【ネタバレ考察】映画『死刑にいたる病』の灯里は犯人から逃げた子?ラストの意味を徹底解説
櫛木理宇の同名小説を、『凶悪』(2013年)や「孤狼の血」シリーズなどで知られる白石和彌監督が映画化した『死刑にいたる病』。 この記事では、阿部サダヲの怪演が話題を呼んだ本作の重要な要素をネタバレありで考察。タイトル「死刑にいたる病」とは果たしてなにを意味しているのか? ※この記事には『死刑にいたる病』の結末までのネタバレが含まれます。 ※ciatr以外の外部サイトでこの記事を開くと、画像や表などが表示されないことがあります。
映画『死刑にいたる病』のあらすじ・作品概要【ネタバレなし】
公開年 | 2022年5月6日 |
---|---|
メインキャスト | 阿部サダヲ, 岡田 健史(現・水上恒司), 岩田剛典, 中山美穂, 宮崎優 |
監督 | 白石和彌 |
原作 | 櫛木理宇 |
鬱屈した日々を送る大学生・筧井雅也(岡田健史)は、あるとき榛村大和(阿部サダヲ)という男から手紙を受け取ります。榛村は24人の殺害容疑で死刑を求刑されている連続殺人犯でした。その後、拘置所で榛村に会った雅也は「立件されているうち1件の犯人は自分ではない」「冤罪なので容疑を晴らしてほしい」と頼まれます。 調査を始めた雅也でしたが、そこには思いもかけない残酷な事件の真相が隠されていました。
【ネタバレ】『死刑にいたる病』事件の真相
結論から言うと、雅也に調査を依頼した根津かおる殺人事件も、榛村(はいむら)の犯行でした。ほかの被害者たちが高校生だったのに対し、根津かおるは26歳と年齢が高く、殺害方法も違っていましたが、それもすべて榛村が仕組んだこと。 根津かおるはかつて榛村のターゲットにされながら、逃げ出すことに成功します。しかしその時のトラウマのせいで潔癖症や偏食になっていました。一方、もう1人の「元獲物」である金山一輝は、あるとき榛村に呼び出され、自分の代わりに根津かおるを殺すよう“決めさせられた”と思い込まされ、罪悪感に苦しんでいました。 榛村は雅也にも自分が父親だと思い込むように仕向けたりと、人をコントロールする遊びを楽しんでいたのです。
【起】榛村(はいむら)から届いた手紙
受験に失敗し、三流大学に通いながら鬱屈した日々を過ごしていた大学生の筧井雅也。そんなあるとき祖母が亡くなり、その喪中に彼は1通の手紙を受け取ります。それは、24人の殺害容疑で死刑を求刑されている連続殺人犯・榛村大和からでした。 榛村の手紙には、頼みがあるので1度会いに来てほしいとありました。拘置所に会いに行ったところ、榛村は自分は9件の殺人事件で立件されているが、9件目は冤罪なので真犯人を探してほしいと雅也に頼みます。 拘置所からの帰り道、雅也は長髪の謎の男(岩田剛典)と出会います。彼は「会いに行くか決められない」などと言っていました。
【承】父親の正体はもしかして……?
榛村の弁護士から情報を収集する雅也。真面目そうな高校生にさまざまな手段で接近し、信頼関係を築いてから拷問して殺す、というのが榛村の手口でした。しかし彼が冤罪だという根津かおる殺人事件は、被害者の年齢や手口がほかの事件と違っており、雅也は違和感を覚えます。 そんななか、雅也は中学の同級生である灯里(宮﨑優)と再会しました。彼女は雅也をサークルの飲み会に誘いますが、雅也は彼らのノリについていけません。 その後、雅也は根津かおるにはストーカーがいたことを突き止めます。それは金山一輝といい、雅也が拘置所近くで会った長髪の男でした。また彼は事件後、遺体が発見された現場に何度も足を運んでいたことも発覚。 さらに榛村の過去を調査していた雅也は、彼と自分の母・衿子(中山美穂)が同じ女性の養子だったことを知ります。当時のことを知る滝内(音羽琢磨)に話を聞くと、榛村は養母に気に入られていたものの、衿子は妊娠したために、家を追い出されてしまったとか。雅也は榛村が自分の父親ではないのかと疑念を持ちます。
【転】真犯人は金山一輝?
雅也は中学生のころ、榛村が営むパン屋の常連でした。学校から塾に行くまでの間に、榛村のパン屋で軽食をとるときが、彼にとって唯一の癒やしの時間だったのです。榛村は雅也が自分の息子だと知っていて優しくしてくれたのでは、と雅也は考えます。しかし母を問い詰めると、彼女は雅也は間違いなく父親の子どもだと言いました。 自分が連続殺人犯の息子かもしれないと考えた雅也は、ある日すれ違いざまにぶつかったサラリーマンを殴り倒します。途中で我に返り、逃げ出すようにその場をあとにする雅也。家に帰ると、近所で灯里が彼を待っていました。彼女は雅也が手の甲に怪我をしているのを見るとその血を舐め取り、雅也はそれに興奮して、2人はベッドをともにします。 一方、金山は裁判で、根津かおる殺害現場近くで榛村を見たと証言していたことがわかります。裁判では刑事訴訟法157条の5が適用され、金山と榛村の間に衝立を立てて、姿が見えないようになっていました。実は金山は10歳のころに榛村と面識があり、彼にそそのかされて、弟と刃物で切りつけ合う遊びをさせられていたのです。 金山はそのことがトラウマになっており、榛村をひどく恐れていました。
【結】不穏なラスト……。事件の真相と灯里の言葉
金山から話を聞いた雅也は、ある結論に達します。 榛村に面会に行き、すべてを話す雅也。被害者に逃げられ捕まる日が近いと悟った榛村は、かつて殺しそびれた根津かおるの所在と今の生活を知ります。そして金山を呼び出して昔のように遊ぼうと持ちかけ、パニックになった金山はほかの遊び相手、つまり榛村が殺す相手として、通りがかった根津かおるを指さしてしまいました。 根津かおるが殺されたことで罪悪感を抱いた金山は裁判で証言しますが、自分に責任があると思い込んだ彼は、本当のことは言えません。その後、榛村は金山に何通も手紙を出し、会いに来るようにと言っていました。 雅也はすべてが榛村の犯行であることや、あえて根津かおるを普段と違う手口で殺し冤罪の疑いが生まれるように仕向けたこと、金山に罪悪感を抱かせて長く苦しめようとしていたこと、そして自分が榛村の息子だと思い込むことで、同じ殺人の道へ進ませようとしていたことを見抜きます。 その後、暗い過去を捨てて灯里と交際するようになった雅也でしたが、あるとき何気なく彼女に「爪、きれいだね」と言ったところ「剥がしたくなる?」と不穏な言葉が返ってくるのでした。
【考察①】灯里は榛村から逃げ出した女の子?
榛村は被害者の少女が殺害される前に逃げ出したことで犯行が発覚し、逮捕されました。このことから、榛村から逃げた被害者の少女は、灯里だったのではないかと考察する声もあります。 たしかに灯里は榛村好みの地味で真面目なタイプです。また雅也とは中学の同級生だったということで、高校生のころの彼女については言及されていません。 逃げた被害者の少女は、少なくとも榛村から拷問は受けたはずです。しかし灯里の体にはそれらしい痕はないようなので、2人は別人であると考えるのが妥当でしょう。 ただ、彼女が榛村からの手紙を受け取っていたことから、灯里も榛村の「元獲物」だったであろうことが推察されます。2人にどんな接点があったのかはわかりませんが、彼女は榛村にすっかり洗脳されていました。
【考察②】タイトル「死刑にいたる病」の意味は?
本作のタイトルである『死刑にいたる病』は、デンマークの哲学者キルケゴールの代表的著書『死にいたる病』(1849年)から取られています。原作の冒頭では、「絶望とは、死にいたる病である」というキルケゴールの言葉も引用されています。 一方で本作の「死刑にいたる病」とは、榛村の自分好みの子どもを殺さずにはいられない衝動のことを指しているのでしょう。 キルケゴールの語る「絶望」とは「自分を見失った状態」で、「絶望」したままだと、「精神の死」が訪れてしまうと言われています。 「絶望」から抜け出すためには「本来の自分を見つける」ことが必要ですが、榛村にとって「本来の自分」とは「人を殺さずにはいられない自分」でした。 榛村は本来の自分を取り戻し「死にいたる病」を治す代わりに、殺人衝動という「死刑にいたる病」を発症してしまったのです。
【考察③】榛村にとっての「爪」
榛村は被害者の爪を剥がし、収集していました。雅也が最後に「榛村さんのお母さんの爪は、きれいでしたか?」と訊いたところ、「僕が小さい頃はね」と答えています。 榛村にとって「爪」は、優しかった頃の母やその愛を思い出させるものなのでしょう。原作では彼に殺された少年少女はどこか榛村の母親に似たところがあったとも書かれており、やはり彼らの爪を収集することで、榛村は母の愛に思いを馳せていたのかもしれません。
【考察④】『死刑にいたる病』は実話?
『死刑にいたる病』は実話ベースの作品ではありません。 しかし榛村のモデルとしては、1970年代に33人の少年を性的に暴行し殺害したアメリカの殺人鬼ジョン・ゲイシーが近いように思われます。 ゲイシーは地元の名士で、パーティなどではピエロの扮装で子どもたちを楽しませていたため、子どもから人気があったと言われています。普段はパン屋の店主として、多くの人に好かれていた榛村と共通する部分があります。 一方で、生まれながらに心臓に疾患のあったゲイシーは実父に見放され、虐待されて育ちました。この部分は金山一輝と共通しています。
原作と映画の内容は違う?
映画『死刑にいたる病』のストーリーの大枠は原作に基づいていますが、設定や登場人物に変更が加えられている部分があります。 大きな変更の1つが榛村の外見です。原作では榛村はイケメンの設定になっており、外見が美しいからこそ多くの人を油断させ、その心にするりと入り込み、怪しまれずに殺人を繰り返していたとされています。原作のこの設定は1970年代のアメリカの連続殺人鬼、テッド・バンディを思わせます。 また、雅也の恋人となる灯里についても映画と原作では違う部分があります。原作では灯里も中学生の頃、榛村と交流があったことが明かされていますが、映画の衝撃の結末にはつながりません。
映画『死刑にいたる病』で白石監督節を感じよう
阿部サダヲが狂気の連続殺人鬼・榛村を演じ、話題となった『死刑にいたる病』。榛村が語ることは何が事実で何が嘘なのかわからず、それに主人公の雅也は振り回され、次第に彼に洗脳されていきます。 白石和彌監督らしい容赦のない暴力と、絡まった糸が次第に解きほぐされていく展開に注目です!