タップできる目次
- 1:美形の母と博識な父の間に生まれたジョージ・クルーニー
- 2:ジョージ・クルーニーは親戚、先祖までもが有名人
- 3:野球選手を目指していた
- 4:高校時代の闘病体験
- 5:極貧の下積み時代
- 6:タバコ業界で働いていたことを後悔
- 7:自身のプライベートを賭けの対象に
- 8:豪邸はキャッシュで買う主義
- 9:豪華なご近所付き合い
- 10:テキーラをプロデュース
- 11:『スリー・キングス』監督との不仲
- 12:大の犬好き
- 13:ジョージ・クルーニーは豚も好き
- 14:スーダンのダンフール紛争解決を主張
- 15:長いあいだゲイ疑惑があったジョージ・クルーニー
- 16:『シリアナ』撮影中の事故
- 17:メールより手紙派
- 18:事故の後にまた災難が…
- 19:アニメ『サウスパーク』に声優として参加
- 20:ジョージ・クルーニーが演じていたかもしれない役
1:美形の母と博識な父の間に生まれたジョージ・クルーニー
ジョージ・クルーニーは1961年にケンタッキー州で、映画評論家でニュースキャスターでもある父と、かつて美人コンテストの女王だった母のあいだに誕生します。
ジョージのルックスと映画の知識は両親から受け継がれたもののようです。
2:ジョージ・クルーニーは親戚、先祖までもが有名人
ジョージの母方の曾々々々祖母は、エイブラハム・リンカーン大統領の母の妹であることがわかっています。また父方の伯母は世界的に有名な歌手ローズマリー・クルーニーで、その夫は1950年にアカデミー主演男優賞を受賞した俳優のホセ・フェラー。
さらに従兄弟には『アイアンマン3』などに出演している俳優のミゲル・フェラー、グラミー賞受賞歌手のデビー・ブーンがいます。
3:野球選手を目指していた
学生時代はスポーツに打ち込んでいたというジョージ。高校時代の夢は野球選手だったそうです。1977年にシンシナティ・レッズの新人テストを受けますが、一次選考を通過できず諦めたそう。
もしもこの時テストを通過していたら、ハリウッドの歴史はかわっていたかもしれません。
4:高校時代の闘病体験
高校時代にベル麻痺という病気にかかったジョージ・クルーニー。病気は1年ほどで治りましたが、この闘病期間は彼にとって人生でもっともつらく最悪な時期だったそう。
私は馬鹿にされ嘲られたけど、その経験は私を強くしてくれたのです。
とのちに語っています。
5:極貧の下積み時代
大学中退後は靴のセールスマンやタバコのカッティングなどさまざまな仕事をしながら俳優を目指していたジョージ・クルーニー。有名になる前の下積み時代には、お金を浮かせるためにどこへ行くにも自転車を使い、なんと友人の家のクローゼットの中に居候していたようです。
6:タバコ業界で働いていたことを後悔
俳優になる前はタバコ業界で働いていたこともあるジョージ・クルーニー。しかし現在彼はタバコを吸いません。叔父の一人がガンで亡くなったことをきっかけに、タバコ産業に携わっていたことをを後悔するようになったそうです。
7:自身のプライベートを賭けの対象に
1993年にタリア・バルサムと離婚後は、決して再婚も子どもをもつこともないだろうと公言してきたジョージ。
かつて、ジョージとミシェル・ファイファー、ニコール・キッドマンは賭けをしました。彼が40歳になるまでに父親になることに1万ドルを賭けた他の二人は、後に実際にジョージにお金を払ったそうです。さらにジョージは今度は二倍の賭金で、彼が50歳になるまで子どもを持たないかどうか賭けようとしたとか。
8:豪邸はキャッシュで買う主義
ジョージの自宅はロサンゼルスにありますが、それ以外にも4軒の豪華な別荘を持っているようです。その中でもイタリアのコモ湖にある別荘は携帯電話の電波も通じず、プライベートを大切にするセレブリティたちに好まれている場所です。
しかしそんな豪邸も、ジョージはすべてキャッシュで購入したそう。数年後はどうなっているかわからない仕事だからという考えから、ローンは組まない主義のようです。
9:豪華なご近所付き合い
ジョージの自宅はかつて『風と共に去りぬ』のレット・バトラー役で知られる大俳優クラーク・ゲーブルが住んでいた家で、現在も壁のタイルの一部が当時のまま残されているそう。
またメキシコの別荘の隣人である、モデルのシンディ・クロフォード夫妻とは家族ぐるみで近所付き合いをしてるそうです。
10:テキーラをプロデュース
ジョージは、シンディ・クロフォードの夫でもある友人のレストラン経営者ランディ・ガーバーと共にカーサミーゴスというテキーラブランドを立ち上げました。彼らがメキシコの家にいるときに飲みたいお酒を作ったというこの商品は、生産本数が少なく非常に人気のようです。
11:『スリー・キングス』監督との不仲
湾岸戦争を題材にした1999年の社会派映画『スリー・キングス』。
この映画の撮影中に、ジョージは監督のデヴィッド・O・ラッセルと殴り合いのケンカになったと噂されています。それ以来ラッセル監督は、たとえ20万ドルもらったとしてもジョージと一緒に映画は作りたくないと言い張っているとか。
12:大の犬好き
大の犬好きとして知られるジョージ。現在はルイ、アインシュタインという名のコッカスパニエルの雑種犬と、ミリーという名のバセットハウンドを飼っているそうです。どの子もペットシェルターから引き取った元野良犬。かつてはバドとロウという名のブルドッグを飼っていたこともあるそうです。
13:ジョージ・クルーニーは豚も好き
犬好きなジョージですが、実は豚も好き。18年間マックスという名の豚をペットとして飼っていたそうです。
彼はマックスをとても可愛がっていたようで、インタビューに同伴させ、毎晩同じベッドで眠り、さらには一緒にジョン・トラボルタのプライベートジェットで旅行したこともあるそう。
14:スーダンのダンフール紛争解決を主張
ジョージ・クルーニーは以前からスーダンのダンフール紛争の早期解決を主張し、このことをテーマにしたいくつかのドキュメンタリー映画に、出演だけでなく製作としても参加しています。
実際にスーダンに足を運ぶだけでなく、2012年にはワシントンのスーダン大使館前で市民的不服従活動を行い、警察に拘束され罰金を支払いました。
15:長いあいだゲイ疑惑があったジョージ・クルーニー
2014年にアマル・アラムディンと再婚するまで数々の女性と噂になったにもかかわらず、なぜか昔からファンやマスコミの間でゲイ疑惑がささやかれることの多かったジョージ。自身がそのような疑惑をはっきり否定しなかったためとも言われていますが、否定しなかった理由を
ゲイコミュニティにいる友人に対し不公平で不親切な態度をとりたくなかったから。自分の発言を聞いた人々に、ゲイは悪いことのように思ってほしくなかったんだ。
と語っています。
16:『シリアナ』撮影中の事故
2006年公開の映画『シリアナ』。石油利権をめぐる各国の陰謀を描いたこの映画の撮影中の事故で、ジョージ・クルーニーは深刻な脳損傷を負い、その後後遺症にも苦しんだそうです。ちなみにジョージは、製作総指揮も務めたこの映画でアカデミー助演男優賞を受賞しました。
17:メールより手紙派
伯母からもらったフランク・シナトラの写真や、ケネディ大統領が使っていた財布とネクタイなど、古きよき時代のものをコレクションするのが好きだというジョージ。
そのためか「メールより手紙」という強いこだわりを持っているそうです。紙が好きだからという理由で、脚本を書く際も手書きしているとか。
18:事故の後にまた災難が…
2007年9月、ジョージ・クルーニーと当時の交際相手のサラ・ラーソンは不幸にもバイクでの交通事故に見舞われ骨折します。その一ヶ月後、じつに30人以上の病院スタッフが、違法にもかかわらずジョージのカルテや治療データを勝手に盗み見たとして処分されました。
19:アニメ『サウスパーク』に声優として参加
かつてジョージのアカデミー賞授賞式でのスピーチが、風刺アニメ『サウスパーク』のネタにされたことがありましたが、決して怒りませんでした。なぜなら彼は『サウスパーク』の大ファンだから。
実際にジョージ・クルーニーは『サウスパーク』に主人公スタンの飼い犬スパーキー役として、また『サウスパーク無修正映画版』では『ER緊急救命室』をパロディ化した医師の役で声の出演を果たしています。
20:ジョージ・クルーニーが演じていたかもしれない役
1991年公開の『テルマ&ルイーズ』でブラッド・ピットが演じたヒッチハイカー役。若き日のブラッド・ピットを有名にしたこの役のオーデションを、実はジョージも受けていたそうです。
またクエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』のミスター・ブロンド役のオーデションも受けていたそうですが、実際にはその後タランティーノ作品の常連となるマイケル・マドセンが演じました。