2017年8月19日更新

押井守、国内外で高い評価を得ている映画監督の魅力に迫る事実10選

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押井守

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1:映画に没頭した押井守の学生時代

押井守は1970年に東京学芸大学に入学後、いち早く「映像芸術研究会」を設立し、実写映画を撮り始めました。 ほとんど授業には参加せず、最初の2年間で取得した単位はたったの2単位でしたが、大学という場所は押井守にとって重要でした。爪弾きにされることなく、4年間目一杯自分の時間と空間を確保できたためです。 映画を制作する一方で、押井守は毎日のように名画座に通い、映画館でバイトをしながら、1年間に1000本もの映画を見たといいます。

2:タツノコプロダクションでタツノコ四天王と呼ばれる

1977年、押井守はラジオ制作会社に就職し、仕事をこなしていましたが、とても給料が少なかったために半年で退社しました。 退社してからは時間をもてあました日々を送っていましたが、ある時電柱に貼ってあった求人広告に電話をしたことで転機を迎えます。電話先は今も人気の高い、竜の子プロダクション(タツノコプロ)でした。 入社まもなくは事務や雑用をこなす毎日でした。ある日、演出の人出が足りなかったために、ラジオディレクターの経験を買われた押井は、アニメの演出に携わることになりました。 これをきっかけに、押井守は頭角を現し始め、やがて西久保瑞穂、真下耕一、うえだひでひとと並んで、タツノコプロにおける「タツノコ四天王」と呼ばれるようにまでなります。

その後、オリジナル性のあるジョークの素質を、当時のタツノコプロ演出部長を務めていた笹川ひろしに高く評価され、「タイムボカン」シリーズを長い間手掛けることになりました。

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3:低視聴率だった『うる星やつら』を立て直した押井守

1980年、押井守はスタジオぴえろに入社し、翌1981年に、TVアニメ『うる星やつら』のチーフディレクターに就任します。 放送開始後、しばらくは視聴率の低さに悩まされ、フジテレビと対立しながらも、徐々に押井守のラディカルな演出が評価を高め、アニメシリーズは大きな功績を残しました。特に劇場版第2作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』はアニメ映画史上屈指の傑作と言われています。 主人公の天真爛漫でセクシーなラムちゃんは、男性のみならず、女性からも愛されるキャラクターとして、今なお知名度を誇り、現在も様々な商品化が行われています。

4:『ルパン3世』も?押井守がたずさわったものの没になった作品集

1984年にスタジオぴえろを退社した押井守は、その後演出家として独立し、しばらく宮﨑駿の個人事務所「二馬力」で活動しました。 同年、宮﨑駿と大塚康生の勧めもあって、『ルパン三世』の映画化第3作目の監督に就任します。 ところが、半年を費やして完成させた脚本を、東宝と読売テレビのプロデューサーから却下され、企画は頓挫してしまいました。なお、却下された脚本は「盗むものがなくなってアイデンティティを喪失したルパン」が描かれ、最終的に「ルパンは存在しなかった」という結末となるものだったといいます。 他にも押井守が携わったものの、没になった作品は多々あります。『シャーロック・ホームズ』、『墨攻』、『南総里見八犬伝』、『ガメラ2 レギオン襲来』など、日の目を見ることのなかったビッグタイトルも少なくはありません。

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5:映画『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』は国内外で高評価

1995年、押井守は『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の発表により、海外からの関心も大きく引くことになります。 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を収録したビデオは、米国ビルボード誌におけるホームビデオ部門で、売上第1位を記録し、日本アニメ界前人未到の功績として、国内でも大きなニュースになりました。 『E.T.』や『ジョーズ』などで知られる、スティーヴン・スピルバーグや、『タイタニック』や『アバター』を手がけた、ジェームズ・キャメロンなどにも絶賛されています。 特に、ウォシャウスキー兄弟の代表作である『マトリックス』はその影響を強く受けていると言われています。

6:押井守、55歳から空手を始める

押井守は55歳の時に、今野敏の武術道場に入門し、空手を習い始めました。その理由について、自分の体を鍛えるという目的だけではなくて、体をどう利用するのか、ということであると語っています。 また、押井守が『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに初登場した際は、空手の話題で盛り上がったそうです。 2011年には今野敏と共に武道の対談集まで出版しています。

7:大の犬好きである押井守

押井守は大の犬好きで、なんと犬を飼うだけのために、熱海へ引っ越したといいます。犬好きはプライベートに留まらず、自身の愛犬が作品に登場することもしばしばです。 以前は犬(バセットハウンド)がモチーフになったトップスを気に入って着用していました。お気に入りの犬種はバセットハウンドとシェパードだそうです。

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8:実はネットに強くない?

最先端で未来的なハイ・テクノロジーの世界を扱った創作に携わってきたために、インターネットの使い手だと思われがちな押井守ですが、実際のところはほとんどネットを使わず、たまにリサーチのために使用するぐらいでした。 2008年になっても携帯電話を所持せず、電話をする時はテレフォンカードを持参して、公衆電話を探す状態だったそうです。

9:押井守はゲーマーでゲーム制作にも携わっている

押井守は、コンピューターゲームの原作者でありながら、自身もゲーマーです。ゲーム雑誌の『電撃王』に「注文の多い傭兵たち」というエッセイの連載もしています。 最近では2008年にWii用フライトシューティングゲームの『スカイ・クロラ イノセン・テイセス』、2012年にCAPCOMの巨大ロボット操縦型ファーストパーソン・シューティングゲームである『重鉄騎』を手掛けています。

10:押井守はミリタリーオタク!?作品にも影響が

押井守は、ミリタリー愛好家でもあります。アルバイト時代に制作に加わった『名犬ジョリィ』においては、必要以上に銃の描写にこだわりを見せました。 また、『うる星やつら』担当時代の最終話には、第2次世界対戦下の戦闘機を使って、交戦シーンを制作しています。 中でもお気に入りの戦闘機は、第2次世界対戦時代に大日本帝国陸軍が開発した三式戦闘機「飛燕」だそうです。 押井守作品の独自の迫力には、監督のミリタリー好きによるエナジーが潜んでいるのかもしれません。