2017年7月6日更新

蟹江敬三、強烈な個性を貫いた名優についてもっと知りたい

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蟹江敬三プロフィール

蟹江敬三は1944年10月28日生まれ、東京都出身の俳優。1965年に俳優として劇団に立ち演出家として有名な蜷川幸雄らと「現代人劇場」に所属します。また、俳優だけではなく2002年から2014年まで『ガイアの夜明け』でナレーターも務めていました。 2013年12月末に胃がんと診断され、2014年3月30日に亡くなるまで、数々のドラマや映画で活躍した人物です。

劇団を渡り歩き腕を磨いた若手時代

高校生の頃偶然にも舞台に立つ機会があり、その際の体験をきっかけに俳優の道を志すことになった蟹江敬三。もともと引っ込み思案な性格の持ち主だった彼はいくつかの劇団を渡り歩き俳優としての器量を身に付けました。 高校卒業後、”劇団青俳”に入団。1968年からは昭和の名俳優岡田英次と、世界的な演出家の蜷川幸雄が立ち上げをした”現代人劇場”へと移籍します。その後1972年には蜷川、俳優の石橋蓮司とともに櫻社を旗揚げ。 後に日本演劇界を支える人物達が若手時代からお互いを刺激しあっていたことがわかりますね。

ロマンポルノで「強姦の美学」を確立!?

日活ロマンポルノ全盛の時代、蟹江も俳優として多くの作品に出演していたことは有名です。『犯す!』や『赤線玉の井 ぬけられます』などでの見事なまでに野性的な芝居は”強姦の美学”とまで称されほどセンセーショナルなものでした。 意外にも日活ロマンポルノから名前が売れた俳優は多く、美保純や内藤剛志もそのうちの一人です。

天下一品だった怖すぎるヒール役

また彼の役柄で最も印象深いものとして”ヒール役”が挙げられるでしょう。 蟹江の演じる悪役のなかで代表的なのが大ヒットドラマ『Gメン'75』の望月源治役です。『Gメン'75』は1975年から1982年まで放送された刑事ドラマ。蟹江敬三が演じた凶悪な殺人犯から発せられる、狂気と冷たさは当時の視聴者に強烈なインパクトと恐怖を与えました。

忘れがたい刑事役

それまで悪役を演じることが多く、どうしてものそのイメージを拭えなかった蟹江敬三。しかし『熱中時代 第2シリーズ』で主人公と仲の良い”善人”の巡査役を演じたことによってその状況は一変します。 『影の軍団III』では主人公の片腕の様な存在の役を、『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』では学校の教師と凄腕のエージェントという二面性を持つ役、そして『鬼平犯科帳』では密偵の役柄と、それまで悪役キャラとは違った配役での出演を果たすことになり、多面性を持つ俳優像を確立することとなりました。

数々の大河ドラマにも出演

蟹江の活躍を長年に渡りNHK大河ドラマで見ているという方も多いのではないでしょうか? 1974年『勝海舟』の学友田辺役で大河ドラマ初出演を果たし、その後も1985年『春の波涛』で幸徳秋水役、1993年には『炎立つ』で吉彦秀武役、2000年『葵 徳川三代』で福島正則役、2010年に『龍馬伝の岩崎弥次郎役と各年代で名シリーズを支えていました。

繊細な演技ができた稀な俳優

小説家、中上健次の短編小説を原作として1979年に映画化された『十九歳の地図』。伝説のシンガーソングライター”尾崎豊”の楽曲『十七歳の地図』はこの映画からインスパイアされて生まれたそうです。 キネマ旬報などでも高評価を得た本作、紺野役で発揮される繊細な演技は圧巻ですので映画ファンなら一度は見ておくことをおすすめします。ロマンポルノや『Gメン’75』で世間に与えたイメージとは、まったく違った蟹江敬三を目の当たりにすることになります。

唯一の主演映画『MAZE マゼ ~南風~』

蟹江敬三といえば名バイプレーヤーという言葉が真っ先に浮かぶ方も多いと思われますがそれもそのはず、長いキャリアの中で数多くの出演作を誇る名俳優である彼の主演映画は”1つ”しかないのです。 その唯一の主演作が『MAZE マゼ ~南風~』。高知県を舞台に家族の絆や少年の成長などを描いた作品です。日本が誇る名脇役唯一の主演作ですがこれまで培ってきた演技力で田村弦次郎を熱演。高い評価を得た作品になります。

『あまちゃん』の祖父・忠兵衛の存在感

近年で最も印象深い役柄といえば、社会現象となった朝の連続テレビ小説『あまちゃん』での天野忠兵衛役でしょう。 能年玲奈演じる天野アキの祖父で、堅物のなかにどこか優しさが見えるという役柄です。晩年の代表作とも言える本作での演技は往年のファンのみならず、若い世代にも認知されるきっかけとなりました。

役者には主役も脇役もない。蟹江敬三の信念

蟹江の信念が感じられるエピソードを『MAZE マゼ ~南風~』の岡田主監督が語っています。
役者には「良い役者」と「そうでない役者」の区別しかないのだろう。映画もドラマも団体戦であり、一人でも欠けたら成立しないのだから、本当は主役も脇役もない。世の中と一緒だ。
蟹江敬三は脇役であっても、『Gメン'75』では視聴者に強烈な印象を与えました。かと思えば『十九歳の地図』で繊細な役を好演。1981年の映画『遠雷』ではカエデの亭主として出演しましたが、このときの監督・根岸吉太郎は、次のようにコメントしています。
「『遠雷』(81年)は蟹江さんがいなかったら、成り立たなかった」
役者のことを1番よく見ている監督が、口をそろえて蟹江敬三の演技力を絶賛するのです。そこには脇役、主役と区別をつけずに、すべての役に対して全うした蟹江の信念が見られます。

蟹江敬三の声の魅力

2003年から放送されている経済ドキュメンタリー番組『ガイアの夜明け』。多方面から好評を得ているこの番組では蟹江敬三の渋い声を聞くことができました。 蟹江は放送開始時から2014年5月27日放送分までナレーションを務め、その後は俳優の杉本哲太が後任を務めています。

息子は似ても似つかない??

エキゾチックな”濃い顔”が特徴の蟹江敬三。息子”蟹江一平”も俳優として活躍していますが、父とはかなり見た目の印象が違います。 一見すると父とは違う”今風”なイケメンという印象を受けますが、よく見ると所々特徴を受け継いでいるのが分かります。父同様日本を代表する俳優になることが期待されますね。

愛された盟友

ファンのみならず多くの同業者から信頼と尊敬を集めていた蟹江敬三。特に劇団時代から盟友関係にある蜷川幸雄からの思いは特別なものがあったようです。
蟹江さんが逝去したあと、74年まで劇団「現代人劇場」、「櫻社」で盟友だった演出家の蜷川幸雄さんが、「蟹江の芝居に注文を付けたことは一度もない」、「蟹江となら、心中してもいいと思った」と語った。演技に厳しい蜷川さんが、ここまで絶賛した役者はいないはずだ。