映画『バイス』を解説&考察!実在モデルのチェイニーの人物像を知るともっと面白い
映画『バイス』を徹底解説!ラストシーンに監督が込めた意味とは?【ネタバレ注意】
『バイス』は、2018年に公開されたアメリカのコメディ・伝記映画です。2001年から2009年までジョージ・W・ブッシュ大統領のもとで副大統領を務めたディック・チェイニーが、「アメリカ史上最強の副大統領」となる過程を描きます。 監督を務めたのは、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』(2015年)などで知られる社会派コメディ映画の名手・アダム・マッケイ。主役に選ばれたのは、役に合わせて体重を大幅に増減させるカメレオンボディで有名なクリスチャン・ベールです。 史実と照らし合わせて掘り下げるほど面白さが深まる映画『バイス』。この記事では、本作で描かれたことがどこまで真実に近いのか、またラストシーンに監督が込めた意味は何か、といったことを解説します。 ※作品のネタバレを含みますので、未鑑賞の人は注意してください。
30秒でわかる映画『バイス』のあらすじ
『バイス』は権力の従順な下僕となったチェイニーが、アメリカ副大統領として無謀なイラク戦争を主導する姿を、ブラック・コメディ・タッチで描いた伝記映画です。 1962年末、イエール大学を中退して酒浸りになっていた21歳のディック・チェイニーは飲酒運転で逮捕されることに。婚約者・リン(エイミー・アダムス)から、このままなら別れるしかないと引導を渡されたチェイニーは、生活を改めることを誓います。 心を入れ替えてニクソン政権でドナルド・ラムズフェルド(スティーヴ・カレル)のスタッフとなったチェイニーは、続くフォード政権では34歳という若さで大統領首席補佐官に就任しました。 その後、連邦下院議員やジョージ・H・W・ブッシュ政権の国防長官を経験したチェイニーは、多国籍企業・ハリバートンの重役となって政界を引退するかに見えます。 しかし、2000年に大統領候補・ジョージ・W・ブッシュから副大統領候補になることを打診されたチェイニーは、あることを条件にその要求をのむのでした。
『バイス』って本当に実話?
『バイス』の冒頭で、「これからお話しするのは真実の物語だ」と字幕が表示されます。その後すぐに、チェイニーはアメリカの指導者のなかでも最も隠し事の多い人物の1人なので、できる限り真実に近づけることしかできなかった、と断り書きが続きます。 これは、製作者側が本作は完全な実話ではない、あくまで真実に近いフィクションであると言っているのだと思われます。 これから述べますように、『バイス』で描かれるチェイニーは事実にもとづきながら大幅に誇張された場面が少なくありません。
事実/ノンフィクションとしてのチェイニー
まず「あらすじ」でも紹介した妻・リンに生活を変えるように諭される序盤のシーン、これは実際にあった出来事にもとづいています。 チェイニーは、妻とは14歳のときからの知り合いで、高校で付き合っていました。リンに酒に溺れる生活をいましめられたときのことを実際のチェイニーは後に、「我が身の置かれた状況とその将来について考えさせられた」と回想しています。 また本作の重要なテーマである、2001年アメリカ同時多発テロ事件をきっかけにチェイニーがイラク戦争を強硬に主張したことも事実にもとづいています。アルカイダとサダム・フセイン・イラク大統領との結びつきについては、懐疑的な意見も多かったのですが、チェイニーは真実であると固く信じていたようです。 このため本作の結末でも強調されているように、実際のチェイニーはアメリカが攻撃されたのだから軍事介入や捕虜の拷問といった強硬手段はやむを得ない、という考え方でした。
ディック・チェイニーはどんな人だった?
残念なことにチェイニー副大統領に関しては日本では情報があまりないです。このため『バイス』におけるチェイニーの人柄、動機の描写にはフィクションが多く含まれていることも注意しなければなりません。 たとえば、本作において若き日のチェイニーは政治的信念をまったく持たない人物として描かれています。しかし実際のチェイニーは、大学生のときから保守的な考え方の持ち主でした。 また、チェイニーが「大統領は無制限の権力を持つ」という理論を信奉していたというのは完全なフィクションです。確かに彼は大統領の権限を拡大することを主張しましたが、映画で描かれているように1970年代からこういった考えを持っていたということはないようですね。 後に連邦最高裁判所判事となるアントニン・スカリアとの会話のシーンで紹介される「単一執行府論」も、大統領は何をしても許されるという考えではありません。しかもこの理論は1970年代にはまだ広く知られていませんでした。
描きたかったのは「凡庸な悪」としてのチェイニー
この記事の後半で紹介するインタビューでクリスチャン・ベールが述べているように、『バイス』ではチェイニー副大統領の肯定的な側面が強調されています。 このことは、チェイニーが権力に固執するようになる動機の描写に最も印象的に表現されています。 ニクソン大統領のホワイトハウスで窓のない小部屋をオフィスとしてあてがわれたチェイニーは、机に座るや真っ先に自宅に電話。ホワイトハウスで働く喜びを妻子と分かち合うのです。 「最高の気分だ」と微笑むチェイニーに、妻・リンは「娘たちも私もパパのことを誇りに思っているわよ」と応えるのでした。 本作のなかで最も感動的ともいえるこのシーンは、妻子に尊敬されたいという誰にでもありえる欲求こそ、チェイニーが権力の従僕となる動機であったことを暗示しています。
ラストシーンから読み取る、『バイス』からの強烈なメッセージ
一方、『バイス』には最初から最後まで、アメリカの有権者に対する強烈なメッセージが隠されていることも見逃せません。 まず冒頭でナレーター(ジェシー・プレモンス)が、余暇に政治の複雑な分析など誰も見たくない、と言います。 そして主要スタッフ・キャストのクレジットに入る直前のシーンは、チェイニーへの架空のインタビュー。その結びでチェイニーはカメラ、つまり映画の観客を直視しながら、「あなたたちが私を選んだのだ、私はあなたたちが望んだことを実行したのだ」と語ります。 さらにミッドクレジットシーンでは、次に解説する印象的なシーンが展開されるのです。
風刺の効いた印象的なラストシーン
ミッドクレジットシーンでは、フォーカスグループインタビューが映し出されます。フォーカスグループインタビューとは、一定人数の調査対象者を1箇所に集め、座談会形式で特定のテーマについて話し合う世論調査の手法です。 このシーンでインタビューの参加者の1人でトランプ大統領支持者である男が、『バイス』はリベラル(左翼)のバイアスがかかっていると言います。これに対して別の男は、この映画の製作者は法律の専門家も加わって内容を精査したはずだから、映画は事実を描写したものに違いない、と反論します。 この2人の議論はすぐに加熱して取っ組み合いの大喧嘩に発展。それを横目に若い女性の1人は「『ワイルド・スピード』の新作が待ち遠しいわ」とシラッと言ってのけるのでした。
コメディテイストに隠された『バイス』のメッセージとは?
こうしてまとめて振り返ってみると、『バイス』というコメディに隠されたメッセージが明らかになってくると思います。 『バイス』が事実を描写したものだという意見も、左翼のバイアスがかかっているという意見も、いずれも極端な考え方です。 しかし多くの平均的な人たちは、複雑な政治の考察なぞ普段は誰もしたくないのです。『ワイルド・スピード』のような肩のこらない映画を息抜きに観たい、という方が本音でしょう。 このような政治に無関心な大衆の暗黙の支持を得て、チェイニーたちのような無謀な戦争を推進する政治家が権力の座につくこともあり得る。そういったことを『バイス』の監督は結末で暗示したかったのではないでしょうか。
チェイニーを演じたクリスチャン・ベールのストイックすぎる演技!
伝記映画としての『バイス』は、歴史的事実の誇張が大きすぎると批判する人は多いですが、チェイニーを演じたクリスチャン・ベールの演技には誰もが称賛を惜しみません。 ここからは役作りにかけるベールのストイックすぎる姿勢を紹介します。
カメレオン俳優の真骨頂!体作りがすごい
『バイス』日本公開直前のインタビューで、ベールは本作での役作りについて、まず外見的な特徴を掴むことが大変であったと語っています。 アメリカ副大統領に就任したころのチェイニーは60代に入り、持病の心臓病もあって太り気味でした。ベールはこの体作りのために、医師などの専門家の指導を受けながら短期間で健康的に18キログラムの増量に成功したとか。 ベールはそれまでにも、役作りで自分の健康を危険にさらして体重の大幅な増減を繰り返す「カメレオンボディ」で知られています。
2004年公開のサイコサスペンス映画『マシニスト』では、謎の不眠症に悩まされて衰弱していくキャラクターを演じるため、約29キログラムも体重を減らしました。
その直後には『バットマン ビギンズ』(2005年)の撮影で、スーパーヒーローらしい筋骨隆々な体になるため、半年間で45キログラムも増量。続く『戦場からの脱出』(2006年)では捕虜を演じるために約30キログラム減量したかと思うと、『ダークナイト』(2008年)で再び筋肉質のバットマンに復帰しています。
本質を掴む役作りがすごい
ベールの役作りに対するストイックな姿勢は外見だけにとどまりません。上にあげたインタビューで彼は、チェイニー副大統領を物真似しただけでは観客はすぐに見飽きてしまうので、チェイニーの本質を掴もうとしたと語っています。 このためにベールは、マッケイ監督と相談して政治的立場に関係なくチェイニーをできるだけ肯定的な目で見ることを決めたそうです。 この結果、マッケイ監督と正反対の見方も率直にぶつけ合い、アドリブも入れて撮影を進める中でキャラクターを形成していくことになりました。 編集を経てマッケイ監督が完成させた本作についてベールは、想像をはるかに上回る傑作になったとインタビューを結んでいます。
ただのブラックコメディと侮るなかれ『バイス』は掘れば掘るほど面白い!
『バイス』は表面的にはアメリカの政治に対する辛らつな風刺が散りばめられたコメディ映画です。 一方で、主演を務めたクリスチャン・ベールやチェイニーを支える妻役のエイミー・アダムズは、万人が感情移入できる名演技を見せています。 とりわけレズビアンであることを両親に打ち明けた次女のメアリー(アリソン・ピル)をチェイニーが抱きしめる場面では、思わず目頭が熱くなる人も少なくないのでは? 実際のチェイニーも、保守的な共和党のなかで一貫して同性婚合法化を主張する政治家の1人です。 そんな映画『バイス』は、歴史的事実を知った上でもう一度見直しながら考察してみることで、さらに深みの出てくる見ごたえのある作品であるといえます。