2017年12月28日更新
ディズニー『ピノキオ』がもっと好きになる13の事実
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1.原作はもっとダークな内容だった!?
本作は1883年イタリア人作家カルロ・コッローディが発表した『ピノッキオの冒険』を原作とした映画です。
もしディズニー版『ピノキオ』をダークだと感じたなら、原作を1度読んでみてください。オリジナル版は暗殺者に刺されたり、吊るされたりと映画以上に散々な目に遭っています。
2. 元々はディズニー映画第3弾だった!?
本作は元々ディズニースタジオ第3作目の作品としてリリースされる予定でした。
ディズニー長編第1作『白雪姫』の後は『バンビ』が公開されるはずでしたが、鹿をアニメーションで描くことが当時は困難だったため『バンビ』の公開が大幅に遅れることに。そこで、ウォルト・ディズニーは『ピノキオ』の製作を早め、本作は1940年2月ディズニー第2作の作品として公開されることになりました。
3.逆転の発想でピノキオのデザインが決まった!?
本作のピノキオの最終デザインが決まるまでには1年以上の月日を要していました。アニメーターたちがデザインを見せるたび、ウォルト・ディズニーはブラッシュアップを求めていたそうです。
ディズニーの伝説的アニメーター“ミルト・カール”が人間としてピノキオを描いた後に人形の特徴を加えるアプローチを生み出したことで、ウォルトが納得いくデザインが生まれたと言われています。
4.ディズニーのラストロトスコープ作品だった!?
本作は実写の動きをトレースしてアニメーションを作るロトスコープの手法が採用されていました。ディズニーは『白雪姫』からこの手法を採用し、『ピノキオ』がロトスコープを使って製作された最後のディズニーアニメ映画だと言われています。
ちなみにブルーフェアリーの動きのモデルとなったダンサー、マージ・チャンピオンは、その他にも白雪姫などのキャラクターモデルを務めています。
5.ジミニー・クリケットはキモかった!?
本作でジミニー・クリケットのアニメーションを担当していたのはディズニーのレジェンド“ワード・キムボール”という人物でした。
キムボールが最初にウォルトに提出したクリケットは本物のコオロギそっくりのキャラクターだったと言います。そのデザインを見たウォルト・ディズニーが口にした言葉は“気持ちが悪い!”だったんだとか。
その後、キムボールはクリケットを人よりのデザインに変更してウォルトのゴーサインを獲得していました。
6.ウォルト・ディズニーお気に入りのマイナーキャラ!?
ゼペットの飼い猫“フィガロ”は本作でかなりマイナーなキャラクターですが、ウォルト・ディズニーの特にお気に入りのキャラクターでした。
フィガロは本作以外にも、ミニーマウスのペットとして登場することがあります。
7.ジミニー・クリケットは脇役だった!?
本作のジミニー・クリケットはかなり重要な役割を担っていますが、原作のクリケットはピノキオが投げたハンマーに当たり命を落とすなどかなり小さな役でした。
ウォルト・ディズニーのアイデアによって、ジミニー・クリケットの出番が大幅に増加されることになったそうです。
8.興行的に失敗していた!?
映画『ピノキオ』はロサンゼルスタイムスが“アニメ史上最高傑作”と評するなど批評家たちから高い評価を獲得しました。しかし、商業的には『白雪姫』の興行成績に遠く及ばず失敗に終わった作品です。
ウォルト・ディズニーは本作の少し前に公開された『風と共に去りぬ』の大ヒットが興行的に悪い影響を与えたと信じていました。
9.ピノキオとしては年を取り過ぎ!?
本作のピノキオの声優オーディションには数多くの人物が参加したと言われています。その中の1人がウクレレの奏者クリフ・エドワーズでした。
しかし、当時エドワーズはすでに43歳で年を取り過ぎていました。そこで彼はピノキオの代わりにジミニー・クリケットの声優にキャスティングされることになったそうです。
10.ギデオンは話すキャラだった!?
詐欺師のキツネ“ファウルフェロー”の相棒ネコ“ギデオン”は元々話すキャラクター設定だったと言われています。
声優を務めたメル・ブランクは16日かけてセリフを録音していましたが、観客が酔っ払いネコのキャラクターと勘違いすることを懸念してセリフがしゃっくりだけになったそうです。
11.200万枚の絵が描かれた!?
映画『ピノキオ』のために約2,000,000枚の絵が描かれ、最終的に使用されたのは30万枚ほどだったそうです。
12.アカデミー賞を2つ獲得!?
本作は2つのオスカーを獲得したディズニーの記念すべき作品です。
リー・ハーライン、ポール・J・スミス、ネッド・ワシントンがアカデミー賞作曲賞、クリフ・エドワーズが唄った『星に願いを』でアカデミー歌曲賞を受賞しました。
13.ディズニーはジムニー・クリケットに墓石を贈った!?
『ピノキオ』後も数多くのディズニー作品に携わっていたクリフ・エドワーズでしたが、アルコールの問題が原因で徐々にディズニー作品から遠ざかっていくことになります。
しかし、ディズニーはエドワーズの功績を決して忘れてはいませんでした。1971年にエドワーズが亡くなった後、ディズニーはエドワーズに立派な墓石を贈ったと言われています。