2017年7月6日更新

笠智衆、多くの名匠のもとで活躍した名俳優を紹介!

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東京物語

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「自然体」の俳優と言われた笠智衆とは?

寅さんシリーズ『男はつらいよ』の御前様として有名な俳優の笠智衆。彼の代表作『東京物語』(1953)は、今なお世界中の映画監督たちに愛されている作品です。なぜ、笠智衆がそんなに名俳優なでしょうか? 日本映画評論家の佐藤忠男は、笠智衆に初めて会った印象を「自然体」で映画のままの存在だったと語っています。自宅から鎌倉駅まで出迎えに来てくれた笠智衆の姿は、手ぬぐいを頰っ被りをして、飄々と人混みから現れて俳優らしからぬ存在に見えたそうです。 今回は、「自然体」に生きた笠智衆の世界的な俳優としての活躍から、家族に関しても映画とともにご紹介いたします。

笠智衆(りゅうちしゅう)のプロフィールと俳優下積み時代

初めて笠智衆の名前がクレジットされた小津作品『落第はしたけれど』

笠智衆は、1904年5月13日に熊本県で生まれます。父の淳心の職業は、浄土真宗本願寺派来照寺の住職。智衆という名前は、住職の父が名付けた本名であり、寺の跡継ぎにさせたかったようです。しかし、笠智衆は、旧制の東洋大学印度哲学科に入学するも、父の思いに反して大学は中退。 やがて松竹蒲田撮影所の俳優研究所第1期研究生に合格して入所します。しかし笠智衆は俳優に成りたかったわけではなく、父の後継ぎ以外ならどのような職業でもよかったようです。 その後は松竹映画の“大部屋俳優”という、エキストラ役や端役の10年以上の長い下積み生活を過ごすことになります。

巨匠小津安二郎監督に認められた笠智衆

笠智衆の才能をいち早く見出した巨匠小津安二郎監督

1928年は、サイレント映画時代の小津安二郎監督作品『若人の夢』と『女房紛失』に端役で出演、1929年は『学生ロマンス 若き日』に端役で出演しています。これらを経て、1930年に、『落第はしたけれど』で初めて笠智衆の名前がスクリーンにクレジットされます。

笠智衆の出世作『一人息子』この作品で小津監督の不可欠な俳優になる

1936年に制作された、小津安二郎監督の初のトーキー映画『一人息子』で大久保先生役を演じた笠智衆は、この作品がきっかけとなり、小津組には必要な俳優としてタッグを組むようになっていきます。 信州の製糸工場で働いていた母の野々宮つね(おつね)は、信頼できる大久保先生の薦めもあり、お金はなくとも田畑を売り払いやっとの思いで一人息子を上京・進学させます。おつねは、年老いてから東京の息子に会いに行きます。しかし大学を卒業して出世していると思っていた息子は、場末の一軒家で妻子と暮らす、夜学の教師にすぎず将来への野心も見失っていました…。 後々、小津安二郎監督が『東京物語』(1957)などで得意とする“親子もの”の原点となる作品。この作品の冒頭には、「人生の悲劇の第一幕は 親子になったことに始まっている ~侏儒の言葉」というテロップがあり、親は子どもに期待し、子どもは親に期待されることに端を発した親子の断絶の模様を描いた傑作と言われています。

大根役者・笠智衆が「日本の父親像」となる

笠智衆は、スター俳優として華々しく銀幕デビューしたのではなく、長年の俳優としての下積み生活からのし上がっていった数少ない俳優です。 また、頑までに熊本弁を直さないという気概を持ち続け、そのことで主演のオファーが無かった事実があります。そのことを大根役者と揶揄する人もいました。本当に彼は大根役者だったのでしょうか。 1953年に、小津安二郎監督の“親子もの”の集大成と言われる『東京物語』で父役の平山周吉を演じます。 老いた夫婦の平山周吉、とみは、尾道から20年ぶりに、息子幸一と娘志げを訪ねて上京。初めのうちは長男幸一の一家と、長女志げの夫婦も歓迎してくれてはいましたが、やがて両親を粗略に扱うようになります。幸一と志げは、義妹紀子に、両親の面倒を見てもらおうと東京観光に送り出します。ついには、老いた周吉ととみの2人を熱海の温泉に行かせて厄介払いをしようとします…。 この作品で笠智衆は、子どもたちからの疎外感や、亡き妻に先立たれていく孤独感を体現しました。これらは印象的で味わい深く、日本人の死生観を克明に見せた作品だと国内外から高い評価を受けました。 代表作の『東京物語』を最高峰に、一環して小津安二郎監督の下で父親を演じていきます。大根役者と呼ばれていましたが、やがて「日本の父親」の象徴となっていきました。 この作品は、海外からも高く評価をされ、10年ごとに英国映画協会『Sight&Sound』が発表する、「映画史上最高の作品ベストテン」の2012年では、「映画批評家が選ぶベストテン」第3位、「映画監督が選ぶベストテン」第1位を獲得。小津安二郎監督への評価はもちろんですが、笠智衆の影響を指摘することはできるでしょう。

世界から愛された『東京物語』と笠智衆へのリスペクト

笠智衆のオーバーアクションではない「自然体」な演技は、多くの海外の監督たちを魅了しています。 1985年に、ヴィム・ヴェンダース監督の『東京画』というドキュメンタリー作品があります。この作品は、小津安二郎監督や『東京物語』にオマージュを捧げた作品ですが、この作品でインタビュー出演を果たしています。 ヴィム・ヴェンダース監督が、俳優としての笠智衆の存在感について語るシーンがあり、彼の主演作品を1日で2本観たある日を、ナレーションとともに、「1人の俳優にあの日ほど尊敬の念を抱いたことはない」と翻訳テロップが入ります。彼が海外からも愛されている証しともいえますね。 他にも笠智衆が演じた父親の哀愁に魅せられた世界的な監督たちがいます。ジュゼッペ・トルナトーレ監督は、『みんな元気』(1990)で、ドーリス・デリエ監督は、『HANAMI』(2008)で、『東京物語』にリスペクトして、笠のように老いた主人公を起用しているのです。 また2013年に日本では山田洋次監督が、『東京物語』を現代版にリメイクした、『東京家族』があります。この作品は内容も小津版にほぼ近い形で再現。小津安二郎監督と同じく松竹所属で監督デビューした山田洋次監督には、先人に対する敬意の念が大きかったのではないでしょうか。
当初、山田洋次監督は笠が演じた父親像のキャスティングには、菅原文太の起用を考えていたそうです。しかし、東日本大震災などの延期によって橋爪功が演じることになりました。 名俳優の笠智衆と橋爪功の父親像を比較してみることで、俳優の演技や存在感を鑑賞することができますね。また、一段と作品の奥深さにふれて感動するのではないでしょうか。

人気の寅さんシリーズ『男はつらいよ』の御前様役としても活躍

笠智衆の存在感を、世間に広く印象付けた作品に、山田洋次監督の寅さんシリ-ズとして有名な『男はつらいよ』があります。 ギネスブックにも公認記録に認定された長寿の人気シリーズ全46作。そのうち笠智衆は45作品に出演。主役の渥美清が演じる車寅次郎という、誰もが笑ってしまう下町のおっちょこちょいな存在を見守っているのが、御前様こと、笠演じる柴又題経寺の住職でした。

山田洋次監督とメインキャストたち、後方に御前様もいます

御前様は、寺の門前の人たちから親しまれる人格者であり、幼いころからの寅さんの良き理解者。団子屋とらやの家族たちも寅さんのトラブルに手を焼くと、御前様に相談しに行きます。それを聞いた御前様は寅さんを叱りつける、という役柄でした。 実生活では、父から寺の後継ぎを嫌がった笠智衆。俳優になって住職を演じたのは決して偶然ではなく、「自然体」で朴訥な人柄は、父から血筋であったといわれています。 生前にはテレビのインタビューで、御前様役について聞かれると「不良でしたが親孝行になった」と語っていました。

巨匠小津監督に大根役者もの申す!

永遠の聖女といわれた女優の原節子ともに、通称「紀子三部作」と呼ばれている『晩春』(1949)『麦秋』(1951)『東京物語』(1953)で共演しています。その『晩春』では、俳優魂を発揮します。 この作品は、父親と娘の物語で、亡き妻の後に先立たれた大学教授の父の身の回りの世話をする娘が婚期を逃しかけています。どうにか娘を結婚させようとするが、娘は父を独りにはしたくないと結婚に乗り気ではありません。父は気骨なまでに寂しさをこらえて娘を嫁に嫁がせようとするのですが…。 ラストショットは、林檎の皮をむきながら父がうなだれてエンディングをむかえます。当初の小津安二郎監督の演技プランでは、笠智衆に「皮をむき終えたら慟哭する」と演技指導を行いました。 しかし泣くことは出来ないと断ります。この役どころから慟哭するのはふさわしくないと判断したのでした。それを聞いた小津安二郎監督も無理にやらせようとはせず、現在のようなショットになったといいます。

名匠監督たちに愛された笠智衆

1990年に、笠智衆は、巨匠黒澤明監督の『夢』に老人役で出演しています。黒澤作品には他にも、『悪い奴ほどよく眠る』(1960)、『赤ひげ』(1965)にも出演したことがあります。 『夢』では、シークエンスの第8話にあたる、108歳の老人役を演じました。美しい村に住んでいた仲間の葬儀行列か、あるいは自分の葬儀行列かは不明ですが、朱色の衣をまとう不思議なキャラクターを演じています。ここでも高潔な人物像を演じ、苦しみを抱えている主人公に、「人間の気取りだよ」と達観している境地を見せています。 この作品は、スティーヴン・スピルバーク監督の協力があって日米合作が実現をしたそうです。配給権はワーナー・ブラザーズが持っているようで、国際俳優としての笠智衆のデビューでもありました。
1968年に、笠智衆は、名匠岡本喜八監督が、あえて自主制作で戦争について描いた名作『肉弾』に、古本屋の主人として出演しています。 米軍の上陸作戦があると思われる前日、外出を許された主人公「あいつ」は、爆撃によって両手を失った古本屋の主人と出会います。その主人から女房との出会いを、「美しい、観音様みたいな女房」と聞かされるシーンがあります。端役での出演にも限らず、この作品での存在感は決して忘れることの出来ない役柄です。 笠智衆は「人間死んじゃいかんよ、死んじゃ」と戦争に行く若者を諭します。ここでも悟りの境地を導く存在を見事に演じています。 この作品の前年には、岡本喜八監督の東宝創立35周年記念作品『日本のいちばん長い日』に出演。そこでは鈴木貫太郎男爵役(内閣総理大臣)を演じています。古本屋の主人から内閣総理大臣まで演じられる俳優は、他にはいないのではないでしょうか。
名匠木下恵介監督作品では、主演作品はないものの脇役では数多くの作品に出演。自らの著書で、「私は小津監督の作品に多く出ている印象を与えるが、本数で言えば木下作品のほうが実は多く出ている」と述べています。 その中でも、1944年に公開された木下恵介監督の『陸軍』では、友助役で出演。この作品では、厳しい軍国主義の父親の役を演じています。病気ばかりしていて真面に働けず、軍を除隊した後は、息子の伸太郎が立派な軍人になることに期待を寄せている役柄です。それでも木下恵介監督が得意とした、抒情的な作風で善良的な庶民として描かれ、笠智衆も熱演しています。

笠智衆の孫は俳優として活躍

衝撃の問題作に笠智衆の孫・笠兼三も出演!

2016年9月30日からTOHOシネマズ新宿他で全国順次ロードショーで公開された、『fuji_jukai.mov』には、笠智衆の実孫の笠兼三も出演しています。 笠の2人の息子たちは俳優業を継ぐことはありませんでしたが、孫の笠兼三は俳優として活躍しています。日本映画学校(現・日本映画大学)を卒業後、東映マネージメントに所属をして活動をしています。 テレビドラマは、『海猿』や大河ドラマ『利家とまつ』などに出演。映画は、『海難1980』(2015)、『暗殺教室〜卒業篇〜』(2016)に出演を果たします。 まだまだ端役が多い笠兼三ですが、祖父の笠智衆が長い下積み時代を重ねて世界的な名俳優になったように、新たな日本の父親像の顔や、高潔で達観した役柄を演じる時が来るかも知れません。今後は孫の笠兼三の活躍にも注目をしていきたいですね。