2017年7月6日更新

『アデル、ブルーは熱い色』あらすじ・キャスト・感想【女性同士の熱い恋】

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アデル、ブルーは熱い色

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『アデル、ブルーは熱い色』女性同士の激しい恋愛を描いた傑作フランス映画

2013年度のカンヌ映画祭で最高賞であるパルム・ドール賞を受賞したフランス映画『アデル、ブルーは熱い色』。若い女性2人が激しい恋に落ちる過程を、繊細な色彩表現で描いた作品です。 過激な性描写、主演の2人の名演、美しく情熱的でかつ切ない恋の模様など、この映画を見るべき理由は数えきれません。 この記事では本作のあらすじ、キャスト、監督、見どころ、そして皆さんの感想などをまとめてご紹介します。

『アデル、ブルーは熱い色』ってどんなストーリー?

女子高生のアデルは、ある日交差点で見かけた青い髪の女性エマに心を奪われます。彼女に再び会えないかと期待して訪れた同性愛者のバーで、2人は再会。すると2人は誰にも止められない熱い恋に落ちるのでした。 エマと過ごす日々の中で、アデルは心に眠る欲望を発見し、これまで知らなかった悦びを味わうことに。愛し、憎み、自分を見つけ、失い…感情の渦の中でアデルは大人の女性へと成長していきます。

『アデル、ブルーは熱い色』の気になるキャストは?

アデル/アデル・エグザルホプロス

エマを通して愛を知る純粋な少女アデルを演じるのは、ギリシャ系のフランス女優アデル・エグザルホプロス。2016年現在まだ22歳と若い才能です。 9歳から演技学校に通い、13歳で初めて長編映画に出演した彼女ですが、真に世界に名を知らしめたのは今作『アデル、ブルーは熱い色』に出演してからでした。 この作品で共演したレア・セドゥと監督のアブデラティフ・ケシシュと共に、弱冠19歳でパルム・ドール賞を受賞しました。 役を細かく研究するセドゥと違い、彼女は本能的に役の心情を捉えて演技をするタイプの女優。セドゥには「竜巻のよう」と評されています。それが監督に気に入られて起用されました。 また、彼女が演技の合間に寝たり、間食をとったりするシーンも撮影されて映画に使われているそうです。作中のアデルと現実世界のアデル・エグザルホプロスの境界が非常に曖昧になっていることが、この映画の大きな魅力と言えます。

エマ/レア・セドゥ

妖麗な魅力でアデルを誘惑し、愛と感情の渦へと引き込む女子大生エマを演じるのはレア・セドゥです。 アデル・エグザルホプロスが18歳と若く女優経験も短かったのに対し、セドゥは撮影当時26歳。フランス映画の『美しいひと』や『マリー・アントワネットに別れを告げて』などでフランス最高峰の賞にノミネートされたことのある実力者です。 2000年代後半からフランスを代表する女優の一人として活躍してきただけでなく、2009年の『イングロリアス・バスターズ』でハリウッドデビューも果たしています。近年では『007 スペクター』でボンド・ガールを務めたことでも有名ですね。 共演したアデル・エグザルホプロスは彼女のことを以下のように評しています。
とてもミステリアス。ひとつのイメージを纏うのでなく、レアは、どんな時代でも、どんなストーリーでも演じられるような1000の顔を持っていて、同時に唯一無二の存在だわ。
引用:m.elle.co.jp

『アデル、ブルーは熱い色』の監督は誰?

『アデル、ブルーは熱い色』という強烈ながらも繊細な恋愛映画を世に送り出したのはアブデラティフ・ケシシュ監督。チュニジア出身フランス育ちの監督・脚本家です。 監督デビューは2000年の『ヴォルテールのせい』。2007年に監督した『クスクス粒の秘密』はセザール賞の主要部門を受賞し、ヴェネツィア国際映画祭でも高い評価を獲得しました。

『アデル、ブルーは熱い色』には原作コミックがあった!?

この映画の原作となったのはフランスのアーティスト、ジューリー・マロによるコミック(グラフィック・ノベル)です。マロは19歳の頃から5年かけてこの作品を書き上げ、2010年に出版しています。日本やアメリカでは、映画が公開された後に初めて発売されました。 コミックの特徴はその色使い。全てが白黒で描かれている中に、青色だけが加えられています。なぜ青なのか、青がどのような意味を持つのか、といった疑問に対する明確な答えは出されていません。これは読者・視聴者がそれぞれ独自の解釈を加える部分でしょう。 原作と映画の間には幾つかの相違点があります。まず、主人公の名前がクレモンティーヌからアデルに変更されていること。これは監督が主人公と女優アデル・エグザルホプロスの同化を図ったことによるものだそうです。また、ラストも大きく異なるので、気になる人はコミックを読んでみましょう!

監督、それはやりすぎじゃ…

『アデル、ブルーは熱い色』が公開された時、最も話題になったのはその7分間にも及ぶ主演2人のセックス・シーンでした。 体を張ってこの演技に臨んだことは、確かに本作の価値を高めています。またカンヌ国際映画祭において、慣習に従わず監督だけでなく、アデル・エグザロホプロスとレア・セドゥにもパルム・ドールが授与された理由の一つでもあるでしょう。 しかし後のインタビューで、2人はこれらのシーンの撮影が耐え難いものであったと告白しています。完璧主義者である監督は、2人に同じセックスシーンを100回以上、10日間にも渡って演じさせたそうで、レア・セドゥは自分が売春婦のように感じられたと語ります。 このような発言が原因で、監督と2人の女優の間には大きな確執が生まれました。2人は二度とケシシュ監督と仕事はしないと言い放ち、一方で監督は、
女優の仕事なんて、甘やかされた子供のものだ。私は、自分の出自もあって、苦痛を伴う労働がどのようなものかは知っている。私がこの映画の撮影で彼女らにさせたことは、そんなものではなかった。
引用:newyorker.com
と反論しています。 しかし、アデル・エグザロホプロスはこのような監督の異常なまでのこだわりを辛いと思いながらも、その熱意には感動しています。彼のおかげで、彼女が持つものが120%まで引き出されたのではないかとも考えているようです。

映画『アデル、ブルーは熱い色』の感想・評価まとめ【ネタバレ注意】

日常の自然な描き方に魅了される

ohayou_nihon また好きな映画が増えた。 3時間の長編だけど全然長く感じないくらい魅力的な作品でした。 すごくドキドキした… 人間の生活している様が不自然に切り取られることなく、喜怒哀楽の感情も人間の美しい瞬間、醜い瞬間、食事や睡眠の生活も友人や恋人や仕事も全部流れるように自然で、心地よかった。
_coharu エマに魅了されていくアデルの表情が自然で人間らしくて素敵でした。

純粋で情熱的な愛にに感動

Futosi__Saito  『ブロークバックマウンテン』以来の同性による純愛映画。こちらは、純愛というより「純粋」と呼ぶべきかもしれない。  純粋に好きになったがゆえに、純粋に体を求めあう。ベッドシーンが激しいとの意見もあるが、情熱があるからで、同性だからというのではない。  ただ、違和感があるのは我々が見慣れていないせいなのだ。  主人公アデルの演技も凄い。なりきっているのは、その表情と泣き方でわかる。涙が頬を伝うだけでなく、鼻からも出ている。  一度の発覚で許されなかったり、感情的すれ違いというのも、異性間での恋愛でもあることだ。  ただ、この映画はひたすら情熱的で、ひたすら純粋であり、それが特長だ。  ともかく、のちのちも感慨が湧いてくる、忘れられない映画だ。
ciatr_ryouka3 こんなに心から愛することをしてきただろうか。人生に偶然はない、というエマの言葉通り、なるべくして愛し合う二人。その姿に美しさと哀しさを感じた。エマの悲しげな瞳、アデルのまっすぐな情熱。共鳴し燃え上がり、そして炎はしだいに弱まって。熱いからこそ哀しい。映画が終わってエンドロールが流れても、人目を気にせずおいおい泣いた作品。

少女アデルの成長を見守る3時間

xxxmeso 少女が大人になる過程を3時間かけて見守る映画。エマとよりを戻せないと分かったあとの、ぼろ泣きしながら笑顔を作って別れるシーンはうっかりもらい泣きした。いい男と出会う運はあるのに幸せは逃がしてしまう、ちょっとかわいそうな子だったなアデル。常に口が半開きのゆるい感じでかわいかった。
skr_icj #eiga #movie どこかしっくりこない様子を見せるアデルが、エマと出会うことで一変する。ゲイ(レズ)の話で、少し見てはいけないような気がしてそわそわしていたけれど、異性の恋愛とそんなに変わらない気がした。出会って、欲して、そのうちに段々と不満が出てきて、ぶつかって、間違えて、泣いて。純粋すぎる青春。食べるシーン、行為のシーンが、汚い。でも生々しくて目が離せない。 絶望が溢れ出るカフェのシーン。ふたりの演技がすごかった、凄まじかった。依存からの卒業はなぜか哀しかったけれど、アデルが魅力的になった気がした。