2026年2月23日更新

『災 劇場版』制作秘話―唯一無二の恐怖を生み出すために【関友太郎×平瀬謙太朗監督に聞く】

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WOWOW連続ドラマ『災』を再構築した『災 劇場版』が、2026年2月20日より公開に。 今回、ciatr編集部では監督集団「5月」の関友太郎監督、平瀬謙太朗監督にインタビューを実施。劇場版ならではのアプローチをはじめ、香川照之さんが演じる“オリジナルの人格を持たない男”の造形、不穏な“間”を生んだ演出の舞台裏、さらには恐怖表現を支える音楽の役割まで、制作の裏側を多角的に掘り下げます。 ※インタビュー取材の模様を撮影した動画コンテンツをYouTubeのciatr/1Screenチャンネルで公開中!

『災 劇場版』作品概要・あらすじ

斬新な映像表現が国内外で注目を集める監督集団「5月」の関友太郎と平瀬謙太朗が監督、脚本、編集を務める。長編デビュー作『宮松と山下』に続き、歴史あるサン・セバスティアン映画祭で2作連続かつコンペティション部門での正式招待という快挙を成し遂げた。前作からの再タッグとなる香川照之が主演を務め、中村アンをはじめとする主役級のキャストが脇を固める。 WOWOWの連続ドラマ『災』を再構築し、全く新しい「恐怖」を描く映画として、観る者の信じる恐怖を覆すサイコ・サスペンスが誕生した。

【企画誕生の背景】“殺人鬼”ではなく、“厄災”を描くという発想

災 劇場版 WOWOW 香川照之
©WOWOW

Q. 本作の企画が立ち上がった経緯をお聞かせください。 関監督 最初から映画やドラマに絞っていたわけではなく、まずは純粋に映像のアイデア出しをするところから始まりました。いくつか、映像の構造そのものに凝った企画や、「こういう映像を作ったら面白いんじゃないか」というアイデアを出し合っていたんです。 その中のひとつに、「毎回、舞台や主人公は変わるけれど、ひとりだけ同じ男が現れる」という構造の案がありました。その男が現れた後、何か“災い”が起こる。 ただし、物語の中で生きている登場人物たちは、その男が怪しいとも思わず、何も知らないまま日常を送っている。一方で、見ている観客だけが“その男の存在の意味”を知っている、わかっている――そんな構造のストーリーはどうだろう、というのが原型です。 それを膨らませていけば、より面白くなるんじゃないかと思い、数あるアイデアの中からこの企画を選びました。そこから肉付けを重ねていったのが始まりです。 当初は『災』というタイトルではなく、手法を示す仮タイトルのようなものしかありませんでした。タイトルをどうするか考える中で、「これはいわゆる“厄災”の物語なんじゃないか」という話になり、作中で起こる出来事を象徴する言葉として「災」という文字が浮かびました。 同時に、香川照之さんが演じてくださった“あの男”をどういう存在として描くのかも、タイトルと並行して考えていきました。いわゆる殺人鬼やシリアルキラーというよりも、“災い”そのもののような存在にしたほうが、テーマとしてもより通るし、面白くなるのではないかと。 そうして、最初のアイデアから発展しながら、最終的なタイトルと主人公の存在が形作られていったように思います。

【香川照之のキャスティング背景】前作『宮松と山下』での経験が起用の決め手に

『災 劇場版』
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Q. 香川照之さんをキャスティングした背景をお聞かせください 平瀬監督 この企画は、役者さんにとって本当に難しいものだと思っていました。ひとりの人が、毎話ごとにまったく違う人物を演じなければならない。話の構造としては成立しているように見えても、どこか「机上の空論なんじゃないか?こんなこと本当にできるのだろうか?」と最初は僕たち自身も半信半疑だったんです。 やろうと思えばできるのかもしれない。でも、うまくいかないんじゃないか。結局「演じている」ように見えてしまって、僕たちが目指しているリアリティには届かないんじゃないか――そんな不安があって。 そのこともあり、僕たちが持っている複数の企画の中では、実は少し優先順位が下がっていた時期もありました。

そんなときに、「もしかして香川さんだったらどうだろう?」という話が出たんです。その瞬間に、「あ、できるじゃん」と思えた。香川さんなら成立する、と確信できたことで、この企画が一気に一番上に躍り出ました。「この企画でいこう」と決めた大きな転機でした。 背景には、前作『宮松と山下』で一度ご一緒していたことがあります。撮影期間の1ヶ月あまり、ほぼ毎日のように現場で一緒にいて、香川さんがどれだけの幅を持った役者なのか、どんなことができるのかを、僕たちは間近で見ていました。 だからこそ、「香川さんならできる」と迷いなく思えた。今回のキャスティングには、そうした信頼があったと思います。

【ある男の共通点】オリジナルの人格がない“空っぽ”であることの怖さ

『災 劇場版』
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Q. 香川照之さん演じる「ある“男”」に共通するコンセプトがあればお聞かせください。 関監督 逆に言うと、共通点が“ない”ことがコンセプトなんです。僕らは最初に、「彼にはオリジナルの人格がない」という設定を決めました。どこまでたどっていっても、“彼本人”というものは存在しない。 そこに、この作品全体の恐ろしさがあると思っていて。深いところまで掘り下げても空っぽ――その怖さにつながるだろうと考えました。 その代わり、毎話ごとにまったく別の人格、まったく別のキャラクターとして現れる。そんなコンセプトの下、一話一話、人物を立ち上げていった感覚があります。 平瀬が先ほど話していた「うまくいかないんじゃないか」という不安も、まさにそこにあって。バラバラのキャラクターが次々に出てきたとき、リアリティが保てなければ、「こんな人いないよね」「作り話だよね」と思われてしまう。それでは失敗だと思っていました。でも、香川さんは本当に引き出しがすごい。一人ひとりのキャラクターを、完全に演じ切ってくださった。

災 劇場版
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たとえば劇中で理容師になる設定があるんですが、そのための練習も、撮影の合間を縫った短いものなのですが、て本気で取り組んでくださって。いざ理容師のシーンを撮る頃には、もう完全にできるようになっていて、さらには「こうやるといいんだよ」とスタッフにコツを教えるほどになっていたんです。 ついこの前まで触れていなかったことを、短期間で自分のものにしてしまう。その姿を目の当たりにして、「ああ、この男は現実にいてもおかしくないのかもしれない」と思えたんですよね。 ある意味、この設定はフィクション度が高い。でも僕らが目指していたのは、「この世界のどこかに本当にいるかもしれない」という怖さでした。 その怖さこそがリアリティにつながる。だからこそ、一人ひとりのキャラクターを立ち上げるたびに、香川さんと細かく話し合いながら作っていきました。 本当に、香川さんでなければ成立しなかったと思いますし、香川さんを見ながら、僕自身もこの“男”のリアリティをだんだんと信じられるようになっていきました。

【“あの男”の不穏な間】沈黙という引き算が生んだ恐怖

Q. 本作では、ある男の「間の取り方」も印象的でした。この演出が生まれた経緯や背景をお聞かせください。 平瀬監督 実は、“間”については脚本には一切書いていませんでしたし、僕たちからお願いしたものでもありません。撮影を進める中で、香川さんから出てきたアイデアなんです。 毎話ごとにまったく別の人格を演じる設定なので、本来であれば共通点はないはずです。オリジナルの人格も存在しない。ただ、それでも観客にとって何かひとつ“しるし”のようなものがあった方が、面白さや恐怖につながるのではないか――そんな話を香川さんからいただいて、「なるほど」と思いました。 最初は、僕たち3人で現場の端に集まって、「どうする?」とアイデアを出し合いました。顔がピクッと痙攣するような仕草を入れるか、といった“足し算”の発想もありました。 でも、誰からともなく「むしろ引き算で、何もしゃべらない時間を作るのはどうか」という意見が出たんです。 変に間がある。急に話しかけても返事がなく、じっとしていて、ふっと返す。――それは面白いかもしれない、と3人とも直感的に感じました。 最初に試したのは、塾の自習室のシーンでした。中島セナさんが話しかけても返事がなく、香川さんを見ると、じっと黙ってまるで抜け殻のように座っている。そして、ふっと言葉が返ってくる。 正直、やる前は「使えるかどうかわからない」と思っていましたし、香川さんも「ダメだったら編集で切ってください」とおっしゃっていたくらいです。

『災 劇場版』
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でも、そのとき中島セナさんが本当に素晴らしく受けてくださった。間というのは演技の中でも特に怖いもので、「返事がないのはミスかな?」と不安にもなる。でも、その空白をきちんと受け止めてくださったことで、間が成立した。その瞬間、3人の中に「これはいける」という感触が生まれました。 そこから、「各話でこの“間”を入れていこう」となった。ただ、脚本には書いていないので、どこで間を取るかは僕たち発信ではなく、毎回香川さんからの提案でした。 「次はここでやってみようと思うんですが、どうですか?」と。僕たちは一度も反対したことがなくて、「なるほど、そのタイミングは確かにいい」と納得するばかりでした。 さらに言えば、そのシーンの演出も香川さんが担ってくださいました。共演者に対して「今日はこういうことをやります」と説明し、自分が何をするのか、どう受けてほしいのかまで共有してくださる。 僕たちは横で「そうです、そうです」とうなずいているような状態で(笑)、あの“間”のシーンが生まれました。結果として、とても満足しています。

撮影から間はカットしている?

Q. “間”の演出は、現場で生まれた素材をそのまま使っているのでしょうか?編集で調整することもありましたか? 平瀬監督 むしろ、編集で伸ばしていますね。香川さんは現場でもイメージを持って演じてくださっていましたが、実際にはカットバック(2つ以上の場面を交互に見せる技法)になるので、編集次第で間はいくらでも変えられるんです。倍に伸ばすこともできますし、逆に削ることもできる。 なので、あの“間”は現場そのままというわけではありません。編集でかなり調整しています。 特にドラマ版は、実は各話のどこかに必ずあの“間”が紛れ込んでいるんですが、話ごとに長さが違います。そのエピソードの空気感やテンポに合わせて、「ここがちょうどいい」というポイントを探りながら作っていきました。 映画版では全登場人物とのやりとりに間があるわけではないのですが、ドラマ版では構造的な仕掛けとしても機能している。最終的には、編集で“ちょうどいい怖さ”を探り当てていった、という感覚に近いと思います。

【劇場版・ドラマ版の違い】映画はより群像劇的な構造に

Q. 本作の劇場版の企画が生まれた経緯と、ドラマ版とのコンセプトの違いをおきかせください。 関監督 まずはドラマ版のプロットと脚本を作っていったのですが、完成に近づいてきた頃、ふたりで打ち合わせを重ねる中で、「これ、こうやったら映画になるんじゃないか?」というアイデアが出てきたんです。 それが、今の劇場版の原型にかなり近い形でした。 映画版は、冒頭から5つ、6つの異なる舞台がバラバラに提示される、いわば群像劇のような構造になっています。群像劇というのは、「このバラバラの話がどうつながるんだろう?」とか、「登場人物同士にどんな関係があるんだろう?」というところに観客の興味が生まれるものだと思うんです。 でも、この映画の場合は、そのバラバラの物語の中に、ひとりだけ同じ男が次々と現れる。 「バラバラの話のはずなのに、あれ、この人ずっと出てきてない?」という違和感が生まれる。そこから、「どういう関係なんだろう?」という群像劇的なスイッチが入るんじゃないかと考えました。 さらに物語が進むと、各エピソードの主人公たちが次々と命を落としていく。ドラマ版とはまったく異なる形ですが、それはそれで、ひとつの強いコンセプトとして成立するんじゃないか、という感触があったんです。 そこで、ドラマの撮影に入る前の段階から、並行して映画版のプロットをまとめ始めました。そういう流れで、劇場版の企画が生まれました。

【キャスティングの視点】“幸”と“不幸”の落差を際立たせるために、中島セナはいわば当て書き

『災 劇場版』
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香川さん以外のキャスティング背景とキャラクター造形についてお聞かせください。 平瀬監督 明確に「この人にお願いしたい」と最初から思っていたのは、第1話冒頭に登場する女子高生役の中島セナさんです。脚本を書いている段階からセナさんをイメージしていて、いわば“当て書き”でした。「どうか受けてください」と願いながら書いていたくらいです。 あの女子高生のエピソードは、実は一番最初に書いた物語でもあります。 “紛れ込んでくる男”と女子高生との距離感をどう描くか、「どうやったら怖くなるだろう」と手探りで探っていた最初のパートでした。そこをセナさんが演じてくださり、さらに香川さんがいて、まさに思い描いていた通りのキャスティングになった。とても幸運だったと思っています。

中村アン演じる堂本刑事は最後に生まれたキャラクター

『災 劇場版』
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一方で、中村アンさんが演じてくださった刑事・堂本というキャラクターは、実は最初の構想にはいませんでした。もともとはまったく別のエピソードが用意されていたんです。 ドラマを放送した際に、WOWOWのプロデューサーの方から、「群像劇としての面白さに加えて、男の正体を縦軸で追っていく存在がいたほうが、より観る側の興味が深まるのではないか」という提案をいただきました。 僕たちには当初その発想がなかったので、「なるほど」と思い、そこから生まれたのが堂本というキャラクターです。 物語の序盤から登場し、やがて自らも事件の中心に巻き込まれていく。男が近づいてきてしまう構造を持たせました。キャラクターとしては、堂本が一番最後に完成した存在かもしれません。

『災 劇場版』
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関監督 この『災』という作品は、ある種、観客が感情移入して観ていた人物が、何の前触れもなく亡くなってしまう物語です。しかも、その瞬間を直接描くのではなく、カットが変わったらもう亡くなっている、という形を取っています。 言い方は難しいですが、その“ショック”を生み出したい作品だったんです。亡くなる直前までは、小さな幸せや、かすかな希望をつかみかけているように見える。そのタイミングで悲劇が訪れる。その落差が強く出る方に演じてほしい、という思いがありました。

『災 劇場版』
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つまり、観る側が「この人には幸せになってほしい」と思わず応援してしまうような方々。それはキャスティングというより、脚本を書いている段階から自然と意識していたことだったと思います。 例えば、内田慈さんと藤原季節さんのペアもそうですし、中島セナさん、そして(シソンヌ)じろうさんもそうですね。

『災 劇場版』
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寡黙に黙々と働いている姿を見ると、つい応援したくなる。振り返ると、無意識のうちにそうしたイメージで選んでいた気がします。

『災 劇場版』
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実際には、想像以上に素晴らしい方々が集まってくださって、日常の何気ないシーンや、心の機微まで丁寧に演じていただきました。

そして、亡くなったあとの“佇まい”も本当に素晴らしかった。セナさんの、血の気が抜けたような静けさや、息を止める瞬間の表現。じろうさんも、本当に息を止めているのかと思うほどで……現場で見ていて「すごい」と思わずにはいられませんでした。 俳優の皆さんの力が、この作品のクオリティを大きく支えてくださったと感じています。

【規則性と不規則性】災いは前触れなく降りかかる

『災 劇場版』
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Q. 本作では、不幸な出来事が連続して起こる“規則性”と“不規則性”のバランスが印象的でした。その点で意図したことはありますか。 平瀬監督 まさにそこは、この作品のテーマに深く関わる部分だと思います。 人はどうしても、不幸な出来事が起きたときに「何か意味があるんじゃないか」と考えてしまう生き物だと思うんです。でも実際には、災いというのは意味なんてなく、ある日突然、何の前触れもなく降りかかるものかもしれない。 突然事故に遭うかもしれないし、思いもよらない病にかかるかもしれない。あるいは天災のようなことが起きるかもしれない。 僕たちは本当は、そうした“きわどいところ”を常に生きているのに、それに無自覚でいる。そして、いざ何かが起きると、「あのときこうしていれば」「これが原因だったんじゃないか」と、後から理由を見出そうとする。 その無常さや無慈悲さのようなものは、「災い」をテーマに描こうと決めた段階で、自然と意識していた部分だったと思います。 だからこそ、あえて明確な規則性を作らない。思いもよらないところに、ふっと災いが落ちてくる。その読めなさを保つことが大事でした。 結果として不規則に見えるのは、僕たちが意図的に“意味づけしすぎない”ように努めたからかもしれません。観客が「なぜ?」と考えてしまう、その感覚自体も含めて、この作品の一部になっていると思っています。

【“ある男”と水の関連性】日常に潜む恐怖と制御不能の象徴

『災 劇場版』
©WOWOW

Q. 災いが起こる場面に“水辺”が多いという規則性も感じられましたが、それは意図的だったのでしょうか。 関監督 完全にルールとして決めていたわけではないですが、水の描写はかなり意識していたと思います。 やりたかったのは、「日常が映っているはずなのに、なぜか怖い」という感覚です。その象徴が、ある意味では香川さん演じる“男”なんですよね。笑いながら普通に話しているのに、なぜか怖い。それと同じような効果を、環境の中でも作れないかと考えていました。 例えば、水の揺らめきや、洗濯機の音。洗濯機の音なんて、日常の音のはずなんですが、きちんと録ってみるとどこか不気味に聞こえる。そういった、“日常だけど少し怖い”という感覚は、意識的に取り入れていたと思います。 あまりにもリラックスした日常だけを描いてしまうと、作品の世界観から離れてしまう。「僕たちの日常の中にも、実はこういう不穏さが潜んでいるよね」というものを撮りたかった。その表現を支えてくれるマテリアルとして、水はとても力を持っている存在だったのだと思います。

『災 劇場版』ポスター
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平瀬監督 これは後付けかもしれませんが、「災」という字は、上が“川”、下が“火”で構成されていますよね。 僕たちが根源的に“災い”を感じるものって、水辺だったり、火だったり、つまり人間が完全には制御できないものなんじゃないかと思うんです。そういうものに対する畏れの感覚が、そのまま漢字の成り立ちにも表れている。 結果的に、水辺の描写が多くなったのも、そうした“制御できないもの”への感覚が、無意識のうちに作品に反映されていたのかもしれません。

【構造設計の妙】観客との共通認識を生み、あえて裏切る

『災 劇場版』
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Q. 作劇の構造で特に意識した点をお聞かせください。 関監督 僕らはいつも、まず“映像の構造”から考えるんです。構造というのは、いわば器のようなものですね。 ただ、その器を同じ形のまま繰り返していくと、観る側はどうしても飽きてしまうと思うんです。一方で、器があるからこそ、観客とのあいだに共通認識が生まれるという良さもある。 例えば、1話を観終わった時点で、「ああ、この物語では主人公が亡くなるんだ」という認識が生まれる。そう思って観ているからこそ、そこを裏切ることができる。その“裏をかく”面白さは、共通認識があってこそ成立するものなんですよね。 ストーリーテリングにおいては、自分たちが作った構造を、あえて崩していくこともあります。実はそこには、作った構造を壊していく楽しさもあるんです。 短編映画であれば、作った構造の最も美しい形を提示して、そのまま逃げ切ることもできます。でも、長編映画や連続ドラマでは、「この構造だけで最後までいくのは難しい」ということを、これまでの経験の中で感じてきました。

『災 劇場版』
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だからこそ今回は、最初から「この構造をどう転がしていくか」「どこで壊すか」を意識していました。ドラマ版の第6話はもちろん、第2話の時点でも、実はすでに同じ構造ではないんです。 その“器を共有しながらも変化させていく”という点は、作劇として特にこだわった部分でした。

【恐怖を生む音】本作の50%を支える音楽表現

Q. 本作特有の恐怖感が印象的でした。恐怖を生み出すためにこだわった演出をお聞かせください。 関監督 やはり音楽の力が大きいと思います。脚本の段階から、絵やセリフ、特にセリフだけで説明しようとはしませんでした。 もともと「ここに音楽が乗れば、このセリフは言わなくても伝わる」「むしろ言わないほうが怖い」という感覚があって、それは常に念頭に置いていました。 今回音楽を担当してくれた豊田とは、これまでもずっと一緒にやってきた仲なんです。作り方も共有していますし、信頼関係がある。だからこそ、「ここは音楽でいける」という確信が脚本段階からありました。 「ここで音楽が入り、俳優がこう動けば、成立するはずだ」というイメージがあったんです。実際に仕上がりを見てみると、本当にその通りになっていると感じました。 今作には、音楽のおかげで、恐怖表現が成立した場面がいくつもある。言葉を削り、余白を残し、その隙間を音楽が満たす――そのバランスは、特にこだわった部分だと思います。

『災 劇場版』
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平瀬監督 もちろん、不穏な音楽で「何かが起きるかもしれない」という怖がらせ方もしています。ただ、僕たちが“災いのテーマ”と呼んでいるメインテーマは、単純に怖い音楽というわけではないんです。 どこか計り知れないものをはらんでいて、メロディーの展開も先が読めない。きれいな旋律だと思って聴いていると、ふっと崩れて不協和音になったりする。 その揺らぎ自体が、僕たちがこの映画で描こうとしている“災い”の存在そのものを体現しているように感じました。 だから、ずっと怖い音楽をかけ続けるという演出とは違うんです。「災いが持っている恐怖って、こういう質感なんじゃないか?」ということを、言葉ではなく音で表現してくれている。そこに本当に助けられています。 冗談ではなく、この作品の表現の半分は音楽が担っている、とふたりで話していました。映像やセリフが半分。残りの半分は音楽で成立させよう、と。そういう考え方は、制作に入る前から共有していました。

撮影中に恐怖を感じていたのか?

Q. いち視聴者として恐怖を感じたのですが、監督ご自身は編集を通して恐怖を感じることはありましたか。 関監督 実はよく話していることなんですが、僕たちはホラーを作っているつもりはなかったんです。 完成後に観てくださった方々の感想を聞くと、「ホラーっぽい」「すごく怖い」と言っていただくことが多くて。そこで初めて「ああ、そう受け取られているんだ」と気づいたくらいでした。 正直に言うと、編集作業をしている段階で、自分自身が“怖い”と感じていたかというと……あまり感じていなかったかもしれません。むしろ構造やリズム、どう成立させるかという技術的な部分に意識が向いていたので、「恐怖を作っている」という感覚は強くなかったですね。

平瀬監督 いわゆるJホラーや、黒沢清さんが切り開いてきたホラーの文脈の中に自分たちがいる、という意識は正直あまりなかったんです。むしろ、そこからは少し外側にいるつもりでいました。 だから、観てくださった方の中に「黒沢さんとの共通点」を挙げてくださる方が多かったのは、意外でした。 そこを目指していたわけではなかったんですよね。むしろ意識していたのは、西川美和監督の『ゆれる』のような作品です。 「真実が何なのかわからない」とか、「どこを信じていいかわからない」という感覚。足場が少しずつ崩れていくような、不安定さのほうを意識していました。 いわゆる“驚かせる怖さ”というよりも、信じていたものが揺らぐ怖さ。結果的にそれがホラー的な印象につながっているのかもしれませんが、作っているときの感覚としては、そちらに近かったと思います。

【演出意図】決してたどり着けない領域を可視化する

『災 劇場版』
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Q. 映像演出では、煙やカーテンなどある男の前にフィルターがかかっている表現が印象的でした。その演出意図をお聞かせください。 平瀬監督 “災い”そのものを象徴しようとしたというよりは、香川さん演じる男と、僕たち――あるいは物語の登場人物とのあいだに、何かが挟まっている、という感覚を大事にしていました。 絶対に手が届かない。そこに確かに存在しているのに、決して触れられない。そういう距離感を視覚的に表現したかったんです。 例えば、堂本が最後まで男を追い詰めきれない構造もそうです。ふたりの間には、車の窓ガラスがあったり、何かしらの“隔たり”が常にある。 あの男は、追えば追うほど近づいているように見えて、決して人間の手ではたどり着けない存在なんじゃないか、という感覚がありました。 煙やカーテン、ガラスといったモチーフも、その“遮られた距離”を可視化するためのものだったと思います。人間がどうにかしようとしても、決して越えられない。そういう意味で、災いの象徴にもなっていたのかもしれません。

『災 劇場版』
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関監督 今の話ともつながりますが、もうひとつは、単純に“紛れ込ませたかった”というのがあります。 シーツの奥だったり、カーテン越しだったり。すごく近くに立っているというより、「同じ空間のどこかにいる」という怖さをやりたかったんです。だからカーテンやガラス越しの構図が多くなったんだと思います。 最後の窓ガラスのシーンも、テーマとしては“届かなさ”に近いですが、同時に“同じ空間にいるのに触れられない”という怖さでもある。 そもそも各話の舞台を設定する段階から、香川さん演じる男が自然に紛れ込める場所を選んでいました。例えば、トラックドライバーが何人もいる会社や、講師が複数いる塾など。「そこにいてもおかしくない」環境を前提にしていたんです。 撮影段階では、その延長線上で、フレームの奥にいる、何かに遮られている、といった映像演出を積み重ねていきました。“いるかもしれない”ではなく、“もういる”。その感覚を作りたかったんだと思います。 ▼取材・文:増田慎吾