2019年3月18日更新

映画『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』で描かれた大切な学びを、もう一度想い出そう

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雨の日は会えない、晴れた日は君を想う

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『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』が教えてくれた大切なこと

生きることは"思い出す"ことである

生きることは"思い出す"ことである。 2017年公開の映画『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』は、私にそんな真理を教えてくれた作品でした。なにも大げさなことを言うつもりはありませんが、「人間は何のために生きているのか」という、実にアンパンマン的な疑問に、ひとつの答えを示してくれたように感じられたのです。 なぜそう感じたのでしょう?その秘密を考えてみました。

突然妻を亡くしたのに涙一つこぼせない男がすべてをぶっ壊す映画

さて、『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』とはなんともポエミーで不思議なタイトルですが、実のところ本作は、分解、破壊の意味を持つ「Demolition」という言葉を原題としています。 そして文字通り、この映画の大部分は分解や破壊です。突然妻を失ってしまったのに涙ひとつこぼせずにいた男が、「この人、なんか怖いよ!おかしいよ!」と思うくらいにすべてをぶっ壊すストーリーになっています。そうすることで、あまりにも周囲に無関心な自分さえも分解していく姿が描かれているんです。 これだけ見ると、ワケがわかりませんよね。ですがこのワケのわからなさの中に、とてつもなくシンプルな真理が紛れ込んでいます。

思い出すことは"言葉にする"ことである

生きることが思い出すことであるなら、思い出すことはなにか?それは”言葉にすること”です。そのヒントは、主人公が最初に起こす行動にありました。 主人公デイヴィスは妻が亡くなってすぐに、病院内の自販機でM&M'sのチョコレートを買おうとするのですが、なぜかチョコレートは引っかかって、お金だけ取られて出てこない……。それに妙に腹が立った彼は帰宅するとすぐさま筆を取り、自販機の管理会社にクレームの手紙を出します。 私が思うに、この「手紙を書く」という行為は「思い出すこと」と同じです。伝えたいこと、話したいこと、なにがあったかなと思い出さなければ、誰かに何かを伝える言葉を書くことはできませんから。だから、思い出すことは言葉にすることと同じなのです。

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分解の末に走り始めた感情が向かうエンディング

手紙を書くことで思い出し始めたデイヴィスは分解と破壊に向かい、そしてある一瞬にやっと、心のどこかに置いてあった感情が走り始め、表面化します。そしてデイヴィスの声でナレーションが入るエンディングへ向かう。 そこで彼は"Warmest Regards."という言葉で締めくくります。このとき流れている曲のタイトルも、実は"Warmest Regards"で、前へ進もうともがく人の心を歌う、素晴らしいメロディーと歌詞で彩られた(わたくし個人にとって)史上稀に見る、いや聴くほどの名曲! "Warmest Regards"というのは手紙の最後によく付け加えられる言葉で、「心を込めて」という意味があります。 つまりこの映画は、デイヴィスからの手紙でもあるんです。彼が思い出した、感情の手紙の映画なんです。事実、破壊の中で彼はちゃんと思い出します。妻の存在を。この不思議な邦題の意味も、そこでちゃんとわかります。 それはぜひその目で観て、感じてみてください。

生きることは”思い出す”ことである

私たちはいつだって、嬉しいことも悲しいことも言葉にして、思い出して噛みしめるじゃないですか。そうすることで前を向いて生きていけるものなんです。簡単なことばかりではないけれど、思い出すことこそが原動力になる。 心が亡くなったと書く、忙しない毎日を過ごし続けていると、昨日のことを思い出すことさえ、まともにできなくなっていきます。この映画の主人公デイヴィスはまさにそんな人で、思い出すことを忘れた人なのです。 だからこそ、この作品は観ている私たちに大切なことを思い出させてくれます。「生きることは思い出すことだよ」と。 良い作品も悪い作品も、たくさんあります。しかし果たしてその中に、自分を作り上げてくれるほどの作品がいくつあるのかなんて、さっぱりわかりませんよね。忙しない現代社会を生きる私たちが、それでもなお、様々な作品に触れたくなるのはなぜでしょう? それはおそらく、なにかを思い出すためではないでしょうか。私たちは作品を通じて、明日への原動力を探しているのです。