2025年11月19日更新

【ネタバレ】映画『スワロウテイル』フェイホンの最期を考察!アゲハの成長に隠された意味とは

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【概要】映画『スワロウテイル』あらすじを解説

タイトル 『スワロウテイル』
公開日 1996年9月14日
上映時間 149分
監督 岩井俊二
主要キャスト CHARA , 伊藤歩 , 江口洋介 , 三上博史 , 渡部篤郎

映画『スワロウテイル』の舞台となるのは、架空の歴史をたどった日本のある大都市です。 日本の通貨である円が世界で1番強かった時代。円を求めて日本の大都市にやってきた移民たちは、そこを「円都(イェンタウン)」と呼びました。 一方、このような移民たちを日本人たちは「円盗(イェンタウン)」と呼んで軽蔑していました。 この映画は、このような「円都」に住む「円盗」たちの物語です。 「円盗」の娘である名もない少女(伊藤歩)は、唯一の肉親である母親が殺されて身寄りがなくなってしまいました。 彼女を引き取ってくれたのは、彼女の母親と同じく移民で売春婦のグリコ(CHARA)。少女はグリコの胸に彫られているアゲハチョウのタトゥーにちなんで「アゲハ」と名付けられ、グリコの恋人・フェイホン(三上博史)のもとで働き始めます。

【ネタバレ】『スワロウテイル』の結末は?アゲハとグリコの選択は?

客のヤクザを誤って殺してしまったグリコたちは、その腹の中にあったカセットテープを発見し、そこに偽造紙幣に使われる磁気データが入っていることに気付きます。偽札で得た金で円都を後にし、ダウンタウンでライブハウスを開店。グリコは「YEN TOWN BAND」のボーカルとして歌の才能を発揮します。 CDデビューして一躍有名になったグリコでしたが、その一方でフェイホンは不法滞在者として捕まってしまいます。強制送還は免れましたが、ライブハウスは閉店。フェイホンはテープを探すヤクザに追われ、偽札を使ったところで警察に逮捕されてしまいます。 アゲハは例のテープを元に大金を収集しますが、店を取り戻すことはできませんでした。取調室で暴力的な取り調べをを受けたフェイホンは、その翌日絶命した状態で発見され、アゲハたちは彼を円都で弔ったのでした。 円都で店を持ったアゲハは、帰る途中でグリコの生き別れの兄であるリョウ・リャンキに再会。彼にテープを渡してその場を立ち去りました。

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【考察①】ランやフェイホンたち登場人物が何を象徴するか解説

ランは何者?正体とアゲハとの関係

円都の外れでなんでも屋「あおぞら」を営んでいるラン(渡部篤郎)。彼こそがテープを発見し、偽造紙幣のデータの使い方をフェイホンたちに教えたキーマンですが、クールでミステリアスな雰囲気をまとっています。その正体は諜報機関に属するスナイパーであり、物語の最後ではリョウ・リャンキを狙っていました。 なぜ円都で血縁のなさそうな2人の子どもと住んでいるのかは謎ですが、彼もまた居場所を失った「円都の民」であり、夢を捨てきれないアゲハとは対照的に「夢を見られない大人」の象徴といえるかもしれません。

フェイホンはなぜ死んだ?彼が示す日本の問題

フェイホンが警察で暴力的な取り調べを受け、その結果死に至るという衝撃的な展開が忘れられない本作。公開されたのは1996年ですが、外国人労働者や犯罪者・不法滞在者の増加、移民問題が深刻になってきている現在、再び注目を集めています。 さらに外国人の人権問題にも踏み込んでいると思われ、取調室のような密室で人権が踏みにじられる構造的な暴力が現存している可能性も示唆しています。フェイホンの死が、円都のバブルのような夢がはらむ危険性と、夢の代償の大きさを示しているのかもしれません。

【考察②】アゲハの名前やタイトルの意味は?

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名もなき少女が「アゲハ」になるまで

伊藤歩が演じる主人公の少女は、映画の冒頭、彼女の母親の葬儀の場面では名前がありません。 彼女を妹として引き取ってくれたグリコの髪をとかしているとき、少女はグリコの胸にアゲハチョウのタトゥーが彫られているのを見つけます。 グリコは、アゲハチョウのタトゥーは身寄りのない自分のIDカード代わりである、と言います。そしてグリコは少女の胸に、「あんたは子どもだから芋虫ね」と言ってペンで芋虫の絵と「アゲハ」という名前を描きました。このときから少女はアゲハと呼ばれるようになります。 ちなみに映画のタイトル『スワロウテイル』とはツバメの尾のことで、後翅がツバメの尾のように細長くのびたアゲハ属のチョウを指す英語です。 アゲハにとってグリコは本当の姉のような存在になっており、それを証明するかのようにアゲハは自分の胸にも同じタトゥーを彫ったのかもしれません。

タイトル「ツバメの尾」が成長を象徴?ラストシーンの意味は?

映画の後半でライブハウスが潰れた後、アゲハは決意を胸にアヘン街の医師のもとを訪れ、胸にグリコと同じアゲハチョウのタトゥーを彫ってもらいます。 そして物語の最後、フェイホンの葬儀の準備をしているとき、アゲハは「芋虫がチョウになったよ」と言って、胸のタトゥーをグリコに見せるのです。 冒頭と結末をアゲハにとって大切な人の葬儀で囲み、アゲハチョウのタトゥーで大人として自立するアゲハの自覚を象徴する、印象的なストーリー展開と言えるでしょう。 これはアゲハが「喪失」を経て「再生」する物語であり、淡い好意を寄せていたフェイホンと彼の夢だったライブハウスを同時に失うという経験を通して、芋虫からさなぎへ、そして脱皮して大人の蝶になる成長を描いた作品なのです。

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【みどころ】『スワロウテイル』映像美と多言語で描かれる世界観が魅力的

架空都市「円都(イェンタウン)」が生み出す独特な世界観

映画『スワロウテイル』の舞台である「円都(イェンタウン)」は、架空都市ならではの独特な世界観が魅力です。 円都は車のナンバープレートが品川であったり、警察官のセリフが日本語であったりするため、東京がモデルであることは明らかです。 同時に、移民たちが住む水辺のスラムなど、アジアのどこかを感じさせる舞台設定になっています。 このように架空の世界でありながら、現実の世界でないかと錯覚させる映像で、大胆なストーリー展開が可能になりました。 桃井かおりが演じる雑誌記者が「なにこれ、戦争」と絶句するクライマックスの圧倒的なシーンは、この世界観でなければ説得力がなかったでしょう。 さらに美しく詩的なセピア色の映像を多くしたことで、この映画がアゲハ視点の物語であるという印象を強固なものにしています。

言語の多様性が映しだす移民問題

さらに映画『スワロウテイル』の世界観で独特なのは、劇中で登場人物が英語・中国語・日本語など複数の言語を話すことです。 これは、この映画が多様な移民の生活にフォーカスした物語であることを反映しています。登場する移民は中国系ばかりでなく、黒人や白人なども混じっています。 特に注目すべき点は、アゲハの使う言語です。中国人を母に持ちながら日本で育ったアゲハは、日本語と英語は使えますが、中国語はあまりできません。このためアゲハはライブハウスの開店準備の面接ではフェイホンの通訳をする一方、フェイホンからは中国語を習っていました。 現在、日本をはじめ先進国では移民の2世、3世の数が増えています。彼らは自分の両親や祖父母の出身地の言語は得意でない一方、育った国の文化にアイデンティティーを見出すことにも困難があります。 映画『スワロウテイル』の世界観には、このような移民が抱える問題へのするどい切り口が見られるのです。

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【主題歌】CHARAによる「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」からみるメッセージ

主題歌をプロデュースした人は超豪華

chara

CHARAが歌う本作の主題歌「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」は、作中で結成されるバンド「YEN TOWN BAND」の曲。バンドのボーカルはCHARAが演じるグリコです。 劇中でこのバンドは、フェイホンが歌の上手なグリコのために、彼女をボーカルに据えて結成したバンドです。 彼らが歌う「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」は、桑田佳祐、サザンオールスターズのプロデューサーだったことで知られる、小林武史によってプロデュースされました。 歌詞は、岩井監督が出したテーマをもとにCHARAが「1人の人に歌うラブソング」として作詞したものを小林がリライトしました。 この詞に小林が書いたサビのメロディは、スティーヴィー・ワンダーを思わせるものです。 このサビの部分の成立について小林は、「スティーヴィー・ワンダーがMy Little Lover(小林も所属していたことのある音楽ユニット)の『ALICE』を『愛するデューク』みたいなアナログ志向のアレンジで歌っている」という夢を見たことにもとづいている、と語っています。

主題歌「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」の意味とは

主題歌の「Swallowtail Butterfly 〜あいのうた〜」は劇中ではなくエンドロールで流れますが、この曲こそが物語を象徴する歌詞で構成されています。特にグリコとアゲハ、それぞれの心情を色濃く映し出していて、グリコ=CHARA本人が歌うことで「現実と虚構の融合」が生まれているのです。 グリコは恋人フェイホンを、アゲハは母親と夢を失いますが、円都に戻り2人で再出発して物語は終わりました。2人とも胸にアゲハ蝶を抱き、再び愛を探して飛び立つといった歌詞がシンクロしています。

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【評価】『スワロウテイル』は「つまらない」し「意味不明」?

岩井俊二監督の初期作品の中でも、難解といわれる部類に入っている『スワロウテイル』。確かに検索すると「つまらない」や「意味不明」といったワードも目にすることも。しかし時代を超え、今も高い評価を得ている作品としても良く知られています。

言葉で説明されない架空の世界が難解

難解といわれる所以は、おそらく円都が多くの移民で構成されていて、英語・日本語・中国語が混ざり合った会話が一回聞くだけでは理解しづらいからではないでしょうか。これが円都の多言語社会を象徴する要素ではあるのですが……。 また、円都やその周辺の世界観や、登場人物の背景などほとんどが説明されないまま展開します。そのため観ている側もアゲハたちと同じように“流れるままに世界を体験する”立場に置かれ、ややもすれば「置いてきぼり」になったりするのかも?

「意味不明」だからこそ魅力的

しかしその「流されるままの体験」を通して、名前のない少女だったアゲハが荒廃した街・円都で自らのアイデンティティを見つけていく過程を追体験できます。初めこそ何もわからない状態だったアゲハが、自分の足で歩いて道を知り、自分の力で生きていく。 そんな過程を感覚的・映像的に描くことで、観る者の感覚自体に解釈を委ねているのかもしれません。「意味不明」だと感じている、その感覚こそがアゲハの体験と重なり、彼女の成長にも共感できるのではないでしょうか。

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【原作】小説『スワロウテイル』の映画との違いは?

原作小説『スワロウテイル』は、もともと映画の原案だったもので、映画が公開される2カ月前に角川書店から刊行されています。 原作小説と映画の違いでストーリー展開に重要なのが、グリコのタトゥーにちなんで少女が「アゲハ」と名付けられる場面。原作小説でグリコが少女の胸に描くのは、成虫のアゲハチョウの絵でした。 映画では前述のとおり、グリコは蝶の幼虫である芋虫の絵を少女の胸に描きます。映画のほうが、アゲハが成長していく物語の印象をより強くする演出です。 さらに原作小説と映画では、登場人物、あらすじや結末が大きく異なります。 原作小説では、カセットテープの中身は国会議員の裏帳簿のデータで、国会議員に雇われた凄腕の殺し屋が取り返しにやってきます。 結末も小説は主要登場人物が次々に死んでしまう、かなり悲惨な終わり方で、未来の可能性のあるオープンな結末だった映画とは対照的です。

【監督】映画『スワロウテイル』の魅力は岩井俊二の世界観

岩井俊二
ⓒ2019「Last Letter」製作委員会

映画『スワロウテイル』の監督と脚本を務めた岩井俊二は、1963年に宮城県仙台市で生まれた映像作家、音楽家です。 映画の脚本、編集、監督は言うまでもなく、小説や音楽も手掛ける多才なクリエイターである岩井監督。彼の映画は、丁寧に作り込まれた世界観や、人物描写と独特の映像美で定評があります。 岩井監督の代表作としては、『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)、『花とアリス』(2004年)、『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016年)があげられます。

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【キャスト】伊藤歩がすごい!他にも個性派俳優が勢ぞろい

伊藤歩
©️ciatr

※画像は伊藤歩 映画『スワロウテイル』は主演のCHARA、三上博史、伊藤歩を始め、江口洋介、渡部篤郎、ミッキー・カーチス、桃井かおりといった個性的なキャストも大きな魅力です。 グリコ役を演じるCHARAは劇中で歌う主題歌ばかりでなく、売春婦の演技も映画の雰囲気にピッタリ!フェイホン役の三上博史も、中国語と英語のセリフで上海系の移民を見事に演じきっています。 主役の3人のなかでも特筆すべきは、アゲハ役の伊藤歩の演技力です。 1993年に大林宣彦監督の『水の旅人-侍KIDS-』で映画デビューした伊藤歩は、『スワロウテイル』公開当時はまだ16歳。にもかかわらず彼女は日本語、英語、中国語のセリフを見事にこなしたばかりでなく、初めて上半身のヌードシーンを経験するなど、体当たりの演技を披露しました。 こういった点が高く評価されて、伊藤歩は第20回日本アカデミー賞で新人俳優賞と優秀助演女優賞を受賞しています。

『スワロウテイル』のネタバレ・考察を理解してもっと世界観に浸ろう

この記事では岩井俊二監督の初期代表作『スワロウテイル』の世界観や主題歌の魅力を解説・考察しました。 伊藤歩を始めとする演技力の高い実力派キャストや、岩井俊二監督の作り込まれた世界観が大きな魅力の映画『スワロウテイル』。 日本や世界の移民の問題にも焦点を置いたこの映画は、公開から30年近く経っても色褪せない名作と言えるでしょう。