2018年5月5日更新

【Netflixオリジナル映画】『軽い男じゃないのよ』に笑って考えさせられる

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面白くて考えさせられるNetflixオリジナル映画『軽い男じゃないのよ』

Netflixフランス製作のオリジナル映画『軽い男じゃないのよ』は男女の立場が逆転した世界で、軽薄な男性が現代社会で女性が置かれている立場を体験する様子を描いたラブコメディ作品。 性役割が逆転した世界を舞台にした本作は、多少のデフォルメはあるものの、女性が見れば共感、男性が見れば戦慄すること間違いなしの良作です。そこに描かれている現代の性差別とはどのようなものなのでしょうか。 男女の立場を逆転させることで現代社会の実態を軽快に描き、話題になっている『軽い男じゃないのよ』。そのキャストやスタッフ、あらすじ、見どころをご紹介します。 ネタバレと捉えられる可能性のある記述がありますので、ご注意ください。

『軽い男じゃないのよ』のあらすじ

(写真下『軽い男じゃないのよ』)

女と見れば口説きまくる無神経な独身男ダミアン。そんな彼は、ある日頭を打って気を失ってしまいます。意識が戻り、なにかがおかしいと感じたダミアンでしたが、いつも通り仕事に行くことに。しかし、オフィスは女性ばかり。突然上司になった同僚の女性にいつもと変わらない態度で接した彼は、すぐにクビになってしまいます。 友人のクリストファーのもとに行くと、妊娠中の彼の妻が産気づきそのまま病院へ。妻の出産後、すぐに育児休暇に入らなければいけなくなったクリストファーは、急いで仕事の代理を探すことに。そこで白羽の矢が立ったのがダミアンがでした。 クリストファーの代わりに美人作家の助手になり浮かれるダミアンでしたが、そこで彼を待っていたのは女性上位社会での男性に対する性差別だったのです。

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魅力ある登場人物たちを演じる『軽い男じゃないのよ』のキャスト

ダミアン役/ヴァンサン・エルバス

男女が逆転した世界に行ってしまうダミアンを演じているのは、『マダム・マロリーと魔法のスパイス』(2014)などに出演しているヴァンサン・エルバスです。 フランスで数多くの映画やテレビシリーズに出演しているエルバスは、『三銃士 妖婦ミレディの陰謀』(2005)や『フランス特殊部隊 GIGN ~エールフランス8969便ハイジャック事件~』(2010)などで主演を務めました。 エルバス演じるダミアンは、女性上位の社会に身を置いて初めて、自分がいままでしてきたことで相手がどんな気持ちになるのかを思い知ります。

アレクサンドラ役/マリー=ソフィー・フェルダン

ダミアンが助手を務めることになる作家アレクサンドラを演じるマリー=ソフィー・フェルダンは、フランスでテレビシリーズを中心に活躍しています。 アレクサンドラはダミアンがもともといた世界では作家であるクリストファーの助手でしたが、別の世界ではその立場が逆転し、彼女が作家でクリストファーが助手になっています。ダミアンは、アレクサンドラの助手になりますが、彼女はもとの世界でのダミアンのような女性でした。 そんなアレクサンドラは、男性の権利を主張するダミアンを小説のネタにしようとします。

クリストファー役/ピエール・ベネジット

ダミアンの友人クリストファーを演じるピエール・ベネジットは、2014年の映画『La vie pure (原題)』など、数多くの映画やテレビシリーズに出演しています。 もとの世界で作家だったクリストファーは、別世界ではアレクサンドラの助手として働き、家では家事や育児に追われています。“男らしくない”ため女性にモテないダミアンに、身体のお手入れや服装の指南をしてくれます。

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『軽い男じゃないのよ』のスタッフをご紹介

本作の脚本・監督を務めているのは、フランスで女優、脚本家、映画監督として活躍しているエレノール・プリアです。 1995年ごろから女優として映像作品に出演し始めたプリアは、2001年の『Les acteurs anonymes(原題)』で脚本家デビュー。2010年には短編映画『Majorité opprimée (原題)』で監督デビューを果たしました。本作は、プリアにとって監督2作目です。 共同脚本を務めるアリアン・フェートは、2007年の『Pars vite et reviens tard (原題)』で脚本家としてデビューし、『Ma bonne étoile (原題)』(2012)や『Orage (原題)』(2015)などの作品で知られるようになりました。

いろいろ気を使う“魅力的”になるためにすべきこと

ダミアンが迷い込んでしまった男女が逆転した世界。そこでは、男性たちが女性に選ばれるためにアピールしなくてはいけません。 彼らは一体どんな努力をしているのか見てみましょう。

異性に気に入られる服装を

気を失った翌朝目を覚まし、仕事に行こうとしたダミアンはクローゼットの中身がいつもとちがうことに気がつきます。トップスは柄物やピンクのものばかり。普通のジーンズはなく、長い丈のものはおしりに「HOT(いい男)」と書かれたスエットのみ。 クリストファーの家に行くと、彼の息子は太ももまで露出したショートパンツを履いて学校へ。女性の目を引くために、露出度の高い服装は必須です。 また、補正下着でおなかを平らに見せたり、盛り上がった魅力的なヒップを演出するためにバッド入りの下着を履くことも。

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脱毛にネイルにスキンケア……お手入れは欠かせない!

ダミアンはいい雰囲気になった女性に服を脱がされた際、胸毛を処理していなかったことから逃げられてしまいます。クリストファーに相談すると、モテたいならお手入れは必須とのこと。彼に協力してもらい、胸、脇の下、脚、手や足の指、Vラインなどを脱毛し、ネイルもきれいに整えマニキュアを塗りました。 別のシーンでは、クリストファーが目の下にパックをしています。

相手の浮気や性欲に振り回されても我慢

クリストファーは自分が家事や育児に追われている間、妻が浮気をしていることに気がつきました。ダミアンの父に話を聞いてもらうと「女は性欲が強いから」と人知れず苦労してきたことを聞かされます。 相手の浮気も身勝手なセックスも、我慢してあげなければいけません。

男女が逆転した世界で男性はどんな扱いを受けるのか

仕事は補佐的なものばかり

ダミアンはもともとアプリを開発する会社に勤めていましたが、「男性なのだから、あまりがんばらなくていい」と言われてしまいます。また、同僚の男性がお茶汲みをしているのを目にし、なぜそんなことをさせるのかと女性の上司に問いただします。 それが原因でクビになってしまった彼は、アレクサンドラの助手をすることになるのですが、その仕事もコーヒーを煎れる、シャツにアイロンをかけるなど、彼女に言いつけられた雑用をこなすだけでした。

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家事や育児はすべてお任せ

ダミアンの友人クリストファーは、妻が出産した後すぐに育児休暇をとり、家事と育児をひとりでしなければいけなくなります。外出時もベビーカーを押して、常に子供と一緒。妻はすぐに仕事に復帰しました。 また、アレクサンドラの助手となったダミアンも、シャツにアイロンをかけるように言われた際に動画でやり方を確認していると「アイロンをかけたこともないのか」と言われてしまいます。

やたらと性的な目で見られる

もとの世界にいたとき、ダミアンは女性に見境なく声をかけていました。別世界に移った彼は、街ですれ違う女性たちから同じように声をかけられるように。 女性の上司には性的な要求に答えればクビにしないと言われたり、アレクサンドラや彼女の仕事関係者には、セクシーな服装をしていないことをからかわれたりします。

真面目な話をまともに取り合ってもらえない

男女が逆転した世界で生まれて初めて性差別にさらされたダミアンは、男性の権利を主張するようになります。それは、もとの世界で彼が当たり前に持っていた自分の好きなように振る舞う権利ですが、それを聞いたアレクサンドラは、また始まったとばかりに彼の話を聞こうとしません。 また、ダミアンはクリストファーとともに「男性団体」に登録し、デモなどに参加するようになります。しかし、女性から煙たがられるのはもちろん、同じ男性にも理解を示してもらえない現実を目の当たりにしました。

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男女を入れ替えると違和感が……こんなことも性差別

上半身裸でも平気!?

日本ではあまり見かけませんが、フランスを含む海外では上半身裸で外をランニングする男性も少なくないようです。この光景は、男女が逆転するとかなり衝撃があります。しかし日本でも、家の中では女性がいても下着だけで過ごす男性も少なくないのではないでしょうか。 これが女性だったら、と考えるとどうでしょう。女性本人が恥ずかしいと思う気持ちも、実は社会に植え付けられたものであることがわかります。

セクシーな広告看板が街中に

本作の世界では、パリの街にセクシーな男性モデルが使われた広告があふれています。それらの広告は、売りたい商品の内容とはあまり関係のない場合も。 その光景には違和感を覚えるかもしれませんが、私たちの住む世界ではセクシーな女性モデルが使われた広告は全く珍しくありません。

『軽い男じゃないのよ』をきっかけに自分の世界を見直してみては?

男女の社会的な立場を逆転させることで、現在の社会の状況をわかりやすく見せた『軽い男じゃないのよ』。かなりデフォルメはあるものの、男性も女性も身に覚えのあるシーンがきっとあるでしょう。 本作では美容に興味がなく、露出度の低いファッションで、家事も苦手なダミアンは「男らしくない」とされてしまいます。こうして見ると、「男らしさ」や「女らしさ」という言葉にはなんの意味もないことがわかりますね。 また、女性たち自身が特に疑問を抱かずに受け入れている「女性特有のもの」と思われている特性も、社会によって内面化されたものであることに気付かされます。 ラブコメディとしても秀逸な本作で、楽しくジェンダーについて考えてみてはいかがでしょう。