ハリウッド黄金期に傑作西部劇を生み出した男ジョン・フォード
偉大な映画監督ジョン・フォードはハリウッド黄金期に活躍した人物。様々なジャンルの作品を撮っていましたが、彼の天性の才能が発揮されたのは西部劇です。
人生で136本もの映画の監督を務め、前人未到のアカデミー賞監督賞を4度も受賞した映画史を語る上で欠かすことはできない男の魅力を今回は紹介します。
ジョン・フォードの偉大すぎる経歴
ジョン・フォードは1894年2月1日にアメリカ合衆国でアイルランド移民の子供として生まれました。
実は彼は当初監督としてではなく小道具係やスタントマンとして働いていたのです。その後監督に昇進ではなく、映画監督であり俳優でもあった兄フランシスの映画に端役で出演します。
そんなジョンに突然転機はやってくるのです。1917年に兄が二日酔いのため仕事ができなくなったので、彼が代わりに助監督を務めることに。その時の演出シーンがユニヴァーサル・ピクチャーズの重役に気に入られたため監督に昇進することになるのでした。
そして1917年に映画『颱風』で監督デビューを果たします。
監督デビューを果たしてからは着実に映画監督としてのキャリアを積み上げていき、1924年の映画『アイアン・ホース』で一流監督の仲間入りを果たすのです。
1930年代に入ると時代の風潮に合わせて、西部劇からシリアスな作風へとシフトチェンジしていきます。そして1935年の『男の敵』ではアカデミー賞監督賞を初受賞するのでした。
第二次世界大戦が開戦すると、ジョン・フォードは海軍に志願して戦場へ向かいました。海軍少佐として彼は実際に戦場へ向かい、戦争のドキュメンタリー映画を製作しています。
戦後も彼の活躍は衰えることを知りません。1946年には後に何度もリメイクされ西部劇の定番となる映画『荒野の決闘』の監督を務めます。その後1956年に『捜索者』、1964年には『シャイアン』を発表。彼の最後の長編映画監督作品は1966年の『荒野の女たち』です。そして1973年8月31日に胃がんのためこの世を去ります。
ジョン・フォードの絶対に見るべき代表作を大紹介!
西部劇の金字塔映画『駅馬車』とは!?
1939年の映画『駅馬車』は西部劇映画を語る上では絶対に欠かすことができない作品です。
物語は駅馬車に乗り合った人物が繰り出す人間模様が中心。映画終盤には決闘、そしてアクション映画史上最高の名シーンと呼ばれるアパッチ襲撃という西部劇要素が加わってきます。
今作で主役のリンゴ・キッドを務めたジョン・ウェインはそれまでは大作に出演することなくB級映画にばかり出演していました。
しかし今作で圧倒的な演技力を見せつけた彼は、それから何度もジョン・フォード監督作品に出演する大スターとなるのでした。
ピューリッツァー賞受賞作品を映画化
1940年制作の映画『怒りの葡萄』はピューリッツァー賞を受賞した同名小説を基に製作されました。主役のトム・ジョードを演じたのは名優ヘンリー・フォンダです。
物語は故郷を追われ様々な逆境にぶつかりながらも、不屈の精神を見せる家族の様子を描いています。今作でジョン・フォードは監督賞を受賞し、ママ・ジョードを演じたジェーン・ダーウェルが助演女優賞受賞を果たしました。
ジョン・フォードが手がける人情喜劇
1952年公開の映画『静かなる男』は人情喜劇です。
映画のあらすじはアイルランド系アメリカ人のショーン(ジョン・ウェイン)が、自身のルーツを探るため生まれ故郷のアイルランドに移り住むというもの。今作でジョン・フォードはアカデミー賞監督賞を見事受賞します。
ジョン・フォードの最高傑作
1956年の映画『捜索者』はジョン・フォード監督の最高傑作との呼び声高い名作です。ジャンルはもちろん西部劇。
映画の舞台は南北戦争から3年後のテキサス。南北戦争が終わり3年ぶりに故郷に帰ってきた男が、連れ去られた姪を救出するまでの旅を描いています。主役のイーサン・エドワーズを演じるのはジョン・フォード作品の常連俳優ジョン・ウェインです。
真珠湾攻撃を題材にした映画『真珠湾攻撃』
第二次世界大戦が開戦するとジョン・フォードは自ら戦場に赴いて、戦争映画のドキュメンタリーを製作してきました。
その時に製作したのがプロパガンダ映画『真珠湾攻撃』。今作はアメリカが第二次世界大戦に参加するきっかけとなった日本軍の真珠湾攻撃を扱ったものです。
監督を務めたのはジョンだけではありません。彼と『怒りの葡萄』撮影時にもタッグを組んだ伝説の映画監督グレッグ・トーランドも参加しています。今作はアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞するという快挙を果たしました。
あの黒澤明にも影響を与えた!?
西部劇の神様と呼ばれるジョン・フォードは多くの映画関係者に影響を与えてきました。
特に大きな影響を受けたのは日本を代表する映画監督黒澤明。スティーヴン・スピルバーグやフランシス・フォード・コッポラ等の映画界の巨匠に映画を与えてきた黒澤が、終生敬愛してきた人物はジョン・フォードだったのです。
黒澤明は彼の話となると止まることがなかったらしく、映画撮影に臨む際にはジョンと同じような格好をするほどでした。
ジョン・フォードの名言を大紹介!
監督業で大切なことは人々の目を撮影することです。
ジョン・フォードは誰でも基礎さえ身につければ映画監督になることができると言いました。
彼にとって監督業はミステリーでもなく、芸術でもありません。監督業で大切なことは人々の目を撮影することだと言うのです。彼の信念を垣間見ることができる名言ですね。
3つのオスカーを手にするためにセレモニーに出席はしません。
アカデミー賞を何度も受賞しているジョン・フォードですが、アカデミー式会場にはいつも姿を見せませんでした。このことについて彼は次のように述べています。
「3つのオスカーを手にするためにセレモニーに出席はしません。ある時は魚釣りに行っていて、またある時は戦争が起こっていました。今でも覚えているのですが、またある時には突然酔っぱらってしまったんですよ。」
名前はジョン・フォード。西部劇を作っています。
この名言は1950年に開かれたアメリカ映画監督協会の臨時総会での一言だそうです。
すでに巨匠の地位にありながらも、律儀に自己紹介をしてから彼は演説を始めました。もちろん誰もが彼の言葉に耳を傾けたことは言うまでもありません。
とてもシンプルですが、ものすごいインパクトがある名言ですよね。