2018年9月10日更新

「トキワ荘」って知ってる?伝説のアパートと住んでいた漫画家たちを紹介

日本の漫画界を切り開いた伝説的漫画家たちが共同生活を送っていた「トキワ荘」を知っていますか?才能あふれる若き新人漫画家たちが青春の日々を過ごした「トキワ荘」についてまとめました。

伝説の漫画家たちが暮らしていた!「トキワ荘」って?

手塚治虫や藤子不二雄などの、日本の漫画界を代表する漫画家たちが下積み時代暮らしていた「トキワ荘」をご存知ですか?東京都の豊島区南長崎に存在し、現在でいうところの、西武池袋線の椎名町駅と東長崎駅のちょうど間に位置する木造、風呂なし、共同トイレのアパートに、後に漫画界を担うことになる天才たちが同時期に暮らしていたのです。 漫画ファンなら放ってはおけない、気になる「トキワ荘」に暮らしていた、主な漫画家たちとその経歴や代表作についてご紹介します。

漫画の神様が「トキワ荘」に住んでいた?手塚治虫

トキワ荘にいちばん最初に入居した漫画家が手塚治虫です。 手塚治虫は、大学の医学部在学中に漫画家としての活動を始め、手がけた作品のどれもがにわかに注目を集めます。元は医師を目指し漫画は副業であるという考えの手塚でしたが、人気と評判を得て、また周囲の後押しもあったため、漫画家としての活動に専念することを心に決めました。 連載作品も増えた手塚は上京し、トキワ荘に入居します。この当時『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝レオ』などの子ども向けの作品を中心に手がけていた手塚でしたが、徐々にそれらと並行して、シリアスでダークな展開を見せる重厚な大人向け漫画の連載も始めていきます。 トキワ荘退去後は、1961年に念願のアニメーション制作に携わります。「虫プロダクション」を設立し、『鉄腕アトム』や『リボンの騎士』などのテレビアニメを数多く制作し、当時のテレビアニメの未来を開きました。

手塚治虫の代表作:『ブラック・ジャック』

多作で知られる手塚治虫。人気作品の多くはアニメ化され、実写化もされています。代表作のたくさんある手塚治虫ですが、自身も医学部を卒業し医師免許も取得している彼ならではの表現が光る『ブラック・ジャック』は圧巻です。 天才的な手術の腕を持つ孤高の外科医ブラック・ジャック。彼は無免許の闇医者で、手術を依頼してきた患者に法外な治療費を請求する黒い噂のある謎の医師でした。 これまで子ども向けのヒーロー漫画やファンタジー作品を多く手がけていた手塚の新しい挑戦ともなったシリアスで重厚な医学ドラマが楽しめる今作。後に劇場版アニメやテレビアニメも多数制作され、何度となく実写化もされています。

子ども向け漫画の国民的名作多数!藤子・F・不二雄

藤子・F・不二雄は、安孫子素雄との合同ペンネーム藤子不二雄として漫画家デビューします。後に安孫子とはコンビを解消し、本名である藤本の頭文字を名前に入れ、藤子・F・不二雄と改名しました。 『ドラえもん』や『パーマン』などの子ども向け漫画の名作を数多く生み出し、その作品の多くがアニメ化されています。 藤本は少年時代から手塚治虫作品に触れ、手塚のようになりたいと憧れ続けていました。手塚が、トキワ荘を退去する際に自分が使っていた部屋と机を譲り、安孫子と藤本は漫画家としての活動をスタートさせたのです。 最初は、藤子不二雄として完全な共作が多かったものの、藤本は子ども向け作品にこだわり、その姿勢を貫きました。藤本が手がけた子ども向け作品は、その多くがアニメ化され、劇場アニメ化されたものもたくさんあります。 トキワ荘で知り合った鈴木伸一らとスタジオ・ゼロを設立し、以後、続々漫画作品をアニメ化していき、数々のヒット作や社会現象、一大ブームとなった国民的アニメを多数生み出しました。

藤子・F・不二雄の代表作:『ドラえもん』

子ども向けのSF作品を数多く残した藤子・F・不二雄の代表作と言えば、やっぱりドラえもんでしょう。22世紀からやってきたネコ型ロボットで、どら焼きが大好物、そしてなぜかネコなのに耳がなく青い体というドラえもん。 いつも失敗ばかりでドジでのろまな「のび太くん」の家の押し入れに住み、毎度せがまれては、自慢の道具を出して彼を助けています。 『ドラえもん』は、テレビアニメだけでなく劇場版アニメも多数制作されており、1980年公開の『ドラえもん のび太の恐竜』に始まり、2018年には、最新作の『ドラえもん のび太の宝島』が公開されました。

大人向け人気作品も多数手がけた、藤子不二雄A

同郷の友人であった藤本と共に上京してきた安孫子は、トキワ荘の以前手塚治虫が住んでいた部屋に入居し、漫画家としての活動をスタートさせます。安孫子と藤本は、2人の共同のペンネーム「藤子不二雄」と改名し、徐々に連載を数本も抱える人気漫画家となっていきました。 初期は2人の完全な共同作である作品がほとんどでしたが、徐々にそれぞれのカラーを強く打ち出した単独作を手がけるようになりました。トキワ荘には1961年まで入居しており、その後は1963年から鈴木伸一らとアニメ制作会社のスタジオ・ゼロを設立します。 スタジオ・ゼロ制作で多数の漫画作品がアニメ化される中、さらに作品のジャンルの幅は広がって行きました。ブラックユーモアを取り入れた作品やダークな展開が特徴の大人を対象とした作品も手がけるようになり、単独での作品が増えるようになります。 1988年に藤子不二雄はコンビを解消し、ペンネームを藤子不二雄Aと改めました。

藤子不二雄Aの代表作:『笑ウせぇるすまん』

ホラーやブラックユーモアにあふれた作風が特徴的な藤子不二雄A。不気味な風貌の謎のセールスマン・喪黒福造の恐怖のセールスを描く『笑ウせぇるすまん』は、これまでに何度もアニメ化、実写化もされた大人気作品です。 『笑ウせぇるすまん』は、最初は『黒イせぇるすまん』というタイトルで読み切り作品として登場しました。その後連載がスタートし、20年後の1989年にアニメ化、タイトルが現在の『笑ウせぇるすまん』となります。 2017年には、『笑ウせぇるすまんNEW』として連続テレビアニメとして蘇り、再び多大と注目を集めました。

ギャグ漫画のレジェンド!赤塚不二夫

石森章太郎と同時期にトキワ荘に入居した赤塚不二夫は、なかなか仕事やヒット作に恵まれず、苦しい時代が続いていました。トキワ荘に入居していた時代は、主に少女向けの貸本漫画を描いており、石森や水野などの同じ入居者たちと、積極的に合作を発表しています。 ギャグ路線で読み切り漫画を発表するようになると、徐々に評判を集めるようになり、連載がスタート、一躍人気漫画家となりました。トキワ荘退去後は、さらに多くの人気連載を抱える身となり、1965年には、漫画制作会社のフジオ・プロダクションを設立するまでになります。 その後も『もーれつア太郎』や『天才バカボン』などの多数の連載作品をもち、その人気作品の多くがテレビアニメ化されています。

赤塚不二夫の代表作:『天才バカボン』

魅力的なギャグ漫画を多数発表してきた赤塚不二夫のいちばんの人気作・代表作と言えば『天才バカボン』でしょう。ハチマキ姿にステテコ、それに腹には腹巻というスタイルが定番のバカボンのパパ。作者の赤塚不二夫も雑誌の取材や撮影などで、よく同じ格好を披露していました。 『天才バカボン』は、1967年に雑誌に掲載されて後、長年に渡って連載され、アニメ化も5度されている国民的作品です。2018年には、舞台設定を現代に変更した『深夜!天才バカボン』が連続テレビアニメとして放送されています。

ヒーロー漫画と言えばこの人!石ノ森章太郎

石ノ森章太郎は、高校時代から雑誌『漫画少年』に投稿を始め、投稿作品に手塚治虫が注目したため、アシスタントとして本格的に漫画制作に携わるようになります。その後、漫画家としてデビューした石ノ森は上京し、手塚が以前住んでいたトキワ荘に入居することになりました。 トキワ荘入居後は多数の連載を抱えるなど、石ノ森の仕事は順調に増えていきます。3歳年上の同じトキワ荘の入居者・赤塚不二夫とは仲がよく、合作で作品を制作することもありました。 鈴木伸一が中心となって設立した、アニメ制作・漫画制作のスタジオ・ゼロにも参加し運営にも関わるようになります。1968年には、自身の作品を管理する「石森プロ」を設立、輝かしい成功を収めていきます。 1970年ごろ、テレビドラマとして特撮ヒーロー番組『仮面ライダー』が企画され、石ノ森は漫画化を担当することになりました。以後、「仮面ライダー」シリーズとして長年に渡って放送され続け、2018年現在『仮面ライダー ジオウ」が放送されています。

石森章太郎の代表作:『サイボーグ009』

数多くのSFヒーロー作品を生み出してきた石ノ森章太郎。彼の代表作の『サイボーグ009』は、1964年に連載が開始され、掲載雑誌が変わりながらも長きに渡って連載されてきた作品でしたが、1998年の彼の死により、未完の状態となっています。 謎の組織「ブラック・ゴースト」によってサイボーグへと改造されてしまった主人公のジョー。ブラック・ゴーストは、すでに8人もの人間を改造しており、サイボーグの力を利用して世界を支配しようと目論んでいたのです。 壮大なスケールで描かれるSFヒーロ漫画『サイボーグ009』は、これまでに何度かアニメ化もされ、テレビアニメ、劇場版共に3作品が存在します。

トキワ荘の紅一点!水野英子

トキワ荘で暮らした漫画家のうち、ただ一人女性であった水野英子は、中学生時代から雑誌『漫画少年』に投稿を続けており、作品が手塚治虫の評価を得ため、後に少女漫画家としてデビューすることになります。 デビューから数年は地元で連載を続けていましたが、石ノ森章太郎と赤塚不二夫の3人と合作を行うことになり、それがきっかけで上京、トキワ荘に入居するこことになりました。 その後数多くの連載作品を持つようになり、1981年にはかつて『りぼん』で連載されていた、代表作の『ハニー・ハニーのすてきな冒険』がアニメ化されています。

水野英子の代表作:『ハニー・ハニーのすてきな冒険』

ドラマティックでロマンティックな作風の少女漫画を多数発表してきた水野英子。彼女の初めてのアニメ化作品となった『ハニー・ハニーのすてきな冒険』は、1968年から連載が始められました。 わがままで傲慢な性格で知られるフローレル王女は、ある宝石をとても大切にしていました。それは「アマゾンのほほえみ」と呼ばれるものでしたが、ある日猫のリリーがそれを飲み込んでしまいました。リリーは、両親のいないレストランで働く少女の飼い猫でした。 その日から少女は世界中を逃げながら冒険を続けなくてはならなくなり……。

あの有名キャラクターはこの人がモデル?鈴木伸一

鈴木伸一は、中学校卒業後に上京し、トキワ荘に入居後は漫画を描く傍らアニメーターとしても活躍を始めます。 自身が中心となってトキワ荘の住人であった藤子不二雄らと共に、アニメ制作会社のスタジオ・ゼロを設立、さまざまな漫画作品をアニメ化してきました。 『オバケのQ太郎』などの藤子不二雄作品には、鈴木によく似たキャラクターが登場します。メガネがトレードマークでいつもラーメンばかり食べている「小池さん」は鈴木がモデル。実際にトキワ荘でもよくラーメンを食べていたそうです。 スタジオ・ゼロ設立後は、『パーマン』や『怪物くん』などの作品のアニメ化に携わり、作画監督や演出を担当しました。 テレビアニメだけでなく、劇場版アニメやアニメ制作に関する著書も数多く手がけています。

鈴木伸一の代表作:スタジオ・ゼロ在籍の漫画家作品を続々アニメ化

最初は漫画作品も手がけていた鈴木伸一でしたが、スタジオ・ゼロ設立後はアニメ制作に専念します。スタジオ・ゼロの在籍の漫画家たちの作品を次々にアニメ化していきます。 『オバケのQ太郎』には、伸一という名前の少年が登場しますが、これは作者の藤子不二雄によると、鈴木の名前を借りたのだそうです。また、鈴木がモデルになっている「小池さん」も頻繁に登場しますので、鈴木伸一を知る上では、いちばんに観ておきたい作品です。

「トキワ荘」の最年長者でリーダー的存在!寺田ヒロオ

寺田ヒロオがトキワ荘に入居したのは22才の時で、以後各部屋に次々と将来有望な若手漫画家たちが入居してきました。寺田はトキワ荘の中でのリーダー的存在となり、後輩たちに慕われていました。 藤子不二雄や赤塚不二夫らトキワ荘メンバーで「新漫画党」と呼ばれるグループを結成し、その総裁として活動していました。1955年ごろから週刊漫画雑誌の連載数多く持つようになり、少年向けのスポーツ漫画を多数発表しています。 トキワ荘の入居者の漫画家たちのデビューのきっかけともなった雑誌『漫画少年』の軌跡が収められた『漫画少年史』を出版し、漫画協会の選考委員特別賞を受賞しました。

寺田ヒロオの代表作:『暗闇五段』

不幸な事故が原因で、視力と記憶を失ってしまった柔道家の主人公・倉見が諦めることなく柔道の道を進み続ける姿を描く『暗闇五段』は、後に実写化もされた、寺田ヒロオの代表作です。 柔道の才能を危ぶんだライバルによって突き落とされ、倉見はそれが原因で失明してしまったのですが、実写ドラマでは、こちらの設定は火事によるケガに変更されました。この実写ドラマ『くらやみ五段』は、千葉真一主演で1965年に放送されています。

ギャグ漫画から学習漫画へ!よこたとくお

中学時代から新聞に作品を投稿していたよこたとくおは、漫画家を目指すため上京、その後は働きながら漫画を描き投稿を続ける生活を送ります。同じ雑誌に投稿していたことがきっかけで赤塚不二夫と親しくなり、その後トキワ荘に入居することになりました。 徐々に漫画雑誌にギャグ漫画の連載を開始するようになり、その後は多数の雑誌に連載を持つ人気漫画家となります。トキワ荘の入居者であった石ノ森章太郎の仕事を手伝うこともあり、学習漫画の作画を担当したことをきっかけに、作品の傾向を大きく変えました。 その後は、学習漫画を多く手掛けることになったよこたとくお。キュリー夫人などの偉人の伝記や、日本史などの有名作品を多数残しています。

よこたとくおの代表作:「学習漫画」と言えばよこたとくお

理科や社会、または歴史などを漫画で分かりやすく描いた「学習漫画」を子どものころよく読んだ、という方は多いのではないでしょうか。 よこたとくおは、歴史上の偉人の伝記を漫画で描いた「学研まんが伝記シリーズ」や、日本の歴史や化学について描かれる「ひみつ」シリーズなど、学研の学習漫画を数多く手がけました。日本の学習漫画界の中心となる第一人者です。

「トキワ荘」と暮らした漫画家たちを描いた作品

これまでトキワ荘を題材にした作品は多数発表されてきました。実際に当時を過ごしていた漫画家たちが自伝的に漫画作品やエッセイで取り上げたり、テレビドラマとして放送されたりしています。 1996年には、本木雅弘主演で映画『トキワ荘の青春』が公開されました。本木が演じるのは、トキワ荘のリーダー的存在であった寺田ヒロオ。彼が中心となって「新漫画党」が結成されたところから、この映画のストーリーは始まります。 トキワ荘に住んでいた漫画家たちは皆将来有望な才能あふれる人物ばかりでしたが、皆一様に成功への道を進んでいったわけではありません。石ノ森章太郎のように最年少者であるのに早くに成功を掴んだものがいるかと思えば、赤塚不二夫のようになかなか仕事が軌道に乗らないものもいました。 そんな彼らのトキワ荘での苦楽を寺田ヒロオを主人公に描いたのがこの作品です。漫画ファンならすとも一度は観ておきたい1本です。

現在の「トキワ荘」は?

2018年現在、トキワ荘はどうなっているのでしょうか。 トキワ荘は1982年に一度新築されましたが、その後取り壊され、所在していた場所には日本加除出版の社屋が建てられました。 トキワ荘自体がなくなってしまってからもさまざまな事業やプロジェクトが現在進行形で進められています。2012年からは記念のモニュメントが建てられ、2020年には関係資料などの展示のために跡地にトキワ荘が復元されるのだとか。 また、トキワ荘の名残を感じたいと訪れた人のために、豊島区南長崎には「トキワ荘通り お休み処」という施設が開設されています。 かつてトキワ荘に住んでいた漫画家たちの作品が閲覧でき、当時の部屋の様子が再現されているなど、トキワ荘の魅力を堪能できる施設となっています。 2018年現在も、トキワ荘は漫画を愛する人、漫画家を目指す人に大きな影響を与え続けています。

プロジェクトとして「トキワ荘」の伝説は続く

2018年現在は、さまざまな関連事業が進められているトキワ荘ですが、その中のひとつにその名も「トキワ荘プロジェクト」というものがあります。 これは、将来漫画家を目指す若者のために、出版社やプロ漫画家が協力してサポート・育成を行うプロジェクトのことで、同じ目標を持ったものが共同生活できる物件を提供しています。都内を中心に物件が多数あり、漫画家を目指す若者の協力な後押しとなってくれます。 かつて「トキワ荘」が若い才能の育成の場となったように、これからもその伝説がプロジェクトとして続いていくことはとてもうれしいことですね。