名作『ゴッドファーザー』のキャストの現在は?
ベストセラーとなったマリオ・プーゾの小説をフランシス・フォード・コッポラが映画化。本作は『ゴッドファーザー』三部作の第1作に当たりアカデミー賞3部門(作品賞・主演男優賞・脚本賞)受賞。フランシス・フォード・コッポラの出世作となると同時に、主要キャストがスターの座にのし上がるきっかけとなりました。
イタリア・シシリア島出身のドン・ヴィトー・コルリオーネは、アメリカ・ニューヨークに渡り一代でコルリオーネファミリーを築き上げます。家族や友人、ファミリーの面々に愛され慕われるドン・コルリオーネ。つまらない相談にも応じる穏やかな実業家としての顔と盗みや人殺しも辞さないマフィアのボスとしての裏の顔をもっていました。
ビィトーには4人の子供がいて、長男ソニー、次男のフレド、三男マイケルに長女のコニーです。長男ソニーは表裏がなく男気あふれる性格で町の人気者。喧嘩っ早く頭がよくないのでファミリーを任せるのは少々心配なのですが・・・。次男フレドは気が弱くマフィアには向かないタイプ。三男マイケルは家業を嫌い家を出て軍人になっていました。
本作は長女コニーの結婚式のシーンから始まります。ドン・コルリオーネの1人娘の結婚を数え切れないほどの人々が歌い踊り盛大に祝うのです。相手に不服はあるものの娘の幸せを願うドンはコニーの手をとり踊りの輪に入っていきました。
恋人のケイを伴って結婚式に駆け付けたマイケル。父親がマフィアのボスであること、2人の兄もファミリーを手伝っていること、家族のことは愛しているが家業を継ぐつもりはないことをケイに打ち明けたのです。恋人の家族の生業に驚きつつも、家業には関わらないというマイケルの言葉に安堵し将来の義妹の結婚を祝うのでした。
しかし幸せな結婚式から一転。ドン・コルリオーネが対抗組織の襲撃を受け病院に運ばれたというニュースが駆け巡ります。更には敵の策略に乗り長男ソニーが銃弾に倒れてしまいました。ファミリーのドンである父を打たれ、兄を失ったマイケルは組織を背負い報復することを決めたのです。
ドン・ヴィトー・コルリオーネ/マーロン・ブランド
コルレオーネファミリーのボス、“ゴッドファーザー”ドン・ヴィトー・コルリオーネ。妻と子供を守るため、家族、友人を守るため。始まりは自警団の相談役のようなものでした。次第に組織は大きくなり、敵対勢力も増していきました。ファミリーを守るため長男ソニーを亡くし、三男マイケルには意に沿わない道を歩ませることになってしまいました。「こんなはずではなかった。」ドンの表情が物語っています。
言葉少なにぼぞぼぞと喋るのが特徴のドン・コルリオーネを演じたのはマーロン・ブランドです。
1954年『波止場』でアカデミー主演男優賞を受賞し一旦はスターの座についたブランドでしたが、トラブルが多いためハリウッドで敬遠されていた過去があります。本作に意欲を燃やしたブランドは実年齢より老けて見えるよう口に綿をつめて役に挑みました。のちに「20世紀最高の役者」と称えられるに相応しい圧倒的なオーラと演技力で、名作『ゴッドファーザー』の世界観を作り上げるのに一役買いました。
その他代表作として『欲望という名の電車』のスタンリー・コワルスキー役、『地獄の黙示録』のウォルター・カーツ大佐役があります。
マーロン・ブランドは“Tシャツ”の生みの親ってご存知でした?下着を普段着にしていたのが若者にウケて流行ったんですって。ジェームス・ディーンやエルヴィス・プレスリーも憧れていたみたいですよ。ジョニー・デップやマイケル・ジャクソンとも親交のあったマーロン・ブランドですが、2004年7月1日呼吸不全と心不全により亡くなりました。
マイケル・“マイク”・コルリオーネ/アル・パチーノ
ドン・ヴィトー・コルリオーネの三男・マイケル・“マイク”・コルリオーネ。巨大なファミリーに生まれつきながらも犯罪を嫌い兄たちとは別の道を歩もうとします。父親もマイケルをムリに組織に取り込むより弁護士や政治家にして外から支えてもらおうと考えていました。無口で感情を露にすることもありませんが、実は家族思いのしっかり者。
マイケルを演じたのは1940年4月26日生まれのアル・パチーノ。本作同様シチリア移民の子としてニューヨーク・クロンクスに誕生し貧しい家庭で育ちました。1969年に映画デビューし、本作で尊敬するマーロン・ブランドとの共演を果たしたのです。アカデミー賞には本作を含め8度に渡りノミネートされており1993年『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』でついに主演男優賞受賞となりました。
『フェイク』のレフティー役、『インサイダー』のローウェル・バーグマン役と50代半ば過ぎてからも第一線で活躍、2007年『オーシャンズ13』でホテル王ウィリー・バンクを演じたのも記憶に新しいですね。
サンティノ・“ソニー”・コルレオーネ/ジェームズ・カーン
ドン・ヴィトー・コルリオーネの長男・サンティノ・“ソニー”・コルレオーネ。血の気の多い武闘派、単純で考えを読まれやすいので巨大ファミリーを任せるには些か心配なところ。父を尊敬し妹やファミリーを大事に思う人情味溢れる性格で周りから慕われています。
ソニー役を務めたジェームズ・カーンは1939年3月26日生まれの俳優で、息子は『オーシャンズ11』に出演したスコット・カーンです。大学時代はフットボールや空手に明け暮れましたがその後演技に目覚めネイバーフッド・プレイハウスに入学。本作でアカデミー助演男優賞にノミネートされました。
1991年公開の『ミザリー』では主演のキャシー・ベイツがアカデミー主演女優賞を獲得、ジェームズ・カーンは狂信的なファンから拘束監禁される人気作家ポール・シェルダン役を演じています。ドラマ、声優と活動の枠を広げ、2016年3月には自身の主演作『The Waiting』がアメリカで公開されました。『The Waiting』の日本公開は未定です。
フレデリコ・“フレド”・コルレオーネ/ジョン・カザール
ドン・ヴィトー・コルリオーネの二男・フレデリコ・“フレド”・コルレオーネ。気が小さくて意思が弱いので元々マフィアには向かないタイプでした。個性の強い兄弟に挟まれて影の薄い存在として生きています。長男ソニーの死後二男である自分を差し置いてマイケルが跡継ぎに選ばれたことがフレドの心に影を落としました。
フレドを演じたジョン・カザールは1935年8月12日生まれの俳優で本作が映画デビュー作となります。オフ・ブロードウェイで活躍していた1960年代後半に知り合ったアル・パチーノとともに一躍有名人の仲間入りをしました。
1975年再びアル・パチーノと共演した『狼たちの午後』のサル役でゴールデングローブ賞にノミネート。舞台『尺には尺を』で共演したメリル・ストリープと婚約し順風満帆に見えたカザールでしたが、『ディア・ハンター』の撮影中に癌に侵されていることが発覚。撮影終了後の1978年3月12日帰らぬ人となりました。
コンスタンツァ・“コニー”・コルレオーネ・リッツィ/タリア・シャイア
ドン・ヴィトー・コルリオーネの1人娘でマイケルたち三兄弟の妹に当たります。男を見る目がなくドンの反対を受けながらもろくでなしのカルロと結婚。本作はコニーの結婚式からスタートします。
ドンの予想通り、新婚早々外に女を作り嫁のコニーには平気で暴力を振るうカルロ。妹の顔に残る痣を見つけたソニーが逆上!カルロを掴まえてボコボコにします。ここからファミリーの悲劇が始まるのでした。
コニー役のタリア・シァイアは1946年4月25日生まれ、ニューヨーク州出身の女優です。監督フランシス・フォード・コッポラを兄に、ニコラス・ケイジを甥にもつ芸能一家の生まれ。映画デビューは1963年大学在学中のことでしたが、注目を浴びたのは兄フランシスが監督を務める本作への出演です。
1976年には『ロッキー』エイドリアン役を演じアカデミー賞主演女優賞にノミネート、1990年の『ロッキー5/最後のドラマ』まで14年に渡るシリーズとなりました。2016年現在も映画女優として活躍中です。
トム・ヘイゲン/ロバート・デュヴァル
子供の頃にソニーに拾われドン・ヴィトー・コルリオーネの養子に迎え入れられました。ソニーたち兄弟の義兄弟に当たります。ドンから学費を出してもらい大学へ進学。卒業後は弁護士となりファミリーの相談役として影に日向に活躍しています。
トム・ヘイゲン役を務めたロバート・デュヴァルは1931年1月5日生まれ俳優・プロデューサーです。大学で演劇を学んだ後1953年からの2年間は兵役に服しました。ブロードウェイ、テレビ、映画と活躍の場を広げ1972年本作でアカデミー助演男優賞にノミネート。本作以外にも6度のノミネートがあり1983年『テンダー・マーシー』で主演男優賞を獲得しています。
2014年『ジャッジ 裁かれる判事』のジョセフ・パルマー役でのアカデミー助演男優賞ノミネートは最高齢記録となりました。ロバート・デュヴァルが84歳の時に、マーロン・ブランドと再共演を果たした『地獄の黙示録』キルゴア中佐役も有名ですね。
ケイ・アダムズ・コルレオーネ/ダイアン・キートン
マイケルの大学時代からの恋人で二度目の妻。冒頭コニーの結婚式のシーンでマイケルに伴われて登場。マフィアの三男坊という事実を聞かされ驚くケイでしたが、家業に関わるつもりはないと言い切るマイケルの言葉に安堵のため息を漏らしました。結局はマフィアのボスの妻になってしまいます。
マイケルとの間に一男一女を授かりのちに離婚しました。
ケイ・アダムズ・コルレオーネを演じたのは1946年1月5日生まれのダイアン・キートンです。高校卒業後、ロサンゼルスからマンハッタンに移りネイバーフッド・プレイハウスで演技を学びました。ブロードウェイからキャリアをスタートさせ1970年から映画にも出演。
アカデミー賞には4度ノミネートされ1978年『アニー・ホール』で主演女優賞を受賞。1991年に放送されたテレビシリーズ『ツイン・ピークス』の演出や2003年の『エレファント』で製作総指揮を務める等プロデュース業にも多く関わっています。2016年公開の『ファインディング・ドリー』ではドリーの母役を務めています。