『素晴らしき哉、人生!』の魅力的な裏話・トリビア7選!【幻のエンディングが存在した!?】

2017年12月12日更新

不朽の名作として長年愛されているクリスマス映画『素晴らしき哉、人生!』。アメリカでは毎年クリスマス・シーズンになるとテレビ放映される定番の作品です。今回は数多くのトリビアの中から厳選して、魅力的な裏話などを紹介していきます。

名作『素晴らしき哉、人生!』の裏話&トリビアを紹介!

フランク・キャプラ監督によって1946年に製作された『素晴らしき哉、人生!』は、いまやクリスマスのホリデーシーズンには必ずテレビ放映されている、アメリカ人には非常に馴染みのある作品です。 しかし、実は公開当時は興行収入も批評も惨敗だったとか!なぜ長い年月をかけて、これほどまでに愛される作品となったのかを、興味深いトリビアから探っていきましょう。

『素晴らしき哉、人生!』のあらすじは?

第二次世界大戦後すぐの1945年のクリスマスイブに、八方塞がりに陥った主人公ジョージ・ベイリーは橋の上から身を投げようとしていました。「ジョージを助けて!」という周りの人々からの悲痛な願いを聞き届けた天国の主は、ジョージを助けるために天使見習いのクラレンスを遣わします。 時は1919年のジョージ12歳のころに遡ります。ジョージが住むベドフォード・フォールズは小さな田舎町。世界旅行を夢見る少年だったジョージは、事あるごとに運命のいたずらに翻弄され、町を出ることも叶わず、家業の建築貸付組合を継ぐことに。

そんな中でもその時自分にできる最善を尽くし、町の人々とともに時代の荒波をくぐり抜けていきます。最愛の妻メアリーと4人の子宝にも恵まれ、慎ましくも幸せに暮らしていたジョージですが、町の大物銀行家ポッターに疎まれていたことで最大の窮地に陥ってしまいます。

1.興行的には失敗?オスカーも無冠だった!

『素晴らしき哉、人生!』は、1940年代半ばの製作費としては破格の370万ドルが使われましたが、初動興行収入はわずか330万ドルしか稼げず、当初の興行成績としては惨敗に終わっていました。フランク・キャプラが監督・製作・脚本を務めた作品としては、初めてで唯一の興行的失敗でした。 さらに、1946年度のアカデミー賞では5部門にノミネートされていたにも関わらず、1つも受賞できませんでした。この年は優良な作品が多く、ウィリアム・ワイラー監督の『我等の生涯の最良の年』がアカデミー賞作品賞を受賞しています。ワイラー監督はキャプラ監督とともにリバティ・ピクチャーズを設立した人物で、この製作会社の第1作目が『素晴らしき哉、人生!』でした。

しかし後年キャプラ監督は、この作品が自分の作った映画の中では一番のお気に入りだと語っています。問題児が大統領になったぐらいの不思議な感覚だったようです。 実際この古典的名作の普遍性は時代の変化にも迎合することなく、アメリカがシリアスな現実と向き合い始めた70〜80年代になって見直され始め、今では年末にテレビで見ない年がないくらいのクリスマス映画の定番となりました。

2.複数のエンディングを考えていたフランク・キャプラ

フランク・キャプラ監督は後にカットされたシーンを何通りも撮影していたようで、未公開の貴重なカットがまだ発掘され続けています。いくつもの違うエンディング・シーンが考えられており、キャプラ監督の最初の脚本では、ジョージは跪いて神に祈りを捧げる予定でした。 それは少々大げさで宗教色が強いと感じ、家族や友人たちがジョージのもとへ押し寄せる感動的なシーンへと書き換えたようです。

3.ジェームズ・スチュワートとドナ・リードのキスシーン

ジョージを演じたジェームズ・スチュアートは当時第二次大戦から帰還しハリウッドにもどったばかりで、ドナ・リード演じるメアリーとのファースト・キスのシーンにナーバスになっていたといいます。 女性がいなかった戦場から戻ったばかりで、しかもハリウッドで撮影する久しぶりのキスシーンだったからでしょうか。キャプラ監督が見つめる中、リハーサルなしのワンテイクで撮影したそうです。 キャプラ監督の目論みは上手くいったようですが、あまりに情熱的すぎて、熱い抱擁のシーンは検閲でカットされてしまったということです。

4.原案はクリスマス・カードだった?

1939年にフィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンによって書かれた『The Greatest Gift』という短編が、本作の原案となっています。スターンは当時この作品を出版社に売り込もうとしましたが上手くいかず、自費出版で21ページもあるクリスマス・カードを作って200人の友人に送りました。 これが功を奏し、RKOピクチャーズがケーリー・グラント主演で考えて権利を買い取りました。しかし企画を引き継いだキャプラ監督によって、ジェームズ・スチュアート主演でリライトされたそうです。キャプラ監督はいち早くジェームズ・スチュアートの魅力に目を付け、1938年『我が家の楽園』と1939年『スミス都へ行く』と立て続けに主役に抜擢していました。

5.FBIに目をつけられていた!赤狩り前夜の時代背景

実はこの作品は共産主義的だと、密かにFBIに目をつけられていたといいます。FBIが「映画産業に潜む共産主義者」といった書面を残しています。どうやら、町の大物銀行家ポッターを賤しくいかにも悪役然と描いたことが、人民主義的で共産主義的だということ。 確かに作中では時代を反映し、1929年に起こった世界大恐慌の波が田舎町ベドフォード・フォールズにも到来、銀行やジョージの貸付組合に住民たちがお金を引き出そうと押し寄せるシーンがあります。人道的な支援をするジョージと守銭奴スクルージのごとく民から金をむしり取るポッターの対比は、いわば善悪のわかりやすい構図です。 しかし1946年といえば東西冷戦が勃発する前夜で、ハリウッドでも共産主義者狩りが行われようとしていた時代。FBIがピリピリしていたのも無理のない状況でした。

6.本物のベドフォード・フォールズはどこに?

ニューヨーク州にはベドフォード・フォールズのモデルとなったといわれる町が二つあります。ベドフォード・ヒルズとセネカ・フォールズ、一見二つの町の名前をただ合わせただけのようですが、セネカ・フォールズの方は町を挙げて「わが町が本物のベドフォード・フォールズ」と主張しています! ウェブサイト「リアル・ベドフォード・フォールズ」を制作し、作中のベドフォード・フォールズとの共通点を指摘。映画にちなんだイベントや店もあり、町興しに使っている模様です。 ですが、劇中のベドフォード・フォールズは実際は架空の町。エンシーノにあるRKOのバックロットに建てられ、当時としては最大規模のセットでした。完成に2ヶ月、75もの建物が作られ、20本のオークツリーが植えられたということです。

7.『素晴らしき哉、人生!』の撮影は真夏だった!?

本作の撮影が行われたのは、冬のニューヨークではなくて夏のサンフランシスコ。6〜7月の32度ほどもある夏日に撮影されたそうです。そのため、人工雪が大量に必要でした。一体どのように作ったのでしょうか? 一般的に当時は人工雪として白く塗ったコーンフレークを使用していました。しかしキャプラ監督は音源もライブで録りたいと考え、フレークを踏みながら歩くと会話が聞こえなくる問題に直面。まったく新しい方法を考えました。 それは、水と石鹸泡と消火器に使われる化学泡フォーマイトで作るというもの。送風機で町全体に吹き付け、歩いても音も静かで、足跡も雪のように残ったそうです。この新技術によュて『素晴らしき哉、人生!』は、アカデミー賞で技術賞を受賞しています。