2021年3月5日更新

『複製された男』の正体とは!?「蜘蛛」の意味についても徹底考察【ネタバレ】

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謎多き映画『複製された男』について解説!作品に隠されたテーマとは

ノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの小説を原作とし、『静かなる叫び』(2009)や『灼熱の魂』(2010)、『プリズナーズ』(2013)などで知られるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督がメガホンをとった映画『複製された男』(2013)。 この映画は、たまたま見つけた自分とそっくりな人間同士が入れ替わり、周りの人間を巻き込みながらストーリーが展開していくという奇妙な設定が特徴。 謎や意味深なセリフなどが多く、さまざまな憶測を読んでいるこの作品。容姿が全く同じ二人の男をジェイク・ギレンホールが演じ分ける様も必見です。今回はネタバレも含めながらこの映画に隠された意味を解説していきます!

『複製された男』のあらすじ【ネタバレ注意】

似ているだけの他人か?もう1人の自分を発見

セクシュアルな時を楽しめる、秘密の会員制クラブへと訪れた男。目の前に置かれた銀の皿を開くと、中から手のひらほどの大きさをした蜘蛛が出てくるシーンから物語は始まります。 主人公・アダム(ジェイク・ギレンホール)は職場である大学と家との往復の日々を過ごしていました。こうした日々は悪く言えば退屈な毎日であり、アダムは辟易していたのです。そんなある日、教授仲間からおすすめの映画を教えてもらい、『道は開かれる』という作品を鑑賞することに。 恋人が寝ている間に鑑賞してみると、なんとその映画にまったく自分と同じ見た目の男性が写っていたのです。エンドロールを確認すると、彼の名はダニエル・センクレアということが分かります。 その後ダニエルの所属する事務所まで出向き、彼の本名がアンソニー・クレア(ジェイク・ギレンホール)であることが判明。彼宛の書類に書かれていた住所を頼りに居場所を突き止め、ホテルで落ち合います。見た目はそっくりな2人でしたが、穏やかなアダムに対し、アンソニーは少し短気で、乱暴な性格でした。

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どうせ同じ見た目なら……入れかわった2人

あまりにもそっくりだったため、アンソニーは「どうせ気付かれないから、恋人を交換しよう」と入れ替わりを提案します。アダムの車と家の鍵や服をも奪い、アダムの家へと向かうアンソニー。 アダムとの関係に少しマンネリを感じていた恋人・メアリー(メラニー・ロラン)は、いつもと様子が違うと感じながらも、アンソニーと肉体関係を持ってしまいます。 アンソニーの家へと帰らざるを得なくなったアダムもまた、彼の妻ヘレン(サラ・ガドン)と肉体関係を持ち、穏やかな性格も徐々に大胆なものへと変化していきます。

妻に入れ替わりがバレた!そして迎える衝撃のラスト

ある日、アンソニーであることも知らずにドライブデートを楽しむメアリー。これまでとは違いパワフルな彼に惚れ惚れしていましたが、ハンドルを握る手に結婚指輪の跡があることに気付き、彼がアダムではないと知ります。 メアリーはパニックとなり、アンソニーも反論して車中で喧嘩に。運転を失敗し、事故を起こして2人とも亡くなってしまいます。アンソニーは、アダムとして死亡届が出されてしまいました。 残されたアダムは、アンソニーとして生きていくことに。もはや自分の家となったアンソニーの家でシャワーを浴び、ヘレンのいる部屋に行くと、そこには巨大な蜘蛛がいるのでした。

ラストシーンの「蜘蛛」が象徴するものとは?

物語の至る所で登場する蜘蛛は、一体何を象徴しているのでしょうか。ちなみに心理学では、蜘蛛=「縛り傷つける女性」「束縛する母親」。つまり、嫉妬深さを意味しています。 映画中盤で登場する巨大蜘蛛は、ルイーズ・ブルジョアの彫刻作品「ママン」を模したもの。「ママン」は32個もの大理石の卵が入った袋を持つ母蜘蛛です。 ラストでヘレンが蜘蛛となってしまうのは、身籠った彼女が「束縛する母親」であるというアダム/アンソニーへの抑制心、さらに言えば支配心の表れかもしれません。

結局アダムとアンソニーの正体は何だったのか?

本当に存在するドッペルゲンガー説

アダムは映画を見たあとから取り憑かれたかのようにアンソニーのもとへと向かい、邂逅を果たしました。彼らはもしかしたら、本当にドッペルゲンガーだったかもしれません。 ドッペルゲンガーに会ってしまうのは凶兆と言われており、自らの分身を見てしまったら何かしらの災いや死に直面する可能性も。アンソニーとメアリーの死は、彼らがドッペルゲンガーだったからなのでしょうか。

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自分が作り出した幻想?二重人格説

作中、アダムとアンソニーの2人が一緒にいるところを目撃する人はいません。そのため、実際に2人が会っていたのかも疑わしいのです。 もしも本当は1人しか存在せず、解離性同一性障害による二重人格だった場合、アダムの人格ではメアリーを愛す穏やかな男、アンソニーの人格ではヘレンを妻とする俳優として過ごしていたと考えられるでしょう。 また、アダムとは正反対の性格だったアンソニーは、アダムの中における性欲のメタファーであったという説も。 ラストでは、鍵(冒頭の会員制クラブの鍵)を持ってソワソワするアダムの姿が描かれていますが、彼の中に見え隠れする性欲に気付いたヘレンが、それに対する怒りや嫉妬心から、象徴としての蜘蛛になっていると解釈できるのではないでしょうか。

原作と映画ではここが違った?相違点の意味を考察

映画においては重要なポイントともなっていそうなセクシュアルな会員制クラブですが、原作小説にこのシーンはありません。 アンソニーが性欲のメタファーであるということを強調するために挿入されたのか、あるいは他に何か意味を持っているのか、まだまだ考える余地はありそうです。 また夢のシーンなどで繰り返される蜘蛛のイメージは、原作には登場しないようです。小説で教員が嫌悪する対象として繰り返し言及されるのはアンコウ。丸みを帯びた体とブヨブヨした感触が共通点といえます。 わざわざ「ママン」を連想させる蜘蛛を登場させたことを考えると、やはり妻が「束縛」であったということを表現したかったのかもしれませんね。

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自分か他人か……?『複製された男』をもう1度観て考察してみよう

本当に瓜二つな人間が存在していたのか、あるいは二重人格なのか、それとも何者かによって本当に複製(クローン化)された人間なのか……。この映画の解釈は、さまざまな可能性を孕んでいます。 どれが正解であると明言できないからこそ、繰り返し鑑賞し新たな発見に出会える作品ではないでしょうか。