2020年10月7日更新

映画『たかが世界の終わり』を徹底解説!ラストシーンの鳥が象徴するものとは……?

たかが世界の終わり

繊細に語る「愛」で高い評価を受ける天才監督グザヴィエ・ドラン。彼が映画『たかが世界の終わり』の中で描きたかった「家族の愛」とは……?主人公の過去や挿入歌の意味から登場人物たちの入り混じる感情を紐解き、考察します。

目次

映画『たかが世界の終わり』あらすじ&解説!複雑な家族の愛を登場人物から紐解く

映画『たかが世界の終わり』は、カンヌ映画祭の常連であるグザヴィエ・ドラン監督の傑作とも名高い一作。2017年に日本公開されたこの作品には、ギャスパー・ウリエル、マリオン・コティヤール、レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセルといったフランスを代表する豪華俳優陣が登場します。 ジャン=リュック・ラガルスによる戯曲を原作に、ドランらしい繊細な感性で「家族」の形を描いた本作はカンヌ映画祭でグランプリを獲得しました。この記事では、不器用な登場人物たちの「愛」を読み解きます。 ※この記事はネタバレを含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

グザヴィエ・ドラン監督作品『たかが世界の終わり』のあらすじ

家族と関係を絶っていた人気劇作家のルイ。彼が12年ぶりに突然帰郷したのは、自分が病に侵され余命わずかであることを告げるためでした。 家族との感動の再会になるはずであった帰郷。しかし現実はそう簡単にはいきません。 母、赤の他人に近い妹、兄、そして兄の妻。ルイを取り巻く家族の中で、怒りや憎しみといった激しい感情が飛び交います。 その果てに彼が見つける愛とは何か。家族とは何か。絶望の中に希望はあるのでしょうか?

5人の登場人物からストーリーを考察【ネタバレ】

主人公ルイはなぜ家を出たのか?ルイと恋人の過去を考察

12年のあいだ家族の元に帰らなかったルイ。そもそも彼はなぜ家を出たのでしょうか? 家を出る前、ルイには恋人がいたことがアントワーヌとの車中の会話でわかります。そして恋人だったその少年はその後ガンで亡くなっていることも明かされました。 その少年こそ、ルイが家を離れた直接の原因になっているのではないでしょうか。 本作の舞台は2000年代初頭となっており、そこから12年前というと80年代末から90年代初頭と考えられます。当時の時代背景から、まだ偏見や差別が根強かったのでしょう。 ルイは、自分らしく生きられない閉塞感や、自分を受け入れてくれない家族から逃げ出したかったのかもしれません。

キーパーソンは唯一の他人、兄嫁のカトリーヌ!

ルイが家族のなかで心を許せる存在となっているのが、兄の妻であるカトリーヌです。ルイたちと唯一血のつながりのない彼女だけが、無口な彼の心情を的確に読み取り、同情を示しています。 家族の一員でありながら疎外感を持っているという意味で、カトリーヌとルイは通じ合うところがあるのでしょう。 また彼女は、彼が帰ってきた理由も察しがついているようです。 母マルティーヌからルイがゲイだと明かされていたことや玄関でルイを出迎えたときの彼女の態度、子供たちを連れてこなかったことなどから考えると、カトリーヌはルイがエイズにかかっていると予想しているのではないでしょうか。 作中で彼の病名は明かされませんが、カトリーヌはその後もルイの死期が近いことを確信しているようなセリフを言っています。 ルイと初対面だったカトリーヌは、夫のアントワーヌらと違って彼に対して愛情も憎しみも持っていません。くもりのない彼女の視点からはルイの真実が見えており、冷静に彼の話に耳を傾ける余裕もありました。 これらはすべて、彼女が「他人」だからできることなのです。

未来の話をする母マルティーヌ、死に向かう未来のないルイ

12年ぶりに帰ってきたルイを大歓迎する母マルティーヌは、なんとか家族の再会のときを楽しく過ごそうと、不自然なほど明るく振る舞います。 しかし彼女もまた、息子の死期が近いことを察知しているようです。そんな理由でもなければルイが実家に顔を出すわけがないと、本当はわかっているのでしょう。 マルティーヌは物置小屋で、ルイに家族のこれからのことなどを話します。しかしルイにはその“これから”は来ないのです。彼女もそれをわかっていながら、気づかないふりをつづけているのでした。 彼女には、息子の死を受け入れる勇気がなかったのではないでしょうか。長年離れて暮らし、突然帰ってきた息子から急にそんな話を聞かされれば、家族はどうなってしまうのかわかりません。 ルイに対して大きな期待を抱いていたマルティーヌは、気づかないふりをすることで、つらい現実を突きつけられるのを避けようとしていたのです。 しかし「あなたのことは理解できないけど、愛してる」という彼女のセリフは、母の強い愛を示すとともに、「愛」というものの本質を言い表したものなのではないでしょうか。

弟に嫉妬する兄のモチーフは『新約聖書』?

ルイと兄アントワーヌの関係は、『新約聖書』の「放蕩息子のたとえ話」がモチーフになっています。 この話に登場するのは、父親から財産の生前分与を受けた2人の兄弟。兄は父のもとにどとまり商売を手伝いますが、弟は家を出てそのお金で遊び回っていました。 その後、無一文になった弟は、父に許しを乞い、雇ってもらおうと帰ってきます。父は弟の帰還をよろこび、ごちそうを用意して歓迎。しかし兄にはそれが面白くありません。 兄が不平を言うと、父はこう答えました。「お前はいつも私とともにいる。私のものはすべてお前のものだ。しかし、おまえの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。宴を開いて歓迎するのは当然だ」。 この話では、父が慈悲深い神、兄が信心深く真面目に暮らしてきた人、そして弟が一度信仰に背を向けた者を表しています。「放蕩息子のたとえ話」は、悔い改めて信仰を取り戻せば、慈悲深い神は受け入れてくれるということを説いているのです。 しかし本作には、このたとえ話から欠けているものがあります。ルイたちの父親はすでに亡くなっており、ルイは“悔い改めて”帰ってきたわけではありません。 優しい言葉をかけてくれる「父」も「弟からの謝罪」もないため、兄アントワーヌは弟への怒りと憎しみ、そして愛がないまぜになった複雑な想いを暴力的なかたちでしか表現できなかったのではないでしょうか。

挿入歌や鳥が暗示するもの、タイトルの意味を考察【ネタバレ】

音楽が絶望的な結末を予想させる!Camilleの「Home is where it hurts」

映画『たかが世界の終わり』の冒頭で流れるCamilleの「Home is where it Hurts」は、本作のテーマを登場人物たちのセリフ以上に雄弁に語っているようです。 「家とは傷つく場所」という意味のタイトルのこの曲では、「私の家にはドアがない 私の家には屋根がない 家は救いの港じゃない」と、本来なら自分を守ってくれるはずの家に守ってもらえない、ネガティブなイメージの歌詞がつづきます。 これはそのまま、実家に向かうルイの行く末を暗示するものになっているのです。

鳩時計の鳥はルイを象徴している?

ラストシーン、家に一羽の小鳥が迷い込み鳩時計の中に入ってしまいます。そしてルイが家を去っていった後、床には小鳥の亡骸が横たわっていました。 ここでは鳩時計が家、小鳥はルイを象徴していると考えることができます。突然家に帰ってきたルイは家族を傷つけ、自分も傷ついて帰っていきました。そしてこの小鳥のように、ほどなくして人生の終わりを迎えるのでしょう。

タイトル『たかが世界の終わり』の意味は……

家族に自分の死を告げに来たルイは、彼らには自分とは無関係な生活があるのだと知ります。 もちろん彼が家族の近況などを知らないのは、彼自身が長い間連絡を絶っていたためです。彼は家族が自分を理解してくれないと感じていましたが、それ以上に彼自身が家族に無関心だったことに気づかされます。 そして、彼の世界と家族の世界とは別々に存在していることを痛感するのでした。 ルイが死んでも彼の世界が終わるだけで、他の人の世界は変わりません。タイトルの『たかが世界の終わり』には、そんな意味が込められているのです。

【カンヌ映画祭常連】監督は若き天才グザヴィエ・ドラン

グザヴィエ・ドラン
© Picture Alliance/Photoshot

カナダ・ケベック州の生まれであるグザウィエ・ドラン監督。彼は2009年、19歳の時に初めて監督した長編映画『マイ・マザー』が高評価を獲得したことから、映画監督として名を知られるようになりました。 『たかが世界の終わり』公開の2016年時点で、既にカンヌ国際映画祭で4度の受賞経験を誇るベテランです。 幼い頃から子役として活動してきたドランですが、 監督デビュー以降『胸騒ぎの恋人』(2010年)や『わたしはロランス』(2012年)、『Mommy/マミー』(2014年)といった話題作を次々と発表しました。 自身も同性愛者であることを公言している彼は、同性愛、家族、愛といったテーマに鋭く切り込む作品が多く、本作もその1つです。 ドランは本作について、「(原作となった演劇の脚本を)初めて読んだときは何とも思わなかったけど、5年後に読み返して見たら、深く感動した。 この映画の登場人物たちはみな愛しがたい存在だけど、だからこそ人間味に溢れているんだ。」とその魅力を語っています。

豪華キャストを紹介!

主人公ルイ/ギャスパー・ウリエル

ギャスパー・ウリエル
©Abaca Press/Marechal Aurore/Abaca/Sipa USA/Newscom/Zeta Image

余命短い劇作家のルイを演じるのは、ギャスパー・ウリエル。2007年の『ハンニバル・ライジング』で若き頃のハンニバル・レクター博士を演じて世界的に有名になりました。 大学で映画を学んだあと俳優としての活動を始めた彼は、2004年の『ロング・エンゲージメント』でセザール賞の有望若手男優賞を受賞。 その後活動の幅を広げ、 2014年にはファッションデザイナー、イブ・サンローランの生涯を描いた『SAINT LAURENT/サンローラン』で主役を務めました。

妹シュザンヌ/レア・セドゥ

レア・セドゥ
WENN.com

ルイと関係の浅い妹シュザンヌを演じるのはレア・セドゥです。2013年の『アデル、ブルーは熱い色』で魅惑的な主人公エマを演じ、カンヌ映画祭で監督と並んでパルム・ドール賞を受賞しました。 2009年の『イングロリアス・バスターズ』でハリウッドデビューも果たしており、活躍の場は広がるばかり。2015年には『007 スペクター』でボンドガールを務めました。 アーティスティックでパンクな美大生にもなれば、美しいボンドガールにも扮したりと、正真正銘のカメレオン女優です。

母マルティーヌ/ナタリー・バイ

ナタリー・バイ
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ルイの母親を演じるのはフランス映画界の大御所ナタリー・バイ。ドラン監督作品には『私はロランス』(2012年)以来2回目の出演です。 フランス国立高等演劇学校で学んだ彼女は、1970年代に映画女優としてのキャリアをスタートしました。フランソワ・トリュフォーやジャン=ルック・ゴダールといった名監督の作品に多く出演しています。 ハリウッド映画の中では『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(2002年)が最も有名です。

兄アントワーヌ/ヴァンサン・カッセル

ヴァンサン・カッセル
©︎ Avalon.red/zetaimage

息子の帰郷に興奮気味の母とは違い、そっけなく弟を迎える兄アントワーヌはヴァンサン・カッセルが演じています。 1995年のシリアスな社会ドラマ『憎しみ』で注目されて以来、フランス国内外を問わず活躍を続けるヴァンサン・カッセル。 『オーシャンズ12』(2004年)および『オーシャンズ13』(2007年)で怪盗「ナイト・フォックス」ことフランソワ・トゥルアーを演じ名を馳せました。 またナタリー・ポートマン主演の『ブラック・スワン』などへの出演でも知られています。

兄嫁カトリーヌ/マリオン・コティヤール

マリオン・コティヤール
Lia Toby/WENN.com

家族の中で唯一ルイとは初対面であるアントワーヌの妻カトリーヌを演じるのは、フランスだけでなく世界を代表する名女優の1人、マリオン・コティヤール。 90年代からフランス映画界で活動してきたマリオン・コティヤールは、2003年の『ビッグ・フィッシュ』でハリウッドデビュー。 以後『プロヴァンスの贈りもの』(2006年)、『インセプション』(2010年)、『マクベス』(2015年)といった映画で、名だたる俳優と共演を重ねていきました。 2007年の『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』では世界中の名だたる賞にノミネートされ、アカデミー主演女優賞を受賞しています。

【撮影裏話】豪華キャストとドラン監督のエピソード

フランスを代表する俳優が大集結!その背景とは?

『たかが世界の終わり』の見どころの1つはやはり、フランス映画界の名だたる俳優たちが集まっていることでしょう。 若手監督のもとにこれだけのメンバーが集まるのは珍しいこと。本作はもともとは舞台作品であり、物語もたった一度の夕食を軸に進むため、セリフや演技に重点が置かれます。そのためドランは、卓越した演技力を持つ最高のキャストを手に入れるべく奔走したのだとか。 しかし多忙な彼ら皆がオファーを受けたことに、プロデューサーも監督自身も驚いたそうです。出演者は全員ドランの監督作品を観たことがあり、その映像作家として手腕や語り口に深い感銘を受けていました。彼らはみんな、いつかドランと仕事をしたいと考えていたのですね。

俳優陣が語るドラン監督の人物像&規格外の演出方法

グザヴィエ・ドランの人物像について、本作で初めて彼の作品に出演したレア・セドゥは「彼は自分がしたいことをよくわかっていて、厳密に撮影を進めていく。」と語っています。また「彼自身が俳優であることもあって、とても厳しく細かく演技指導もされた。」と撮影の裏側を明かしました。 ベテラン俳優であるヴァンサン・カッセルは、「全てのことが撮影前から明確に決まっているのに、それでも僕たちはとても自由に演技ができる。」と評しています。

ドランの撮影手法は独特で、現場でもかなり演技に干渉する主義だそうです。 頭の中に明確なアイデアがあり、新しいアイデアが浮かぶと撮影中にカットを出す前でもダメ出しをする規格外な撮影方法で、俳優陣もフィルムが回りきるまで気を抜けなかったとか。 また、口数の少ない主人公を演じるギャスパー・ウリエルには、「セリフ以外での表現方法を一緒に探っていこう。」と直筆の手紙を送ったそうです。

もう一度観たい『たかが世界の終わり』が繊細に描く「愛」

舞台劇の映画化ということで、少ない登場人物とワンシチュエーションで会話を中心に展開する『たかが世界の終わり』。そんな制約があるからこそ俳優たちの繊細な演技が重要になり、それを逃さず映し取るためにアップが多用されています。 すべてが計算しつくされた映像と演技で、家族の愛と憎しみ、そしてそれを伝えられない不器用な家族を描いた本作。核心部分が語られないだけに、人によって感想が大きく違う作品でもあるでしょう。一度観た人ももう一度観ると、最初とは違った印象を受けるかもしれません。