1.1959年作品では意外なところに悲劇が
1925年度版のベン・ハーの撮影では、一人のスタントマンと5頭の馬の犠牲が出ました。1959年度版の人にも動物にも深刻な被害は及びませんでした、ただ一点を除いては。それは、エグゼクティブ・プロデューサーのサム・ジンバリストが撮影期間中にローマで亡くなったこと。54歳という若さでした。
2.静かなライオン
製作・配給を行うMGMの映画では、通常、本編が始まる前にシンボルのライオンが吠えるシーンが入るのですが、ベン・ハーの製作チームは、この映像がベン・ハーのオープニングには相応しくしないと判断し、初めて無音のライオンの吠えるシーンが採用されました。
3.別の映画も確認したくなるトリビア
1972年に、チャールトン・ヘストンが自身の映画であるシェイクスピアの”アントニーとクレオパトラ”で使用した海上での戦闘シーンは、実はこのベン・ハーでの未使用映像でした。
4.最新作は何回目のリメイク?
ベン・ハーの専門サイトによれば、先にアメリカで発表された最新の2016年度版は、小説をもとに作られたブロードウェイでの演劇の3つ目のリメイクになるとのこと。すなわち、トータル4回目のリメイク映画ということになります。
5.激戦を勝ち抜いたチャールトン・ヘストン
映画専門サイトTCM.comによると、1956年度版のキャスティングに、マーロン・ブランド、ポール・ニューマン、トニー・カーティス、バート・ランカスター、ロック・ハドソン、カーク・ダクラス、レスリーニールセンといったそうそうたる顔ぶれの俳優が主役のベン・ハーとメッサラの役の候補に上がっていたいようです。
6.日本の公開においても歴史的作品
1959年版の日本でのプレミア上映には、昭和天皇と皇后がわざわざ皇居をお出になって会場でご覧になる、日本で最初の映画となりました。
7.撮影においても時として問題になる宗教
1956年度版において砂漠のシーンは本来、すべてリビアで撮影されることになっていました。ところが、イスラム教国であるリビアの政府がこの映画がキリスト教に関係する映画と知ると、制作チームは国外退去を命ぜられてしまい、結果、ヨーロッパで唯一砂漠があるスペインで撮影されることになりました。
8.馬車にもいろいろな種類
チャールトン・ヘストンは1956年の十戒の映画制作時にすでに2頭馬車の乗り方はマスターしていましたが、4頭馬車を乗りこなすために、ローマ入りしたのちすぐにスタントコーディネータのヤキマ・カヌのところに出向いて指導を受け始めました。
9.音声効果も重要な要素
1956年度版、有名な馬車競争のシーンは無声で撮影され、のちの編集で音声が付け加えられました。そして戦闘シーンを通して音楽を一切使用しないという判断もその編集の時に決まりました。
10.母と子は10歳差
1956年度版で、この映画の撮影時、ベン・ハーの母親役であるマーサ・スコットは、実際には息子役であるチャールトンのほんの10歳だけ年上でした。また、彼女は3年前に製作された十戒の中でもヘストンの母親役を演じていました。
11.この頃からすでに撮影ではカラーコンタクトを使用
1956年度版でローマ人を演じたステファン・ボイドと数人の俳優たちは、濃い色のコンタクトレンズを着用して撮影しているので、実際に彼らの目はスクリーン上でも茶色に見えます。
12.記録的な長時間に及ぶ演技!
2時間1分23秒。これはチャールトン・ヘストンがこの映画で演じた時間ですが、アカデミー最優秀男優賞受賞者の中で最長の記録となりました。そして、すべてのカテゴリーの賞の中で2番目に長い時間でもあります。
13.あわや大惨事
1956年度版、馬車の戦闘シーンの中で、大きなカーブを曲がろうとする時に2両がカメラにぶつかって来ました。幸いにも、木製のバリケードでガードされていたため事なきを得ましたが、細かい修理箇所やテストで撮影はしばし滞ってしまう事に。出演者、スタッフまた馬にひどい被害がなかった事は不幸中の幸いでした。
14.非情を演じるのも大変な役
1956年度版、ベン・ハーが、馬車レースの後に死にゆくメッサーラと対面するシーンで、ウィリアム・ワイラー監督は何回も撮り直しを求めました。というのは、彼はベン・ハーに完全な非情の表現することを求めたのですが、主役のチャールトン・ヘストンにはなかなか難しい要求だったのです。