2019年11月27日更新

映画『セッション』の製作秘話&解説 ラスト狂気の9分間に込められた意味とは?【ネタバレ注意】

このページにはプロモーションが含まれています

AD

映画『セッション』の製作秘話&ラスト解説 撮影現場も狂気に満ち溢れていた?

偉大なジャズドラマーを目指す青年が鬼教師との出会い、何かにとり憑かれたようにドラムにのめり込んでいく狂気の様を描いた傑作音楽映画『セッション』。 第87回アカデミー賞で5部門にノミネートされた本作は、J・K・シモンズの助演男優賞受賞をはじめ、編集賞、録音賞の計3部門で受賞を果たしました。 ラスト9分間のセッションシーンが話題を呼んだ本作の製作・撮影秘話からラストの解説まで紹介します。 ※本記事には、作品のネタバレ情報が含まれています。未鑑賞の方はご注意ください!

『セッション』のあらすじを紹介

偉大なドラマーを目指し、最高峰の音楽学校であるシェイファー音楽院に入学したニーマン(マイルズ・テラー)。彼は、教師のフレッチャー(J・K・シモンズ)によって初級クラスから最上級のクラスに引き上げられます。プロのドラマーになれる可能性が広がったとよろこぶニーマンでしたが、そこで彼を待っていたのは、フレッチャーの狂気ともいえるスパルタ指導でした。 “偉大なミュージシャン”になることを夢見て、必死でフレッチャーについていこうとするニーマンは、次第に肉体的にも精神的にも疲弊していきますが……。

短編で製作資金を集めて長編映画に!映画の製作秘話を紹介

『セッション』短編で資金集め!?

『セッション』J・K・シモンズ、デイミアン・チャゼル
© BLUMHOUSE PRODUCTIONS/zetaimage

2012年、デイミアン・チャゼルの書いた『セッション』の脚本が、映画化されればヒットは間違いないとされる脚本の一覧“ブラックリスト”に入り、本作の製作企画はスタートします。 予算集めのため、チャゼルは本作の全85ページある脚本のうち、15ページ分を映像化した短編映画を制作。サンダンス映画祭で上映され絶賛を受けたことから、長編を製作する資金を無事に得ることができました。 短編映画でも教師役はJ.K・シモンズが演じましたが、生徒役はマイルズ・テラーではありませんでした。 その1年後にマイルズ・テラーが加わり、2014年のサンダンス映画祭で『セッション』が初上映されると、多くの観客や評論家から称賛を受けたのです。

AD

撮影は意外と短期間だった

アカデミー賞作品賞にもノミネートされた本作ですが、実は全シーンの撮影にかけられたのはたったの19日間だったそうです。 前述のとおり、短編で資金集めに成功したデイミアン・チャゼルは、すぐに長編版の製作に着手しました。しかし19日という短期間で撮影を完了させるため、1日の撮影時間は18時間以上。さらにチャゼルが途中で交通事故に遭い、翌日には撮影に戻るという壮絶な制作過程を経て映画を完成させました。 ちなみにサンダンス映画祭出品時には、撮影から編集まで全てを含めたった10週間で仕上げられたそうです。

デイミアン・チャゼルの実体験がもとになっていた?

デイミアン・チャゼル
©JIM RUYMEN/UPI/Newscom/Zeta Image

本作ではフレッチャーの強烈なキャラクターも見どころですが、実は彼には実在のモデルがいます。デイミアン・チャゼルは、高校時代に競争の激しいジャズバンドに所属していました。このときに彼を指導した厳格な音楽教師がフレッチャーのモデルになっているとか。 またチャゼルは、2014年にMediumのインタビューで「『セッション』の主人公とは違い、自分の才能では偉大なミュージシャンになることはできないと本能で理解した」と語っています。

『セッション』に影響を与えた作品を紹介!

ボクシング映画『レイジング・ブル』(1980年)

マイルズ・テラーによると、監督のデミアン・チャゼルは彼に『レイジング・ブル』と『コントロール』のDVDを渡し、「この2つの映画を見ておいてほしい!」と言ったのだとか。 『セッション』のマーティン・スコセッシからの影響は明らかで、この作品はジャズ版の『レイジング・ブル』と言えるかもしれません。物語構成、バイオレンスシーン、俳優の肉体的な体現などが特徴として本作に引き継がれています。

AD

戦争映画『フルメタル・ジャケット』(1986年)

フレッチャーが、ニーマンをはじめとする生徒たちを指導する様子は、まるで『フルメタル・ジャケット』の鬼軍曹ハートマンが、新兵を訓練するかのような過酷さで描かれています。 彼は生徒たちに罵詈雑言をあびせ、ときに体罰を加えることもいとわない、まさに鬼教師。精神的にも肉体的にも主人公を追い詰める彼の“指導”が、ニーマンの心を少しずつ蝕んでいくさまも、同作を思わせます。

マイルズ・テラーの撮影秘話 文字通り血が滲む努力でニーマンを体現!

ジャズドラムを習得するため必死の努力

マイルズ・テラー
©Peter West/ACE Pictures/Newscom/Zeta Image

マイルズ・テラーは15歳の時にドラムセットを購入して独学でドラムを習得し、バンドThe Mutesでドラマーとして活動していました。 しかし彼は本作に取り組む際、ジャズドラムは全く別のものだということに気付きます。 スティックの持ち方や新たな音楽記号など、覚えなければならないことが山ほどあり、1日に3~4時間ドラムを練習する日々を2か月間続けました。その間、彼が演じるアンドリューが憧れているジョー・ジョーンズ&バディ・リッチの映像を繰り返し見ていたそうです。

作中同様、ドラム演奏シーンは過酷だった

本作の胆ともいえるドラム演奏のシーンでは監督はあえて撮影にストップをかけず、マイルズ・テラーは常に限界になるまでひたすらドラムを叩き続けていたとか。 そのような過酷な撮影もあってか、彼の指には水ぶくれができてしまいました。それでも演奏し続けたため、最後には水ぶくれがつぶれ、ドラムスティックやドラムセットには血が付いていたそうです。

AD

J・K・シモンズの撮影秘話 反撃にあって骨折したまま撮影していた?

本当にマイルズ・テラーを引っ叩いた!?

『セッション』J・K・シモンズ
© BLUMHOUSE PRODUCTIONS/zetaimage

フレッチャーがニーマンに平手打ちを食らわせるシーンで、J・K・シモンズは実際にマイルズ・テラーを引っ叩いています。 その前に何度か平手打ちをするふりをして撮影しましたが、最後のテイクでは、2人で話し合って実際に当てることにしたのだとか。

マイルズ・テラーの反撃で骨折したまま撮影!?

J・K・シモンズは、テラー演じるニーマンがフレッチャーにタックルしてくるシーンで肋骨を2本骨折してしまいました。 このとき撮影はあと2日残っており、シモンズは肋骨が折れたまま、なんとか乗り切ったそうです。

ラスト9分の狂気をネタバレありで解説

これまでのすべての抑圧から解放されるラスト

『セッション』マイルズ・テラー
© BLUMHOUSE PRODUCTIONS/zetaimage

本作のいちばんの見どころであるラスト約9分の演奏シーンは、ニーマンが音楽院にフレッチャーの暴力的な指導を密告したことに対する報復としてはじまります。急遽フレッチャーのバンドで演奏することになったニーマンは、事前に知らされていた曲とは違う演奏がはじまり呆然としてしまうのです。

1度はステージを去ろうとした彼でしたが、戻ってくるとフレッチャーの指揮を無視して「キャラバン」を演奏しはじめます。 その鬼気迫る演奏を目の当たりにしたフレッチャーは、自分が今、偉大なミュージシャンを生み出したことを悟ります。そして、満足そうにニーマンの演奏を引き立てるようバンドを指揮するのでした。 このシーンでは、それまでフレッチャーに抑圧されてきたニーマンの思いが爆発し、解放される爽快感があります。また、「音楽のためにどこまでやるか」というテーマのなかで、ずっと理不尽な扱いに耐えてきたニーマンがやっと報われた瞬間でもあるのです。 また、彼は“偉大なミュージシャンになる”という自分の夢を叶えるため、フレッチャーの厳しい指導に耐えてきました。そして彼は音楽に取り憑かれ、次第に狂気の世界へと足を踏み入れていきます。ラストのあのステージで、一般的なしあわせとはかけ離れたその世界に完全に身を投じました。 一般的なしあわせを彼に望む優しい実の父と決別し、自分の夢を叶える厳しい“父親”であるフレッチャーを選んだニーマン。今後、彼は音楽という狂気の世界で生きていくのでしょう。

映画『セッション』は監督の過酷な実体験が反映された故に生まれた傑作だった

シンプルなストーリー構成とラストの演奏シーンがとくに評価され、世界で絶賛された映画『セッション』。当時弱冠28歳だった監督のデイミアン・チャゼルは、本作で一躍名監督の仲間入りを果たしました。 自身の過酷な体験をもとに、「音楽のためにどこまでやるか」を追求した本作は、偉大なミュージシャンたちの狂気に触れる作品となっています。