2017年7月6日更新
山口智子の複雑な生い立ちをまとめてみた!
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ドラマの視聴率女王、山口智子
山口智子は1964年10月20日生まれの栃木県出身です。1986年に東レキャンペーンガールとして芸能活動を開始。デビュー当時はモデルやCMの仕事を中心に活動していましたが、1988年にNHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』のヒロインに抜擢され、広く知られるようになります。
90年代に入ると、その当時ヒットしたドラマのほとんどに出演していると言われてしまうほどの活躍をみせます。事実、山口智子が主演を務めたドラマは軒並み大ヒット、「高視聴率女王」と呼ばれました。
1995年には俳優の唐沢寿明と結婚します。二人の出会いは山口がヒロインを務めた『純ちゃんの応援歌』だったようです。
実家は栃木の老舗旅館
山口智子の実家は栃木市で歴史ある旅館の「鯉保」です。江戸時代から続く由緒ある老舗旅館で、松尾芭蕉を支えた杉山杉風を先祖に持ちます。
残念ながら、2005年に廃業となっていますが、営業当時は、ロビーに山口智子コレクションが設けられていました。
山口智子の複雑な生い立ち
山口智子が小学校1年生の時、両親が離婚、妹と一緒に母の実家へと戻ることになりました。
しかし、幼いころから温かい愛情を傾けて育ててくれた大好きな父方の祖母と離れて暮らすのが嫌で、祖母の元に舞い戻ってしまいます。結果、山口だけ父と祖母の元に残ることになりました。その日から、母と妹とは絶縁状態になってしまったようです。
実家を継ぎたくないという思いで女優を志す
両親の離婚がきっかけで妹や母と離れ離れとなり、一人父の元で暮らすことになった山口智子。可愛がってくれた祖母は、山口が旅館を継ぐことを望んでいました。ところが、山口は短大在学中がらモデルのアルバイトを始めるようになり、芸能界や女優という仕事に興味を持ち始めます。
祖母の反対を押し切り実家を出て芸能界への道を選んだ山口智子ですが、後にある雑誌のインタビューでは「実家に帰りたくないという思いで女優を目指した」と語っています。
父親が再婚し、義母が旅館を継ぐことになりましたが、そのことで様々な思い出が詰まった実家に戻りたくないという気持ちがさらに強くなってしまったのでしょうね。
父の死をきっかけに母、妹と復縁
絶縁状態だった母との再会を果たす時がやってきます。それは父の葬儀でのできごとでした。
2005年に突然、山口智子の父は他界します。その葬儀の席に妹の姿が。この時の再会をきっかけに山口と妹は徐々に打ち解け、母とも和解、交流が始まるようになったと言います。30数年もの間会うこともできなかったばかりか、事実上の絶縁状態だった実母・妹とやっと復縁できたのです。
現在は幸せな家庭を築いている山口智子
華やかなキャリアや人気とは裏腹に複雑な生い立ちを抱える山口智子。しかし、現在は誰もが羨む幸せな家庭を築いています。
1995年に俳優の唐沢寿明と結婚した山口智子。バラエティー番組でのトークやインタビューでも見受けられるように、結婚から何年たっても変わらずラブラブな仲良し夫婦として有名な二人です。雑誌のインタビューでは次のように答えています。
「人生において大事なのは、自分のスタイルを見つけることだと思います。結婚も、 〝人それぞれ〞の形があると思う。人を真似する必要はない。私はもちろん、世界で一番幸せだと思って生きてます。すっごく幸せです(笑)!
何を結婚の定義にするかにもよると思います。私は特殊な育ち方をしているので、血の結びつきを全く信用していない。私はずっと、『親』というものになりたくないと思って育ちました。私は、『子供のいる人生』とは違う人生を歩みたいなと。だからこそ、血の繫がりはなくとも、伴侶という人生のパートナーを強く求めていました。唐沢さんは、夫であり、家族であり、友であり、恋人であり……。唐沢さんと一緒に生きることは、ほんとうに楽しいです」
そう語る通り、二人には子どもはいません。子どもを持たない人生を選ぶことに全く後悔はないようです。
家族にはそれぞれの形があり、事情があります。子どもをたくさん持つことも、家庭を築いても子供を持たない選択をすることも、ともに素晴らしい人生です。長年子供をもうけないでいると、世間では様々な憶測が飛び交うものですが、大切なことは、家族同士の絆や思いやりではないでしょうか。
きっと山口智子は、一番大切なパートナーと温かく確かな絆を持てるという幸せを噛みしめているのでしょう。