映画『時計じかけのオレンジ』のカルト的魅力をネタバレ解説【ゾッとする事実も】
世紀の傑作『時計じかけのオレンジ』を紹介、映画を通して伝わる魅力
『時計じかけのオレンジ』 (A CLOCKWORK ORANGE)は、1972年公開のアメリカ映画。 1962年に発表されたイギリスの作家アンソニー・バージェスの同名小説をスタンリー・キューブリック監督が映画化した作品です。公開当時から過激な暴力描写が賛否両論を呼び起こしました。 この記事ではそんな『時計じかけのオレンジ』について、ネタバレありのあらすじやキャスト・トリビアを紹介し、その魅力を解説します。
あらすじを紹介【結末ネタバレあり】
舞台は近未来のロンドン。15歳の不良少年アレックスは、仲間とともにドラッグに溺れホームレスをリンチするなど、衝動的な暴力行為に明け暮れていました。 ある日、アレックスたちはマスクをして作家夫婦の家に押し入ります。「雨に唄えば」を口ずさみながら暴れ回り、夫の目の前で妻を輪姦するアレックスたち。 彼らの暴力は次第にエスカレートしますが、仲間に裏切られた彼は警察に逮捕されます。 数年後、獄中のアレックスは刑期の短縮と引き替えに、新しい治療法の実験台となることに。そのルドヴィコ療法とは、クリップで瞼を見開いた状態で目薬を点し、ひたすら残虐な映像を見せ続けるという人格改造実験。映像のBGMは、彼のお気に入りだったベートーヴェンの第九番でした。 この実験によりアレックスは、性行為や暴力に対し嫌悪感を覚えて怯えるようになり、また第九番を聴いただけで吐き気を催し気絶するようになります。
アレックスは別人のように大人しい人格となって釈放されますが、囚人を悔い改めさせる教誨師は実験に疑問をつぶやきました。「彼は自分で暴力をやめる決意をしたわけではないのに、これで改心したといえるのだろうか」 出所したアレックスは、両親からは家を追い出され、ホームレスや昔の仲間にひどくいたぶらます。 そして彼が助けを求めた家は、偶然にもかつて襲撃した作家夫婦の家でした。 事件の際はマスクをしていたために、彼がアレックスだと気づかない作家は、家へと招き入れ風呂に入れます。妻はかつて輪姦されたのが原因で自殺し、作家は怪我の後遺症で車椅子になっていました。 ルドヴィコ療法に反対していた作家は、目の前の若者に優しく接していましたが、風呂場から「雨に唄えば」を口ずさむ声が聞こえ、彼がアレックスであることに気づきます。彼を監禁し、大音量で第九番を聴かせる作家。悶え苦しみ、死にもの狂いで逃げ出そうとしたアレックスは、窓から飛び降り気を失います。 病院で目を覚ましたアレックスは元の人格に戻っていました。ルドヴィコ療法の問題点が発覚し失脚を恐れた内務大臣は、アレックスに治療から完治したと振る舞うよう頼みます。アレックスは大音量の第九番を聴き、邪悪な笑みを浮かべたのでした。
原作とラストシーンは異なっていた?
実は原作には、この後を描いた最終章が存在します。 当時のアメリカでは最終章が削除されて発売されており、映画はその小説に基づいて作られてたため、このような違いが生まれました。
再び暴れ回るアレックス。しかし仲間が結婚し子供が生まれたことから、自分も所帯を持って落ち着きたいと考え、自主的に暴力を「卒業」するのです。 そして、今までの自分の暴力行為は誰もが若い頃に通る道であること、自分の子供も同じようなことをするだろう、という彼の独白でエンディングを迎えます。 このシーンの有無で、ストーリーの印象はだいぶ変わりますね。
迫力満点の演技を見せるキャストを紹介
アレックス/マルコム・マクダウェル
1943年イギリス生まれ。映画デビュー作はリンゼイ・アンダーソン監督の『if もしも…』(1968)。その演技を見たキューブリック監督が彼を気に入りアレックス役に抜擢したそうです。 本作でのイメージが強すぎて暴力的な役のオファーばかり来るなど、苦労した経験もあるというマルコム・マクダウェル。しかし最終的には、本作に出演できたことを感謝していると後に述べています。
作家/パトリック・マギー
1924年北アイルランド生まれ。同じくスタンリー・キューブリックの『バリーリンドン』(1975)では、主人公とコンビを組む賭博師を演じました。 ピーター・ブルック監督の『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』(1967)やルチオ・フルチ監督の『ルチオ・フルチの恐怖!黒猫』(1980)などのカルト作品への出演で知られています。1982年8月に亡くなりました。
作家の妻/エイドリアン・コリ
1930年アイルランド生まれ。美しい少女たちの初恋を描いたジャン・ルノアール監督の『河』(1951)やオットー・プレミンジャー監督のサスペンス映画『バニー・レークは行方不明』(1965)などの出演作があります。その他にも多くのテレビドラマシリーズへの出演で活躍しましたが、2016年3月に亡くなりました。
アレックスの父/フィリップ・ストーン
1924年イギリス生まれ。元々は舞台俳優でしたががキューブリックに見いだされ、彼の作品に多く出演しています。『バリーリンドン』(1975)の執事役、『シャイニング』(1980)での妻子を惨殺した前管理人役など。2003年6月に亡くなりました。
『時計じかけのオレンジ』そのタイトルの意味とは
『時計じかけのオレンジ』というタイトルは、一見すると意味のわからない言葉ですよね。 これはロンドンの労働者階級の人々の間で使われていたスラングが元となっており、そのスラングには「時計じかけのオレンジのように奇妙な」といった言い回しがあり、「表面上はまともだが中身はかなり変」という意味となります。 これはルドヴィゴ療法を受けて表面上は正常に見えるものの、実際は暴力や性行為に怯えるようになっていたというアレックスを指しているのです。 また原作者のアンソニー・バージェンスが一時期暮らしていたマレーシアの言葉では、人間を「orang(オラン)」と呼ぶため、タイトルのオレンジが人間のことを指しているとも解釈できます。
なぜカルト的な魅力を放つのか評価を元に考察
現代社会の縮図
観るまでの決心に長い時間かかった映画のひとつ、ようやく鑑賞。そもそもキューブリック作品自体初でした。『オレンジ』は『人間』って意味なんですね。知らなかったです。 暴力にレイプ、欲望の限りを尽くす若者に対して、大人もまた暴力による制裁を、そして政府もまた本当の意味での自由を奪い去る。40年以上前に原作が発刊されたはずですが現代社会の縮図がこの映画には詰め込まれていますね。 更生したアレックスを襲うかつて彼に暴力を振るわれた者たち、まさに「目には目を」です。 更に人間性は結局変わることがないと示す正義の皮を被ったかつての仲間、ラストの姿に納得。 ...削除された章を知らない方はウィキペディアにあるので是非読んでみて欲しいです。まさにだと思いました。 選曲はどれもとても印象的ですね~『雨に唄えば』好きなのにもう昔のようには観れないし聴けないでしょうね...吐くまではしませんがルドヴィコ療法味わった気分だ...
原作は1962年に発売され、映画も1972年に公開された作品。それにも関わらず、『時計じかけのオレンジ』は現代にも通じるメッセージを持っているのです。 たとえ悪を行った人間に報復が訪れても、人間性は変わることのないものとして描かれており、社会が抱える問題を浮き彫りにしています。
人間の根源は悪なのか
皮肉系映画の中で最も好きな映画。 超暴力で頭おかしい非行青年が政府の治療により全く暴力をしない人間に変わる話。 ヴィジュアルばかり評価されがちな映画だけど中身が本当によくできた映画、話が2転3転するせいで観てる側が本当の悪が何かわからなくなる、まるでこっちが洗脳的な治療受けてるみたい。 結局人間はみんな悪の部分をもってるのだと思う、この作品にでてくる人物で悪が描かれなかった人が一人もいない。 相手を傷めつけることを暴力というならば強制的にアレックス(非行青年)から悪を封じようとしていることが既に暴力。悪を封じるために結局悪的手法を使っている矛盾。 目に見える暴力しか悪と呼ばないのだろうか、アレックスが苦しめられていたと知った途端に急に親ぶる両親もやられたらやり返す精神の被害者も、自分の立場が危うくなったら押しもなくあっというまに引き下がって手を裏返す政府もそれで納得しちゃう世の中も全て悪じゃないですか? 結局悪を悪と判断できないことが一番の悪、無自覚なことが一番の悪。 みんな自分に害がなければなんでもいいって人ばかり、自分に影響がなければ世の中なんでもいい、全てに情をもてなんて無理な話だけど、あらゆる残虐な話は時間がたてば全て風化されて結局自分の身に起きない限り感じれないその心が、誰しもがもつ悪だと思う。 いつ見てもぶっ飛ばしてる強烈な新しいものビディーしてるって感じ、本当にすごい。 彼等の全身白のつなぎ風に着てる白シャツとパンツにサスペンダー、黒のボーラーのコスチュームが映画至上最も好きな衣装です。
本作には立場の異なる人々が登場しますが、その全ての人物がなにかしら“悪”の面を見せます。しかし皆無自覚に誰かを傷つけ、自分の安全を保とうとします。 その無自覚さこそが、最も悪だと言えるのではないでしょうか。 この作品を観ていると様々な悪が登場し、なにが悪なのかがわからなくなるような、まるで洗脳されているかのような気分を味わうこととなるでしょう。
人間らしさってなんだろう?
好きか嫌いかで言ったら間違いなく嫌いだ。犯罪を快楽やゲームのように行う狂った青年。まるでスタイリッシュなことのように描かれるレイプシーン。これでもかと繰り出される暴力には嫌悪感を覚える。悪人を善人に矯正する治療法も異様だし、あれ自体も本人の更生のためというより政府による低予算での社会鎮圧プログラムで言わば政府のため。何をとっても不快な内容と描写で満載なのに、なぜか切ないような物哀しさを感じてしまった。矯正されたアレックスは犯罪行為はしなくなったが心を入れ替えたわけではなく、『パブロフの犬』的な条件反射で行為に及ばないだけ。自分の意思で善悪を判断しない人間はもはや人間ではないのではないだろうか。犯罪や悪事を撲滅するためとはいえ、別の意味で非人間的な人間を作り出している。こんなやり方でしか犯罪は抑えられないんだろうかとか、人間らしさって何なんだろうとか、そんな自問自答が頭の中をグルグル駆け巡った。何度も観たい映画ではないけど観てよかったし、こうやって自分なりに考えを巡らせる人間が少なからずいるという時点で、表現者として素晴らしいのだと思う。
本作では犯罪を抑止するために、政府が人間を操作しようとします。そうやって生まれた人間は悪を生理的な反射で拒否するのみで、そこに自らの意思は介在していません。 果たしてそんな人間には、「人間らしさ」がどれだけ残っていると言えるのでしょうか。何を持って人間は人間足り得ているのでしょうか。この映画を観ると、疑問が止まらなくなります。
『時計じかけのオレンジ』に関するゾッとする事実6選
1.撮影中に目を怪我&窒息しかけたマルコム・マクダウェル
まぶたを固定され恐ろしい映像を見せられる場面の撮影では、アレックスを演じたマルコム・マクダウェルはひどい痛みに苦しむことになりました。 目に取り付けられた金具は、患者が横になった状態で使う仕様になっていましたが、キューブリック監督は映像を見せるために座った状態で使いたいと主張。目は麻酔で麻痺させていたため不快感は軽減されましたが、マクダウェルは撮影中に金具で角膜を何度も引っかかれたのでした。 さらにアレックスが警官たちにより水桶のなかに頭を突っ込まれる場面で、実際にマクダウェルがおぼれそうになっていたという説があります。水中で息ができるような器具が仕掛けられていたのですが、その器具がうまく働かなかったというのです。 一方、このシーンは器具の故障による中断はなく、何度も撮り直されたという説も。水中の様子が見えないよう、水はスープなどに使われる牛肉のエキスで濁らせてありました。
2. 殺害の脅迫を受けて、イギリスでの上映を禁止していたキューブリック
暴力的な内容だった『時計じかけのオレンジ』は1970年代にイギリスで強盗や殺人などの模倣犯罪を引き起こし、マスコミはこの映画の上映を中止するよう訴えていました。 最終的にはある事件がきっかけでキューブリック自身が配給元のワーナー・ブラザーズに要求してイギリスの映画館での上映を止めさせたのでした。 『時計じかけのオレンジ』の次に制作していた1976年公開の『バリー・リンドン』の撮影中、アイルランドを訪れていた監督とその家族に対して殺害の脅迫が送りつけられたのです。犯人は映画の中でアレックスと仲間たちがしたのと同じように、ロンドン郊外にある監督の家へ押し入ると告げていました。 キューブリックは1999年に亡くなるまで、イギリスとアイルランドでの『時計じかけのオレンジ』の上映を控えさせることにしたそうです。
3.無断で本作を上映した映画館も
イギリスでの上映が禁止されていたため、英国のファンはこの映画を見たいときには他国(通常はフランス)からビデオを取り寄せなければなりませんでした。 1993年にロンドンの人気映画館スカラ・フィルム・クラブが本作を許可なく上映したため、ワーナー・ブラザーズはこの映画館を提訴して勝利しました。スカラ・フィルム・クラブはあやうく破産に追い込まれそうになったのでした。
4.18歳未満の鑑賞が禁止された『時計じかけのオレンジ』
『時計じかけのオレンジ』はその暴力的な内容から、当時のレーティングで成人映画に指定され、18歳未満の鑑賞は禁止されました。 それにも関わらず、アカデミー賞では作品賞をはじめ4部門にノミネートされています。 成人映画の指定を受けながらも作品賞にノミネートされたのは、1969年公開の『真夜中のカウボーイ』と本作のみとなっています。
5.即興で歌われた「雨に唄えば」
1952年公開のミュージカル映画『雨に唄えば』の表題曲を歌いながら、アレックスは作家とその妻を襲います。 もともと脚本にはなかったのですが、キューブリックはこのシーンの撮影に4日間を費やした中で、あまりにありきたりなものになってしまったことに気づき、マクダウェルにダンスを踊ってみるように指示しました。 シーンを撮り直した際にマクダウェルは踊って、さらに唯一そらで歌うことのできた「雨に唄えば」を歌ったのでした。監督は大変気に入って、すぐにこの曲を映画で使う権利を10,000ドルで買ったそうです。
6.ナッドサット語は英語とロシア語、そしてスラングのミックス
アレックスと仲間たちが話す独特な言葉ナッドサット語は、英語とロシア語とスラングが混ざったもので、原作者のアンソニー・バージェスにより考案されました。 キューブリックはこの言葉を使い過ぎると映画が理解しにくいものになるのではないかと心配していました。原作の小説もわかりにくいという批判を受けていましたが、第二版以降はナッドサット語録が加えられたそうです。
『時計じかけのオレンジ』は先進的なビジュアルと衝撃的なバイオレンス、そして普遍的なメッセージで歴史に名を刻んだ
この記事では『時計じかけのオレンジ』について、あらすじからタイトルの意味、そして魅力を紹介しました。 何十年経っても人々の心を打つ本作には、一言で言い表せないほどのエッセンスが盛り込まれています。一度観た方もあの衝撃を思い出すために、観たことのない方は未体験の感覚を味わうために、是非本作を鑑賞してみてください。