映画『アマデウス』ではサリエリがモーツァルトを憎んでいた
1984年の『アマデウス』はブロードウェイ舞台の映画化として公開されました。世界的に作曲家として知られるモーツアルトにトム・ハルスが扮し、同じく作曲家として活躍していたアントニオ・サリエリをF・マーリー・エイブラハムが演じました。アカデミー賞では8部門を受賞しています。
『アマデウス』でのモーツァルトとサリエリは、水と油のような仲として描かれていました。下品でマナー知らずと軽蔑されていたモーツァルトですが、サリエリだけは彼の圧倒的な才能に気付き、嫉妬を抱いてしまうのです。
「神からの寵愛」というのにふさわしい才能を持つモーツアルトと、それを持たない自分。憧れの一方でサリエリはモーツァルトを心の底から憎むようになり、彼の才能を潰すための策略に打って出ます。つまりモーツァルトとサリエリは映画では絶対に交わることのない、わかりあうことのできない関係だったのです。
果たして実際の関係はどのようなものだったのでしょうか。
サリエリがモーツァルトを嫌っていたという証拠はない
実際はサリエリ個人がモーツァルトを嫌っていたというよりは、イタリア人音楽家たちがモーツァルトを快く思っていなかったというのが正しいようです。モーツアルトの遺された手紙から、サリエリ含むイタリア人音楽家たちがモーツアルトの音楽家としてのキャリアを邪魔するようなことをヨーゼフ皇帝(音楽家たちの雇い主)に吹聴していたというのが明らかになっています。
しかしながら、サリエリがモーツァルトを毒殺するほど憎んでいたというのはリアリティに欠ける話です。
実際は仲が良かった!?
そんなサリエリとモーツァルトですが、実は「平和なライバル関係」だったという声もあがっています。
例えばモーツァルトはオペラ『魔笛』のパフォーマンスにサリエリを加えようとしていました。さらにサリエリもこのオペラを大層気に入り、モーツァルトが「サリエリは上映中何度もブラボー!と叫んだんだ」ということを妻に書いた手紙がのこっています。
相手を邪魔に思うことはあっても、その才能はお互い認め合っていた仲なのかもしれませんね。
レクイエムを依頼したのはサリエリではない
作曲中にモーツァルトが体調を崩し、そのまま帰らぬ人となったといういわくつきの『レクイエム』。映画ではサリエリが変装してモーツァルトに依頼をし、病に伏せながらの作曲がモーツァルトに死を招きました。
実際に依頼したのはと、フランツ・フォン・ヴァルゼックという男性。彼は妻を亡くしたばかりで、その妻のためにレクイエムを作ろうと思い立ちました。ヴァルゼックはプロの音楽家に匿名で作品を作ってもらい、それを自分の作品として公表するということをしていました。このレクイエムも彼の作品として発表するためにモーツァルトへ依頼したのだと考えられています。
サリエリはモーツァルトを殺していない
それでは最大の争点、モーツァルトの死について考えましょう。映画ではサリエリがモーツァルトを死に追いやるためにあれこれと画策を巡らせており、実際にサリエリは冒頭部分で「許してくれ、モーツァルト!君を殺したのは私だ」と繰り返しています。
それではモーツァルトの死はサリエリの犯行でしょうか?この可能性はゼロだと言われています。モーツアルトの死後、サリエリは犯人扱いされて心を痛めていたそうです。また、弟子や他の音楽家に「あなたがモーツァルトを殺したのか」と聞かれると毅然とした態度で否定していたというエピソードもあり、サリエリがモーツァルトを殺したというのはありえないでしょう。
モーツァルトを殺したのは誰だ?
それではモーツァルトを殺したのは一体誰でしょう。実はモーツァルトは病気で亡くなったというのが一般的な見方のようです。粟粒熱と呼ばれる疾患とされていましたが、実際はリューマチ性炎症熱だったようです。
オペラ『魔笛』を完成後病に伏せていたという記録もあります。いずれにしろ「サリエリ犯人説」は映画を盛り上げるための設定だったということがわかるでしょう。
結論:ライバル関係にはあったが激しい憎悪はなかった
以上のことをまとめると、モーツァルトとサリエリは映画『アマデウス』で描かれているような憎み合い殺してしまう関係ではなかったと言えます。確かにサリエリにはモーツァルトの才能を羨み、嫉妬する気持ちがあったのかもしれませんが、同時にその類まれなる才能を認めていたのも事実です。
2人は意外によきライバル関係だったのかもしれません。