ダスティン・ホフマン、最も偉大な映画スターのちょっとコアな情報!

2017年7月6日更新

『卒業』や『クレイマー、クレイマー』、『レインマン』などで知られている、オスカーを二度受賞した稀代の名優ダスティン・ホフマン。こちらでは、彼の来歴や出演作品、プライベートなどをたくさんご紹介しています。

ダスティン・ホフマンの基本情報

ダスティン・ホフマン(本名:ダスティン・リー・ホフマン)は、1937年8月8日にロサンゼルスで生まれた、アメリカ人俳優です。

ダスティンという名前は、無声映画に出演していたアメリカ人俳優のダスティン・ファーナムのちなんでいます。

演劇科を卒業したダスティンはテレビ番組の仕事を引き受けるも、それだけでは生計を立てられなかったため、教員としても働きました。そんな彼が一躍注目を浴びたのが、第40回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた1967年の映画『卒業』です。

その12年後、離婚協定中の夫婦とその子供を描いた『クレイマー、クレイマー』【1979年】では、第回アカデミー賞主演男優賞を受賞。

また、ダスティンは映画俳優としてだけでなく、ブロードウェイ作品にも多く出演しており、映画出演よりも前にブロードウェイに立っています。

2012年には『カルテット!人生のオペラハウス』で映画監督デビューをしています。

大学での成績は悪かった

高校卒業後、ジャズピアニストになることを志し、ロサンゼルス音楽学校に入学しました。しかし、その後医学に興味を持ったため、音楽学校を落第する前に中退。

そこから、サンタモニカ市立大学へ入学しますが、またもや成績不振で挫折。

そんなダスティンは、「演劇科ならば落第者が出ない」ということを聞き、演劇科を選択します。まるでジムでのトレーニングの様な簡単な授業ではもちろん落第せず、これが俳優になるきっかけになったのでした。

俳優になったのは働きたくなかったから

ダスティンは、自分が負け組だと思っていたそうです。

年上の兄は、フットボール・チームと野球チームのキャプテンをしていましたが、かたやダスティンはまるでコメディアンの様だった模様。周囲からは、「お前はコメディアンだ」、「お前は本当の負け犬だ」などと言われていたのだそう。

高校卒業をしたダスティンは大学へ入学できる学力がなく、しかし、軍には入りたくなかったため2年制大学へ進学。

しかし1年目で落第し、どうすればいいのか途方に暮れたのだそう。仕事はしたくなかったし、学生生活を辞めたくないダスティン。結局、落第しないために進んだ演劇科で演技と出会い、最終的に俳優の道を選びました。

何をしても心を惹かれることがあまり無かったそうですが、演技だけはとても楽しいと感じられたのだそうです。

二度の結婚により子だくさん

ダスティンは、今現在までに2度結婚しています。最初の結婚は、1969年のアン・バーンと結婚でした。アンの連れ子の長女カレンとその後生まれた次女のジェンナに恵まれます。

しかし1980年にアンと離婚。アンと離婚した年に、ビジネス・ウーマンのリサ・ゴッドセーゲンと再婚しています。ふたりは4人の子供、ヤコブ、レベッカ、マクスウェル、アレクサンドラに恵まれました。

現在彼は、2人の孫のおじいちゃんでもあります。

ホフマンは完璧主義者で一緒に働きたくない?

ダスティンは筋金入りの完璧主義者で有名として知られています。なので、それが災いして度々製作現場で確執を生んでしまうこともあるそうです。

それが故に、1979年に『クレイマー、クレイマー』に出演した後は、1982年に『トッツィー』へ出演するまで、映画業界からの離脱を余儀なくされたことも。映画以外の仕事があったとされていますが、彼の完璧主義ぶりが影響して業界を干されたようなのです。

他人に厳しいダスティン。完璧を追及する分、自分に対しても一際厳しいそうです。

超豪華な会議にも出席

1997年の映画『ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ』の撮影中、当時アメリカ合衆国大統領だったビル・クリントンと会合をしたそうです。この会合には、監督のバリー・レビンソンと共演者のロバート・デ・ニーロも出席し、ワシントンホテルで行われました。

大変豪華なメンバーで即席に行われた会合でしたが、内容は肝が冷える様なものだったよう。

なぜなら大統領が「どんなストーリーの映画なのですか?」と聞いたとき、制作側一同は何も答えることができなかったからです。

というのも、この映画の内容は大統領のスキャンダルをもみ消すことを描いた作品なのですが、丁度この頃、大統領にも映画と同じスキャンダルが騒がれていたのです。

そのため、まずロバートが黙ったまま「答えを言ってくれ」と言わんばかりに監督の方へ向くも、監督もそのまま無言を貫き通しました。

しかも、無言のままダスティンの方を向いたため、もう振り向く人がいなくなったダスティンは、その場で何故かタップダンスを踊ったそうです。ちなみに、何を言ったのかは「全く覚えていない」ということなので、そんな状況下では頭が真っ白な状態だったのでしょうね。

300万ドルを"Los Angeles" Magazineに請求

ダスティンは、1999年に“ロサンゼルス・マガジン”を訴訟、肖像権侵害という理由で300万ドルの損害賠償を請求しています。

原因は、ダスティンが女装して出演したラブ・コメディ映画『トッツィー』の女装場面の画像を勝手に紙面に引用。また、単に引用しただけでなく、着用衣装などを無許可で変造させ、ブランド名や値段を書いて宣伝広告代わりにしたことです。

出版社側は、パロディというくくりになるため使用許可を取る必要はなかったと主張。一度はダスティンが勝訴し、327万ドルの損害賠償の支払いが命じられるも、その後出版社側に上訴されました。

しかし最終的に、商業目的の使用とは言い切れないとし、一転、ダスティンは敗訴しました。

隣人宅爆発事件

1970年3月6日、ダスティンと当時結婚していた妻アンがニューヨークに住んでいた時、突然隣人宅が吹き飛ばされました。周囲に知られてはいませんでしたがこの隣人は“ウエザーマン”という過激派テロ組織の一員だったのです。

この爆発によって、家にいた3人のメンバーが死んだそうです。爆発事件が起こったときはダスティンや家族は誰も家にいなかったことが、不幸中の幸いでした。

ジーン・ハックマンとの関わり

ジーン・ハックマンとは、第44回アカデミー主演男優賞に輝いたアメリカ人俳優です。

ダスティンはなんとジーンと一緒にアクターズ・スタジオで演技を学んだ同期生で、共にニューヨークへ渡ってきました。二人はニューヨークでルームシェアをし、ワンルームに住んでいたそうです。

その頃、たまに屋上へ行っては演奏会をしていたそうで、ダスティンはボンゴを、ジーンはコンガを演奏。クラブで音楽の演奏をしていた経験を持つと耳にした憧れの俳優・マーロン・ブランドに思いを馳せたそうです。

「エンターテインメント・ウィークリー」で最も偉大な映画スターにランクイン

読者投票で選ばれる、雑誌「エンターテインメント・ウィークリー」の“最も偉大な映画スター”。ダスティンは、その第28回最も偉大な映画スターに選ばれました。

また、2010年にはダスティンはマーロン・ブランドと並び、唯一2作品でアカデミー賞を2部門を同時に獲得した人物でもありました。マーロンは『波止場』と『ゴッドファーザー』で、ダスティンは『クレイマー、クレイマー』と『レインマン』でそれぞれ主演男優賞と作品賞を受賞しています。

この投票結果はもちろん、ダスティンが偉大な俳優であるということは疑う余地がありませんね。

アカデミー賞主演男優賞は二度も受賞!

父と子の絆を描いた名作

映画『クレイマー、クレイマー』【1979年】は、夫婦の離婚調停を通じて、家族、そして父と子の絆、子供への愛情を描いた作品です。

キッチンでフレンチ・トーストを作るシーンは広く知られていますね。

ダスティンは第52回アカデミー賞主演男優賞に輝きました。

障害を持った兄と弟の絆の物語

トム・クルーズと兄弟役を演じ、父の死をきっかけに絶縁状態だった兄弟の絆を描いた映画『レインマン』【1988年】。

ダスティンは重度のサヴァン症候群を患った兄のレイモンド役を演じています。彼は、その迫真の演技が高く評価され、第61回アカデミー賞主演男優賞を受賞しました。

英国アカデミー賞主演男優賞も二度受賞!

映画出演2作品目にして一躍注目を集めた作品

文武両道で優秀な学生ベンジャミンが2人の女性に出会い、それまでの退屈な日常が一変。そんな恋に翻弄される青年の姿を描いた青春恋愛映画が『卒業』【1967年】です。

ダスティンは主人公のベンジャミンを演じました。彼は、映画出演2作目の本作にしてその演技が高く評価され、第22回英国アカデミー賞新人賞を受賞しました。

2回連続で英国アカデミー賞を受賞

足が不自由ないかさま男、ラッツォとカウボーイ気取りのジョーの友情を切なく描いた、映画『真夜中のカーボーイ』【1969年】。

ラッツォを演じたダスティンは、第23回英国アカデミー賞主演男優賞に輝きました。

実は二度目の英国アカデミー賞の受賞は『ジョンとメリー』も評価されてのW受賞だった?

バーで出会いそのまま一夜を共にし、目が覚めたときには、相手が誰なのかお互い全く知らないとある男女。そんな彼らが、お互いを知って行き次第に心の距離を縮めていく姿を描いた恋愛映画が『ジョンとメリー』【1969年】です。

映画『真夜中のカーボーイ』がノミネートされたのと同じ回であり、両作品の演技が評価されての第23回英国アカデミー賞主演男優賞の受賞だったのでした。