2017年11月11日更新

リバー・フェニックス、23歳で早世した天才俳優の軌跡

端正なルックスと、子役のころから完成されていた素晴らしい演技力は、没後二十年経った現在でも伝説的存在として語り継がれています。今回は、未だ色褪せることのない天才俳優リバー・フェニックスの活躍とエピソードをご紹介させていただきます。

リバー・フェニックスのプロフィール

1970年8月23日、アメリカのオレゴン州マドラスで五人兄弟の長男として誕生したリバー・フェニックス。母親がNBCという全国放送会社に勤めていたことがきっかけで、十歳のときテレビ番組へ初めて出演をすると、その後子役として様々なテレビ番組やCMで活躍をしていき、1985年公開の映画、『エクスプロラーズ』でスクリーンデビューを果たしました。ホアキン・フェニックス、レイン・フェニックス、サマー・フェニックスなど、兄妹も役者などで活躍をしています。

カルト教団に参加していた壮絶な幼少期

ハリウッド・スターとしてスポットライトの真下に立っていたリバー・フェニックスですが、その幼少期は壮絶なものでした。 1972年に両親が「神の子」と呼ばれる宗教団体へ加わったことにより、リバーの人生は大きく狂い始めます。 四歳のときに教団から性的暴力を受け、伝道師となった両親とともにメキシコへと移らされると、そこからさらにプエルトリコへと移住を繰り返すことになります。両親は次第に教祖であるデヴィッド・バーグの歪んだ方針に耐えられなくなり、1977年に一家は無断で「神の子」から離団をします。 それからしばらく仕事にも就かず放浪生活を続けていましたが、リバーが七歳の誕生日を迎えるころにお金も食料も底をつき、アメリカに帰ることもできなくなった一家は、カラカスの宣教師であるカトリック教の神父に助けを求め、アメリカへ帰国する手立てを用意してもらったのです。 1977年に無事帰国を果たしましたが、大工として働いていた父が体を壊し再び収入のなくなってしまった両親は、リバーと妹のレイン・フェニックスを様々なコンテストに出場させたり、路上パフォーマンスをさせて日銭を稼がせていました。

名作『スタンド・バイ・ミー』で注目を集める

壮絶な過去を乗り越え俳優として脚光を浴び始めたリバーですが、彼の名前を全世界に知らしめた作品が不朽の名作でもある『スタンド・バイ・ミー』です。この作品でリバーは、クリストファー・チェンパーズという四人のリーダー的存在である役どころを演じ、彼の完成された演技に観客は否応なく惹き込まれていきました。

リバー・フェニックスの弟、ホアキン・フェニックス

役者一家として知られるフェニックス家の二男、ホアキン・フェニックス。両親の伝道活動先・プエルトリコで生まれた、4つ違いの弟です。 子役として経歴を重ね、2000年にリドリー・スコット監督作『グラディエーター』の皇帝コモドゥス役に抜擢されます。主役に引けをとらない存在感が高い評価を集め、アカデミー助演男優賞を始めとする数々の映画賞にノミネートされ大きな話題となりました。 その後も、2005年公開『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』、2012年公開『ザ・マスター』と二度のアカデミー主演男優賞にノミネート。実力派俳優として確固たる地位を築いています。

ハリソン・フォード主演の人気シリーズで、インディ・ジョーンズの少年時代を演じる!

ハリソン・フォード主演の人気シリーズ第3作に当たる『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』。 大御所ショーン・コネリーの出演に加え、当時既に人気スターの仲間入りをしていたリバー・フェニックスが若き日のインディを演じ、大きな話題を集めました。 インディと父親のヘンリーがイエス・キリストの聖杯を求め冒険を繰り広げるという今回のストーリー。 本作でリバー・フェニックスは12歳の頃のインディを演じ、トレードマークであるフェルトハットとの出会い、蛇嫌いになった理由等、興味深いエピソードを披露してくれました。

リバー・フェニックスが若き海兵隊員を演じる、青春ラブストーリー『恋のドッグファイト』

代表作の一つ『マイ・プライベート・アイダホ』と同年に公開された青春ラブストーリー『恋のドッグファイト』。 ベトナム戦争出征前夜、「ドッグファイト」に興じる若き海兵隊員と、リバー演じる主人公・エディの恋と青春を描きます。「ドッグファイト」とは、誰が一番ブスな女の子をパーティに連れてこられるかを競うナンパゲームのこと。 冴えない少女・ローズを誘い出すことに無事成功したエディでしたが、いつしか彼女に惹かれ始め……。しだいに近づく戦争の影を感じさせる隠れた名作です。

キアヌ・リーブスと共演の代表作でヴェネツィア国際映画祭主演男優賞を受賞!

14歳にして名立たる映画俳優の一人となったリバーは、その後も数々の作品に出演をし、さらに注目を集めていきます。 1986年公開の映画『モスキート・コースト』では、ハリソン・フォードの息子役を演じました。 そして、1988年公開の映画『旅立ちの時』ではアカデミー賞やゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネート。 そして、『スタンド・バイ・ミー』と並び代表作と評される『マイ・プライベート・アイダホ』は、キアヌ・リーブスとの共演作とあって、公開当時、大きな関心を集めました。 ポートランドの街角に立ち、男娼をして暮らすマイクとスコット。やがてマイクは密かに想いを寄せるスコットと連れ立ち、幼い頃捨てられた母親を探す旅に出るのです。 売春、同性愛、ドラッグというセンセーショナルなテーマのためか、エージェントから強い反対を受けながらほぼノーギャラで本作への出演を決意。儚くも純粋な主人公マイクを見事に演じ切り、ヴェネツィア国際映画祭主演男優賞に輝きました。

リバー・フェニックスの最期に居合わせた俳優ジョニー・デップ

1993年10月31日、リバー・フェニックスはヘロインとコカインの過剰摂取による心不全のため、23歳の若さでこの世を去りました。 リバーが最後の時を迎えた場所、それがジョニー・デップが共同経営するナイトクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」だったのです。俳優兼ミュージシャンでもあるジョニー・デップは、当時、所属していたバンド「P」のギタリストとしてステージで演奏中であったといいます。 オーバードーズしたリバーは朦朧とした状態で店の入り口付近に倒れ込み、そのまま帰らぬ人となったのです。

人気絶頂のなか心不全での死

アメリカン・ドリームを掴みスターダムへとのし上ったリバーですが、1993年10月31日、ジョニー・デップが共同所有しているザ・ヴァイパー・ルームというナイトクラブの入口近くで倒れているのが見つかり、23歳という若さでこの世を去りました。 死因は、コカインやヘロインのオーバードーズによる心不全とされ、早すぎるリバーの死を悲しむ声と同様に、反麻薬活動を行っていた彼が麻薬を使用していたという事実に多くの驚きの声も上がりました。

菜食主義を貫いた生涯

リバーは両親の信条に倣い、ヴィーガニズムと呼ばれる完全菜食主義に基づいた生活を送っていました。また、動物愛護や自然保護のための活動にも取り組んでいたリバーは、当時のガールフレンドで女優のマーサ・プリンプトンとレストランで食事をした際、彼女が注文した料理に入っていたカニを見て泣き出してしまったこともあります。 またデビュー作である『エクスプローラーズ』に出演した際には、リバーのヴィーガニズムを知らなかったスタッフが、動物の皮でできた衣装を用意してしまい、その代替の衣装を用意してもらったという出来事がありました。それ以降、リバーは共演者からヴィーガニズムについて揶揄われるようになります。

もしも、リバー・フェニックスが生きていたら……。同じ年に生まれた有名ハリウッドスター

マット・デイモン
WENN.com

1970年生まれのリバー・フェニックス。23歳の若さで早世してしまいましたが、もしも生きていたら……。同じ年のハリウッドスターにはどんな顔ぶれがいるのでしょう? まず、最初に挙げられるのが『ジェイソン・ボーン』のマット・デイモン。『グッド・ウィル・ハンティング』でアカデミー脚本賞受賞という脚本家としての顔も持つ才能豊かな人物です。 他にも、「キル・ビル」シリーズのユマ・サーマン、2014年公開の『6才のボクが、大人になるまで。』で2度目のアカデミー助演男優賞にノミネートされたイーサン・ホーク等錚々たる顔ぶれが揃っています。

リバー・フェニックスの死後の影響

あまりにも早すぎる死を哀しむ声とともに、「反麻薬活動を続けていた彼が薬物を使用するはずがない」とファンの間ではリバーの死へ対する疑惑の声も上がりました。しかし警察当局の公表や、マスコミによる過激な取材などで明らかになったエピソードに、そういった声は次第にバッシングへと変わっていきました。 また、リバーの主演映画である『ダーク・ブラッド』は、撮影途中で彼が亡くなったことにより長い間お蔵入りとなっていましたが、監督であるジョルジュ・シュルイツァーが病気を患い余命宣告を受けたことにより、彼自身の最後の作品として2012年に公開されました。