『嵐が丘』について明かされた誰も知らない事実10選

2017年7月6日更新

作家、エミリー・ブロンテによるイギリスの荒野を舞台にした小説『嵐が丘』。数々の映画化や舞台化がなされてきた長編小説の名作ですが、意外と知られざるエピソードが存在しています。そんな『嵐が丘』にまつわるトリビアを10個紹介します。

1:実は原作はラブストーリーではない

『嵐が丘』は1939年にアメリカで映画作品が製作されています。原作より先に映画を観た人は、ヒースクリフとキャサリンのラブロマンスの部分により強い印象を受け、本作がラブストーリーであるかのように思ってしまうでしょう。

しかしそれは映画製作にあたり脚色された部分で、原作小説は決してラブストーリーではありません。ヒースクリフという男の激しい復讐劇こそが『嵐が丘』の真のストーリーなのです。

また確かにヒースクリフとキャサリンは、お互い惹かれあっています。しかしキャサリンの「私がヒースクリフよ」というセリフからも感じられるように、単純な恋愛感情を超えて、お互い一つになりたいといった狂気にもにた感情が二人には存在しているようです。

2:3姉妹のペンネーム

小説『嵐が丘』を執筆したエミリー・ブロンテは3姉妹の2番目でした。

姉妹は3人とも執筆活動をしており、みんな始めは男らしいペンネームを使っていました。一番上のシャーロットは“カーラー・ベル”、2番目のエミリーは“エリス・ベル”、そして末っ子のアンは“アクトン・ベル”を名乗っていました。

当時は女性作家というだけで批判されがちだったため、男性らしいペンネームを使って致そうでそうす。しかし、後世の読者にとっては、誰が誰だかややこしい事態になっています。

3:ヒースクリフ出自の謎

『嵐が丘』の強烈な主人公であるヒースクリフはいったいどこから来たのか?それは長年の間、読者と文学学者の間で議論されている謎です。

人里離れた田舎の屋敷“嵐が丘”の主人がリバプールで発見して連れ帰ってきた男の孤児、という設定で、黒髪と黒い瞳を持ち、よく分からない言葉をしゃべっていたとされています。

当時のリバプールはアイルランドへの港でもあり、奴隷貿易も盛んでした。そのことからヒースクリフの出自はアイルランド、もしくはアフリカから運ばれてきた奴隷の血を引いているのではないかと提唱する学者もいるそうです。

4:『嵐が丘』の数字の意味

小説『嵐が丘』中では12人のキャラクターが命を落とします。

作家エミリーが意図していたのかは分かりませんが、この“12“という数字は“終わり”を意味する象徴的な数字です。1年は12か月で終わりますし、1日は12時間で区切られます。

また、小説の中であらゆるものがペアで登場します。この“2”という数字も『嵐が丘』の中で何か意味を持っているのかもしれません。

5:娘の作品を読まなかった父親

エミリーは、『嵐が丘』の執筆中、神父だった父親と一緒に暮らしていました。しかし、父親は自分の娘が小説を書いていることを知らなかったそうです。

娘の執筆活動に気づいた後も父親が『嵐が丘』を読むことはなかったそうですが、それは単に彼の視力が落ちてしまったからだったそうで、父親としては素晴らしい人だったといわれています。

6:事実は小説より奇なり?

小説『嵐が丘』に登場する、フランシス、エドガー、リントンの3人は結核により命を落としています。

3人のキャラクターが死に至る様子は、実は不気味なほど、エミリー自身の死と、彼女の兄のブランウェルそして妹のアンの死に際と似ており、まるで小説によって予告されたかのような運命を辿っています。

7:恋愛を超えた関係

ヒースクリフにとって、キャサリンは義理の姉妹であり、二人は最後の別れの瞬間までキスをするなどしていません。また、キャサリンも夫を捨て置いてまで、ヒースクリフの元に行こうとは思ってはいませんでした。

エミリーが描きたかった二人の関係は、恋人同士というより、お互いに依存しあう恋愛を超えたものだったのかもしれません。

8:実在した荒野

エミリーは、生涯のほとんどを兄と姉妹と一緒にイギリスはヨークシャーのハワース村に住んでいました。

父親の牧師館の裏戸を開けるとそこには、荒野が広がっていました。引きこもりがちで、友達も少なかったエミリーは自然を愛し、その荒野にも親しみを感じていたそうです。そして、その荒野を舞台にした小説『嵐が丘』が生まれました。

9:小説のヒットを知らないまま亡くなったエミリー

小説『嵐が丘』が発表された1847年当初、その暴力性と情熱的すぎるキャラクターが登場する作品は、ファンも生みましたが多くの批判も浴びました。

エミリーが結核でその生涯を終えたのは、小説の発表から1年後のことです。なので自身の小説が後世に残る名作になるとは知らないまま亡くなってしまっています。

10:映画制作秘話

1939年に制作された映画版では、俳優のローレンス・オリヴィエがヒースクリフを演じています。

監督のウィリアム・ワイラーは、ローレンスに何度も何度もテイクを重ねることを強いり、ローレンスはそのやり方に怒りを覚えて抗議したことがありました。それに対して、ウィリアムは「いい画を撮るため」と言い放ったそうです。

ローレンスは後に、この時の経験で、映画俳優として鍛えられたと語っています。