惜しき才能。若くしてこの世を去った名優達のラストショー

2018年5月27日更新

溢れる才能を手にしながらも、若くして亡くなってしまった5人の俳優を特集しました。彼らの短くも輝く一生を、作品と共に振り返ってみませんか。

惜しい命。早生の天才たち

歴史を振り返っても、モーツァルトや最近でもスティーブ・ジョブズがそうでしたが、「天才は夭折する」と言います。映画界にも同じように、若くしてこの世を去った、名優と呼ぶべき俳優たちが多くいます。その理由は多岐にわたっております。 彼らはどのようなキャリアを築き、なぜあまりに早い最期を迎えたのか。その惜しき才能を称えて、代表作・遺作と共に5人の名優をご紹介します。

ヒース・レジャー

幼少の頃から地元の劇団に参加していたヒース・レジャー。17歳になった彼は、俳優としてのチャンスを狙ってシドニーへ飛び出したというエピソードもあるんだとか。しかし、このアグレッシブさがあってこそ、彼は名優となり得たのかもしれません。 本格的な映画デビューとなったのは1997年『ブロックロック』という低予算映画だったものの、わずか2年後の『恋のからさわぎ』で瞬く間にその名を轟かせます。そして2005年『ブロークバック・マウンテン』で26歳という史上9番目の若さでアカデミー賞にノミネートされました。 2008年の『ダークナイト』では、ジョーカーという象徴的な役を見事に演じるだけでなく、それまでにない新たなジョーカー像を打ち立てました。そして同年、急性薬物中毒でこの世を去ったのです。『ダークナイト』の編集中、『Dr.パルナサスの鏡』の撮影中の出来事でした。 『Dr.パルナサス』の撮影は彼の親友だったジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが代役を務めることで無事に完成。 さらに死後に公開された『ダークナイト』で、ヒース・レジャーは故人としてアカデミー賞をはじめとする数々の賞を受賞しました。

ブリタニー・マーフィー

死の真相が謎につつまれていると言われるブリタニー・マーフィー。まずは彼女のキャリアを追ってみましょう。 4歳から歌やダンス、演技を学び子役として活動していた彼女は13歳でハリウッドデビューを果たします。作品は『Drexell’s Class』でした。その後『クルーレス』(1995)、『17歳のカルテ』(1999)、『8 Mile』(2002)といった作品での演技が高く評価されます。 手厳しいことでも有名な映画評論家ロジャー・イーバートも彼女の演技を高く評価したそうです。アニメ作品の声優にも挑戦し、多彩な才能を発揮しました。 ところが2009年、自宅で心肺停止の状態で発見されると、出演予定の作品を多く残して32歳で突然この世を去ります。 彼女の遺作『サムシング ウィキッド(原題)』は死後5年がたった2014年に公開されました。

フィリップ・シーモア・ホフマン

恰幅の良い身体に色白の肌、透き通るような金髪が印象的な俳優フィリップ・シーモア・ホフマン。 映画や舞台で幅広く活躍した彼の最も代表的な作品を選ぶとすれば2006年日本公開の『カポーティ』でしょう。アメリカの小説家トルーマン・カポーティが小説『冷血』を書き上げるまでを描いた本作で、主演を務めました。この作品でアカデミー賞主演男優賞、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞など様々な賞を獲得することになります。 その後も『M:i:lll』(2006)や『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』(2007)『ザ・マスター』(2012)などに出演しノミネートや受賞歴を積み重ねていった彼は2014年にヘロインの過剰摂取で亡くなります。46歳でした。 遺作となった『誰よりも狙われた男』は彼の死と同年に公開されました。

ブラッド・レンフロ

ブラッド・レンフロは子役時代から幅広いジャンルの映画に出演しました。彼は、1994年『依頼人』のマフィアに追われる少年役で映画デビューを果たします。美少年子役として多くのファンを獲得した彼は『ゴールデンボーイ』(1998年)で東京国際映画祭最優秀男優賞を獲得します。 しかしながら、薬物関連で度々逮捕されるだけでなく、窃盗容疑や飲酒運転を起こすなど私生活は問題の多いものでした。2008年に亡くなった原因もヘロインの過剰摂取とされています。 ウィノナ・ライダーやミシェル・ファイファーと共演した『インフォーマーズ セックスと偽りの日々』(2008)が彼の遺作となりました。

リバー・フェニックス

一気にスターダムを駆け上がり唐突にこの世を去った俳優、リバー・フェニックスはまさに早世の天才と呼ぶべき人物かもしれません。 10歳で子役デビューした彼を一躍有名にしたのは『スタンド・バイ・ミー』(1986)でした。その2年後には『旅立ちの時』でアカデミー賞にノミネートもされました。男娼という難しい役に挑戦した1991年の『マイ・プライベート・アイダホ』ではベネチア国際映画祭の男優賞を獲得します。 1993年彼が息を引き取ったのは、ナイトクラブの入り口付近でした。この時彼はまだ23歳。薬物過剰摂取による心不全が死因とされています。反薬物運動も行なっていた彼が薬物で命を落としたことが話題となり、壮絶な生い立ちなども知られるところとなりました。 彼が亡くなったために完成不可能かと思われた『ダーク・ブラッド』は彼の死から20年を経た2014年に公開されました。

名優たちは作品の中に…

名優たちのあまりに早い死が悔やまれる一方、その決して長くない人生で充分すぎるほどの功績を残した事実に驚かされます。 今もこれからも彼らが映画の中で生き続けます。そして私たちの中でも……。