リバー・フェニックス、23歳で早世した天才俳優の軌跡

2017年10月17日更新

端正なルックスと、子役のころから完成されていた素晴らしい演技力は、没後二十年経った現在でも伝説的存在として語り継がれています。今回は、未だ色褪せることのない天才俳優リバー・フェニックスの活躍とエピソードをご紹介させていただきます。

リバー・フェニックスのプロフィール

1970年8月23日、アメリカのオレゴン州マドラスで五人兄弟の長男として誕生したリバー・フェニックス。母親がNBCという全国放送会社に勤めていたことがきっかけで、十歳のときテレビ番組へ初めて出演をすると、その後子役として様々なテレビ番組やCMで活躍をしていき、1985年公開の映画、『エクスプロラーズ』でスクリーンデビューを果たしました。ホアキン・フェニックス、レイン・フェニックス、サマー・フェニックスなど、兄妹も役者などで活躍をしています。

カルト教団に参加していた壮絶な幼少期

ハリウッド・スターとしてスポットライトの真下に立っていたリバー・フェニックスですが、その幼少期は壮絶なものでした。 1972年に両親が「神の子」と呼ばれる宗教団体へ加わったことにより、リバーの人生は大きく狂い始めます。 四歳のときに教団から性的暴力を受け、伝道師となった両親とともにメキシコへと移らされると、そこからさらにプエルトリコへと移住を繰り返すことになります。両親は次第に教祖であるデヴィッド・バーグの歪んだ方針に耐えられなくなり、1977年に一家は無断で「神の子」から離団をします。 それからしばらく仕事にも就かず放浪生活を続けていましたが、リバーが七歳の誕生日を迎えるころにお金も食料も底をつき、アメリカに帰ることもできなくなった一家は、カラカスの宣教師であるカトリック教の神父に助けを求め、アメリカへ帰国する手立てを用意してもらったのです。 1977年に無事帰国を果たしましたが、大工として働いていた父が体を壊し再び収入のなくなってしまった両親は、リバーと妹のレイン・フェニックスを様々なコンテストに出場させたり、路上パフォーマンスをさせて日銭を稼がせていました。

名作『スタンド・バイ・ミー』で注目を集める

壮絶な過去を乗り越え俳優として脚光を浴び始めたリバーですが、彼の名前を全世界に知らしめた作品が不朽の名作でもある『スタンド・バイ・ミー』です。この作品でリバーは、クリストファー・チェンパーズという四人のリーダー的存在である役どころを演じ、彼の完成された演技に観客は否応なく惹き込まれていきました。

その後も『旅立ちの時』『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』『マイ・プライベート・アイダホ』などに出演

十四歳にして名立たる映画俳優の一人となったリバーは、その後も数々の作品に出演をし、さらに注目を集めていきます。 1986年公開の映画『モスキート・コースト』では、ハリソン・フォードの息子役を演じ、ハリソン・フォード主演の『インディ・ジョーンズ』シリーズでは、三作品目となった『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』に出演し、少年時代のインディ・ジョーンズを演じました。 そして、1988年公開の映画『旅立ちの時』ではアカデミー賞やゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされ、『スタンド・バイ・ミー』と並んでリバーの代表作とされている1991年公開の映画『マイ・プライベート・アイダホ』で、ヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞しました。

人気絶頂のなか心不全での死

アメリカン・ドリームを掴みスターダムへとのし上ったリバーですが、1993年10月31日、ジョニー・デップが共同所有しているザ・ヴァイパー・ルームというナイトクラブの入口近くで倒れているのが見つかり、23歳という若さでこの世を去りました。 死因は、コカインやヘロインのオーバードーズによる心不全とされ、早すぎるリバーの死を悲しむ声と同様に、反麻薬活動を行っていた彼が麻薬を使用していたという事実に多くの驚きの声も上がりました。

菜食主義を貫いた生涯

リバーは両親の信条に倣い、ヴィーガニズムと呼ばれる完全菜食主義に基づいた生活を送っていました。また、動物愛護や自然保護のための活動にも取り組んでいたリバーは、当時のガールフレンドで女優のマーサ・プリンプトンとレストランで食事をした際、彼女が注文した料理に入っていたカニを見て泣き出してしまったこともあります。 またデビュー作である『エクスプローラーズ』に出演した際には、リバーのヴィーガニズムを知らなかったスタッフが、動物の皮でできた衣装を用意してしまい、その代替の衣装を用意してもらったという出来事がありました。それ以降、リバーは共演者からヴィーガニズムについて揶揄われるようになります。

リバー・フェニックスの死後の影響

あまりにも早すぎる死を哀しむ声とともに、「反麻薬活動を続けていた彼が薬物を使用するはずがない」とファンの間ではリバーの死へ対する疑惑の声も上がりました。しかし警察当局の公表や、マスコミによる過激な取材などで明らかになったエピソードに、そういった声は次第にバッシングへと変わっていきました。 また、リバーの主演映画である『ダーク・ブラッド』は、撮影途中で彼が亡くなったことにより長い間お蔵入りとなっていましたが、監督であるジョルジュ・シュルイツァーが病気を患い余命宣告を受けたことにより、彼自身の最後の作品として2012年に公開されました。