【ネタバレ考察】映画『ナミビアの砂漠』カナの危うさを診断結果から紐解く 中絶の真相・ラストを解説!

河合優実を主演に迎えて、カナという人物の生きるさまをありのままに描いた映画『ナミビアの砂漠』。この記事では、本作を主人公カナの行動とともにあらすじを追いつつ、要点を解説・考察していきます。
映画『ナミビアの砂漠』のあらすじ【ネタバレなし】
公開年 | 2024年9月6日 |
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監督 | 山中瑶子 |
キャスト | 河合優実 , 金子大地 , 寛一郎 |
脱毛サロンで働くカナ(河合優実)は21歳、世話焼きな彼・ホンダ(寛一郎)と刺激的な二股相手・ハヤシ(金子大地)の間を渡り歩いている奔放な性格。友人の話に適当に相槌を打ち、職場では無の境地で施術し、二股をしても特に感情も揺るがない。ホンダの家を出て、ハヤシと新居で同棲を始めます。 しかしハヤシとも上手くいかず、次第に精神を追い詰められていくカナ。精神科で診断を受けると、「境界性パーソナリティー障害」という症状に合致していました。
【ネタバレ】『ナミビアの砂漠』あらすじからカナの症状を検証
ここからは、劇中で精神科医からの診断にあった「境界性パーソナリティー障害」の症状に基づいて、時系列であらすじを追って解説していきます。また、精神科医のオンライン診断ではなぜ病名を曖昧にしたのか、という疑問についても補足。カナの生きづらさの根源が何かを解明したいと思います。 境界性パーソナリティー障害(Borderline Personality Disorder)とは、BPDとも略される精神疾患の1つ。青年期までに発症することが多く、気分が不安定になったり、衝動的に行動したりと様々な症状がみられます。 代表的な特徴には、空虚さ、自傷行為、試し行動、見捨てられる不安、感情の急変、現実感消失・精神解離・離人感といった症状があります。
【空虚さ】身近な「死」の話題に無関心
カナが友人に会い、同級生が自殺したという知らせを聞くところから始まる冒頭シーン。友人はその同級生から死の前日に電話があったと話しますが、隣席の男性客たちが話す「ノーパンしゃぶしゃぶ」というワードに引っかかると、急に友人の声はフェードアウトしてしまいます。 同級生の自殺という衝撃的な話なのに、カナの関心はその自殺の方法だったり実家に住んでいたことだったり。驚く様子も薄く淡々と話を聞き、しまいには隣席の話題が気になって後半は話を聞いていません。まさに空虚さ=心ここにあらずといった症状が冒頭から描かれています。
【一種の自傷行為】ホスト・アルコール・二股・鼻ピアス

落ち込む友人をホストクラブに連れて行き、そこそこで店を出て二股相手のハヤシと待ち合わせるカナ。公園でワインをボトルごと回し飲みし、キスを交わし、タクシーに乗ってそれぞれの場所で別れます。カナはタクシーの中から外へ嘔吐して、彼氏であるホンダの家へ戻りました。 カナのホスト通いは劇中2度出てきますが、通い慣れている雰囲気。アルコールも吐くまで飲んだりして、ホンダに介抱されるのも常態化している様子です。二股をかけることも普通の感覚か、むしろ楽しんでいるようで、性に対する奔放さがよくわかります。 優しすぎて物足らなさを感じたのか、ホンダの家から出てハヤシと付き合う気持ちを固めたカナは、2人でタトゥーショップへ行き、鼻ピアスを入れます。 こうした行動はすべて自分を大切にしていない=一種の自傷行為に繋がっており、他人の事も自分の事も軽く考える傾向が感じられます。それが鼻ピアスのシーンで目に見えて特徴的になり、そこがタイトルバックにもなっていました。
【試し行動】ハヤシとの喧嘩と介抱
カナは新居でハヤシと同棲生活を始めますが、在宅で仕事をするハヤシと少しずつズレを感じていきます。喧嘩をした後でマンションの階段から落ちたカナは、首を固定するような車椅子生活に。反省して甲斐甲斐しく介助するハヤシに、わがままを言って試すような態度を示します。 人を試すような行動は特に境界性パーソナリティー障害の症状を示すもので、次の「見捨てられる不安」とも繋がっています。どこまでが許されるのか試し、自分を見捨てないかどうかを図っているようです。
【見捨てられる不安】BBQでの対人コミュニケーション

ハヤシの家族・友人とのBBQ会に連れて行かれ、所在なさげに独りの時間を過ごすカナ。ここでカナは中国、ハヤシはアメリカからの帰国子女だったことが明かされますが、それぞれのアイデンティティは2人の人格形成に大きな影響を及ぼしているようです。 ハヤシの家族や友人はエリートばかりで、都庁の前で出会った友人は東大卒の官僚。ハヤシも彼なりに悩みを抱えており、アイデンティティに不安を持つカナとは実は同じような境遇でした。ただしハヤシの場合はインターナショナルスクールに通うことなく、早い段階で日本社会に溶け込めたよう。 カナは常に見捨てられる不安を抱えているようで、それ故にハヤシを試して困らせたり、家に居てもまとわりつくようにちょっかいをかけていました。理想化と過小評価の間を揺れ動く両極端な対人関係は境界性パーソナリティー障害の特徴であり、これがまさにカナの症状に合致している点です。
【感情の急変】カナが「中絶」にキレた理由
突然カナの前に現れ、感情もあらわに戻ってきてほしいと訴えるホンダ。そんな彼を鬱陶しげに見つめ、「中絶したから」と言い捨てるカナ。 ホンダと別れた後、家に戻るとハヤシは「ニートの男が子どもを拾って育てる」話の脚本を書いていました。カナは引っ越しの際に見つけた妊娠のエコー写真を出し、彼が過去に交際相手を中絶させていたことを追及します。 中絶の件を「忘れてた」と言うハヤシに「カナには関係ない」とダメ押しされ、大喧嘩に。「もう無理!」と、ハヤシはその場を逃げ出します。この時のカナは明らかに中絶を他人事とはとらえておらず、まるで自分の事のように憤っていました。 この時のカナの様子は急激な感情の変化に自分でも追いついていない様子。自分の感情をコントロールできないくらい「中絶」に特別な想いを持っていることがわかります。ホンダの子を中絶したことは嘘だと思われますが、もしかしたら過去に本当に中絶したことがあるのかもしれません。
【現実消失・離人感】謎のワイプ・ランニングマシン

客に失言して仕事をクビになったカナはハヤシに「私、働かなくていいかな」と言い、再び中絶の件でケンカを売り、風呂場で暴力を振るいます。その後、自分が「何かおかしい」と感じたカナは精神科のオンライン診断を受けました。 精神科医に「双極性障害か境界性パーソナリティー障害かもしれない」と曖昧な診断を受けたカナは、「自分の事わかりたいんで」と病名を知りたがります。 診断後にカウンセリングも受けますが、相変わらず取っ組み合いの喧嘩をする2人。すると突然画面の右上にワイプが現れ、ランニングマシンで走るカナが喧嘩する2人を見つめる映像に切り替わります。走る速度に付いて行けず、マシンから降りたカナはスタジオのような場所にいました。 このシーンはカナの精神が現実から解離し、自分を客観的に外から見つめる様=離人症を表現したもの。途中でマシンを降りたのも、そんな自分の行動に付いて行けなくなったからでしょう。
【ラスト】中国語が示す「分からないを分かる」という答え
最後に至ってもカナとハヤシは取っ組み合いの喧嘩をしていますが、さすがに疲れてきたのか、冷凍庫にあったホンダが作ったハンバーグを2人で食べます。食べている途中で母親からビデオ通話がかかってきて、中国語で話しまくる親戚たちにひたすら「听不懂」と返事するカナ。 ハヤシが「ティンプートンって何?」と聞くと、カナは「わかんない」と答えました。2人はその言葉に少し笑い合い、物語は幕を閉じます。中国語で「听不懂」とは「分からない」という意味で、カナはハヤシに正解を答えたのに、ハヤシは言葉の意味が「分からない」ととらえたよう。 しかしこれこそが本作の「分からないを分かる」というテーマであり、カナの「自分の事が分かりたい」という希望にも繋がっています。 劇中でカナの病名を曖昧にしたのは、医者が言うように「病名をはっきりさせることが重要ではない」から。それよりもその症状にどう向き合っていくのかが大切であり、「分からない」を分かった2人が互いに笑い合うというのはラストにふさわしいシーンでした。
【考察①】カナの生きづらさの背景とは?

カウンセリングで父親について「父親として最低で許せないことがたくさんあった。1人の人間として尊重すべき、許してあげるべき」と語ったカナ。ここでロリコンの例を挙げたカナに、カウンセラーは「どうして怖いと思うのか」と聞いていました。 この場面からうかがえるのは、カナが過去に父親に“許せない”行為をされたということ。推察できることは、成人前に父親から性的虐待を受けたり、それが原因で中絶経験をしたりといった過去。劇中には父親は一切登場せず、父性の不在がカナの不安の根源としてカウンセリングで匂わされていました。 カナの生きづらさは主に「アイデンティティの不確かさ」であり、中国と日本という2つのナショナリティの間に生きていることが原因の1つと考えられます。自分が「何者」なのか分からず、どちらにも寄れないという不安。 父性の不在と2つの事象の間に揺れる生きづらさが、ホンダとハヤシの間を渡り歩く様で表現されており、正反対の男性2人に父性を求めている両極端な対人関係は境界性パーソナリティー障害の特性を表すものでもありました。
【考察②】タイトル『ナミビアの砂漠』の意味
カナはカウンセリングで箱庭療法を受け、砂の真ん中に緑の木を1本植えました。その後、隣人の女性と外で焚火をし、2人で焚火の上を何度も飛び越えます。 この2つのシーンはかなり象徴的で、劇中冒頭とラストに挿入される「砂漠のオアシス」を表現したものといえます。タイトルの『ナミビアの砂漠』はカナが見ている動画であり、カナの「心の砂漠」を示してもいるよう。 カナがナミビアの砂漠にあるオアシスに動物が集まる様子を見ているのは、彼女なりのリラックス方法。箱庭療法で緑の木を植えたことと焚火を見つめることは、それ自体が「癒し」のための行為です。しかも焚火のシーンでは、薄くとも事情を知る隣人から優しい言葉をかけられ、一緒に焚火を“飛び越える”という行動もしていました。 飛び越える=乗り越えることをイメージするシーンと、前述の「分からないを分かる」シーンで物語を締めくくっていることは、カナの心に「オアシス」ができて今後に希望も見出せるラストではないでしょうか。
映画『ナミビアの砂漠』をネタバレ考察しました
現代社会の若者の生きづらさにスポットを当てた映画『ナミビアの砂漠』。作品のテーマと各シーンの意図が分かれば、より深く理解できるかもしれません。本作は2025年3月7日からAmazonプライム・ビデオで見放題独占配信がスタートしますので、ぜひチェックを!