渡辺えり、劇作家や演出家としても活躍する女優について紹介

2017年7月6日更新

女優としてだけでなく、演出家としても活躍する渡辺えり。近年はバラエティ番組にも進出し、お茶の間の顔として人気者となった彼女を深く掘り下げます。

渡辺えりのプロフィール

1955年に山形県で生まれた渡辺えりは、高校卒業後に舞台芸術学院、劇団青俳演出部を経て、本格的に演劇活動を開始します。

女優としてのみならず、劇作家、演出家、歌手、エッセイストと幅広く活躍しており、近年はトークバラエティ番組のコメンテーターとしての顔も持ちます。

1978年に「劇団2○○」をもたいまさこらと結成

渡辺えりの演劇の母体となっていたのは、自身が主宰していた「劇団3○○(さんじゅうまる)」。劇団解散後も「渡辺塾」を開き若者たちの指導にあたっています。

「劇団3○○」は元々、1978年に当時舞台芸術学院の仲間だったもたいまさこらと興した「劇団2○○(にじゅうまる)」という名称でしたが、2年後の1980年に「劇団3○○」に改名しています。もたいとは1980年代半ばまで共に活動していました。

『ゲゲゲのげ』で岸田國士戯曲賞受賞

渡辺が最初に脚光を浴びたのは、1983年の公演「ゲゲゲのげ」でした。いじめられっ子のマキオと、彼を助けに現れた鬼太郎をベースに、現実と夢が交差していくという不思議な内容です。

渡辺えり自身のいじめられていた体験が反映されているというこの作品で、見事第27回岸田國士戯曲賞を受賞しました。

1996年に12歳年下の土屋良太と結婚

渡辺えりは、自身が主宰する「劇団3○○」の団員で、12歳年下の土屋良太と1996年に結婚しています。

彼は「劇団3○○」の舞台で活躍し、1997年の劇団解散後はテレビ、映画界にも本格進出。最近ではドラマ『コウノドリ』や『相棒』、映画では『シン・ゴジラ』などに出演しています。

『Shall We ダンス?』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞

平凡な中年サラリーマンが、ひょんなことから社交ダンスを習いはじめたことで、自身のアイデンティティを取り戻していくという、1996年公開の映画『Shall We ダンス?』。

日本アカデミー賞主要6部門ほか数々の映画賞を受賞したこの作品で、渡辺はダンス生の高橋豊子役を演じ、その強烈なキャラクターで、見事日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞しました。

美輪明宏の助言で芸名を変える

渡辺は2007年9月26日に、「渡辺えり子」から「渡辺えり」に改名しています。

そのきっかけは、同じ月に取り組んでいた二人芝居の稽古中に喉の病気を患っていた際に突然、美輪明宏から電話をもらい、唐突に「今のままだと良い事が起きないから、名前を“渡辺えり”に変えたほうがいい」と言われたからだとか。

渡辺の病気のことなど知らないはずなのに、ズバリと言い当てた美輪の言葉に感銘を受け、すぐさま改名に踏み切ったというわけです。

あまちゃんでの海女役で知名度が急上昇

NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』。視聴率が常に20%を突破したこの人気ドラマで、渡辺は今野弥生役を演じました。

ベテラン海女でありながら巨体を生かした圧倒的な歌唱力を持ち、周囲から「北三陸の越路吹雪」の異名を持ちます。そのため、「潮騒のメモリーズ」を結成したアキ(能年玲奈)とユイ(橋本愛)に、徹底したスパルタ教育を施します。

この分かりやすいキャラクターが人気を博し、演じた渡辺の知名度をさらに上昇させることとなりました。

テレビ自粛問題を涙で訴えたことも

2016年に発生した熊本地震の影響でバラエティー番組などの放送自粛が相次いでいたことに関し、渡辺えりはトーク番組で「悲しい気持ちの中で娯楽が支えになっている面もある」と、過度な自粛をしなくてもいいのではと語りました。

その際、過去の震災時に避難所を訪ねた経験から、被災者の心情をおもんばかり涙交じりでコメント。演劇には厳しい面を持ちながら、かたや涙もろい一面も持ち合わせているのです。