60年、70年代の学生運動とは一体何だったのか?学生運動をテーマにした映画と合わせて解説

2018年8月31日更新

革命という名の下で多くの若者が命を落とした学生運動。現在ではその存在を知らないという人も少なくはありません。映画のモチーフとして多く扱われるこの激動の時代について、解説とともに関連する名作映画を紹介していきます。

学生運動が起こったのはこんな時代!

日本で学生運動が盛んに行われていたのは60年代から70年代です。当時の日本は第二次世界大戦の傷跡が少しずつ癒えてきた状態でした。1960年、日本とアメリカ間で新たに日米安全保障条約を結んでいます。 1964年には佐藤栄作が内閣総理大臣に就任し、沖縄返還の実現や非核三原則の政策など数々の偉業を達成しました。同年東京オリンピックが開催し、日本は高度経済成長の時代へと突入します。 60年代、70年代は終戦から時間が経っているとはいえ、日本社会は数々の問題を抱えていました。それに対して国民の政府に対する不満が爆発しデモが各地で行われていました。

実は多くの映画のモチーフになっている!?

意外と知られていないかもしれませんが、学生運動を題材にした映画や小説は数多く存在します。 学生運動は途中から過激になり多くの死傷者を出す結果となってしまいましたが、日本社会や政府をいいものに変えていきたいと心から願い行動した学生たちの熱い思いは日本中を巻き込み世間に大きな影響を与えました。 激動の時代があったことや学生運動に参加した人々の葛藤や闘いを後世にも伝えたいという思いから映画は生み出されたのではないでしょうか。 2017年時点で一番新しい映画は2016年公開の『無伴奏』で、学生運動そのものが描かれているというわけではないのですが、学生運動の熱に影響を受けた若者たちのラブストーリーです。

結局のところ学生運動って何?

そもそも学生運動は中世のドイツまで起源が遡ります。学問の自由を求め、学生が政府・大学側に要求しました。 日本では、明治時代に旧制高等学校の校長排斥運動から始まり1960年の安保闘争、1968年の全共闘で最盛期を迎えています。元々は大学や教育に関する事柄に対しての反対運動や要求運動でしたが、60年代、70年代では戦争反対や条約改正など政治的な事柄に対するものに変化していっています。 投石や火炎ビンを使用する抗議から過激さがエスカレートし、猟銃を使用する暴力的な運動も行われていました。1980年代以降は日本の経済も安定し、暴力的な学生運動は行われていません。

学生運動で使われている用語解説

全学連

全学連とは1948年に結成された全日本学生自治会総連合の略称です。結成当初は日本共産党の統制下にありましたが、1955年には共産党への批判が増え安保反対運動では共産党から隔離した組織として活動していました。 2012年時点では日本共産党系、中核派系、革マル派系などをはじめとする5団体が、自身の団体を正統な全学連であると主張しています。

ブント

ブントは絆、連合、同盟を意味するドイツ語、Bundから派生したと言われています。日本では1958年に結成された新左翼党派である共産主義者同盟の略称です。 1958年から1960年を一次ブント、1966年から1970年を二次ブントとしています。1970年に組織は解体され複数の党派に分裂しました。 一次ブントは、結成時には300人ほど、最盛期(60年安保闘争時)には3,000人程度の同盟員が在籍した大きな組織に成長しました。

革マル

革マルとは新左翼党派の1つである日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派の略称です。1957年結成の日本革命的共産主義者同盟全国委員会から分裂を繰り返しできた組織で、Zのアルファベットに白地で赤のふち入りヘルメットがトレンドマークです。 結成時のリーダーである黒田寛一の「反帝国主義・反スターリン主義」をモットーに掲げ、黒田亡き現在もその思想を貫いています。

セクト

セクトとはラテン語のsecta(セクタ)が由来で元々は宗教から派生した宗派のことを指します。学生運動においては志や主義を同じくする者の集団という意味合いで使用され、新左翼の党派のことを指しています。 ちなみに新左翼党派は「5流13派」あると言われています。

内ゲバ

内ゲバは内部ゲバルトの略称で、ゲバルト(Gewalt)はドイツ語で威力や暴力のことを意味します。学生運動では異なる党派間での暴力を用いた抗争のことを指します。 逆に全学連や新左翼の組織が国家や警察との抗争を外ゲバと呼びます。新左翼が多数に分裂した当初は党派間での小競り合い程度でしたが、徐々に悪化し特定の人物を誘拐し集団で襲い掛かる、リンチへと発展しました。 最も有名なものは中核派と革マル派の内ゲバで、1970年以降20年以上続きました。1990年後半になり中核派と革マル派の代表者による話し合いの元争いは締結しています。

樺美智子事件

1937年生まれの東京大学の学生だった樺美智子はブントの活動家として1960年に行われた安保闘争に参加し、機動隊との揉み合いの最中命を落としました。当時22歳の未来ある女学生の死は多くの人に衝撃を与え、安保闘争の象徴的な事件となりました。 事件当時、樺の死因は人雪崩による圧迫死とされていましたが、首を絞められたことにより窒息死という鑑定書も過去には存在するなど真相は2017年現在も分かっていません。 樺の死に対する抗議デモが多くの大学で行われました。なお、ブントは安保闘争後に一度解体されています。

学生運動を題材として映画を紹介!

上映4日目で上映中止となった問題作『日本の夜と霧』

1960年の安保闘争が起こった同じ年に製作され、安保闘争で共に闘った仲間たちのその後の描いた映画です。 安保闘争の国会前行動で出会い結ばれた野沢晴明と原田玲子の結婚式には同じく安保闘争で共に闘った同志たちが参列していました。指名手配中の元同士である太田が乱入してきたことにより事態は急展開を迎えます。 太田は安保闘争時の仲間の1人である北見の失踪の真相、追い込まれ自殺した高尾について、そして自身も裏切られ警察に売られたことを告白します。 本作では、同じ思想観念を持って集まったはずの学生たちの絆の綻びや学生運動に対する異常なまでの社会の盛り上がりの後に残されたものの虚しさを冷静に淡々と語られています。

日本中を震撼させた集団リンチを描いた『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』

当時の学生運動家にも支持されていた若松孝二の監督作品です。2008年に公開されました。1972年のあさま山荘事件を連合赤軍の視点から描いています。 過激な反対運動を続け警察に身を終われた連合赤軍は山奥で軍事訓練を始めます。しかし、警察の捜査の手が伸び始め、メンバーは徐々に憔悴し「革命兵士」としての意識を確認する総括という名の暴力による制裁が始まり組織は内側から崩壊していきます。 最後まで残ったメンバーの5人は人質をとり山荘に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げました。 なぜ仲間内でリンチが行われたのか、なぜ人質をとり立てこもったのか、連合赤軍に属していた若者の心の葛藤や苦難が生々しく描かれた作品です。

血にまみれた内部崩壊の惨劇『鬼畜大宴会』

1998年に公開された熊切和嘉が大学の卒業制作として製作された、連合赤軍のリンチ殺人をモチーフにした映画です。 獄中にいるカリスマ的リーダーの相澤の出所を待つ左翼組織のメンバーは、古いアパートの一室で活動の準備をしていました。相澤が留守の間は恋人の雅美が組織を仕切っていましたが、雅美のやり方が気に入らない年長者の山根は対立し組織から離脱します。 獄中で相澤が自殺したことによりメンバーは結束力を失い、壮絶な内ゲバ、集団リンチが行われます。猟銃で頭を吹き飛ばしたり、男性器を食いちぎったりと血みどろで残虐なシーンが多く衝撃的な映画です。 和太鼓を使った演出が物語の異常なまでの残虐さを肯定し、不気味な雰囲気を一層際だたせています。

学生運動という壮絶な事実を学ぶことは大切

学生運動がどんなものか知っていただけたでしょうか? 映画やドラマの中の話ではないかと疑ってしまうような壮絶な事実もあったと思います。 己の信念を貫き通すために過激な武力行使や党派間の内部抗争で多くの死傷者を出すという悲しい結末に終わってしまった学生運動。現在ではストライキやデモが武力行使無しで死傷者を出さずに終わっているのは学生運動という激動の時代があったからかもしれませんね。 歴史を学び、事実を知ってから映画を鑑賞することで見えてくるものもあるでしょう。ぜひ、今回紹介した映画を観てみてください。