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映画『プラトーン』がもっと面白くなる裏話20選

2017年12月9日更新

1986年に全米で公開された『プラトーン』。従来の戦争映画とは違い、監督自身のベトナム戦争での経験をもとにリアルに描写されており、今なお人気の名作となっています。今回は『プラトーン』を更に楽しむための裏話を20つご紹介します。

1. 麻薬でハイになるシーンでは、実際に麻薬を使っていた!

あるドキュメンタリー番組でのデフォーへのインタビューによると、小隊が薬でハイになるシーンで役になりきりたいと思った俳優達は、マリファナを吸って撮影に挑んだそうです。しかしこの計画はうまくいかなかったのです。いざ撮影か始まると俳優達のハイ状態が終わってしまったり、薬が抜けてしまったりしてまるで役に立たなかったそうです。

2. 映画『プラトーン』は撮影中止になっていたかもしれない!?

当時のフィリピンの独裁者のフェルディナンド・マルコスが国を亡命した1986年2月、映画の撮影地であるフィリピンでは政治的に激変をしている時期でした。そのため、映画は中止となりそうだったのです。

あるインタビューにて。戦争に疲弊した心優しい兵士・エリアスを演じたウィレム・デフォーは、最初に撮影地に着いた時のことを語りました。デフォーはフィリピンに着き、ホテルで昼寝をすることにしたそうです。

「目が覚めて部屋のカーテンを開けたら、道に戦車があって『いったい何が起こっているんだ?』と思ったね。」とデフォーはインタビューで語りました。

3. 『プラトーン』の撮影で初めてアメリカを出たジョニーデップ

今でこそジョニー・デップはほとんどの時間をフランスで過ごしたり、世界を旅行していますが、実は1986年の22歳の時までアメリカから出たことがなかったのです。

4. デフォーとべレンジャーのキャラを交換!?

『プラトーン』以前にはデフォーは悪役ばかりを演じていました。一方トム・べレンジャーは共感できる、同情的なヒーローやアンチヒーローをよく演じていました。しかし『プラトーン』ではお互い今までとは逆の役を演じました。

5. ジム・モリソンが『プラトーン』の主役になっていたかもしれない

監督のオリバー・ストーンが1969年に『プラトーン』の最初の下書きを書き上げた時、それをアメリカのロックバンド「ドアーズ」のボーカリストのジム・モリソンに送ったそうです。オリバー・ストーンは、最終的にチャーリー・シーンが演じた「クリス・テイラー」の役をジム・モリソンに演じてほしかったようです。

ジム・モリソンがパリで亡くなった1971年、彼の遺品の中からプラトーンの台本が見つかったと言います。

6. デフォーは汚染水を飲み、一日中幻覚を起こしていた!

撮影中、俳優陣は川の水を飲まないよう注意されていました。マラリアの危険があったからです。しかしデフォーは水筒に川の水を入れ、浄水錠剤を入れて飲んだのです。

俳優達が川の上流に行くと、そこで腐って肥大化した豚の死骸があったようで、デフォーは丸24時間病気になり、うわごとを言っていたそうです。

7. 映画の軍事アドバイザーが俳優達をスパルタ指導をした!

撮影が始まる2週間前、ベトナム戦争の退役海兵隊員であり軍事専門アドバイザーのデイル・ダイが俳優達に14日間の訓練を施しました。その間は俳優達はお互いを役名や階級で呼び合ったり、兵隊が実際に持つ道具一式を運んだり、兵隊の日々の職務を果たさなければなりませんでした。

映画制作についてのドキュメンタリーで、ジョニー・デップは眠りに落ちてしまった時の事を話しています。デイル・ダイは眠りに落ちたジョニーデップの頭の後ろに銃を押し付けて起こし、こう囁いたそうです。「ジョニー、君は死んだ。」

「私は俳優達に一年間寝ずにいるのはどのような感じか知ってもらいたかった。この2週間の訓練で俳優達にはそれを感じてほしい。」とドキュメンタリーの中で監督のオリバー・ストーンは言っています。

8. リアリティを出すためにわざわざ土を輸入した!

プラトーンはフィリピンで撮影されました。フィリピンは景色がベトナムと似ており、実際にベトナムにいずともベトナムにいるように見えるという利点がありました。

しかしそこにはたった一つのベトナムとの違いがありました。それは、フィリピンにはストーンのベトナムでの若かりし日を思い出させる赤土がなかったのです。そして、リアリティを出すために、ふさわしい色合いの土が運ばれたのです。

9.映画が制作されるまでに10年以上かかった

オリバー・ストーンがベトナム戦争から帰ってきた1969年からすぐ、自身の経験をもとに脚本を書き上げました。(そしてドアーズというバンドのボーカルのジム・モリソンに主役にしたいと思い、その脚本を送りました)

1976年までに、その脚本の草案は「プラトーン」呼ばれるものに姿を変えました。しかし、ストーンは映画を作る意思のある人を見つけることができませんでした。ベトナム戦争は人々の心に鮮やかに残っていたのです。それは『地獄の黙示録』や『ディア・ハンター』などのベトナム戦争を作る数年前のことでした。

そしてその後は、スタジオが『プラトーン』を作らない訳がもう一つありました。それは『地獄の黙示録』や『ディア・ハンター』が取り扱った時と同時に、なぜわざわざベトナム戦争映画を作る必要があるのか、というものでした。

10. 映画のポスターは有名な実際の戦争の写真をもとに作られた

エリアスが両手を宙に挙げているあの有名なポスターは、実はベトナム戦争中に撮られた更に有名な写真がもとになっているんです。その写真は1968年にArt GreensponというAP通信の特派員によって撮られた写真で、2000年には第13回最優秀ミリタリー写真に選ばれました。

11. チャーリー・シーンは映画のアドバイスを受けに、父親に会いに行った!

チャーリーの父親のマーティン・シーンはベトナム戦争映画の『地獄の黙示録』で主演を務めていてたので、チャーリーは父親にその時の経験について話を聞き、より良い演技の為に備えていたそうです。

実はチャーリーは子供の頃映画『地獄の黙示録』の撮影現場に時々いたので、『プラトーン』という映画にデジャビュを感じたと言ったそうです。

12. オリバー・ストーンはジョニー・デップの大出世を予期していた!

ストーンはジョニーデップをチャーリー・シーン演じる主役をしてもらおうと考えていました。しかし、ジョニーデップにはそのような重い役をするにはまだ若いと感じたのです。また、ストーンはキアヌ・リーブスにもオファーを考えていましたがキアヌ・リーブスは戦争中の暴力を不快に感じていたため実現しませんでした。

それでもストーン監督は、ジョニー・デップは遅かれ早かれ有名になると感じていたそうです。

「陳腐な表現だけど、率直に言って僕はジョニー・デップがスターになるということをはっきりと信じていたよ。ジョニー・デップはとても顔立ちが良い少年だったんだ。彼には最初は違う役を考えていたんだけれども、まだチャーリーの役を演じる準備が出来てないと思ったんだ。今回の撮影で、ジャングルの中でお互いをよく知ったんだけれども、僕は本当にジョニー・デップは将来成功すると思ったよ。」

13. ストーンは撮影に対して文句を言うチャーリー・シーンに対して怒った!

チャーリー・シーンがヘリコプターから荷物を下ろすのを手伝うという場面がありました。ストーンはチャーリー・シーンにその場面ではシャツを着ないように言ったのですが、シーンは岩や土が背中に付くと不満を言ったそうです。ストーンがみんなの前でシーンを呼んだ時のことでした。

ストーンはシャツを脱いでほしかったのですがシーンは拒みました。ストーンはシーンに食って掛かりこのように言ったそうです。「何?君はひ弱な男か?君はマリブから来た小さなひ弱男か?バレーボールばっかりやって生きてきたのか?」この発言でチャーリーは激怒しました。

「頭に来たからシャツを引き裂いてその場面を演じたよ。そして数週間背中に傷がついたよ。」とチャーリー・シーンは言ったそう。

14. ミッキー・ルークとケビン・コスナーはバーンズ軍曹の役をオファーされていた

トム・べレンジャーは簡単にバーンズ軍曹役をゲットしたわけではありませんでした。この映画はいくつかのバージョンが検討されていて、そのうちの一つがエミリオ・エステベスが演じるバーンズ軍曹のバージョンでした。

ケビン・コスナーは彼の兄がベトナム戦争にいたことを主な理由としてオファーを断ったのだとストーン監督は語りました。

15. オリバー・ストーンはオスカーを受賞した初めてのベトナム帰還兵だった

オリバー・ストーンはベトナム戦争から帰還した1969年に、ベトナム戦争について書き始めました。それはジョン・ウェインが1968年に作った戦争映画『グリーン・ベレー』の非現実的な描写に対抗するためでした。ストーンは1978年制作の『ミッドナイト・エクスプレス』を足掛かりにしてオスカーを獲得した、初めてのベトナム帰還兵となったのです。

16. オニール軍曹の情緒不安が強まったのは現実世界での危機のせい

映画は連続して撮影していたので、俳優たちは役の中で死ぬまでは家へ帰れませんでした。マッギンリーは撮影当時脳の手術を受けており、更に撮影スケジュールやフィリピンでの政情不安が更に俳優陣に大打撃をあたえたのです。

17. シドニー・ルメットはアル・パチーノの映画を作っていたかもしれない

さかのぼること1976年、ストーンが映画のプロデューサーを探していた時、シドニー・ルメットに決めようとしていました。シドニー・ルメットはアル・パチーノをチャーリー・シーンの役にキャスティングしようとしていたようです。

18. チャーリー・シーンは主役を兄に取られそうだった

シーンはストーンのオーディションを受けていましたが、ストーンを感動させることができませんでした。ストーンが本当に気に入ったのはシーンの兄のエミリオ・エステベスでしたが、この時は資金調達が失敗に終わり撮影は見送られました。

しかし数年後シーンが再びオーディションを受けた時までにシーンはその役に見合うまでに成長したのです。「今回、シーンは役にふさわしいと10分でわかったよ。」とストーンは言ったそうです。

19. 独特の撮影方法が俳優達に実際に死傷者が出ているように感じさせた

映画はワンカットで撮られていたので、劇中の小隊から死傷者が出たときはキャストの規模も少なくなっていきました。撮影の終盤にはほんの一握りのオリジナルキャストしか残りませんでした。そのような撮影方法は俳優達に寂しさや喪失感を与えた、とオニール軍曹を演じたジョン・C・マッギンリーは語っていたそうです。

20. チャーリー・シーンはラストシーンを即興した!

チャーリー・シーン演じるクリス・テイラーがバーンズ軍曹を殺した後の最後の場面ではチャーリー・シーンが砂袋の山の上に座って手りゅう弾を持っているのが見られます。チャーリー・シーンの仲間の兵士が近づいた時にチャーリー・シーンは手りゅう弾を手から落としています。

「僕はアドリブで手りゅう弾を持って仲間の兵士が近づいた時に手りゅう弾のピンを抜こうとしたんだ。自殺するためにね。」

シーンはドキュメンタリーのインタビューでこのように語っていました。

「僕はこのことをオリバー監督に予め言ってなかったのですが、監督に『うまくいきましたか?』と尋ねたら監督に『内容を変えないでくれ』と言われたよ。」