2025年4月8日更新

映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』結末までのネタバレと考察!原作はある?

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「ぼくが生きてる、ふたつの世界」
©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

『そこのみにて光輝く』(2014年)の呉美保監督が吉沢亮を主演に迎え、作家・五十嵐大の自伝的エッセイを映画化した『ぼくが生きてる、ふたつの世界』。この記事では、本作のあらすじをネタバレありで紹介し、作品のテーマを解説・考察していきます。

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映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』のあらすじ

公開年 2024年9月20日
メインキャスト 吉沢亮 , 忍足亜希子 , 今井彰人
監督 呉美保

宮城県の港町で暮らす五十嵐家は、父・陽介、母・明子、一人息子・大と祖父母の5人家族。陽介と明子はろう学校で知り合って結婚した夫婦で、大は耳の聴こえない両親に育てられた「CODA」といわれる境遇にありました。 幼少期は両親の通訳もすすんでしていましたが、思春期になると周りから特別視されることに戸惑いを感じるように。次第に母親にも反抗的な態度を取り始め、大学受験に失敗したことをきっかけに上京し、自分のことを知らない大都会でアルバイト生活を始めます。

【ネタバレ】映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の結末までのあらすじ

【起】聴こえない両親に育てられた聴こえる子ども

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」
©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

宮城県の港町で、ろう者である父・陽介(今井彰人)と母・明子(忍足亜希子)のもとに生まれた五十嵐大(吉沢亮)。耳の聴こえない彼らを心配する祖父母と同居しながら子育てに奮闘しますが、音にすぐ反応できない明子には祖父母の助けは必須でした。 とはいえ、祖母の広子(烏丸せつこ)は宗教に夢中で手話は覚えようとせず、祖父の康雄(でんでん)は博打うちで酒を飲んで乱暴するやくざ者。それでも大は両親の深い愛情のもとすくすくと育ち、時には手話で両親の通訳をしたり、彼らの「耳」になって助けるようになります。 しかしある日、家に遊びに来た友だちに「お前んちの母ちゃん、しゃべり方おかしくない?」と言われてから、そのことを気にするように。授業参観のプリントも渡さず破ってしまいます。

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【承】“可哀想な”自分を誰も知らない東京へ

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」
©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

高校受験を控えた中学生の大は常にイライラし、明子に反抗的な態度をとっていました。康雄は介護が必要になっていて、みんなで旅行に行こうと言い出した広子に「俺は行かない。俺がじいちゃんの面倒見る」と言います。 明子は大に三者懇談に行くと言いますが、結局一緒に行っても進路の話はわからないまま。大は塾に行き始めますが、志望校は不合格。私立には受かっていましたが、落ちた腹立たしさから「こんな家に生まれたくなかった」と暴言を吐いてしまいます。 20歳になってもバイト生活をしていた大は俳優オーディションに応募しますが、セリフは覚えておらず惨憺たるもの。給料が下がったと話しているのを聞き、大は陽介に地元で働くと伝えますが、陽介に「東京に行け」と背中を押され上京します。

【転】聴こえる世界と聴こえない世界を行き来する

東京のパチンコ店で働き始めた大は、ある日ろう者の女性客・智子を通訳したことがきっかけで手話サークルに参加するように。そしてそこで、耳の聴こえない親を持つ子どものことを「CODA(コーダ)」と呼ぶことを知ります。 東京に出て来て2年になった大は出版編集の就職活動もしていましたが、雑誌編集部での面接でやくざ者の康雄の話をし、編集長の河合(ユースケ・サンタマリア)に気に入られて即採用。そこで編集者として働き始めました。 手話サークルで知り合った彩月の誘いでろう者同士の飲み会に参加した大は、つい癖で全員の注文を店員に通訳しますが、彩月に「できることを取り上げないでね」と言われてしまいます。

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【結末】ラストは号泣……大の成長と明子の想い

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」、吉沢亮
©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

ある日突然、河合が失踪して編集部は大混乱。編集者たちは次々と編集部を去っていき、大もフリーライターとして取材をして記事を書く仕事を始めました。そんな中、陽介がくも膜下出血で倒れたと聞き、久しぶりに実家に戻った大は、伯母から明子が祖父母の大反対を押し切って自分を生んだ話を聞きます。 広子も足腰が弱っているのを見て、大は「戻ってこようか?」と聞きますが、明子はそれを優しく断りました。東京に戻る大を駅に見送りに来た明子。その時ふと、大は明子に「東京に行く」と言った日やスーツを買いに行った日の明子との会話を思い返していました。 一緒にパスタを食べた帰りの電車で、周囲を気にせず明子と手話で楽しそうに会話した大に、明子が「ありがとう」と言ったこと。これまでどれほどの想いで明子が自分に語りかけてくれていたか。 東京に戻る電車の中で、大はおもむろにパソコンを広げ「ぼくが生きてる、ふたつの世界」と打ち始めるのでした。

映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の感想・評価

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耳の聴こえない世界がどんなものなのかを劇中で様々な表現で描いていて、少しではあるけれど体感できました。ただでさえ子育ては大変なことばかりなのに……とどうしても親目線で観てしまい、どんな家族でも悩みは尽きないものだなと共感の嵐でした!

(30代女性)

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CODAの境遇がとてもリアルに描かれていて、ろう者役には実際のろう者俳優を起用していることもあってリアリティがすごい。ふたつの世界の狭間で生きる主人公の葛藤がとても身近に感じられ、手話にもより興味が増した。

(20代男性)

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耳が聴こえないとどうしても特別視されてしまい、周りが気を遣ってしまうことがよくわかった。逆にCODAとろう者との間にも見えない壁が存在していることを知り、この作品を観たことでいろんな気付きを得られた。

(20代女性)

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【解説】主人公の境遇「CODA」とは?『コーダ あいのうた』との違い

本作の主人公・五十嵐大の育った境遇が、劇中で「CODA(コーダ)」と呼ばれることがわかります。「CODA」とは「Children of Deaf Adults」の略で、「耳の聴こえない親を持つ耳の聴こえる子ども」という意味。 幼少期の大が明子と買い物に行って通訳をする様子や、小学校の友だちに手話を教える場面が描かれていますが、こうしたCODAの境遇がリアルに描かれている点に、アカデミー賞受賞作『コーダ あいのうた』を思い出す人も多いようです。 『コーダ あいのうた』の主人公ルビーも思春期の高校生で、両親ともにろう者。両作の違いとしては、主人公が男女逆なことと、ルビーにはろう者の兄もいること。どちらも主人公の成長をメインに描いていますが、「コーダ」は家族4人の絆、「ぼくが生きてる~」では母と息子の関係性に焦点を当てています。

【考察】特別ではない、普遍的な「家族」の物語としての描き方

作品の性質上、どうしてもろう者やCODAについて取り上げられがちですが、本作の本当の魅力は「特別ではない、普遍的な家族の物語であること」ではないでしょうか。特に子育てや思春期を経験した人は、明子や大に共感を抱くかもしれません。 呉美保監督の演出も時にコミカルな要素も取り入れ、決して重い内容として描かずに、それぞれの立場の登場人物に寄り添うようにしている工夫を感じます。ろう者、CODA、その周囲の人々、違った立場の人たちの視点がうまく取り入れられています。 どんな境遇でも、家族に対する想いや愛情にそんなに違いはない。そんな風に受け止められる優しい気持ちを感じたいし、違う立場でも尊重し合える世界を作っていきたいという想いも伝わってきました。

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映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』に原作はある?

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』
©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』の原作は、作家・エッセイストの五十嵐大による自伝的エッセイ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』。耳の聴こえない両親に育てられた「CODA」としての境遇について自らの体験を語った実録ノンフィクションです。 映画では『正欲』(2023年)の港岳彦が脚本を手がけ、主人公・五十嵐大の成長を中心に描く構成になっています。母親との関係性に重点的に焦点を当てており、大の心境の変化がより丁寧に描かれていました。

映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』をネタバレ解説・考察でおさらい

聴こえる世界と聴こえない世界に生きる青年の成長を追ったヒューマンドラマ『ぼくが生きてる、ふたつの世界』。CODAの葛藤を描きながら、同時に普遍的な家族の物語でもあり、誰しもどこかに共感できるのではないでしょうか。