2017年7月6日更新

リズ・オルトラーニ、『食人族』などイタリア映画の発展に大きく貢献した作曲家に迫る!

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リズ・オルトラーニ

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イタリア映画の発展に大きく貢献した作曲家リズ・オルトラーニ

リズ・オルトラーニ
リズ・オルトラーニは1926年3月25日イタリアのマルケ州ペーザロで生まれました。ペーザロにあるジョアキーノ・ロッシーニ音楽院を卒業後、ローマに移りRAI国立交響楽団に参加しています。 リズ・オルトラーニはすぐにそこで頭角を表し、ジャズ・シンフォニーオーケストラの指揮を任されると瞬く間に有名になりました。自身のオーケストラを作り上げた後、ロサンゼルスに移り有名なナイトクラブ”Ciro’s (チロ)”で演奏し始めます。
リズ・オルトラーニ
1961年にはローマに戻り、1962年にイタリアの映画『世界残酷物語』で映画音楽のキャリアをスタートさせ、アカデミー賞歌曲賞を受賞。その後、数多くの楽曲でいくつもの賞を受賞、ノミネートされています。 2014年1月23日、イタリア、ローマのラツィオ州で気管支炎の為生涯に幕を閉じます。

音楽一家に生まれたリズ・オルトラーニ

リズ・オルトラーニ
音楽一家の元に生まれたオルトラーニは、4歳の頃からヴァイオリンを習い始めます。しかし自動車事故で左肘を痛めてからフルートに切り替えます。地元の音楽院で学び、第二次世界大戦終盤には地元のオーケストラでフルートの第一奏者になっていました。

自身は妻と娘の3人家族

リズィア、カティーナ、リズ
歌手で女優であった妻のカティーナ・ラニエリと結婚したオルトラーニ。娘のリズィア・オルトラーニはココ・シャネルや日産自動車のコマーシャルの制作、『ヴァン・ヘルシング』の衣装スタッフ、『永遠のマリア・カラス』などでスタッフとして参加するなど多岐に渡る活躍をしています。 リズ・オルトラーニには人生の最後まで彼女たちに対して大きな愛がありました。妻のカティーナ・ラニエリと共に人生を生き、音楽でのキャリアは同じ方角を向き、同じものを愛し、音楽への同じ情熱を共有したからこそ強い絆が育まれたのでしょう。

イタリア映画だけではなく、ハリウッドにも進出

リズ・オルトラーニ
クエンティン・タランティーノ監督作品の『イングロリアス・バスターズ』『キル・ビル』『ジャンゴ・繋がれざる者』などハリウッド作品にも音楽提供しています。 映画やドラマに音楽を229曲も提供し、音楽監督や指揮者などではなんと67作品も担当しました。

数多くの作品が受賞、ノミネートされた

リズ・オルトラーニ
オルトラーニは11作品で賞を受賞・18作品がノミネートされています。 1962年、彼の映画音楽のキャリアは『世界残酷物語』のサウンドトラックから始まります。映画のメイン曲である“モア”は妻のカティーナ・ラニエリが歌い、1964年のアカデミー賞歌曲賞にノミネート。グラミー賞のインストゥルメンタル賞を受賞しました。
カティーナ・ラニエリ
イングリッド・バーグマンやレックス・ハリソンが出演した『黄色いロールスロイス』では、ゴールデングローブ賞の歌曲賞を受賞。ワールド・サウンドトラックアワードの栄誉賞なども受賞しています。 アカデミー賞、ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞、銀のリボン賞、ラウレル賞、その他の国際的な賞にノミネート・受賞しています。

音楽の為に基金を設立

リズ・オルトラーニ
妻のカティーナ・ラニエリと共にペーザロ・リズ・オルトラーニ基金を設立し、奨学金やセミナー、コンサート、エキシビションなどを音楽の奨励の為行っています。

指揮者として世界中をまわる

リズ・オルトラーニ・メキシコ
彼の長いキャリアの中で、数々の名誉ある交響楽団で指揮しました。ロンドン、ベルリン、ヒューストン、リオデジャネイロ、メキシコ、ヴェネツィアのフェニーチェ、ローマ歌劇場、トリノのレージョ劇場やモンテカルロ・フィルハーモニー。日本にもツアーで来ています。

思い出深い日本でのツアー

リズ・オラトリー二・日本ツアー4
1982年リズ・オルトラーニは意気揚々とウィーン交響楽団との15日間の日本ツアーを引き受けます。日本では彼の熱狂的なファンがおり、思い出深いものとなったそうです。

イタリアの大統領から賞を授与される

リズ・オルトラーニ
リズ・オルトラーニは、有名なマカロニ・ウェスタンの『怒りの荒野』や『食人族』モンド映画の先駆けである『世界残酷物語』などの多くのイタリア映画に音楽を提供しました。 スカルファロ大統領からイタリア共和国功労勲章コンメンダトーレを、チャンピ大統領より芸術的な偉業を称えられシルバーメダルが授与されました。