングは素晴らしいものになった。つまり、ジャックが死んだのは物理的な理由ではなく芸術的な理由だったというわけです。

6.なぜタイタニック号の悲劇は起きたのか?

そもそも、何故こんな悲劇が起きてしまったのか。諸説ありますが、原因は船長にあると言われています。 タイタニック号の船長であったエドワード・ジョン・スミスは、この航海を最後に引退しようと考えていました。「スミス船長の船にしか乗らない」と言う人々がいたほど、彼は経験豊かで高い名声を誇っていたのです。 しかし、このスミス船長の慢心が、6つの氷山の警告を無視しフルスピードで航海を進める結果に繋がったのではという意見も。更にスミス船長は、直前のナビゲーションテストも失敗していたのです。いずれにしても、スミス船長は出来る限り多くの乗客を救い、自分自身は船と共に沈んでいった事に変わりはありませんが……。 余談ではありますが、タイタニック号の悲運を予想していた人物がいます。 それは、生還者の一人エリザベス・シューツ。彼女は事故の夜、強い氷の匂いが気になって眠れませんでした。それは、以前訪れた大きな氷洞の匂いを思い出させるものだったからです。エリザベスは、人々が常に自分の五感、少なくとも嗅覚を信じることで、危険を予想出来るということを示したのです。

7.三等客室の乗客は救出のチャンスさえなかった

タイタニック号の一等客室は、約77,000ポンドでした。平均的な二等客室は約1,000ポンド、三等客室は約約300ポンドから600ポンドで、その差はとても大きいものでした。 ホワイト・スター・ライン社は、このように各等級の乗客をそれぞれのエリアに分けて滞在させ、裕福な乗客とそうでない乗客が船内で出会わないようにしていました。これによって船が沈んでいった時、階級を分けるゲートで分断されていた三等客室の乗客は、水が流れ込んで来るまで事態を知ることも無く、その結果この階から多くの犠牲者が出たのです。 しかも、救出に際しても実際に沈みゆく船で、何をすべきか全く分かっていなかった乗務員達が多かったとのこと。何故なら、タイタニック号は絶対に沈まない船と謳われていたからです。 そのため、救命ボートも全乗員の半数分しか用意されていませんでした。また、乗務員達は救命ボートの総数や一艘あたり何人を乗せられるのか知らず、65人乗れるボートに24人しか乗せていないこともありました。その為に数多くの人々が命を落とし、特に三等客室の乗客は救出されるチャンスがほとんど無かったのです。

8.ジェームズ・キャメロンの映画『タイタニック』への想い

タイタニック号は、当時莫大な費用をかけてその絢爛豪華な客船が造られましたが、1997年の映画『タイタニック』の製作費はその建造費を上回り、2009年まで映画製作費歴代1位でした。映画のセットの方が豪華だったというわけです。そこまでして製作された本作に、監督のジェームズ・キャメロンは強い思いを抱いていました。 それは、年老いたローズによる劇中の以下のセリフに表れています。 「女性の心は、秘密に彩られた深い海のようなものよ」 実は、キャメロン監督は私生活で結婚と離婚を繰り返していたのです。このセリフから、女性心を理解しきることの難しさ、そしてそれに溺れるとよくない結末を迎える(映画では溺死)ことが示唆されているのです。しかし、結果11ものアカデミー賞を獲得した、歴史に名を刻むロマンティク映画ができたのですから、よかったですね。

9.他にもタイタニック号の悲劇を描いた作品がある

タイタニック号を題材にした映画はこれまで数多く作られてきました。 その中には、なんとナチスが手がけたものまであるのです。それは、1944年ナチスドイツにプロパガンダメディア製作されたものです。この映画では、ナチスドイツの第一オフィサーが英雄として描かれ、イギリス人の強欲さが船の破滅をもたらしたというストーリーになっていました。 しかし、やはり数多く作られたタイタニック号の映画の中で最も成功したのはジェームズ・キャメロン監督作でした。

10.映画『タイタニック』撮影にまつわる真実

ローズが婚約者のキャルに唾を吐くシーンはケイト・ウィンスレットのアイディアだった

当初はヘアピンを投げつけるだけの予定でしたが、ローズ役のウィンスレットが出した唾を吐くというアイディアをキャメロンは了承しました。 そしてそれを唯一知らなかったのは唾を吐きかけられるキャル役のビリー・ゼインのみ。彼の反応は文字通り「純粋」なものだったそう。

グロリア・スチュアートは87歳でこの映画に出演した

年老いたローズを演じたグロリア・スチュアート。彼女はこのとき御年87歳でした。彼女はアカデミー賞の助演女優賞に史上最年長でノミネートされましたが、この記録は未だに破られていません。 さらに彼女は『タイタニック』出演者の中で唯一実際のタイタニック号が沈没していた時に生存していた人物となります。

ジェームズ・キャメロンはエキストラに話しかけ、彼ら一人ひとりに名前と生い立ちを与えた

通常エキストラと言えば、集団の中の一人であって重要な役どころではありません。しかしキャメロン監督はエキストラ150人以上と話し、彼らに役名とその役の生い立ちを授けたのです。 さらにこれらのエキストラは3時間にも及ぶ講習で1912年当時の立ち居振る舞いを学んでいます。 どんな小さな役にも妥協を許さない姿勢がうかがえます。

ローズのドレスは濡れても渇いているときと同様美しく見えるようにデザインされた

デザイナーのデボラ・リン・スコットは24種類ものシフォンドレスを試作し、水の中での耐性をチェックしました。 彼女の努力があったからこそ、船が沈む直前のシーンでもローズの美しさは変わらぬままだったのかもしれません。

ローズがジャックを助けるために船内に飛び込んだ時に出した声は演技ではなかった

実際の撮影はカリフォルニア近辺で行われたものの、水は北大西洋のタイタニックが沈没した付近と同じくらい冷たかったよう。そのため、ケイト・ウィンスレットはあまりの冷たさに演技ではなく思わず声を出してしまったのだとか。 また、彼女は海に浮いているシーンでウェットスーツを着用しなかった数少ないキャストのひとりです。 過酷な撮影環境でも妥協しないウィンスレットの姿勢が、彼女の演じたローズに反映されています。

船内に水が溢れてくるシーンは取り直しされたものだった

視覚的な迫力を求めるキャメロン監督は、水圧が十分ではないとして撮り直しをすることに。 撮り直しのためにセットは再度建て直され、水圧を三倍にして撮影がおこなわれました。

沈没後の海でのシーンは寒さを表すために工夫が施された

凍えるような寒さを表現するために、結晶のパウダーを身体に振りかけ、服と髪にワックスを塗って濡れているように見せたそうです。 そのような細部に至る工夫に加え、キャスト陣の迫真の演技であの感動シーンは完成していたのです。

映画『タイタニック』の見方が変わるかもしれない!

本記事では映画版とは違う、実際に起きたタイタニック号の事件についてご紹介してきました。しかし、ここで書かれている事実は、それこそ氷山の一角にすぎません。今だに謎のまま、海に沈んでしまった事実もあるのです。 もし、また本作を観る機会がある時は、この事実を踏まえて、これまでにない違う見方ができるかもしれませんね。