2018年12月7日更新

映画『セブン』を緻密に考察 キャラとラストの台詞に隠れた真実とは?

公開から20年以上が経った現在も名作として愛される、デヴィッド・フィンチャー監督の『セブン』。多くの人に衝撃を与えたラストシーンはあまりに有名です。今回は本作に隠された制作側の意図や各シーンに込められた意味など、謎めくトピックスを完全解説・考察します。

『セブン』が歴史に残るサスペンス映画になった理由

7つの大罪を題材に、連続殺人事件とそれを追う刑事たちの姿を描いたサスペンス・スリラー『セブン』。公開から20年以上が経った現在でも、「映画史に残る名作」との呼び声高い作品です。 観客を突き放すようなラストシーンは20年前も現在も観客に衝撃を与え続けており、そのラストが癖になって何度も見返すファンも大変多いとのこと。また、そのラストシーン以外にも多くのシーンに謎が込められており、ファンたちによって様々な考察がされています。 今回はその深みのあるストーリーを紐解きながら、ラストシーンの謎や作品自体のテーマ性を探っていきます。 記事後半では重要なネタバレ情報を含めながら考察を行います。特に本作は未視聴者へのネタバレ厳禁な一作であるため、読み進める場合は注意してください。

考察に入る前に『セブン』制作の裏側を知っておくべき

ニューヨークに辟易したウォーカーによる脚本

本作の脚本を手がけたのはアンドリュー・ケヴィン・ウォーカー。脚本を執筆した当時、彼は映画業界で働く日を夢見ながら、ニューヨークのタワーレコードで働く若者でした。 その時のウォーカーは、ニューヨークで暮らす日々に辟易していました。都市に充満する人々の怒りや、モラルの低下によって人々が日々犯す小さな罪、そしてそれに見て見ぬふりを決め込む腐敗した社会への鬱憤を本作の脚本に込めたのです。 当時を振り返り、「ニューヨークで過ごした過去は嫌いだったが、もしそれがなければ私はおそらくセブンを書いていなかっただろう」とウォーカーは語っています。また、本作の脚本のことを彼は「ニューヨークへのラブレター」としており、フィンチャーによって完成された映画自体にも大変満足しているようです。

当時、フィンチャー監督は完全に落ち込んでいた……

デヴィッド・フィンチャー (ゼータ)
©Vandeville Eric/ABACA/Newscom/Zeta Image

本作でメガホンを取ったのは、デヴィッド・フィンチャー。『ファイト・クラブ』や『ゴーン・ガール』で知られる名監督です。 今でこそ話題作を多数手がけるフィンチャーですが、本作の制作前には映画に対するモチベーションを完全に失っていました。当時制作した『エイリアン3』が酷評されており、「新たに映画を撮るくらいなら、大腸癌で死んだほうがマシだ!」と語るほどだったのです。 そのような状況なので、映画会社から本作の脚本が回ってきたときも、フィンチャーはそれをほとんど読まずに1年間放置していたといいます。ですが、改めて脚本を読んだ際にそのストーリーに衝撃を受け、監督になることを承諾したのです。 本作の制作の際にフィンチャーはウォーカーによる脚本を絶賛したといいます。そしてリスペクトを表してか、フィンチャーは本作を含め、自作品に何度かウォーカーをカメオ出演させています。ちなみに本作ではウォーカーは冒頭の死体に扮しています。 さらにフィンチャーが後に制作した『ファイト・クラブ』では、3人の刑事がそれぞれアンドリュー、ケヴィン、ウォーカーと命名されていたり。

脚本家と監督の鬱屈とした気持ちをぶつけたような本作

セブン
©︎NEW LINE CINEMA

本作が長年にわたり絶賛されているのは、そのストーリーの奥深さやラストシーンの衝撃だけが理由ではありません。その映像のダークなカッコよさもその大きな要因なのです。 1カット1カットが絵になっている本作において、フィンチャーはその映像にも強いこだわりを持っていました。本作の核となっている都市への憎悪を感じさせるように、都市の持つ「汚さ、モラルの低さ」という側面を強調し、観客を憂鬱にさせるような映像を作ろうとしていたのです。 そのためにフィンチャーは、作品を通じて降り続く雨、ごみごみとした通り、騒がしい住人達、のように視覚的に都市の持つ陰鬱さを伝えようとしました。それを手伝ったのが「銀残し」と呼ばれる特殊な現像手法です。銀残しを用いることにより、コントラストが強く沈んだ色合いを出すことが可能になりました。 この映像を制作したのは撮影監督のダリウス・コンジ。本作を手がけたのちも、『マイ・ブルーベリー・ナイツ』や『ミッドナイト・イン・パリ』などの作品でその美しい映像を生み出しました。 そういった映像手法により、本作は視覚的にもアンニュイな雰囲気を伝えるものとなりました。その奥にあったのは、脚本家の社会への鬱憤と、監督の沈んだ気持ちだったのです。

5つの事件に隠された意味を時系列で振り返る

本作の主人公となるのは、血気盛んな若い刑事、デヴィッド・ミルズ(ブラッド・ピット)と、聡明な老刑事、ウィリアム・サマセット(モーガン・フリーマン)の2人です。 この2人が組んで1週間に渡って起きた連続殺人事件を追うこととなった、ある月曜日から物語は始まります。この連続殺人事件は「7つの大罪」を題材としたものでした。

「7つの大罪」とは?

そもそも7つの大罪とは、キリスト教において全ての罪の根源と考えられている7つの罪のことです。「罪源」とも呼ばれていて、犯したことに気づかないからこそ神への冒涜となる、と考えられているのです。 この7つの罪の中でも罪の軽重があり、重い順に、 嫉妬・高慢・怠惰・憤怒・強欲・肉欲・暴食 となっています。 本作ではそれぞれの罪を犯した人たちが、それぞれ象徴的な方法で殺されていきます。それぞれの殺人事件を、時系列順に整理していきましょう。

月曜日:暴食

犠牲者は肥満の男で、スパゲッティの中に顔を埋めて死んでいました。 死因は内臓破裂で、何者かに銃で脅されながら食事を強制されていたことがわかりました。現場に残されたレシートを発見したサマセットは、犯人がこの殺人に並々ならぬ労力を割いていることを見抜き、この事件の異常性に気づきます。 のちにサマセットは現場の冷蔵庫の裏に、脂で書かれた「GLUTTONY(暴食)」の文字と、ミルトンの著作『失楽園』で7つの大罪について書かれた一節の引用を発見しました。ミルズはただの狂人の犯行だ、と片付けようとしましたが、サマセットはこの事件が7つの大罪に基づいていることに気づき、これは連続殺人だと見破るのです。

火曜日:強欲

2人目の犠牲者は悪徳弁護士の男。自宅オフィスで血まみれになって死んでいるのが見つかりました。 死因は大量出血で、死体は贅肉の部分を1ポンド分切り落とされており、状況から、犯人が犠牲者にどこの肉を切るか選ばせていたと推定されました。 現場には犠牲者の血で「GREED(強欲)」と書かれており、7つの大罪に関連したこの事件の動機が「贖罪」なのではないか、とサマセットは考えます。 その後の捜査で、壁に指で書かれた「HELP ME」の文字が発見され、その指紋が前科者のビクターという男のものだとわかりました。

木曜日:怠惰

サマセットとミルズはビクターの家に突入します。しかし、彼は両手首を切られ、舌を噛み切った状態でベッドに縛りつけられていました。現場からは、2人が突入した日の1年前からのビクターが衰弱していく様子を撮影した写真が残されていました。この事件は計画されたものだったのです。 壁には「SLOTH(怠惰)」と書かれており、かろうじて息のあったビクターは病院に運ばれました。

金曜日:犯人との接触

犯人についての手がかりをなんとか手に入れたいサマセットは、ミルズの「犯人は図書館に通っていた」という証言をもとに、図書館の7つの大罪に関する書籍の貸し出しデータから、犯人がジョン・ドウという男であると突き止めました。 ジョンの家を割り出し、2人は突撃します。しかし、ジョンは2人に発砲して逃走し、追いかけたミルズは腕を負傷してしまいます(この時、ミルズ役のピットは実際に腕を骨折したそうです!)。そんなミルズを撃とうとしたジョンでしたが、なぜかミルズを殺さずに姿を消しました。 あと一歩のところで犯人を取り逃がしてしまった2人。その日の夜、ジョンから2人のもとに電話があり、警察への称賛と今後の犯行予定の変更を告げられるのでした。

土曜日:色欲

犠牲者は娼婦で、死因は陰部を切られたことによる大量出血でした。 事件のあまりの恐ろしさに、サマセットは「ハッピーエンドはない」と語ります。なおも狂人による犯行だと思っているミルズに対しサマセットは、犯人も人間なのだ、と語りかけました。

土曜日:高慢

犠牲者は美人モデルで、顔をズタズタに切り裂かれて死んでいました。 遺体は睡眠薬を握っており、自慢の顔をズタズタにされたことに絶望し、警察や病院に通報することもなく自殺したと考えられました。壁には血文字で「PRIDE(高慢)」と書かれていました。 本来この1週間で定年退職するはずだったサマセットでしたが、事件をミルズとともに解決するために退職を延ばします。しかし、その時。ジョンが出頭してきたのです……。 (この時点ではまだ、「嫉妬」「憤怒」に該当する殺人事件は起こってはいません。)

それぞれのキャラクターが持つ意味とは?

老刑事サマセットと脚本家

本作の主人公はミルズだと思われることが多いのですが、監督のフィンチャーと脚本家のウォーカーは「これはサマセットの物語だ」としています。博学なサマセットはこの事件を解決に導くうえで大きな役目を果たし、モーガン・フリーマンの名演もあって大きな存在感を持っています。 そんな彼の人物像を一言で表すなら、「厭世的」という言葉がふさわしいでしょう。定年退職を目前にした彼は、長年の刑事人生で多くの殺人事件を追ってきました。それを通じて、「普通の人間」の持つ悪意を目の当たりにした彼はうんざりしてしまい、人間や社会を倦んだ目線で見るようになったのでした。 ミルズの妻・トレイシーが妊娠をサマセットだけに打ち明け、どうするべきか助言を求めたときにも、彼は「こんな社会に生まれるくらいなら生まれてこないほうが幸せかもしれない」というような、堕胎もひとつの選択肢であるという旨の一言を投げかけました。 サマセットのこのような性格や価値観は、脚本家のウォーカーが当時持っていた、社会に対する鬱屈した気持ちや厭世観が反映されたものだと考えられるでしょう。

純粋な若者として描かれた刑事ミルズ

厭世的な性格のサマセットと対照的な存在が、若い刑事のミルズです。正義感の強い彼は殺人事件を追う刑事に憧れ、サマセットとともに働くこととなりました。 まだ若く熱血的な彼にはトレイシーという妻がおり、彼女と幸福な家庭を築いていました。一方でミルズとの子どもを妊娠したトレイシーは、まだ精神的に幼いミルズが父親になれるのかを心配し、堕胎するかどうかを迷ってサマセットにのみ妊娠を打ち明けるのです。 そのシーンからもわかるように、この作品においてミルズは子どもっぽい性格として描かれています。その性格と彼の持つ幸福な家庭は、7つの殺人が完成し観客を突き放すラストシーンのために重要な伏線となるのです。

衝撃のラストシーン。残りの2つの罪は?【ネタバレ注意】

7つのうち5つの事件が終わった後、なんとジョン・ドウ(ケヴィン・スペイシー)が警察署に出頭するのです。それも、血まみれの姿で。ジョンは残りの2人の犯行を自白することを条件に、自分の指定する場所に一緒に来てほしいと要求します。 2人とともに移動する車の中で、ジョンは自身を「選ばれた者」だと語りますが、サマセットに「人殺しを楽しんでいる」「殉教者とは思えない」と言われてしまいます。 しかし、事件は「罪人に罪を償わせただけ」と語り、普通の人間たちに己の罪に気付かせるためにやったのだ、と主張しました。

3人はとある荒野に到着しました。その荒野に1つの箱が届けられます。サマセットが中身を確認すると、なんとそれは、ミルズの妻・トレイシーの生首だったのです。 怒り狂ったミルズは、ジョンに銃口を向けます。サマセットはそんなミルズを止めようと「殺せばお前の負けだ」と語りかけました。ミルズがジョンを殺すところまでがジョンの計画だったことを、サマセットは見抜いていたのです。 しかし、ミルズは葛藤の末にジョンを撃ちました。撃たれる直前、ジョンは「私はミルズ君の家庭に嫉妬したのだ」と呟きました。 こうして、ジョンが「嫉妬」、ミルズが「憤怒」の残りの罪人となり、7つの殺人が完成したのでした。

「憤怒」とは

物語の終盤、あと一歩のところでジョンを取り逃がしたサマセットは「もし奴が本物の悪魔なら納得するだろう」とミルズに語りました。 ミルズがとらわれた「憤怒」は、キリスト教において魂の中に悪魔を招き入れることで起きる、人間の最も悪い感情のひとつとされています。 ミルズが怒り狂い、ジョンを射殺したのは、すべてジョンの企みでした。そのことによって、ジョンは「殉教者」となるからです。それを見抜いていたサマセットは、せめてジョンの思うつぼにはまるな、とミルズを止めようとします。 ミルズは「連続殺人だけでなく妻まで殺したジョンを許さない」気持ちと、「ジョンを撃っても彼の思い通りになるどころか、妻は帰ってこない」という感情のはざまで葛藤するのでした。

謎に包まれた犯人、ジョン・ドウ

それでは、ジョン・ドウというキャラクターについて考えます。彼は何者だったのでしょうか? 「ジョン・ドウ(John Doe)」とは、名前がわからない場合やはっきりと名乗らない場合に使う名前のことで、日本でいう「名無しの権兵衛」のようなものです。 ちなみに女性の場合は「ジェーン・ドウ(Jane Doe)」という名前がジョン・ドウと同じ役割で使われる場合があります。

ジョン・ドウはただの非情な殺人鬼なのか?

7つの大罪のような世の中の小さな悪を許さずに、それを犯した人たちを次々と殺していくジョン・ドウは、ただの非情な殺人鬼だったのでしょうか? ミルズははじめ、彼のことを狂人だと思っていました。しかし、「普通の人間」の悪意による事件を多数見てきたサマセットは、これは「普通の人間」の犯行だ、とミルズに語りかけます。 また、この連続殺人が7つの大罪に基づいたものだと初めから見抜いていたサマセットは、ジョンの目的が「贖罪」にあったことも見破っていました。神に背く行為である7つの大罪を犯した人たちに制裁を下すことで、ジョンは彼らに罪を償わせようとしていたのでしょう。そこから考えると、ジョンもまた、厭世観を持った人間だったと考えられます。 そんな殺人鬼に「ジョン・ドウ」という名前をつけた意図はなんだったのでしょうか。社会を倦んでいたウォーカーは、誰もが7つの大罪を犯すことがあるという思考から本作を執筆したのでしょうが、その一方で、普通名詞的な名前を持つ恐ろしい殺人鬼は狂人ではなく、社会に生きる誰もが持つ悪意を具現化したものだ、ということだと筆者には思えるのです。

サマセットの最後の引用「戦う価値がある」とはどういうことか?

セブン
©︎NEW LINE CINEMA

本作の最後、罪人として連行されるミルズを見送るサマセットは、ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の一節を引用して呟きます。「ヘミングウェイはこう書いている。『世の中は美しい、戦う価値がある』後半の部分には賛成だ」と。これはどういう意味なのでしょうか? 月曜日から毎日起こる連続殺人事件を追い続ける中で、サマセットとミルズは“この世の中は地獄だ”という考えにたどり着くのです。それを考えると、サマセットがヘミングウェイの一節のうち前半の部分に賛成しなかったのは理にかなっています。 ダンテの「神曲」のように、一週間を通して、地獄のような世の中で起こる事件を追ってきた二人は、ジョンの死とミルズの逮捕で、一度事件からは解放されました。

ジョンを撃ったミルズの姿を見てサマセットは何を思ったのか

ミルズがサマセットの説得に応じなかったのはなぜでしょうか。彼自身も、自分がジョンを撃てばジョンの仕組んだ「贖罪」が完成してしまうこと、そしてジョンを撃っても妻は帰ってこないことはわかっていたはずです。 葛藤の末にミルズがジョンを撃った理由は、怒りに身を任せたからだけではありません。 他の犠牲者たちは7つの大罪を犯しており、ジョンの手でそれを裁かれ、死をもって救済が与えられました。またジョンの死は殉教であり、罪人たちが7つの大罪全てを贖いながら天国に近づいていく、というキリスト教の考え方に則ると、彼は天国に一番近い「嫉妬」の罪を背負ったのです。 しかし、ミルズの妻・トレイシーだけは違いました。確かに身籠った子どもの存在を夫であるミルズに隠していたという罪はありましたが、彼女は贖罪のために亡くなったのではないのです。彼女の死はなんのためだったのか?と、ミルズはあまりにも救われない妻のために引き金を引いたのでしょう。 ジョンの思い通りの行動を取り逮捕されたという点では、ミルズは戦いに負けたといえそうです。しかし、愛する妻のために自らが罪を背負ったという彼の行動は本当に「負け」なのでしょうか? そんな彼が連行される姿を見て、サマセットは「陰惨で救いのない世の中だが、ミルズのように戦うことは決して無為ではない」と思ったのだと考えられます。

最高のバッドエンドこそが映画『セブン』を名作たらしめた

「我々はハッピーエンドの作品を作りたかったわけじゃない」と、フィンチャーは作品の公式インタビューで語っています。フィンチャーに衝撃を与えた脚本に込められた、ウォーカーの抱えていた鬱屈した感情は、バッドエンドでしか見る人たちには届かないからです。 当時のハリウッドでは『羊たちの沈黙』を皮切りにサイコ・スリラー映画が量産され、それらの作品の平凡さにサイコ・スリラー映画の名作はもう現れないのではないか、といわれていました。 そんな中で制作された本作は、一人のキャラクターが狂気的な犯人に追われ続ける他の作品と異なり、深いテーマと芸術性の高い映像とで大きな話題となりました。普通の人間が次第に自制心を失っていく姿を中心的に描いた本作を、フィンチャーはダーク・ホラーとして位置付けています。 本作はその徹底したダークな世界観と救いのないストーリーで、「神なき世界」ともいわれる現代において“私たちは日々、小さな罪を犯しているのではないか?”というメッセージを観客に伝え続け、「ホラー映画史に残る名作」となったのでした。