映画『凶悪』ネタバレあらすじ&考察!実話のモデル「上申書殺人事件」やキャストを徹底解説
映画『凶悪』あらすじ【ネタバレなし】
東京拘置所に収監中の死刑囚の須藤から、スクープ雑誌「明潮24」の編集部にある一通の手紙が届きます。それをきっかけに、同雑誌記者の藤井は須藤と面会することに。 そこで須藤から聞かされたのは、未だ警察にも明らかになっていない須藤の余罪と、「先生」と呼ばれ3件の殺人事件の首謀者であるとされる男・木村の存在でした。 木村の真実を告発することで彼を追い詰めたいと願う須藤の告白を受け、藤井は木村に関しての取材を開始。当初は半信半疑だった藤井ですが、取材を進めるにつれて取り憑かれたように事件の真相究明にのめりこんでいきます。
映画『凶悪』全編ネタバレ解説!衝撃の実話の結末は
第一の殺人 (石岡市焼却事件が題材)

須藤が告発した、木村が関与・首謀したとされる事件は3件あります。 1つ目は、金銭トラブルを巡って犯した殺人事件。被害者の首を絞めて殺したあと遺体の処理に困った木村は、須藤に協力を要請しました。そして土建業者の森田にも連絡し、森田の会社の焼却炉で遺体を焼却したのです。さらに須藤の証言によると、木村はこの事件の後多額の金を手に入れたようです。 一方、森田は事故で植物状態になってしまいました。
第二の殺人 (北茨城市生き埋め事件が題材)

2件目の殺人は、資産家男性の生き埋め殺人。 被害者を拉致したのち木村の所有地に運び、そこに掘った穴に被害者を生き埋めにしたとされています。土地は木村名義となり、その後売却された。被害者男性の身元は特定されましたが、男性が身寄りのない人物でありDNA鑑定が困難であったことと、被害者の遺体が何らかの形で移動されたため木村の土地から遺体が見つからなかったことで、事件は謎を深めていきました。 なお、この事件でも木村は多額の財産を得ることに成功しています。 実際の事件でも、「先生」の所有の土地から遺体は見つからず、捜査は困難を極めました。また、この点に関しては、「先生」が証拠隠滅のために死体を掘り起こして別の場所に埋め直したという情報も残されているといわれています。
第三の殺人 (日立市ウォッカ事件が題材)

3件目の殺人として木村が画策したのは、多額の借金を背負う電機屋の主人・牛場をターゲットにした保険金殺人です。 借金のせいで家族からも煙たがられていた牛場は木村と自分の家族に騙され、軟禁状態にされ大量の酒を飲まされ続けます。持病を患っていた牛場は壮絶な苦しみを味わい、さらには木村に悪戯のごとくスタンガンを当てられるなどの虐待を受け、ついには死亡しました。 そして牛場の遺体は行き倒れと見せかけるために林に捨てられ、結果牛場の家族は億単位の保険金を得るが、そのほとんどは木村たちによって山分けにされました。 映画では、被害者男性は短時間で死に至っていますが、実際は約1カ月に渡って軟禁され、その間酒を与えられ続けて体調を悪化した末に死亡しています。また、実際は被害者を庭にある鳥小屋に閉じ込めるなどしていましたが、映画ではこのシーンは描かれておらず、強制飲酒とスタンガンでの虐待にとどまっています。
映画『凶悪』は実話がモデル?「上申書殺人事件」とは
映画『凶悪』の原作小説『凶悪―ある死刑囚の告発』はノンフィクション小説であり、その題材となったのは、茨城県で実際に起こった事件です。 通称「上申書殺人事件」と呼ばれているこの事件は、死刑判決を受け服役中だった元暴力団組員の被告人が、過去に自分が関与した2件の殺人事件と1件の死体遺棄事件の上申書を提出したことで発覚したもの。 本当の事件の首謀者の不動産ブローカーの男は「先生」と呼ばれ、被告から慕われていたため事件の真実は明るみに出ていませんでしたが、先生に世話を頼んだはずの被告の舎弟が自殺し、彼の財産が先生によって処分されたことをきっかけに、被告は告発を決意したとされています。 なお、「上申書殺人事件」は、先生が首謀したある3つの事件、「石岡市焼却事件」「北茨城市生き埋め事件」「日立市ウォッカ事件」で構成されており、それぞれが映画内でも描かれています。
映画『凶悪』キャストを一覧で解説!
藤井修一 役/山田孝之

藤井修一はスクープ雑誌『明潮24』の記者です。死刑囚・須藤から事件の告発を受け、当初は半信半疑ながらも、取材をつづけるうちに没頭し、裏社会の深淵を覗くことになります。モデルになったのは、『新潮45』(新潮社・2018年休刊)編集部の宮本太一です。 演じたのは朝ドラ「ちゅらさん」シリーズでブレイクした山田孝之。その後、『電車男』(2005年)をはじめ、「闇金ウシジマくん」シリーズ、Netflixオリジナルシリーズ『全裸監督』(2019年、2021年)など、幅広い作品への出演で知られています。
須藤純次 役/ピエール瀧

元暴力団組長で死刑囚の須藤純次。藤井と面会した彼は、起訴された以外の3件の余罪と「先生」という人物の存在を明かします。 演じるのは音楽グループ「電気グルーヴ」のメンバーで、俳優としても数多くの作品で活躍するピエール瀧。「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズや映画『アウトレイジ 最終章』(2017年)、Netflixオリジナルシリーズ『地面師たち』(2024年)などに出演しています。
先生・木村孝雄役/リリー・フランキー

多くの殺人事件の首謀者だった「先生」こと木村孝雄。職業は不動産ブローカーで、須藤が知るだけでも3件の事件に関与していました。 木村を演じたのは、俳優のほか、文筆家、イラストレーターなど、マルチに活躍するリリー・フランキーです。『そして、父になる』(2013年)や『万引き家族』(2018年)をはじめ、是枝裕和作品に数多く出演しているほか、2024年の『コットンテール』では主演を務めています。
【考察①】「先生」の人間性とは

原作本および映画内で「先生」(木村)は、息をするように淀みなく嘘を吐き、また良心の呵責や罪悪感が皆無なうえに虐待行為や多大な苦痛を伴う方法で殺人を行うことから、いわゆるサイコパスと呼ばれる種類の人間であることがわかります。 しかし原作と映画を比べたとき、リリー・フランキー演じる映画版の木村は、牛場が拷問で苦しむ姿を見て大声を挙げて高笑いをするなど、非常に感情豊かであることが窺えます。 サイコパスの特性のひとつに、他者の感情や状態に対して無関心であることが挙げられます。何に対しても感情移入がなく、心に波風を立てず表情にもわかりやすい変化がない人間。彼らはいかなる状況が目の前で繰り広げられたとしても、見た目にはほとんどわからないほど無反応なリアクションを取る場合が多いとされているのです。 その点を踏まえると映画版の「先生」は、サイコパス性よりも殺害方法の残虐性などにフォーカスが当てられており、金への執着を感じさせながらも人を痛めつけることで快感を得る、欲深いサディスト的な人物として描かれているといえるでしょう。
【考察②】人間の闇をどう描くかがテーマ
普通の人間にも闇は存在する

本作でテーマとなっているのは、すべての人が抱える人間の闇の部分です。 残忍な殺害計画を首謀し実行した木村や須藤のしたことは悪そのものであり、それは人間の闇から生まれた感情が目に見える形で昇華されたことであることは間違いありませんが、その事件を追う記者の藤井にも確実に闇は存在しています。 藤井を異常なまでに事件へのめりこませていたのは、記者としての真実解明のための正義感ではありません。正義感を盾に存在する、木村や須藤たちによる残虐な行為への好奇心です。それが藤井の心を支配し、記者という肩書のもとに機能して彼を事件取材へ導いたのです。
罪の告白は償いだったのか

また本作で注目すべきなのは、須藤が持つ凶悪性です。 彼は木村を追い詰めたいという思いを理由に、木村のしてきたことを藤井に告発し、その結果事件が明るみに出て木村逮捕へと繋がったが、須藤が目指していた本当のゴールはおそらく木村の逮捕ではないのでしょう。自分だけが知る他者の罪と事件の真相を誰かに話すことで、自分の心の平穏を得ることでだったと考えられます。 ただ話したかっただけ、共有したかっただけ……。そんな感覚のもとに、誰かに悩みを打ち明けたことがある人は、決して少なくはないでしょう。本作で須藤が行った告発にも、それと似た要素を感じ取れます。 須藤は告発後、身体の中を渦巻いていた秘密から解き放たれ、拘置所で穏やかな生活を送っていました。彼は自分の罪を無関係の他人に打ち明けることで、抱えきれなくなった闇を光の中で紛らわせようとしただけだったのです。 藤井は須藤にとって、真実を暴くヒーローや救世主などではなく、自分の感情のはけ口となる都合の良い人物であり、いわばただのサンドバックのような存在でしかありませんでした。 しかし、そのような行動を取りかねない思考を私たちは誰もが持っており、その身勝手さこそが最も身近でありふれた凶悪なのです。
【考察③】現代社会が病んでいるからこそリアルに響く?

藤井の懸命な取材とスクープ記事がなければ事件の真相解明が叶わなかったように、暗闇の中に埋もれた悪が数多く現代社会には存在します。また、本作でも多く取り上げられていたように、保険金を目当てにした家族ぐるみの殺人も後を絶たちません。保険制度の見直しや、警察の捜査精度の向上などが長年叫ばれ続ける一方、その改善の兆しは未だ見られないのが現状です。 現代社会の闇は、すなわち人間ひとりひとりの闇の集合体です。しかし闇は規模が大きくなればなるほどその実態が不鮮明になるように、誰もが現代社会の闇の中に立たされている、あるいは闇を構成する一端を担っていることに気が付かないこともしばしばあります。そんな実感のなさがさらに無垢な闇を生み出し、やがて光と面積が逆転することでその立場も覆す恐怖をも秘めているのです。 また、価値観がそれぞれあるように、明確な悪の基準も存在しません。 本作で多く描かれているような殺人や犯罪はもちろん罪であり、罰せられるべき重大な罪ですが、その周りを漂うたくさんの裁ききれない罪があることも事実です。どこからが悪となり得るのか、完璧な悪への変貌を食い止める方法はあるのか、本当の裁きとはなにか。そんな課題が本作を通じて見えてきます。
【考察④】現代人にとってリアリティのある恐怖映画

現実とは信じがたいほど凶悪な事件が、この世には数多く存在しています。 映画『凶悪』の題材ともなった「上申書殺人事件」もそのひとつ。またその残虐性とこの事件が暴かれるまでに数年の時が経っていることと、警察ではなく雑誌記者が真相を解明したことから、人間に内在する闇の深さとそれに対処できない現代社会の脆さを感じざるを得ません。 私たちが生きる世界では、さまざまな人間が存在しています。SNSの普及により、個人の経歴や情報全般が公になりやすくなったという事実もありますが、他人の素性を100パーセント知ることは絶対にできないのです。むしろ、さまざまな憶測や軽率な思い込みに踊らされ、真実が霞んでしまうこともしばしばあるでしょう。 隣人の顔を知らずに暮らすことも珍しくないこの世の中では、他人を信頼することは容易ではありません。また、ある人にとっての平凡な日常が流れる部屋のとなりで、また別の誰かによる残虐な殺人が行われていたとしても、それは全く不思議なことではないのです。
“凶悪”な事件はすぐ近くで起こっているかもしれない……
本記事では、映画『凶悪』と、「上申書殺人事件」から見えてくる人間と現代社会の闇の深さについて考察してきました。 ノンフィクション小説を原作としている本作ですが、とても現実とは思えないような“凶悪”な事件が私たちの隣で起こっているかもしれないと思うと、恐怖を感じずにはいられません。
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