1. ケビン・コスナーの家族
ケビン・コスナーの父親は元々、溝堀り作業員をしていました。それから、電気線を扱う仕事についたそうです。父の仕事柄、引っ越しも多かったみたいです。
2. 昼は学業、夜は演劇の勉強
カリフォルニア州立大学に在学して、マーケティングと財政学を勉強していた頃から、ケビン・コスナーは、週に5夜は演劇のレッスンを取り始めていました。
3. スターの家を回る下積み時代
下積み時代に、コスナーはハリウッドでは有名な、芸能人の家をバスで案内するというツアーガイドをしていたこともあります。今では、ケビン・コスナーの家にこのツアーが停まるのではないでしょうか。
4. 大物俳優と偶然...
当時大学時代から付き合っていたシンディ・シルバと結婚したコスナー。
ハネムーンの帰り道にコスナーは、イギリス映画界の代表者の1人ともいわれたリチャード・バートンに出会いました。そこで、売れないケビン・コスナーの相談を聞いたバートンは、もし俳優業を本当に好きなら、諦めるなと励ましてくれたそうです。
5. ちびっこからぐんっと成長したケビン・コスナー
高校卒業時のコスナーは、約157.4cmと男性にしては小柄でしたが、のちに約185.4cmまで伸びました。しかし、本人の意識的には、まだ小さいままなのだそうです。
6. せっかく役をもらうも...
1983年に『再会の時』という映画で、自殺者の役をもらうことになったケビン・コスナーでしたが、彼の顔が映るシーンだけすべてカットされていたそうです。
7. スポーツも出来る!
ケビン・コスナーは大学時代、3つのスポーツ(野球、アメリカンフットボールなど)の大学代表チームに所属するなどほどスポーツが得意で、大好きだったそうです。
8. 実はブッシュ元大統領家とも交流が
ブッシュ元大統領一家とも仲のいいコスナーは、ブッシュ元大統領とリーガン元大統領と何度かゴルフをした経験もあります。
9. ケビン・コスナーは歌手活動もしている
ケビン・コスナー&モダン・ウェストというロックバンドのリードシンガーを務めるコスナー。子供の頃から、音楽に関わってきたようで、音楽は彼の大事なものの一つなのでしょう。
10. 映画『エアフォース・ワン』のオファーを断っていた!
ハリソン・フォード主演の映画『エアフォース・ワン』(1997)はもともとコスナーを主役にしようといわれていた映画でした。しかし、当時コスナーは自らが監督を務める映画『ポストマン』(1997)があったため、オファーを断っていたそうです。
逆に、ハリソン・フォードがオファーを断って、コスナーが役をもらったものには『コーリング』(2002)と『JFK』(1991)などがあります。
11. 戦争映画『プラトーン』への出演を拒んだ理由
1986年に公開されたベトナム戦争を題材にした映画『プラトーン』はアカデミー賞、ゴールデングローブ賞に輝くほどの作品でしたが、コスナーは出演を断っていました。
その理由は、実の兄がベトナム戦争からの帰還者で、その映画に出演することによって、アメリカ兵士、また兄を裏切るような気がしたからだと話しています。
12. 騎乗も出来る!
主演を務めた映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1986)では騎乗する姿も披露しています。
13. 監督デビューもしている
先ほど紹介した映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1986)で、実はコスナーは監督でビューを果たしているのです。しかも、この映画でアカデミー賞、ゴールデングローブ賞を受賞しています。
14. 政治もサポートするケビン・コスナー
90年代には様々な民主党の議員に資金援助をしたかと思えば、共和党へも貢献したりしてきたケビン・コスナー。また、彼はビル・クリントン元大統領、そしてオバマ大統領の選挙レースでも手助けをしてきましたが、自ら政界に乗り出す気はないそうです。
15. 16回もラジー賞にノミネートされている
ラジー賞とは、毎年アカデミー賞発表前夜に、その年「最低」だった映画を表彰しているゴールデンラズベリー賞の省略です。
コスナーはこれまで『ロビン・フッド』(1991)と『ワイアット・アープ』(1994)で最低主演男優賞や『ポストマン』(1997)で最低監督賞、また最低男優賞などで計16回、このゴールデンラズベリー賞にノミネートされていて、先ほど述べた賞は受賞しているそうです。